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物言う民
2005・7・6

 「下地島空港への自衛隊訓練及び駐屯要請反対決議」が伊良部町議会で16対1で可決されてから、3ヶ月になる。先日、テレビ番組「消えた自衛隊 小さな島の選択」(琉球放送制作)を観た。

自衛隊要請を影で指南したとされる人物は、「自衛隊要請決議を白紙撤回させた住民説明会に、外部の団体を入れたのが間違いだった。」と語っていた。
事実は違う。同じ番組の映像で、集まった大勢の住民の真剣な眼差し、次々と自発的にされる住民の的を射た発言の数々が、びしびしと映し出される。

その後、宮古テレビが撮影した説明会二時間余の無編集のビデオを観たが、さらに強く、住民の島の軍事化を許さない熱い思いが伝わってきた。

「あなたは下地島の畑を守ると言って議員になったはずだ。」

「戦闘機が飛ぶ海で漁はできない。」

「防衛関連施設建設等は地元業者優先と言うが、誰に相談した?我々は自衛隊誘致そのものに反対だ。有り難迷惑!」

「米軍の駐屯にも訓練にも反対すると言うが、自衛隊と米軍は一体でしょ。自衛隊誘致したら米軍を拒む根拠はない。(平和利用を約束した屋良覚書を失う事になる!)何故、振興策に米軍関連事業が入っているのか?」

「軍事化による、島の自立はない。」

「軍事化によって失うものを本当に心配している。」

「民意を尊重するでは納得できない。白紙撤回するかだ。」

「心配していました。四年前の自衛隊機訓練誘致決議もあわせて白紙撤回して下さい。」

すべてが、住民の肉声だった。
誘致決議の動きは内密に行なわれたが、こうした、正々堂々たる意見交換こそが、島の未来をつくっていくのだ。
多くの小中高生も大人たちの真剣なやりとりに聴き入っていた。その二日前の住民集会での、中高生の意見発表も鋭いものだった。

「自衛隊誘致はかえって危険。」

「私たちの不安・悲しみに気づいてください。」

かくして、住民がその声をあげた事で白紙撤回はなされた。
集まるべき時は集まる、言うべき時は言う住民の姿に胸を打たれた。
我々は、「主権在民」「国際平和主義」という日本国憲法の根幹の危機に直面し、守った。

新宮古島市においては、下地島空港等の平和的活用こそが、検討・実現されていく事になる。
ゆめゆめ、軍事化構想が再燃する事はないと思うが、いずれにしろ、住民の意見を聴き、説明会等で正々堂々と実質的な論議をしていく事が肝要である。

沖縄本島の人々も軍事基地に反対する体をはった活動をされている。
5月、沖縄行動市民集会・普天間基地包囲行動・辺野古海上行動に参加する機会があった。
普天間基地の爆音に苦しむ訴訟団の団長・島田氏の「物言わぬ民は滅びる」の発言は重かった。
韓国の米軍基地拡張反対の活動をしている青年達と対話したが、実にしっかりと反日デモの本音を語った。
日本人は自らの侵略の事実をしっかりふまえなければいけない。外交関係を悪くして、軍備強化するあり方は根本的に間違っている。
沖国大の学生の米軍機墜落に対する抗議のエイサーの姿(映像)も胸に迫るものがあった。
普天間基地包囲行動には二万四千人が手をつなぎ、包囲が成った。右手は沖国大の黒く傷ついた壁の保存を説く栄野川氏、左手は竹島は日露戦争時日本が略奪した島である等を歴史的に説く師岡氏とつないだ。
多くの方に、「伊良部の動きには勇気をもらった。」「我々も下地島への軍事基地移設は許さない。」と言われた。案内して下さった崎浜氏・知念氏は昨年11月の宮古郡民大会にも来られている。

辺野古では、あくまでも非暴力で、新軍事基地のボーリング調査の杭を打たせない行動がこの一年間続いていた。
浜ではすわり込み、海上では阻止行動。
夜、住民の家で思いを聴いた。「海はもっと豊かだった。」「妨害にきた右翼にこの海を米軍に取られていいのかと、こんこんと聞いた所、黙ってしまった。」等と語られた。
夜が明けて、海上のやぐらに立った。やがて、監視船・作業船に包囲された。「関係者以外立入り禁止」の看板をつけさせるかをめぐって論議がおきた。作業員がきれて、「仕事をやらせろよ!こっちは仕事なんだ!」とすごんだ。その仕事が戦争につながっていくという本質を見なければいけない。

「軍事基地誘致は企業誘致」「隣国に軍事的圧力を!」と説く人物がいる。ここには、戦争被害の視点が全くない。
軍事化すれば、住民は日常的に基地被害と他国との軍事的緊張にさらされる。有事となれば、そこは攻撃基地として戦場となり、軍民一体を強いられ、住民も攻撃対象となる。
そして、憎悪の連鎖の泥沼だ。
それは、かつての、そして今日の戦争の姿そのものだ。

軍事化反対の声を明確にあげる住民の姿を誇りに思う。
武力主義を否定した平和憲法こそ世界に広めるべき二十一世紀の指針だ