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舞台劇つくりの魅力 
2004・2


一昨年は平良市市民児童劇『希望―子どもたちの人頭税物語』の演出をさせていただいた。
教員時代は、十九年間で三十五の劇を子ども達と創った。養護学校の学年劇九舞台・中学校演劇部十二舞台・中学校障害児学級劇十舞台・中学校普通学級劇四舞台である。どの舞台を思い浮かべても、一人ひとりの子供の個性が強烈に蘇えってくる。
演劇の、人の個性と力をひきだす魅力について書いてみたい。

劇とは…「物語を実際に動いて表す。相手とかかわり、役の人生を生きる。音楽・美術・道具・照明・衣装が舞台を支える。稽古を重ねる。本番、観客との交感の中で演じきる。」事である。
物語には起承転結がある。はじまり、展開し、「転」何かが変わったり、発見があったりする。実はここが大切な所であり、面白い所だ。そして、終わり方も肝心だ。
台本を動きながら創る場合もあるし、作家の書いたものをベースに創る場合もある。訴える事を明確に持つ事が大切だ。

中学校学級劇で『白雪姫』をやった時は、童話をベースに動きながら、新たな物語を子どもが発想し、創っていった。
原作は、「白雪姫はその美しさ故にお后に嫉妬され森に追われ、毒殺される。王子により白雪姫は蘇えり、王城に迎えられる。」である。

 
障害児学級で演じた時は、嫉妬に狂うお后役の子が好演し、相手役の子達の演技も引き出し、体育館中の生徒が湧いた。
白雪姫の銃殺を命じられた狩人は現場で「できない」とひき返し、お后の杖の銃で殺される。鏡役の子も激論の末叩き割られる。王子と白雪姫が結ばれる場面で、小人達により崖から突き落とされたはずのお后が再登場して、王子と対決、お后は王子の剣にさされ、果てる。お后はそこまでいって、自らの嫉妬の演技をやりきったのである。
心からなりきる事が人の心をうつのである。

  
次の年、転勤先の普通学級でも劇『白雪姫』を創った。テーマは別の形で深められた。
白雪姫は、三人の王子によって蘇えるが、性にあわない王子の申し出は断り、重傷を負ったお后に同情し、城に帰る。そこで姫自ら鏡に「世界で一番美しいのはだーれ」と聴く。すると、鏡は「それはその子様です」と全く知らない娘の名前を告げる。白雪姫は一番の座から落ちたのである。白雪姫の心には嫉妬の炎が燃え上がり、狂う。それをお后が身を投げ出してなだめる。白雪姫はお后の気持ちを身をもって知った所で幕となった。
人間の嫉妬についての洞察がここにはある。これを発想した子、劇としてつくりあげたクラスのメンバーには今でも敬愛を感じている。

 
劇は役の人生を生きる事である。物語の中で何かに気づき、生き方が転ずる場面が大切だ。
 
劇『ジプシー』では建築中の新居に住みついたジプシーの一族に、反発していた若夫婦が自由な心を教えられていく。
 
劇『白い龍黒い龍』では暴れ者の黒い龍を撃退しようと白い龍を作った村人達が、黒い龍の本当の気持ちに気がついた時、対決寸前の両龍が壮大な踊りを舞い始める。
 
劇『希望』では人頭税による村人の惨状に気づいた朝一は首里の役人の父親に抗議する事を宣言する。ひとだまにおびえていたマカニはそこに人頭税の被害者の心を聴きとり、国会直訴の船が出る事を告げる。希望を失いかけていたナウシャは、二六〇年におよぶ農民の思いが結集して士族を圧倒し、船出が成り立つ場面を目撃する。
役者は、物語全体の転を共有すると同時に、一人ひとりの役の中の転を意識して生ききっていくのである。小一の子から高一の子まで見事にそれを果たしていた。

 
人の生きかたをテーマにする点、スタッフも含めいろいろな人が個性に応じて活躍できる点、客も含めみんなで共有できる点において、演劇は、学校の総合学習や地域活動として、豊かな実を結ぶ可能性を持っている。いい劇をたくさん創って、子どもの、地域の財産になっていったらいい。

 
台本や演出等の事で問い合わせがあれば、助言等いつでも協力したい。日本演劇教育連盟の月刊誌「演劇と教育」やホームページも参考になると思う。