(1)angel
その日は僕にとって特別な日になるはずだった。毎週日曜日に、僕は2歳年上の兄イグナシオと一緒に教会で歌の練習をしてきた。練習にはたくさんの子供が歌の練習に来ていたが、聖歌隊のメンバーとしてみんなの前で歌うことができるのはその仲の半分ぐらいだった。兄のイグナシオは僕が覚えているときから、聖歌隊のメンバーだった。誰よりも美しい声で歌うと小さな僕達の村では評判である。でも僕は・・・僕の声はイグナシオのような天使の声ではなく、普通の子供の声だから、なかなかみんなの前では歌わせてもらえない。
「ねえ、イグナシオ、今度の日曜日、本当に僕も歌わせてもらえるかな」
僕は子供の頃、2歳年上の兄を、イグナシオと呼び捨てに呼んでいた。
「大丈夫だよ。フアン、神父様も前からおっしゃっていただろう。8歳の誕生日を過ぎたらみんなの前で歌わせてくれるって・・・」
「8歳を過ぎたらイグナシオのようにきれいな声になって、歌もうまく歌えるようになるかと思っていたけれど、ちっとも変わらない。僕の声は前と同じだ」
「当たり前だよ。声なんてすぐには変わらない」
「僕は美しい声で歌って、イグナシオのようにみんなからほめられたい」
「フアン、聖歌隊で歌う歌は人にほめられるためにあるのではないよ。歌を通じて神様と話をすることができる。僕はまだ、神様のこと本当によくは知らないけど、歌っている時は何かがわかりそうな気がするんだよ」
「僕は歌っている時、神様のことなんか気に掛けていられないよ。声の大きさはこれでいいのかな、とか口のあけ方はなど気になることが一杯あって」
「始めはみんなそうかもしれない。でも今にきっとわかるよ」
イグナシオは穏やかに微笑んだ。僕は兄が激しく怒ったり、誰かと言い争っているのを見たことがない。声だけではなく、顔も心も何もかも兄は天使のように美しい。
「僕は神様のことなんてよくわからない」
「僕もだよ。でも神様は僕達のことをいつも見ていてくださる。神様のなさることで、間違ったことは何一つない」
日曜日になった。僕の8歳の誕生日のお祝いに、遠くの親戚の人もたくさん来てくれた。僕はたくさんのプレゼントやお祝いの言葉に囲まれて上機嫌だった。父も母もうれしそうに来客の相手をしている。
「おめでとう、まあフアンもしばらく見ないうちに随分大きくなって、こんなりっぱな息子さんを二人も・・・それにイグナシオの評判は、こっちの村まで届いていますのよ」
「まるで天使のように美しいって・・・きょうはそのイグナシオの歌を聞けるというので、もう前から楽しみで・・・」
「ありがとう、でもね、イグナシオは少し体が弱いところがあって、すぐにかぜを引いたり、フアンは病気なんかしたことがないのに、イグナシオの方はしょっちゅう・・・」
僕の誕生日だというのに、結局みんなの関心はイグナシオの方にいってしまう。無理もない、兄の顔は僕が今まで見たどんな絵や彫刻の少年よりも美しい。10歳になる兄は肌は透き通るように白く、ばら色の頬と唇、輝く瞳、弟である僕ですらため息をつくほどの美しい顔をしている。そして体が弱く、病気になって寝込んでばかりいるので、母はいつもイグナシオのことばかり気に掛けていた。
「ねえ、かあさん。早くしないと教会にいく時間になってしまうよ」
「まあ、この子は誕生日がきたら急にいい子になって・・・いつもは一番最後までぐずぐず・・・」
「だって今日は僕も聖歌隊で歌わしてもらうんだよ。早くいかなくちゃ」
「まあ、そうだったわね」
「よく聞いていてね!初めてみんなの前で歌うんだから」
「はいはい、わかっていますよ」
赤、青、黄色、ステンドグラスを通していろいろな色の光が踊っている。そして聞こえる美しい歌声。神様の住む世界はきっとこんな世界に違いない。どこまでも美しく澄んだ声で歌うイグナシオ、僕は隣に並んで立っている兄の手を握り締めた。僕の声は聞こえない。どんなに大きな口をあけても、僕は声を出すことができない。兄の美しい歌声を聞きながら、僕はどんな声を出したらいいのだろうか?あれほど一生懸命練習したというのに、僕はまったく歌うことができない。ただ大きな口をあけて時間が過ぎるのを待った。頬を涙が伝わっている。
「フアン、りっぱだったわよ。堂々と歌っていたわ」
歌い終わった僕に駆け寄って、母はこう言った。母は僕のことなど少しも見てはいない。
「僕は少しも歌っていないよ!」
「まあ、緊張したのかしら、いいのよフアン、誰でも始めは緊張するものなの・・・次に頑張ればいいのよ。イグナシオだって始めの時は・・」
「僕は歌えないよ、イグナシオのとなりでは!・・・イグナシオの近くだと僕は・・・」
僕は興奮して激しく泣きじゃくっていた。何が言いたいのか、自分でもよくわかっていなかった。神父さんが僕達の近くに来た。
「すみません、フアンが初めてのことで緊張して・・・」
「いいのです、始めは誰だって・・・フアンもなれればきっと歌うことが楽しくなるでしょう。それよりもお母さん。イグナシオのことで相談したいことがあるのですが・・・」
「イグナシオが何か?」
「イグナシオはこの村の、いえ私達神に仕える者にとって奇跡です。あれだけすばらしい声を持った子はめったにいません。まさしく神に選ばれた子です」
「うちの、イグナシオがですか?」
「そうです。私としては彼をこの村の聖歌隊ではなく、もっと大きな神学校で学ばせることをお勧めします。私は一つとてもよい神学校をしっています。ここから少し離れていますが、全寮制で、すばらしい教育をしています」
「でも、イグナシオは体が弱く・・・」
「ご心配なのはよくわかります。私とて、イグナシオを自分の手元で育てたいと思っています。でもあの子の才能を伸ばせる者はこの村にはおりません。神に選ばれた才能を持つ子を、それにふさわしい場所に置くことこそ、神の御心に沿ったことだと考えています」
「わかりました。よく相談してみますので、考えさせてください」
母の目にはもう僕のことなど少しも見えてはいなかった。神に選ばれた子、イグナシオ、そのふさわしい場所は・・・神父さんは父にも同じような話をしていた。父も母と同じように頷いていた。その日、家に帰ってからはもちろん僕の誕生日パーティーの続きをやった。だけど父も母も頭の中はイグナシオのことで一杯だった。イグナシオだけが心の底から僕の誕生日を祝ってくれた。
イグナシオは神学校に入り、寮で生活することが決まった。
「本当に行ってしまうの」
僕は今までどこに行くのも兄と一緒であった。イグナシオはいろいろなことを知っていた。僕達が寝ている屋根裏部屋の隙間からは星が見えた。夜二人で随分遅くまで起きていて話をしていたこともあった。僕達は一度もケンカをしたことがない。僕がわがままを言って困らせても、いつも穏やかに笑っていた。
「夏の休暇には帰ってくる。すぐだよ」
「離れて暮らすのは寂しいな」
「僕もだよ、家族とはなれて知らない街で暮らすのは寂しい・・・でもとうさんやかあさん、神父さん・・・そして神様が望んでいるのだから僕は行かなければならない」
「神様なんて信じられないよ・・・僕はイグナシオが一番・・・」
「僕だってお前のことが一番好きだ、フアン」
兄は僕の体をそっと抱きしめてくれた。
ーつづくー
後書き
映画「バッド、エデュケーション」を見て、登場人物の様々な声が聞こえてきました。その声を拾い集め、つなげようとして「コラージュ」というタイトルで話を書き始めました。第1章のこの話は、弟から見た子供時代の思い出、兄に対する複雑な感情を書いてみました。
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