二戸の歴史と先人
九戸城跡

正式名称は「八葉山天台寺」といって、奈良時代(728年)に聖武天皇の勅命で行基上人が開山したと伝えられ、東北最古の名刹。 実際にはそれ以前から「神のいます山」として信仰の対象にしていたと考えられている。
拝観形像に貼られている御札は、病に悩む人がその箇所に張って治るよう祈願する為の姿です。。
昭和62年5月5日、第73代天台寺住職として瀬戸内寂聴が普山した。 翌年、比叡山延暦寺から「不滅の法灯」が分灯された。 天台寺の本尊、桂泉観世音立像・十一面観音立像・は国の重要文化財となっている。 奥州観音霊場の三十三番札所でもある。
5月5日 春の例大祭 10月5日 秋の例大祭

田中館 愛橘 (たなかだて あいきつ)
生没年 1856−1952
東京大学卒の物理学者、明治21〜22年グラスゴー大学、23〜24年ベルリン大学留学してその後帝国大学理化学教授、純粋物理学の重力・地磁気・測地学・度量衡・航空・地震などの学問の基礎を築いた。 また日本式ローマ字の創始者でもある。 昭和19年文化勲章授章
歴史人物として、もっと評価が高くとも良いのではないか、との声もでるほどある。

福田 繁雄 グラフィックデザイナー
昭和8年東京生まれ。 母の郷里である二戸市に疎開し、福岡中学、福岡高校をへて東京芸術大学美術学部図案科卒業。 日本万博公式ポスター制作,
2001年ニューヨークSVAマスター賞、ワルシャワ国際ポスタービェンナーレ金賞、芸術選奨大臣新人賞、通産大臣デザイン功労賞など多数受賞。 1997年紫綬褒章を受章。 東京国立近代美術館評議員。 (社)日本グラフィックデザイナー協会会長。
FUKUDAポスター大賞コンクールの第1回(2003年)開催のジュニア部門で、私の次女、四戸岸 未佳(シトギシ ミカ)が最優秀賞をいただきました。
2007 3 10
二戸地方の始まり
霊亀元年(715) 糠部(ぬかるべ)「陸奥蝦夷郡」、ヤマト政府と接触のあった糠部の邑良志別君宇蘇弥奈(オラシベノキミウソミナ)という首長に始まる。
馬産地である当地方を、一戸〜九戸のように地名に戸のつくようになったのはその時代の頃、もしくは、すこし後と思われ 四角九戸・糠部郡の村・国づくりが始まっていた。
その後、坂上田村麻呂に見出された文室綿麻呂(フンヤノワタマロ)が政界に復帰し征夷戦であるニサタイ戦争(弘仁二年)となり、安部時代の「奥六郡」・「奥六郡以北」の前九年へと続いていくのである。 当時糠部の馬は名馬として知られ、平泉から鎌倉や京都朝廷に貢馬していた。
戸のつく糠部郡の神事・祭事は、四戸八幡宮(現在の櫛引八幡宮、青森県))で、組織して取り仕切っていた。
ブナの恵
撮影日 2007 3 10
男性拝観 阿形像
アギョウゾウ
女性拝観 吽形像
ウンギョウゾウ




上記以外の二戸の先人
2007 3 27 記
小保内 孫陸(1812〜1891)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・会輔社を創設した呑香稲荷神社神官
小田島 熊吉(1832〜1916)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・削蹄の達人、熊包丁を全国に普及
小保内 定身(1834〜1883)・・・・・・・・・・会輔社を継承し、稲荷文庫を開設して青年の育成
小野 三十郎(1840〜1908)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・土地を提供して駅を誘致
蛇沼 政恒 (1849〜1921)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二戸に牧羊場を拓いた
黒澤 武一 (1859〜1941)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二戸の教育につくした
阿部 洋 (1863〜1938)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・女子教育につくした
澤藤 忠蔵 (1877〜1955)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高圧磁石発電機の生みの親
国分 謙吉 (1878〜1958)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・農民知事の愛称で親しまれた
田中館 秀三(1884〜1951)・・・・・・・・・・・・・・・・地理学者、北海道の火山や火山湖の研究
新田 六助 (1886〜1956)・・・・・・・・・・・・アジア民族の独立運動、郷里の村長として活躍
柏田 忠一 (1886〜1958)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・法律の研究、日中正常化につくした
黒沢 覚堂 (1888〜1943)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・幼児教育につくした
和島 藤助 (1898〜1945)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・電気関係器具の発明家