金沢港へのアプローチ
金沢港は掘り込み港として昭和29年7月10日、旧大野港、旧金石港が合併して金沢港となり、大野地区、金石地区として成り立っています。
 大野川河口の大野地区は古くから栄えた港で、遠く奈良時代から大陸との往来があり渤海国の船もしばしば来航していたことが明らかとなりました。
 江戸時代には加賀百万石の権威を背景に、北前船がこの地を本拠地として活躍し、いわゆる御手船、廻米船の名で江戸、大阪に往来していました。このころ商傑「銭谷五兵衛」が宮の腰(金石地区)を根拠地として、広く海外と交易し、関西、東北、北海道の諸港との間に米、雑貨の移出、木材、海産物の移入を主とした海運が活発に行われ商船も入港して繁栄を極めました。しかしながら北前航路の衰退とともに、本港の港勢は衰え始め往事の面影がなくなりました。
 金沢港が掘り込み港として昭和39年4月に重要港湾の指定を受けその後昭和45年11月関税法による開港に指定され、地域産業を支える港湾として役割りが高まっています。
 しかしながら安心してヨットの接岸できる場所は今のところないのが現状です、それは金沢港を整備するに際して、ヨットと言う遊びは能登七尾や穴水湾に行け、とする考えが県の上層部にあったためと考えられる。
 
A係留(造船所船溜)ここは金沢港漁船上架組合の内港であるが港湾事務所で繋留届けを出すとこの場所を勧められる。近くに塩谷造船があり簡単な修理は出来る。
西風や北西の風台風時はあまり良くないので大野新橋の漁船繋留場所に移動した方が賢明である、ただし岸壁は日中空いていても夜間や時化のときは底曳き船でいっぱいになる、そのときは適当な漁船に横だきする手もある。
B繋留場所(官庁バース)
官庁バース一番奥はいつも空いているので繋留できる、ここはみなと会館などがありトイレも使用出来るしかし晩秋の北西風が強いとうねりが入りお勧めできない場所である。