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そのまま来れ
2003・6・13
 
「己の道が途絶えた時、はじめて、そのまま来れという仏の声が聞こえてくる。」 
100年前、東京本郷に浄土真宗求道会館を開いた祖父常観の言葉である。 

私は27歳の時、インドに行った。
ベナレスのガンジス河で沐浴した。ブッタ初説法の地サールナートまで歩いた。
初転法輪仏像に出会った。ほんとに安らいでいる表情だった。 
それから、ブッタ悟りの地ブッタガヤに行った。

ブッタは、王城の生活から離れ、苦行する。疲れ果て、苦行の中に悟りへの欲があるのを観る。そのまま歩き、娘から乳粥をもらい、尼蓮禅川を渡り、菩提樹の下に座る。すべてを空しいと感じた時、世界が輝いたのである。
色即是空空即是色。

「かく一たび光をみたる以上は、おのおのが相食む代わりに相照らす事ができる。」(祖父常観の言葉) 

ブッタガヤの寺の朝の勤行、外回廊を歩いている時、養護学校の生徒がうかんだ、その子を慈しむ母親がうかんだ、自分がうかんだ。三者を囲む円がうかんだ。
自分がそれを縁として生きていると想った。日本に帰り、劇「西遊記」を生徒達と創った。 

ブッタの智慧に「妙観察智」がある。妙とはそのもの、その人にしかないものの事で、それを観じて察する知恵である。 

「障害」児は偏見の中で生きている。が、つきあっていくと、その子がかけがえのない個性と心と力をもって生きていることがわかる。それがいとおしい。

養護学校は九年、普通中学校に移り、障害児学級六年普通学級四年勤めた。
普通へと移ったのは、「障害」児の真価を皆で共有したいと思ったからだ。
普通学級でもかけがいのない個性達に出会った。国語は文学に出会い生徒の本音を聴く場だったし、演劇は心の底を形にする場だった。
場を得ると、子供の表現はみずみずしく本質的だった。

今、畑を耕し、作物を商い、暮らしている。
今日、道で養護学校出身の男女に会った。彼とは三年きび刈りをやった。
「また、一緒に畑で働きたい」と言うと、二人共にこにこ笑った。

これが今のそのままの生活だ。