ミエザの熱い夏(3)

アレキサンダー 15歳
ヘファイスティオン 15歳
カッサンドロス 17歳
フィロタス 17歳
プトレマイオス 20歳
アリストテレス 45歳
レオニダス 50歳

うんざりするような暑い日が続いている。アリストテレスは庭を歩きなるべく涼しい場所を選んで哲学の講義を始めた。生徒達はみな思い思いの椅子やベンチに腰掛けて話を聞く。仲のよい者達は隣に座り、互いの手や腰に手を伸ばしながら話を聞いているのであるが、アテネのアカディミアで長い期間学んだアリストテレスは知らん顔をして講義を続けた。アレキサンダーがいない今、ミエザでの学習はどうしてもいい加減なものになってしまう。自分だけでもきちんとした講義を行い、彼らを導かなければならない。だが、この暑さはどうしたものだろう。ここミエザはペラの王宮よりかなり涼しい場所にあり、夏は快適で過ごしやすいはずだったのに・・・・

「海辺にあるペラの王宮よりここミエザの方が夏は随分過ごしやすい、それはなぜだかわかるかね、カッサンドロス」
「それはもちろん、ミエザの方が涼しいからです。ここはペラではめったに降らない雪もよく降ります」
「雪が降ると野外での訓練がほとんどできない。狩にも行けなくなるし・・・」
「僕はその方がありがたいんだけど・・・」
「カッサンドロス、プトレマイオスの言うとおり、ミエザでは冬、雪が降ることも多い、なぜだと思う、ヘファイスティオン」
「え、あの、夏こんなに暑いのは初めてで、もう頭がボーッとなって・・・・」
「そのようだな、ヘファイスティオン、さっきから何を考えている」
「すみません。気をつけます」
「アレキサンダーがいなくて寂しいんだろう。俺が慰めてやってもいいぜ」
「やめておけ、アレキサンダーはすぐ戻ってくる。ヘファイスティオンに下手なことすれば後が恐い」
「さあ、話を元に戻そう。ここミエザが夏でも涼しいのは山の中腹に位置しているからである。山の頂は地表より遥かに涼しいということ、それは春、山の雪が最後まで残っていることでわかると思う。結論としていえることは・・・・」

アリストテレスの話は続いたが、ヘファイスティオンの耳には少しも聞こえていなかった。少し離れた場所に座ったカッサンドロスをチラリと見た。カッサンドロスはヘファイスティオンのことなど少しも気にせずに、アリストテレスの方をじっと見ている。よく手入れされた長い金色の髪、色白の頬、整った横顔、夜抱き合った時は意識しなかったが、カッサンドロスは前からこんなに美しかっただろうか。その頬に手を触れ、互いの秘部を重ね合わせて欲望を果たした夜、アレキサンダーとさえしてはいないことをなぜ愛しているわけでもないカッサンドロスとやってしまったのか・・・・

「これで山の頂にいつまでも雪の残ることは説明できたと思う。だが、説明はできても人間は山に特別な思いを抱き、神聖視する。それは太古の昔、神々の時代から変わらない・・・・・」
「アレキサンダー・・・・」
「アレキサンダーがどうしたのかね、ヘファイスティオン」
「あ、いえ、もうすぐアレキサンダーが帰ってくる頃ではないかと・・・・」
「君達が特別に仲がよく、互いを高めあう存在だということはよくわかっている。だが、その相手がいないというだけで講義に身が入らないということでよいのかな。君たちはみな、やがては将軍や大臣となり、国を動かし軍隊を指揮する役職につく。自分の感情に惑わされ、仕事をおろそかにしたらどういうことになるか、わかるだろう?」
「はい、すみません」
「今日の講義はここまで、話したことをまとめ、自分の感想も書いてパピルスに記し、明日までに提出するように」
「ええー!パピルスに?」
「そうだ、フィロタス、プトレマイオスの書いたものを写せばすぐにわかってしまう。自分で考えて書きなさい」
「はい」





夕食後、明日までに提出しなければならないものがあるので、みな早々と自分の部屋に戻った。だが、フィロタスだけは食堂に残り、何か一生懸命書いている。ヘファイスティオンはそっと近づいた。

「今日の講義について書いているの?」
「うん、君は今日の講義、ちっとも聞いてなかったみたいだ。よかったら見せてあげるよ」
「ありがとう、でもどうして部屋で書かないの?」
「プトレマイオスのそばで書いたら、僕は彼と同じように書いてしまう。自分に自信がないからいつも真似している。訓練でもなんでも・・・・君はそうじゃない。アレキサンダーと一緒にいても決して真似はしていない」
「アレキサンダーと僕では何もかも違いすぎるから真似のしようがない。僕は君やカッサンドロスのように将軍家や大臣の家の生まれでもないし、彼と対等になるために必要なもの、何一つ持っていない」
「対等でなくても、アレキサンダーは君を一番大切に思っている。うらやましいよ」
「君だってプトレマイオスと・・・・」
「今はね・・・・互いに抱き合い、思ったことは何でも話している。でもこの先どうなるかわからない。僕は今将軍家の子としてここにいる。だけどもし父上に何かあったら・・・・りっぱに戦って戦死したらそれでいい、でももし父上がフィリッポス王を裏切って反乱を起こしたら・・・・」
「フィロタス、君のお父さん、パルメニオン将軍がそんなことするわけないだろう。考えすぎだよ」
「わかっている。これはもしもの話だよ。でも、万が一そういうことがあった場合、きっと誰も僕をかばったりはしないだろうと思って・・・・プトレマイオスは頭がいいから、自分に不利になるようなことは絶対しない。でも、君とアレキサンダーの場合、例え君のお父さんが裏切ったとしてもアレキサンダーは最後まで君をかばう、そんな気がする。逆にアレキサンダーが不利な立場に追い込まれても、君は最後まで彼についていく」
「僕のお父さんはそんなに偉い立場でないから、反乱を起こすなんてことはありえないよ」
「そんなことがあってもなくても、君とアレキサンダーは強い絆で結ばれている。うらやましいよ」

強い絆とフィロタスに言われ、ヘファイスティオンはドキリとした。確かにアレキサンダーは父親がそれほど高い地位にあるわけでもない自分に対して精一杯の愛情を示し、秘密を何でも打ち明けてくれる。それなのにたった数日彼がいないだけで、カッサンドロスに誘われ、言いなりになってしまうとは・・・・自分はまだカッサンドロスと決定的な交わりを持ってはいない。だが、次にもう一度誘われたらどうなるかわからない。王子であるアレキサンダーにこれほど思われていながらなぜ・・・・

「ほら、ここまでが今日アリストテレス先生が話したことだから、少し言葉を変えて書き写せばいいよ。どうせ聞いてなかったんだろう」
「あ、ありがとう。助かるよ」
「僕はそんなにりっぱな言葉で書けないから、そのまま書き写してもいいけどね。やっぱりプトレマイオスやカッサンドロスは違うよ。もって生まれた頭のよさやひらめき、勘のよさがまるで違う。僕達ではまるでかなわない」
「カッサンドロスはもう書き上げてしまったかな」
「おそらくね。彼は要領がいいもの」

要領がいい、ああそうだ、カッサンドロスは何をやらせてもうまくこなしてしまう。きっと昨晩のことだって、他にもいろいろやっていて何でもないことに違いない。もう忘れよう。アレキサンダーが戻ってくる前にこれ以上のことをしてはいけない。

「それじゃあ、僕はもう書き終わったから部屋に戻るね。それ、朝まで持っていていいよ」
「ありがとう」

フィロタスは立ち上がり、食堂を出て行った。ヘファイスティオンはパピルスとペンを取り出し、フィロタスの書いたものを夢中で書き写した。そこに何が書いてあるのか頭にはまるで入っていない。ただ、字だけ書き写せばなんとかなるだろうと考えた。手本にしていたパピルスがふと目の前から消えた。そばにはカッサンドロスが立っている。

「フィロタスは親切だ。わざわざお前に教えてくれている」
「カッサンドロス、君はもう・・・・」
「とっくに書き上げたさ。お前に教えてやろうと思ったけど、先客がいたから待っていた」
「返してくれ。急いで書き写してフィロタスに返さないと・・・・」
「これは朝まで俺が持っている。その代わり俺のを写せ。部屋に置いてある」
「君の部屋には行かない。返してくれ」
「そうか、昨日の夜、あんなに気持ちよさそうにしていたのに・・・・お前、まだ本当の経験はないんだろう。俺が教えてやるよ。本当の行為はあんなものじゃない。一度でも体験すれば病み付きになり、その男から離れられなくなると聞いている」
「君とあれ以上の関係を持つ気はない。僕はアレキサンダーだけを・・・・・」
「どうせアレキサンダーはまだ何も知らない。知りたくはないのか?本当に愛しあった時、どんなことをするのか」

カッサンドロスとて、実際の経験は一度もなかったが、書物と人から聞いた知識だけでもスラスラと口から言えるほど彼には天性の口のうまさ、勘のよさがあった。

「いやだ、アレキサンダーを裏切るようなことはもうしない」
「裏切りではないさ。アレキサンダーは絶対に気づかない。なぜなら彼はお前を信頼しきっているからな。裏切るなどとは夢にも思っていない。本当のことを知ったらどれほど怒り狂うことか・・・・アレキサンダーのお前に対する信頼は特別だからな」
「だからもうあれだけで終わりにしたい。これ以上アレキサンダーを裏切るようなこと・・・・」
「お前の体、ほんの少し触れるだけでどれほど反応するのか話してやってもいいんだぜ」
「それはやめて!」
「ヘファイスティオン、いいだろう。お前はアレキサンダーを騙せるよ。だからもう少し本当の快楽を・・・・」
「いやだ、そんなこと」
「察しが悪いな。もうそうは言ってられないということ、わからないのか」

カッサンドロスは手に持ったパピルスを両手に持ち、引きちぎる真似をした。

「それはフィロタスの・・・・」
「せっかくの友情、壊したくはないだろう。フィロタス、お前と俺、そしてアレキサンダーとの友情、何もかも大事にしたい、それが争いを嫌うお前の望みだ」
「カッサンドロス、僕はどうすれば・・・・」
「うそをつけばいい。なに、簡単なことさ。俺は父がいつ、どんな時にどんなうそをつけば信頼され望みのものを手に入れられるか、イヤというほど見て知っている。お前にとっても悪いことではない。気になっているんだろう、俺のことが・・・・」

ヘファイスティオンは首を横に振った。だが、すぐにカッサンドロスが顔を抑え、唇を近づけてきた。

「素直じゃないな。お前も俺を求めているくせに・・・・こんな機会は二度とない、そうだろう?」
「僕が愛しているのはアレキサンダーただ一人・・・・」
「それでいい。素直に身を任せるより、他の男を思っているヤツの方がよほどそそられる。安心しろ、俺だって大臣の子、王子と対抗して自分を不利な立場に追い込んだりはしない。だが、自分の気持ちに正直でありたい」
「カッサンドロス・・・・」
「ここで誰かに見られたらマズイ。続きは俺の部屋で・・・・来なくても別に構わない。これは預かっておくが・・・・その方がお前も来やすいだろう」

カッサンドロスはヘファイスティオンから顔を離すとさっさと歩いて行ってしまった。

「僕はアレキサンダーを愛している。でも、彼との信頼を壊さないためには、カッサンドロスの部屋へ行かなければいけない」

食堂の壁をじっと見た。行くべきかどうか、アレキサンダーへの裏切りになる、でも行かなければ余計嫌がらせをされる。そうではない、カッサンドロスに魅かれている、あの金色の髪が、白い肌が美しいと思う。それだけではない、よどみなく続く話術、素早い身のこなし、剣術や弓の稽古でさえ優雅な体の動かし方、何もかもがうらやましい。アレキサンダーでは違いすぎて手が届かない。だが、カッサンドロスなら、対等になることだってできる。カッサンドロスを愛している?愛してはいない・・・・それなのにどうして・・・・彼が欲しい・・・・身を任せされるがままになりたい。アレキサンダーとすらしていない行為を・・・・体の中心が熱くなる。眩暈がしてくる。この機会を逃がせば、もう二度とカッサンドロスとは・・・・

「アレキサンダー・・・・僕が愛しているのは君だけだ。決して君を裏切ったりはしない」

壁に向かってつぶやいた後、ヘファイスティオンはフラフラと歩き出した。



                                      −つづくー



後書き
 ヘファイスティオンにとってアレキサンダーは本命、カッサンドロスは浮気相手です。浮気がいけないことぐらい充分わかっていながら、それでも彼に対する複雑な思いも捨てきれない、そんな部分が書けたらと思いました。
2007、8、23



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