25 時代、文化、音楽、オーディオ……

  本題に戻ります。最近の曲は、本格的なオーディオ装置では聴けません。先に述べたような貧しい再生機器環境に合わせた音づくりに起因するものか、狭い音域の録音で中低域と中高域を不自然に盛り上げており、フラットに再生する機器では肝心の人声が埋没してしまいます。古い録音機器を使用した、20〜40年前のポピュラー音楽の方が遙かにハイファイ録音なのです。

老いると不思議と、人声に安らぎを感じます。ポピュラー曲では、Simon & Garfunkel, Carpenters, Alis, 中島みゆき等はデビュー当時から、彼(女)らのアルバムも70枚ほどになります。最近は中島みゆきが曲を提供した歌手にも手を出します。ハイファイオーディオの真骨頂は人声の再生にあると気づいたことと、アナログプレーヤーが消滅しつつある現在、古いレコード盤が比較的安価で入手できるからです。

 全盛期には顧みることのなかった歌手ばかりですが、研ナオコの歌い手としてのすばらしさには驚きました。かつて、TVのバラエティー番組タレントと認識していたのが、オーディオ再生機器で聞く歌唱力はまさに実力派です。内藤やす子は、演歌調の低音のさびに惹きつけるものがあります。柏原芳恵は美人です。
  クラシックの背景には中世の社会構造に花開いた貴族文化の洗練があり、ジャズの背景にはアメリカ発展の底辺を支えた黒人たち、高度に発展した社会への反抗メッセージとしてロック……。いつの時代でも、その音楽を生み出す土壌がありました。時代背景と文化の下に音楽が生まれるとしたら、現代は不毛の時代、その再生芸術としてのオーディオにとっても不幸な時代を迎えました。

 私が生きてきた時代の音楽を辿ると、歌謡曲、フォーク、ロック、ポップス、ニューミュージック、ラップ……、さまざまな音楽が、地球規模でボーダーレスとなった文化環境の下で、融合、展開を繰り返しています。それを担って音楽文化とオーディオを支え、リードするのはいつの時代も若者たちの世代でした……。

 でした、と過去形で表現します。現代の社会構造は、青春が不幸な時代です。唯物弁証法では生産経済が社会の下部構造で、それに支えられる社会文化を上部構造と見なしました。それは現代を表現して正しい、と今の私には思われます。青少年は、社会に旅立つ第一歩でフリーター生活を余儀なくされます。民活を政治理念に掲げる我が国のリーダーは、社会的格差の拡大を是認したのです。

 青少年は経済的無力の環境下でオタク化し、音程もメロディーもなく、ただ単調なリズムに不満の言葉を載せるだけの手段を手にしました。それがポピュラーな先端音楽となり、それを再生する機器は彼らにも手の出る安価でコンパクトな、通信手段とリンクした「先端高度技術の粋」となります。SONYがウォークマンを生み出して以来、持ち運びの出来ないオーディオは過去の遺産になりつつあります。

  みわたすと、市場需給バランスの下で生産し販売して余剰を蓄積する経済原理を逸脱して、虚構の富が富を生み出すバーチャルテクニックが現代経済を席巻しています。砂上楼閣、虚構が生み出す富の力、金権が社会の隅々まで浸透し、もてはやされます。文化も、音楽も、再生装置までもその力の前にひれ伏そうとしています……。現代文化の担い手はMicrosoft Windows、SONY Walkman、Apple iPod……。

 オーディオ文化が衰えたのは、それなりの再生装置でなければ味わうことの出来ない長大なクラシックが廃れ、ラップ音と、声量も志もないオタク歌手のつぶやきに合わせた再生には、もはや「オーディオ」は不要ということか……。話題がそれますが、私も時代潮流にかなり毒されてきたようです。

  先日勤務先の入学式でのことです。式が始まる前、新入生が続々と入場してくる会場にはビバルディの優しく澄んだバロック音楽が流れていました。良い音で、新年度から装置を入れ替えたかな等と考えました。ややあって、あまりに生々しく美しい音色が訝しく、天井と周辺に設置されたスピーカーに目をやりました。すると、会場二階通路の目立たない隅っこに、学生の管弦楽サークルが入っていました。再生音楽の利用があたりまえという観念は恐ろしいもので、生音楽を再生音と判断していたのです(笑)。
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