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2011年7月3日
シューリヒトの『ライン』、クライバーの『トリスタンとイゾルデ』

今日、7月3日は往年の名指揮者、カール・シューリヒト(1880年)とカルロス・クライバー(1930年)の誕生日だ。クライバーは存命であれば今年81歳、同じ年のロリン・マゼールがニューヨーク・フィルの監督を続けたり、その後年末に来日してベートーヴェンの交響曲全曲を一日で演奏するという企画に乗ったりと活発な活動を続けていることを考えると残念ではあるけれど。
 
カルロス・クライバーが正規な録音契約を結んでドイツ・グラモフォン社と製作したオペラ作品は『椿姫』『こうもり』『魔弾の射手』『トリスタンとイゾルデ』でいわゆるクライバーが生前に発売を許可したお墨付きを与えられた作品。このうち、椿姫とこうもりはミュンヘンのバイエルン国立歌劇場で、『魔弾の射手』と『トリスタンとイゾルデ』はドレスデンの国立歌劇場でそれぞれ録音されたもので、特にドレスデンは当時、東ドイツ下にあった。
 
この状況から、ドレスデンとの録音は当時東ドイツの国策会社であったドイツ・シャルプラッテンが共同制作にあたり、西側ではドイツ・グラモフォンが販売、東側ではドイツ・シャルプラッテン(エテルナ)が販売にあたったとされている。
 
そこで、このトリスタンとイゾルデ。
普段お目に掛かるのはドイツグラモフォンからリリースされたCD(当時はLP)だけれども、録音がデジタル録音の走りであった1980年から開始され1982年まで足掛け3年近くを掛けて作り上げた作品だっただけにデジタル技術の導入を見送っていたドイツ・シャルプラッテン側の機器はアナログ録音用。
 
デジタル録音の走りの頃には音がシャリシャリするという評判をとった様だが、その原因としては録音そのものの問題ではなくLPのカッティングの際に高音がやや弱まるためにそれを補填するためにオリジナルのリミックスの際に高音をやや高めに設定しておくのだという説明をその当時受けたことがあった。
 
いずれにしても社会的にも技術的にも大きく変動が始まる時期の作品で、マスターテープはデジタル録音したドイツ・グラモフォン側と、アナログ録音のドイツ・シャルプラッテン側と両方が残されたのだそうだ。
 
そして、このアナログ録音されたものがデジタル録音からも十分に伝わってくる演奏と録音の凄みを更に自然な音で迫力あるLPにして東側で販売されたのだそうだ。今でもオリジナルLPとしての価値が非常に高いとされるLPとして知られているらしい。
このトリスタンとイゾルデにその様なものがあったのはあまり知られていない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カール・シューリヒトはオーケストラビルダーとしての腕も高く評価されて、いわゆる超一流のオーケストラとは言われない様な団体でも綺麗な音を引き出すのが格段に巧かったと言われている。
 
その中で南ドイツ放送交響楽団を指揮したシューマンの交響曲第3番『ライン』
オーケストレーションの弱さをしてきされて、マーラーが改編版を作製するなど楽譜に手を加えられたケースも多い。クレンペラーは第2楽章最後のTuttiをチェロソロに変えているし、このシューリヒトもDECCAへのモノラル録音(パリ音楽院管弦楽団)ではややオーソドックスな演奏に抑えているが南ドイツ(南西ドイツ)放送交響楽団は遊び心満載で、特に第3楽章のVnのTuttiをソロで演奏させるなど、シューリヒトの解釈が顕著に表れている演奏。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最近の演奏スタイルだと作曲者自身が校訂する前の初演版や初稿版を使った演奏は学術的価値とともに認められる傾向はあるものの指揮者が勝手に楽譜を変更するのは持っての他との風潮が強いと思う。
 
ただ、解釈に個性を持たせるという意味でシューリヒトの様な指揮者は必要だったのではないかなと思う。

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2010年5月28日
3つの新たなバッハ『マタイ受難曲』

この数ヶ月で新たにマタイ受難曲が発売された。
このうち、ヘレヴェッヘの録音は1998年のものだが、シャイーの録音は2009年4月2〜3日、クイケンの録音は引き続く2009年4月5〜9日に行われたもの。
 
シャイーのスタイルには驚いた。先日のライプツイッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の来日演奏でもその音の変化に驚いたが、今回の録音はそれをさらに進めたかのようなオーケストラの響き(正確には来日演奏の前に行われた録音だったけれども)。前任者のヘルベルト・ブロムシュテットはサンフランシスコ交響楽団時代に、くすんだ音から明るい音へ雰囲気をかなり変えたので、ライプツィヒでもそのスタイルを継続するのかと思ったがどちらかというとドレスデン時代に戻った雰囲気だったが、シャイーは、ややピッチの低い演奏が伝統ともいえたライプツィヒの音を軽いテイストに変貌させることに成功している。シャイーのマタイ受難曲は予想を覆したという点では衝撃的だったし、最近の演奏・録音の流れにのったスタイルではあったと言えるが、聖ライプツイッヒ・トーマス教会のカントールが指揮する合唱団を主体としてライプツィヒの演奏家がそれに乗ったマタイ受難曲の録音はあるものの、ライプツィヒのオーケストラとトーマス教会とが組んだ初めてのマタイという意味でも意義のある録音と言えるのだそうだ。
実際の演奏はピリオド奏法に顕著な速い演奏に始まり、シャイーのセンスがこの前のブランデンブルグ協奏曲にも共通するバロックでのスタイルと現代近代の演奏スタイルとの使い分けも含めて上手いと感じさせるものが多々あった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
クイケンの「マタイ受難曲」は編成を絞った演奏。これは最少人数によるバッハ演奏で議論を巻き起こしたジョシュア・リフキンの演奏の流れを汲んでいるもので、この発端となったリフキンの演奏から30年近くが経過するわけだけれども賛否あったこの演奏もリフキン校訂の楽譜を使う演奏も増えてきて、クイケンもこの流れに乗っかり録音したマタイとも言える。クイケンはこのマタイの前にロ短調ミサも録音しているが、以前の古楽器スタイルでのバロック・古典派の演奏が一気に盛り上がった様にこのスタイルも確立してきたかという印象。ただ、古典派の録音においてもクイケンは演奏家では一流だけれどもハイドンの交響曲の演奏を聴いていてもピノックの演奏を飛び越える様な強いインパクトはなく、今回のマタイも素晴らしい演奏ではあるが、ルーチン作業として録音をしているという感はどうしても感じる。
色々なバックグラウンドを排除して単純に聞くととても面白い演奏とも言えるのではあるけれども。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヘレヴェッヘの演奏は10年前の録音なので単純比較は出来ないけれども、本来ヘレヴェッヘがアーノンクールの演奏での合唱指揮をしていたキャリアから考えるとその路線は理解が出来る部分もあってアーノンクールスタイルの1970年代以降からの演奏を引き継ぐ立場としての主張は感じる。ただ、ピリオド奏法をロマン派以降の作品にも持ち込むスタイルは他の演奏家の方がまだ成功している(ロジャー・ノリントンなど)ほか、ラトルなど本来モダンな演奏家たちも小編成のピリオド奏法の演奏に興味を示すなど、その垣根が低くなっている昨今でどう明確なすみわけをした主張を演奏で出来るかは興味のあるところで。
ヘレヴェッヘのこの演奏もシャイーの演奏よりはやや古さは感じさせるが、イアン・ボストリッジを起用している点で一種独特な演奏になっている点は個人的に好きでもある。
 
立て続けにバッハの宗教曲を聴く機会はそうはなく、この時期にこれだけの録音が揃ってきたのはある意味時代の変化とも言えるのか。
フルトヴェングラー、クレンペラー、カラヤン(そしてバーンスタイン)と来たかつての大編成による演奏スタイルの色は褪せないかもしれないが色々な演奏が出てくることに録音しCDを製作する側としての戦略も感じ、聞く方としては楽しめるのだが重箱の隅をつつくような録音が増えて来る様な方向性には進まないでほしいと思うのもまた一方である。

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2009年11月20日
レネ・フレミング2度目の「四つの最後の歌」

四つの最後の歌のうち3曲はヘルマン・ヘッセの詩によるもので、
個人的にはヘッセの作品はその影にある社会的な問題点に目を向けながらも陰鬱な感情が強く出ている部分が重たさを感じさせるのだけれど、シュトラウスの曲がこれにかぶさると静寂感が増幅される印象を持つ。

幾つかのシュトラウスのオペラ作品はその音楽が個人的には難解で、あの有名な「サロメ」にしても「影のない女」ほどは聴く作品ではない。
これはシュトラウスが目をつける作品の本質にもよる、一つはエキセントリックな題材に意欲的な音楽を配置するというものにまだまだ付いていけない、というものもあるのだろうけれど、そこを追求するほどの時間的な余裕もなく、ついつい耳障りのいい音楽の方に手が伸びるのだけれど、この「四つの最後の歌」に関してはシュトラウスの諦念とも取れる肩肘張らない穏やかさがそのまま自然に入ってくる感じだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
録音も多く、色々な歌手が工夫を凝らしながら歌っているけれども自分の中では近年の録音において、若くして散ったルチア・ポップとレネ・フレミングが双璧ではないかと。

「春」 Frühling
「九月」 September
「眠りにつくとき」 Beim Schlafengehen
「夕映えの中で」 Im Abendrot
METでも安定して高い人気を誇る看板歌手のネレ・フレミングの「春」の歌い出しはフレミングらしさというのか、感情が過度に入ったような好き嫌いの分かれる歌い方だと思うのだがすでにここからして真骨頂といえるのかも知れない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ティーレマンはコンサート指揮者というよりもオペラ指揮者としてキャリアを積んできた人なのでオーケストラ曲を聴くよりも、この様な演奏スタイルは得意分野か。客演指揮者の演奏曲目にまで強権発動を挟もうとしたなど、ミュンヘンフィルとの関係がこじれて次シーズンからの契約更新を打ち切られるティーレマンではあるけれど、すぐにドレスデン国立歌劇場の指揮者に決まるなど、キャリア的には安泰なティーレマン。その強みたるゆえんはこのデリケートなサポートからも感じ取れる。

それにしても「四つの最後の歌」の最近の主流はフレミングに見られるような厚みのある歌い方なのか、その路線と異なるのが、ルチア・ポップであり(オーケストラ伴奏での録音がないけれども)バーバラ・ボニーだったりなのだろうけれど、この先には決定的な名盤と言われたリサ・デラ・カーサ(Lisa Della Casa)がいる。シュトラウスに関しては圧倒的評価を受けていたカーサは今、この演奏を聞いて果たしてどう思うだろうか。

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2009年7月19日
チェーザレ・シエピの『ドン・ジョヴァンニ』3種

シエピというと一時代を築いたDECCAレーベルの看板バリトンだ。
特に1950年から60年に掛けては当代切ってのドンジョヴァンニとの評判をとったことが書かれている。
そのシエピ、この短期間の間に(少なくとも)3種類のドンジョヴァンニの正規録音を残している。
最初は、フルトヴェングラーとのライブ。1954年10月のザルツブルグ音楽祭での上演演目で、文字取り、フルトヴェングラー死去の1ヶ月前の実演で、カラーフィルムでの映像も残されている貴重な演奏会の記録だ。
 
そして、翌年(1955年6月)に正規録音があり、指揮はモーツァルト指揮者として著名だったヨーゼフ・クリップス。
ドンナ・エルヴィラがリサ・デラ・ローザ、
マゼットがヴァルター・ベリー
管弦楽はザルツブルグ音楽祭と同じウィーン・フィルハーモニーにウィーン国立歌劇場合唱がバックアップ。これはもしかしたらフルトヴェングラーが存命であれば、フルトヴェングラーの手になる演奏でなかったかと思えるほどの絶妙なタイミングで録音されたものだった。
(この月は、DECCAは精力的に録音を行い、ほぼ同じ契約キャストで希代の名演と言われる、エーリッヒ・クライバーの『フィガロの結婚』も立て続けに録音している。
 
ところがそのちょうど4年後(1959年6月)、DECCAはシエピでまた「ドン・ジョヴァンニ」を録音する。レポレロはフェルナンド・コレーナがそのまま横滑りで入ったほかは大幅なキャスト交代が認められた。指揮はオペラ指揮者としても腕を振るったエーリッヒ・ラインスドルフ(シャルル・ミュンシュの後任としてボストン交響楽団の音楽監督になった人)。
 
この間、4年であるからいくらかの音質改善が見られているが、録音媒体に大きな変革は見られていないためウィーン・フィルハーモニーは当時の音食も相まって音の古さには大きな差は見られない。むしろ1955年代にあれだけのステレオ録音技術があったことの方が驚き。
 
1955年の方はどちらかというと歌唱の方に重きを置いた演奏でマイクの位置も歌手に近く、演技にも力が入っている。
1959年の方はややマイク位置が歌手からは遠く、その代わりに効果音が盛り込まれている。あとは好みの問題ではないかと思うのだけれど、マイクが遠い分、合唱がい入る箇所(例えば騎士長が『ドンジョヴァンニ!』と現れる有名な第2幕箇所)では声がバック(合唱)に吸収されてしまいそうな点も見受けられる。ただ、演奏そのものは、故にラインスフドルフ盤の方がアグレッシブ。
 
疑問に残るのは、では何故ドン・ジョヴァンニは間髪入れずに録音されたのか、ということ。
実際に1955年盤は上出来で会ったと思うのだが。ドンナ・エルヴィラを歌ったリサ・デラ・カーザはレパートリーがリヒャルト・シュトラウス自身が絶賛した自作自演の作品集だけでなく、モーツァルトでもしっかりと歌えているというのを証明できた訳だし、貴重な録音であることに変わりないと思うのだが・・・・

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2009年7月15日
モーツァルト・「レクイエム」

カルロス・クライバーがなくなって5年が経った。同級生のロリン・マゼールが意気軒昂なだけに、クライバーの死は早すぎた、と捉える向きもあるようだけれど、フルトヴェングラーやバーンスタインはさらに短命だったことを考えるといわゆる第一線にいた時代の長さがその様な錯覚を誘引するのかなとも思う。
以前はよく聴いたモーツァルトのレクイエム。すっかりジェスマイヤー版以外の版を使って、かつ古楽器による演奏、という新録音が多くなった。ただ、それだけでジェスマイヤー版が否定されることはないと思うけれど。
ウィーン・フィルにこの演奏の名盤は多いと思う。管弦楽のバランスの良さの上に厚みのある合唱が加わったイシュトヴァン・ケルテスの演奏は熱い演奏の典型の様な評価をされていた時代もあった。ケルテスの演奏は既にして完成度が高い。
エリー・アメリング(S)、マリリン・ホーン(A)
ウーゴ・ベネルリ(T)、ツゴミール・フランク(B)
ウィーン国立歌劇場合唱団
イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1965年10月 ウィーン・ムジークフェラインザール


 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
定番というとカール・ベームが録音した演奏は全体的にゆったりな演奏というのもあってか、ラクリモーサの管弦楽の美しさが比類ない印象を受ける。全体としてはあまり繰り返して聴くことのなかった演奏だけれど、しばらく振りに聴くと原点回帰に近いような懐かしさを感じるのも事実。
エディト・マティス(S)、ジュリア・ハマリ(A)
ウィスタウ・オチマン(T)、カール・リーダーブッシュ
ウィーン国立歌劇場合唱団
カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1971年 ウィーン・ムジークフェラインザール


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カラヤンの3種類あるレクイエムの一番最後の録音したものはベルリン・フィルの2枚の演奏と異なり、編成を抑えた音像が明確になった演奏で「怒りの日」など、弦の動きが激しい箇所でのウィーン・フィルのアンサンブルのよさもあいまって絶妙な一体感があり、大編成で力押しするだけではないカラヤンの一面が面白みを感じさせる。最晩年のカラヤンの演奏には出来不出来のばらつきがしばしば見られると思われるが、一生を通じて高いレベルを維持したベートーヴェン、最後に極みに達したブラームス、そしてモーツァルトのレクイエムは極上の出来栄えといえるのかも知れない。
アンナ・トモワ=シントウ(S)、ヘルガ・ミュラー=モリナーリ(A)
ウィンソン・コウル(T)、パータ・ブルチュラーゼ(B)
ウィーン楽友協会合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1986年5月、ムジークフェラインザール


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジェスマイヤー版以外の版として早くから録音されていたのがフランツ・バイヤー版で、ネヴィル・マリナーの旧録音はこの版による録音の先駈けとも言える(マリナーは再録音ではジェスマイヤー版に戻していることから、スタンダードな演奏としても記録を残しておきたかったのかなと推測するが、旧録音はそれ故にアグレッシブで意欲的な演奏)。マリナーの演奏は小編成の現代楽器を使った演奏という点で、古楽器を使いピリオド奏法を採用した演奏に比べれば時代的に古いという印象を与える、ともいわれがちではあるが、マリナーがカラヤンに匹敵する量の録音を行ってきたという事実は、音楽性そのものも含めてマリナーが先駆者として様々なチャレンジをしてきているからだろう。
 
コレギウム・アウレウム合奏団の演奏とともにバイヤー版を使った最も初期の演奏の一つであり、バイヤー版は1971年に刊行されて、その後1979年に再版が出ているので、マリナーの録音した1977年はこの初版を使用した貴重な盤とも言える。

またアンジェラ・ゲオルギューの師匠でもあり、ジュリーニ盤で「リゴレット」のジルダ、カルロス・クライバー盤で「椿姫」のヴィオレッタを歌っているヴェルディオペラを得意とするイレアーナ・コトルバスが歌っている点も貴重と言えるのかも(モーツァルトは得意にしていたけれど)。
イレアーナ・コトルバス(S)、ヘレン・ワッツ(A)
ロバート・ティアー(T)、ジョン・シャーリー=カーク(B)
アカデミー室内合唱団
サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団
1977年5月、ロンドン・キングスウェイホール


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
同じバイヤー版としては音符の輪郭をより明快に、かつ独自の解釈で音を追加し、教会音楽としての荘厳さを求めた(と思われる)バーンスタインの演奏はかなり独特で猛然と進む怒りの日と極限までに遅いラクリモーサ、音が静かに協会の壁に染み入って消えていくフィナーレのどれをとってもバーンスタインならではの演奏で、これはCDよりも映像の方が素晴らしい。しかし、この映像からも既にバーンスタインの衰えが顕著である様子は垣間見える。バイエルン放送交響楽団とは「トリスタンとイゾルデ」を始めとする声楽付き作品が録音されているが、全てにおいてバイエルンは器用で、完成度も抜群に高いと思われる。
 
第3曲「セクエンツァ」の「みいつの大王」の冒頭部分にパイプオルガンが加えられているが、これは多分バイヤー版の改訂箇所ではなく、バーンスタインが独自に加えた音ではないかと思うのだけれど(他の録音には収録されていない音であるため)。
この演奏会が設定されたのが1988年7月、その後ベルリンの壁崩壊後の第9記念演奏会を指揮した(1989年12月)あと、急激な体調不良を訴え呼吸困難を発症したことから肺腫瘍が明らかになり、日本でのPMFオーケストラの指揮(1990年6月)に際してはドクターストップが掛かっていたにも関わらず強硬来日し、鎮痛剤を服用しながらの演奏会だったと伝えられる。
 
7月のロンドン交響楽団との来日演奏までは体力が持たず、8月19日の最後の演奏会となったプログラムではベートーヴェンの交響曲第7番の第3楽章で指揮を続けることが困難になり指揮台にもたれ掛かったまま、ボストン高校楽団は指揮者なしで演奏を続行することになったそうで、この演奏会の後に放射線治療を数週間継続し、状態が理解法に向かったところで突然の引退宣言(10月9日)、そしてその5日後に激しい心臓発作に襲われ死去、と壮絶だっただけにあまりにも静かで美しいラクリモーサはどうしてもバーンスタインの最期との因果を考えてしまう。

マリー・マクラーリン(S)、マリア・エウィング(S)
ジェリー・ハードリー(T)、コルネリウス・ハウプトマン(B)
バイエルン放送合唱団
レナード・バーンスタイン指揮 バイエルン放送交響楽団

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その他の版も基本的にはジェスマイヤー版を否定するところまでは到っていないが、その独自性という点ではドールス版を採用しtノリントンのセンスが面白かった。

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2009年6月15日
「神々の黄昏」1951年バイロイト

遅まきながら、名演かつモノラル時代の名録音との評価の高い1951年ハンス・クナッパーツブッシュ
 
時代は25年ほどさかのぼる。高校の一学年後輩にコントラバスを弾く「彼」が入ってきた。
高校に入ってから楽器を手にするという生徒も多い中、彼はコントラバスの経験者として、いわゆる部活では即戦力だった。この頃の彼のブルックナーの好みは「クナッパーツブッシュ」であり、多分対極に近いところの「シューリヒト」とは少々違っていた気がする。つまり、音楽的な趣向は私自身とは合わなかった訳だが、古い録音について色々と話が出来る相手でもあったことは確かだ。
高校はこちらが一足先に卒業したが部活は彼も退部してしまい、その後の消息についてはそのまま上がった大学を卒業した後に、音大に入り直した、という話だけが聞こえてきた。
ただ、こちらが理系に進んで音楽は聴く専門になってしまったあとも、彼は多くの時間を音楽に割いていた様で、クナッパーツブッシュの録音については丹念に調べ上げる仕事を成就したようである(その著書は読んでいないけれども)。
 
正直、クナッパーツブッシュのブラームスはこってり系中のこってりで厳しいと思うところもあるけれど、ステレオ初期まで存命だったこともあって、録音状態のいい演奏が数多く残されているのもまた事実。
この演奏はモノラルだけれども非常に録音状態がいいのには驚き。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この表紙カバーからも分かるようにこれまで(といっても10年前だが)日の目を見なかった録音。
理由はこの年から再開されたバイロイト音楽祭において、新たな出発ということで
・ワーグナーの演奏経験が豊富であるにも関わらずバイロイトへの出演がないクナッパーツブッシュと
・当時の若手のホープのヘルベルト・フォン・カラヤン
を主要な柱として抜擢、そしてカラヤンとの専属契約を結んでいたEMIがバイロイトのカラヤンの録音の権利を1951年から7年間押さえたというのに原因があるそうだ。
ところが、クナッパーツブッシュのパルジファルを録音したEMIのライバル会社のDECCAチームがこの出来の良さからクナッパーツブッシュの指揮する「ニーベルングの指環」の録音も契約外に行った、というのがこの録音らしい。
EMIは1953年のバイロイトでのカラヤンの指揮による「ニーベルングの指環」の録音のスケジュールを立てていたため(カラヤンの撤退により実現しなかったけれども)、この録音の市場へのリリースについての許可がEMIからDECCAに下りなかったため、DECCAのアーカイブに眠り続けることになった、とのこと。「ニーベルングの指環」は全て録音されたとのことだが機器トラブルなどで実際にアーカイブとして残されたのはこの「神々の黄昏」のみと言われている。
 
この表紙の写真にはカラヤンも映っているが(右から2人目)、クナパーツブッシュのリハーサルにピアノで伴奏をつけているのがカラヤンだった様でちょっと珍しい光景。
 
などというバックグラウンドを思い出しながら聴くとさらに情景が細かく感じられる。
その「彼」専門分野がオペラになっている様で、特に歌手についての知識とこだわりはその昔と全然変わっていない様だ。ただ、ロッシーニやその他のイタリア・オペラの話は学生時代には全然していなかったけれども。彼の偉いところは、音楽を生業として一本立ち出来ているところだ。お気楽に聴いている自分自身とは全く違う。

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2009年6月8日
ロベルト・シューマン「詩人の恋」

今日、6月8日はシューマンの誕生日だ。
いよいよ来年は生誕200年、今年のメンデルスゾーンがそうであるように色々な企画も出てくるとは思うが、同年のショパンの方がクローズアップされる気もしないこともない。
 
そのシューマンの作品の中で特にお気に入りの作品が、「マンフレッド」序曲、「交響的練習曲」「詩人の恋」。このあたりの廃盤になっている録音が日の目をみることを願う。
 
「詩人の恋」に関してはEMIがとてもいい仕事をしている。現在は16曲で構成されている詩人の恋も作曲当時は「歌の本の抒情挿曲からの20の歌」とされていたように、20曲からなる歌曲で、最終的に筆が入れられ現在のような形になっている。
1993年のエジンバラで完成版を歌ったトーマス・ハンプソンがその翌年に意欲的なオリジナル版での録音も行っている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第9曲として収録されている「私は恨むまい」(完成版では第7曲)の様にほぼ完成しているもの、第1曲の「美しい五月になって」の様にピアノ伴奏はほとんどいじらずに歌を変更しているもの、第7曲として収録されている「私の心を百合のうてなに」(完成版では第5曲)の様に歌はそのままで、ピアノ伴奏に手を加えているもの、など色々だけれど、曲の個性を楽しむことができる上にハンプソンの歌は重さを感じさせる歌い方ではなく自然な感じでとても好感が持てる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ハンプソンよりさらに軽く歌い上げている例が、イアン・ボストリッジで
伝統的なドイツリートのイメージからは離れるけれども、詩人は頑強なのではなく、切々と歌う弱さのような雰囲気を漂わせるのが本来の姿に近いのだとしたら、ボストリッジの起用は非常にセンスの良い判断をしたのではないかと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第11曲(完成版第9曲)「鳴るのはフルートとヴァイオリン」のピアノパートの節回しは、明らかにマーラーが後年作曲した交響曲第2番「復活」第3楽章フィナーレの微妙な音の揺れ方と全く同だ。
 
ドイツリートの定番というと、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウということになろうかと思うが、

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その路線を受け継いでいくであろう歌手はトマス・カーストホフなのだろうか。方向性がゲルネ達よりもフィッシャー=ディースカウの方を向いているような気がする。
まだ声質はフィッシャー=ディースカウの様に軽さを持ち合わせた響きではないものの十分。

 
 

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2009年3月13日
ミンコフスキー:バッハ「ロ短調ミサ」

通常、フルスケールのオーケストラでバッハのロ短調ミサ曲を聴くと最近のバッハコレギウム・ジャパンの演奏が斬新に聞こえるけれど、このミンコフスキーの録音はよりシンプルにロ短調ミサの本質を追究した衝撃的演奏、といっても過言ではないほどの強いインパクトがあった。

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2008年7月10日
マゼールの「トゥランドット」

ロリン・マゼールについていうならば録音の数は多いがオペラ録音が極めて少ないということになるのか、これはバーンスタインや小沢征爾についても言えることではあるが、この3人に共通して言えるのは「カルメン」は録音しているということだろうか。
 
マゼールのトゥランドットが映像で出た。
ウィーンフィルとの録音・録画で希少価値ではあるが、以前に出ていたCDとキャストも同じで、この時の映像ではないかと推測している。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
録音が少ないとはいえ、オペラが苦手、というわけでもないのは、先日の「ワルキューレ」を聴いた印象だ。
CDはこれ。Eva Martonを起用したあたりは、「トゥランドット」で恰幅のよい歌手が起用されることの多い昨今、トゥランドットのために命を落とす、という設定への違和感を緩和する効果はあるようだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ただ、このプッチーニの作品は線が太くくっきりと描かれているメータの方が好きで、メータの中でもウィーンフィルやロサンゼルスフィルとのマーラーとともにお気に入りの一枚である。

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2006年12月28日
ヘンリー・パーセル 歌劇<ディードとエネアス>

イギリスバロックの代表的作曲家、ヘンリー・パーセルの作品でトロイア落城の時代を描いたローマ文学(叙事詩?)がモチーフ。パーセルのオペラの中でも有名なものの一つ。
個人的にはお気に入りの録音が多い曲です。
 
@サー・ジョン・バルビローリ指揮 イギリス室内管弦楽団+アンブロジアン・シンガーズ
ディード:ヴィクトリア・ロス・アンヘレス、エネアス:ペーター・グロソップ
バルビローリがイギリス室内管弦楽団と組んだ非常に珍しい録音。こんなところにロス・アンヘレスが!
1965年8月録音

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サー・コリン・デイヴィス指揮 アカデミー室内管弦楽団
ディード:ジョセフィン・ヴィーセイ、 エネアス:ジョン・シャーリー=カーク
この時代のアカデミー室内管弦楽団は完全なネヴィル・マリナーの団体という感じだったので、何故指揮者がマリナーではなかった?という憶測とともに、コリン・デイヴィスがアカデミー室内管弦楽団と録音した唯一のディスクとしても重要な一枚・・・

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
トレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュ・コンサート
ディード:アンネ・ソフィー・フォン・オッター、エネアス:ステファン・ヴァルコエ
小編成バロックはピリオド楽器でというピノックのこだわり。ピリオド奏法を古典からロマン派へ広げていったノリントンやホグウッドやガーディナーと異なり古典派もモーツァルトまでに絞った頑固一徹のピノックには尊敬!

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エマニュエル・ハイーム指揮、コンセルト・ダストレ
ディード:スーザン・グラハム、エネアス:イアン・ボストリッジ
優柔不断なエネアスにはぴったり!と言いたくなる独特なボストリッジの声。
グラハムとボストリッジという強力な布陣が強気の一枚。

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2006年12月24日
ロッシーニ<スターバト・マーテル>

日本では時々<悲しみの聖母>と和訳されて紹介されている作品でロッシーニの他にはドヴォルザークのそれが比較的知られている。
 
ロッシーニのそれは演奏される機会もそれほど多くなく、録音もそれほどの数はないが、大物指揮者の演奏が殆どであるのが特徴の一つ
 
@フェレンツ・フリッチャイ指揮 RIAS交響楽団、RIAS室内合唱団、聖ヘドヴィッヒ大聖堂聖歌隊
 マリア・シュターダー/マリアンナ・ラデフ/エルンスト・ヘフリガー/キム・ボルイ
 1954年9月録音
 
Aイシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団・合唱団
 ピラー・ロレンガー/イヴォンヌ・ミントン/ルチアーノ・パヴァロッティ/ハンス・ソーティン
 1970年12月〜1971年1月録音
 
Bリッカルド・ムーティ指揮 フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団・合唱団
 キャサリン・マルフィターノ/アグネス・バルツァ/ロバート・ギャンビル/グウィン・ホーウェル
 1981年5月録音
 
Cカルロ・マリア・ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団・合唱団
 カティア・リッチャレリ/ルチア・ヴァレンティーノ・テッラーニ/
 ダルマシオ・ゴンザレス/ルッジェーロ・ライモンディ
 1981年8月、1982年1月
 
Dセミヨン・ビシュコフ指揮 バイエルン放送交響楽団・合唱団
 キャロル・ヴァネス/セシリア・バルトリ/フランシスコ・アライザ/フェルッチオ・フルラネット
 1989年11月
 
Eマーカス・クリード指揮 ベルリン・アカデミー・アルテ・ムジーク、RIAS室内合唱団
 クラッシミラ・ストヤノヴァ/ペトラ・ラング/ブルース・フォーラー/ダニエル・ボロウスキ
 1999年3月録音
 
Fリッカルド・シャイー指揮 王立アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、オランダ放送合唱団
 バーバラ・フリットーリ/ソニア・ガナッシ/ジュゼッペ・サバティーニ/ミシェル・ペルトゥーシ
 1998年5月18&20日録音
 
録音としては1995年にチョン・ミュンフンも録音をしている。
@は当時専属契約の厳しかった時期のドイツグラモフォンの専属精鋭たち
BムーティとDビシュコフはオペラの第一人者を抜擢した感じ。ビシュコフは当時、カラヤンがその実力を見出した新進気鋭の指揮者と捉えられがちだった。ムーティ盤で歌っているマルフィターノはリヒャルト・シュトラウスのオペラ<サロメ>の第一人者だし、バルツァは当代きっての<カルメン>歌いだ。
 
フリッチャイ、ケルテスと40代で若く散った指揮者が激しい演奏をしたあと暫く間をおいてイタリア人指揮者が次々と録音したあたりも面白いといえば面白いかもしれない。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2006年6月5日
楽劇<ワルキューレ>

今年のメトロポリタン歌劇場の日本公演の演目に上がっているのが<ワルキューレ>だ。
今日現在、メトロポリタン歌劇場のチケットには売れ残りがまだあるが、<ワルキューレ>だけは早々に完売している。
考えてみると前回のメトの引越し公演の演目にもワルキューレが入っていた。
これには多分理由があるのだろう。
 
引越し公演ともなると、劇場はメトと同様の舞台の大きさが求められる。その意味ではメトの舞台の奥行きの深さは世界でもトップクラスで、これを余すことなく再現できる劇場が日本にはあるかどうかが不明であるからだ。特に<神々の黄昏>のフィナーレのワルハラ城の崩壊は奈落の底へのメトの舞台落としの妙技であり、これは中々再現できないだろう。ワルキューレはその中でも比較的舞台をコンパクトに使うので日本公演が可能なのだと思う。
 
ワルキューレの音楽といえば第3幕のワルキューレの騎行、ヴォータンの炎の音楽などが有名だが、この作品は管弦楽としてではなくオペラとしての流れとして聴きたい曲だ。CDでも4枚の長さだが、特に気に入っているのが
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮のクリーヴランド管弦楽団の演奏だ。
制作費などの問題で本格的なスタジオ録音によるリング全曲録音プロジェクトが2作目のワルキューレで中断されたのは悔やむべきだったように思われる。
 
このドホナーニの演奏はデッカの技術の粋を集めたもので、シンフォニックにも非常に豊かに伸びのある響きだ。クリーヴランドの録音というと最近セヴェランスホールでの録音のCDをよく見かけるが、外のこじんまりとしたした印象から受ける音ではなくとても素晴らしい。
 
あらためてさすがだなと思う。
ドホナーニは「さまよえるオランダ人」をウィーンフィルハーモニーと録音しているが、ウィーンとクリーヴランドでは演奏が違うと言われるのを何度か聞いた。ドホナーニにはウィーンがより合っているのだろう。
 
1992年11月収録・クリーヴランド

Posted by kakkun89 at 00:27 | Comments (0) | TrackBack (0)