関連リンク集
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寺社関係 
資料・図書館
正業寺
内川新田の唯一の村の寺で、新左衛門が中興した浄土宗 の寺であり、新左衛門はじめ砂村一族の墓碑、位牌などがある。
ただし所在地は八幡である(内川新田開発前に八幡の浜に用地が確保された)。
霊巌寺
明暦の大火で霊巌島の寺が焼失し深川に移築されたとき、新左衛門が土地開発に携わったと思われ、その後大誉上人と新左衛門の親密な関係が続いた。
続片聾記
福井藩の非公式御家代々記とも言える片聾記の異本の一つが福井市立郷土歴史博物館に所蔵され、ネットで公開されている、新左衛門の出生や松平忠昌公との関係が記述されている。
新左衛門遺訓
新左衛門が死の直前に遺した遺訓は、砂村新四郎家から宮井与兵衛家から引き継がれていた、行方が知れなくなっていたが今は神奈川県立公文書館に所蔵されている。
久里浜天神社
新左衛門が攝津上福島の上の天神(今の福島天満宮)から菅原道真公の分霊を勧請したと伝えられる。新四郎家(後に宮井家)屋敷内にあった水神社も後にここに合祀された。
山内家文書
新左衛門より後の砂村家に関わる文書の多くは浦賀の宮井家に保存されていたが、のちにこれを入手した山内家が横須賀市自然・人文博物館に寄贈し、所蔵されることになった。
三国浦絵図
三国湊は新左衛門が青年期から壮年期を過ごしたところであるが記録はほとんど残っていない、みくに龍翔館には新左衛門が開拓した木場町に「砂村屋鋪」の名が記される絵図が所蔵されている。
堀江家文書
中野の名主であった堀江家に砂村新田の内割絵図が保存されていたが、今は首都大学東京図書情報センターに所蔵されている。
東本願寺
浅草の東本願寺は神田明神下の光端寺を前身とし、京都東本願寺の別院機能を持っていたが明暦の大火後、浅草に移転して浅草本願寺となった。東門跡とも呼ばれた。近代になって東京本願寺、東本願寺と改称した。新左衛門の菩提寺善照寺の本寺にあたる。
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砂村新左衛門
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