(2) first love
彼に出会うまで、僕は誰かを愛するということを知らなかった。もちろん家族や友達をごく普通に愛していた。でも彼に対する気持ちはそれらの愛とは全く違っていた。彼は転校生として僕達の学校にやってきた。彼、イグナシオを一目見た瞬間、僕は恋に落ちた。十歳の子供がそれも男同士で恋に落ちるなど誰も信じてくれないかもしれないが、確かに僕は恋に落ちた。
どうにかして彼と話をするきっかけを作りたかった。学校でも寄宿舎のベッドでも僕達の場所は離れている。上級生達が早くも彼の美貌に目をつけて何かとつきまとっている。そう、彼はびっくりするほどの美少年であった。白い肌、澄んだ瞳、赤く形のよい唇、聖堂に飾ってある絵の中の天使とそっくり同じ顔をしている。その歌声は美しく、普段は怖い先生達もがうっとりと聞いていた。特に校長先生が彼を気に入り、よく彼一人だけを呼び出しては歌の稽古をしていた。普通上級生しか入れない聖歌隊のメンバーにも彼は転校してきてすぐ選ばれた。もちろん僕はこの学校に何年もいるが、聖歌隊には選ばれていない。
ある日、僕はイグナシオをだまして薄暗い倉庫に閉じ込めた。十歳の子供が愛を告白するためには場所や手段を選んではいられない。これでもどう誘い出すか何日も考えてから実行に移した。僕が倉庫の内側から鍵をかけるとイグナシオは激しく怒った。
「何するんだ!いきなりこんなところに閉じ込めて!」
「君に話しがある」
「話なら教室でもどこでもできるだろう。今から歌のレッスンがある。早く出してくれ」
「どうせあのいやらしい校長の個人レッスンだろう。君に忠告しておくよ。校長の個人レッスンなんか早くやめてしまえ!あんまり近づかない方がいいぞ」
「校長先生に向かってなんてことを!君はこの学校で何年も勉強しているんだろう」
「ああそうだ、何年もいるから君の知らないこともいろいろ知っているよ。校長や他の先生だって口では神様をたたえたりきれいごとばかり言っているけど裏では何やっているか・・・成績が優秀で先生のお気に入りだったやつが決まって毎年ニ、三人は突然退学になっている。おかしいと思わないか?」
僕は何を言っているのだろう。せっかく苦労してイグナシオを捕まえたというのに先生や学校の悪口ばかり言っている。どうせならもっと気の利いたことでも言って彼の尊敬や信頼を得れば良いのにそこまで頭がまわらない。先生については、確かにいろいろ噂はあったが具体的にどういうことなのかはさっぱりわからなかった。
「誰がやめたか知らないけど、僕は早くレッスンに行かないと・・・」
「行くな、僕は君を愛している、愛している」
イグナシオの顔が驚きと困惑で真っ青になった。僕だって愛していると言ってみたもの、その先どうしたらいいかさっぱりわからない。でもとにかくキスをしようと彼の肩をつかみ、顔を近づけた。
「やめてくれ!」
僕は思いっきり頬をたたかれた。イグナシオは鍵を開け、倉庫から走り去った。僕は彼に打たれた頬に手を当てその場に座り込んだ。この手の跡が彼の僕に対する気持ち・・・声も上げず、涙も流さずに僕は泣いていた。
次の日、僕は授業に出る気にはとてもなれず、学校を休んだ。誰にも、特にイグナシオには絶対に顔を合わせたくなかった。気分が悪いと言って寄宿舎のベッドでずっとふとんを頭からかぶっていた。なんであんなことをしたのだろう・・・自分は最低だ。今まで話をしたこともない同級生にいきなり閉じ込められて告白され、キスを迫られたらそりゃ誰だって怒るに決まっている。そんなこといきなり言う前にもっと時間をかけて普通に話し、普通に友達になっていればよかった。イグナシオは僕のことを軽蔑し、二度と口も利いてくれないだろう。こんなに思っているのに僕の気持ちは決して彼には伝わらない。ふとんにもぐり、体をまるめ、声を殺して泣き出した。次から次へと思いは溢れ、涙は止まらず口からは嗚咽が漏れる。こんなに悲しいことはない、いっそうのこと死んでしまいたいとさえ思った。
「エンリケ、どうしたの?苦しいの?先生を呼んでこようか」
美しい声がした。目の前にはイグナシオが立っている。僕は慌てて顔をシーツにうずめた。
「泣いていたの、ごめんね。きのう、僕が・・・」
「僕は・・・君が・・・イグナシオが・・・どうしてここに・・・出て行ってくれよ!」
僕は泣きじゃくっていて何を言っているのかよくわからなかった。
「僕も君のことがずっと気になっていたよ。でもどうしたらいいかわからなくて・・・そうしたらいきなり君が・・・ごめんね、僕もびっくりしたから・・・もう泣かないで・・・」
イグナシオは僕のベッドに上がって隣に横になり、背中から僕を抱きしめた。
「イグナシオ・・・」
「エンリケ、僕も君が好きだよ・・・だからもう泣かないで・・・」
思いもかけないイグナシオの行動と言葉・・・僕はもううれしいのか悲しいのかもわからなくなってきた。わけがわからないまま長いこと泣きじゃくっていた。彼はそんな僕の体を優しくさすってくれていた。
「少しは落ち着いた?」
「イグナシオ、どうしてこんなこと・・・」
「弟のフアンが夜突然泣き出すことがあるんだ。理由を聞いてもただ首をよこに振るばかりで・・・きっと彼にもうまく言葉にはできないけど深い悲しみとか怒りとかいろいろな感情があるんだね。だから僕は理由を聞かないでこうやって抱きしめてやるんだ。泣きたいだけ泣けばフアンだって落ち着いて泣き止むから・・・だけど僕はこんな風に激しく泣くこと、一度もなかったから・・・」
「君は何をやってもうまくできるし、誰からも好かれている、だから泣くことなんてないだろう」
「そうだけど・・・でも時々は寂しくてたまらなくなる・・・僕は神様の期待に沿えるよう一生懸命やってきた。賛美歌を歌い、聖書の言葉を暗記して、少しでも神様の御心を知りたいと思っている。だけど時々感じるこの寂しさがどこからくるのかわからない」
僕は自分の胸を彼の胸にぴったりつけた。腰も近づけ、足を少し開いて互いの足を交差させた。ぴったり重なる体の位置を確認してから彼を強く抱きしめた。イグナシオの体の温かさも、心臓の鼓動も少し乱れた息遣いも全て僕に伝わってくる。今聞こえている鼓動は僕のものかそれとも彼のものか、抱きしめている彼の体は僕とひとつになり、彼の心が透き通って見えるようだ。彼の心は寂しさに震えている。僕はその心をも抱きしめ温めようと腕に力を入れた。至福の時が過ぎた。大きな喜びで目から涙があふれ出た。
「僕は神様なんて信じていない。先生の話も、神父さんの言葉もいい加減に聞いていた。みんなと一緒に歌を歌い、祈りの言葉を口にする時も、そんなことあるもんかとひねくれた考えが頭をよぎった。でも今は君に出会えたことを神様に心から感謝しているよ。少しは素直に神様のこと信じられるようになるかもしれない」
「僕は逆だ。今までずっと神様のことだけを信じて生きてきたけど、もしかしたらほかのものがあるかもしれない、そう思えるようになってきた」
「僕達はきっと出会うべくして出会ったんだよ」
僕達は抱き合いながらいつまでもいつまでも話をしていた。十歳の子供同志の愛はひどく不器用でぎこちない。そのくせ一度想いが通じてしまえば、その愛は肉体的な快楽へは行かず、精神的なもの、哲学的なもの、神への愛と果てしなく想像だけは羽ばたいてしまう。まだ肉体の快楽を知らないその年齢の時だけにつかむことができた愛がそこにはあった。
−つづくー
後書き
かなり強引なエンリケ少年、これでは絶対フラれると思ったのですが、想いはちゃんと通じていて至福の時を過ごしました。性に目覚めながらもまだ快楽を知らない十歳から十五歳ぐらいの年齢の少年はもしかしたら一番美しい形での愛を経験するかもしれないと限りなく夢を追いかけました。でも現実世界で周りにいる子供達を見るとそんな夢想は吹き飛ばされてしまいます。
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