「7年間の『遠回りAVM人生』悪戦苦闘で乗り越えて
〜脳にメスを入れない治療法を選択し、ガンマナイフ後、感動の安堵!」

みなさん、こんにちは。これから何回かにわたって「AVM体験記」を連載することになった松村奈保美です。どうぞよろしくお願いします。AVMが完治したとき、林先生から「ライターだったら、今回の体験記を書いてみる気はないかな。治療に悩んでいる人の背中を押してあげるような原稿を書いてくれないかな」と提案され、喜んで引き受けることにしました。なぜなら、AVMに関しての生の情報があまりにも少ないことは、私も、7年前にAVMと告げられたときに、十分わかっていたからです。なんといっても、20万人にひとりの病気ですから、そう簡単に情報は手に入るはずがありません。

私はライターですから、一応調べるプロでしたが、当時、どんなにがんばっても、AVMの情報は、医学書か、パソコンで検索して探し出した、大学病院の脳神経外科のホームページで、どちらも専門的で内容は難解で、紹介されている写真はやけに生々しくて、私を不安にさせるには十分なインパクトがありました。もちろん、生の情報など皆無で、パソコンで「AVM患者の会」や、「脳動静脈奇形患者の情報交換の会」など検索にかけましたが、そういったものはなく、ひどくがっかりしたものでした。現在は、ブログで自己発信している人も増えてきているようですが、それもどこか物足りない気がします。

私がAVMとわかったとき、一番強く思ったのは、AVMの人に実際に会って「生の声が聞きたい、実体験の話が聞きたい」ということでした。今でさえ、やはり、体験者の生の声を聞けるチャンスは依然として少ないのではないでしょうか。本屋の闘病記の書棚には、みな、病と上手に闘った成功例ばかりが並んでいます(でも、AVM関係の闘病記はありませんね)。私の場合は「悪戦苦闘」という形でしかAVMでしか、付き合うことができなくて、なんと、MRI検査で発見されてから、完治するまで7年間もかかっています。だからこそ、私は「AVM体験記」のお話を頂いたとき、まるで、幼稚園生のように手を挙げて「やらせてください」といってひきうけたのです。名前も聞いたこともないような病気、そんな病になって、生の声がどんなにありがたいものか(果たして私の体験がみなさんの役に立つのか、そこは疑問ですが)、それは、その立場に立ったものでしかわかりませんから、何がしかの役に立ってくれることを祈るのみです。

不器用だったけれど、一生懸命AVMと向き合った7年間、この、『遠回りAVM人生』には、ドクターやナースなどの医療関係者のほか、友人、知人、もちろん家族を巻き込んでのさまざまなドラマがありました。長期にわたってしまったのは、私の重度の医療不信、私のものを突き詰めて考える性格と、ものにのめりこみやすい性分、そしてライターとしての、よくも悪しくも持っている想像力、これらがひとかたまりとなって大きく影響してしまったのだと思います。

でも、マイナスばかりではありませんでした。AVMとわかる前の私は、仕事一筋の、新しい人に紹介されると、まず、最初に「この人は私の仕事のプラスになる人か」をチェックするといういやな女性でした。体が「もう、ダメ、疲れた!」と叫んでいても、体の無理利く限り、バタバタ働いていました。体に対して、とても傲慢だったと思います。上昇志向が強く、努力さえすればなんとかなる、自分の満足いく仕事ができないのはすべて自分の努力不足のせいとも思い込んでいました。だから、自分にも厳しかったけれど、他人にも厳しい余裕のない、「いつも張り詰めた空気を持った、安らぎ感などいっさい持たないつまらない人間」だったでしょう。

だから、私はいくらがんばっても、そんな自分を好きになれませんでした。いつも不平不満ばかりで、「もっと違う自分」を捜し求めていました。どんなに努力しても、わたしは、「なりたい好きな自分」などにはなれるはずはなかったのです。本当に傲慢だったのですね。

思い込みが強いだけに、この自分を変えるには、よっぽど強力な「荒療治」が必要だったのでしょう。7年間の『遠回りAVM人生』を体験して、私は私自身が嫌いじゃなくなりました。すごい変化です。「なかなか、がんばったわね」と、マラソンの有森裕子じゃないけれど、自分をほめたいと思います。AVMになったおかげで、私は、仕事よりも何よりも、家族と自分を取り巻く人間関係がどれだけ大切かも知りました。そして、やるべきことがあるすばらしさも(今の時点ではこの「AVM体験記」を書くこと)。病気は決して、人生の途中で穴ぼこにおちることではありません。

「はじめに」が長すぎました。私が、この7年間で学んだことの1番は、@セカンド・オピニオンのチャンスを逃さないで、ということと、A治療のグッド・タイミングを逃さないで、ということです。要するに「鉄は熱いうちに打て!」という言葉に集約されると思います。そうしないと、AVMは、いわば 「いつ破裂するかしないかわからない地雷みたいなもの」、そんなものを、ずっと頭に抱えて、日々暮らすのは生半可な精神状態ではできません(私はそういう状況に追い込まれて経験しましたが、家族を巻き込んでの地獄の連続でした)。そんな経験を皆さんには、絶対にしてほしくありません。だからこその「鉄は熱いうちに打て!」なのです。


ここで長かった「作成中」のいいわけをひとこと。本当に長い「作成中」「未更新」でごめんなさい。林先生は「リハビリのつもりでいいからあせらないで書いてといってくれました。それに甘えていたわけではないけれど、やはり、7年間とのAVMとの付き合いは、自分が思っている以上に整理するのが大変で、「これはある程度きちんと整理整頓しないと書けない」と気づき、まず、構成を考えるためのミニ年表を作り、目次を考えました。この作業は、7年間を追体験するもので、そのうえ、客観的に当時を振り返ることができるので、「あの時、ああすればよかった、こうすればよかった」と、後悔の気持ちが心の中から、次から次へとあふれだし、自分の愚かさに叩きのめされ、そのつらさに耐えかねて、寝込んでしまうこともありました。

でも、この作業は、社会復帰前には、しなければならないと思っていたので、「AVM体験記」をかくことは、とてもいいチャンスになりました。でも、書きながらも、自分の「超」がつくほどの愚かさに幾度叩きのめされることでしょう。でも、引き受けたい以上、書いていかなければならないと思っています。できるだけ、肩の力を抜いて、いい意味で気楽に書いていくつもりです。皆さんに、たくさんの時間を頂いたことに感謝します。

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