(50)浄化

ボロミア25歳 ファラミア20歳(13歳) デネソール73歳(49歳) クローディル48歳(37歳)
アムロス20歳(16歳) マルディル25歳(20歳) ダムロド95歳(64歳) マブルング65歳(52歳)

俺は医者に頼んで、ファラミアをかって母が使っていた病室へ連れて行かせていた。その部屋はもう長いこと使われていない。医者は執政である父の怒りを怖れて最初そこへ入ることを拒んだが、俺の頼みを聞き入れてくれた。だが、そこへ父を案内していいものだろうか?

「ボロミア、何を迷っている。早くわしをファラミアのいるところへ連れて行け」
「父上、ファラミアはもう自分の意志で動くことも話すこともできない状態でいます。自分の身を守ることすらできない、そんな弟を・・・・」
「わかっている、ファラミアに決して危害は加えぬ。あの男はそこまで見抜いて炎に飛び込んだのだ。わしの狂気を知っていながらな。だが、他にどんな方法がある?あの子を憎むか自分が狂気の渕に沈むか?わしが狂えばゴンドールも滅びる。お前を跡継ぎにするまで決して狂ってはならないのだ」
「父上、ファラミアはこちらにいます」

先に立って長い廊下を歩いた。白い大理石の床、父の足音がすぐ後ろに聞こえる。廊下に立つ見張りの兵士は俺が閉じられた扉を自分で開けようとするのを見てあわてて走り寄ってきた。

「ボロミア様、どちらへ行かれます。この先はけっして向かってはならないと言われています」
「さっき医者が通っただろう。大怪我をした者が運ばれた。普通の病室では小さな物音でも苦しめるだろうと特別にこの病室を使う許可を出したのだ」
「わかりました、どうぞお通りください」

兵士は後ろにいる父を見て顔が真っ青になった。俺だけならまだしも父に無礼をはたらいたとなれば死罪もありうる。

「心配しなくてよい。お前は決まった仕事を忠実に行っただけ、決して咎めたりはしない。だが、このことは他の兵士に話すな。約束してもらえるか」
「お約束いたします。決して話したりはしません」

母のいた病室まではさらに長い廊下を進まなければならない。話すこともできず自分の子供の顔さえわからなくなってしまった母に会う時父はどんな気持ちだったのだろうか。足音も息の音さえも後ろからは聞こえない。だが、父は一定の距離を保って歩いてきていた。

「こちらです」
「お前から先に入れ。わしはどんな顔をしてファラミアに会ったらよいのかわからぬ。さぞ恨んでいたことだろう」
「恨んでなどいません。ファラミアはただ自分の心を殺していました。自分を殺し、俺だけにすがって生きようと・・・・」

大きな扉を開けるとすぐ医者が駆け寄ってきた。

「執政殿、ボロミア様、今ファラミア様はお休みになっていられます」
「ずっと目は覚ましてないか」
「はい、一度も目を覚ましてはいません。ご命令どおり、手と足は拘束してございますがはずしてもいいかと思われます」
「いや、そのままでいい。ご苦労だった。しばらくここを離れていてくれないか。必要になったらまた呼びに行く」
「かしこまりました。では失礼いたします」

医者は出て行き、俺と父の二人が部屋へ入った。ファラミアはただ眠っている。父は黙ってその顔を見つめ、近くにある椅子に腰掛けて髪を撫でた。

「フィンドラス、お前はさぞわしのことを恨んでいるだろう。お前が愛したファラミアを酷い目にあわせ、いつもお前のところへ行かせようとした。この子が自ら死を選んだと知った時、わしはむしろほっとしたものだ。もう苦しまなくてよい、母にかわいがってもらえ、わかるか、フィンドラス、ファラミアがどれほどみなに愛されかわいがられる子であるか。それなのになぜお前はこの子を抱きしめてやらず、この世界に送り返してしまう?呪われたヌメノールの血を持つ子を・・・・」

父の目から涙が溢れ、ファラミアの頬に落ちた。父はファラミアではなく母の名前を繰り返した。

「フィンドラス、許されるならわしはお前と同じようにこの子の首も絞めていたであろう。もう苦しむ姿は見たくない、そう思ってお前を殺したのに後悔は日に日に大きくなった。お前を狂わせたファラミアを憎み、ゴンドールを守るためと理由をつけて多くの民に過酷な罰を与えた。だが、最も重い罰を受けるべき人間はこのわしなのだよ」
「父上、ファラミアは父上を恨んでなどいません。母上も同じです。そのことを伝えたくて戻ってきた、俺はそう思いたいです。何も話せない、伝えることもできない。でもファラミアは生きています。それだけで充分・・・」
「ボロミア、弟が生まれた日のことを覚えているか?」
「俺はまだ子供だったからはっきり覚えてはいません」
「生まれたばかりだというのに綺麗な顔をした子供だった。フィンドラスは微笑み、お前は興奮して走り回っていた。同じこの部屋で、そんな日があったのだよ」
「父上、ファラミアは俺達の世界に戻ってくれたのです。何もできなくていい、ただこのまま穏やかな日々を過ごせればそれで・・・」
「それでいいのか。お前もいつかわしと同じことをしてしまうかもしれない。ファラミアが目を覚ましたらどうなるか。苦しんで暴れる姿を見たら手をかけて・・・・お前に罪を犯させるくらいならいっそうのことわしが・・・それもできぬか、あの男はどこまでもわしの心を見抜いて・・・勘がよく才能があるからと目をかけ、欲望の対象にしていたのに愛などと勘違いしていた」
「父上、どうかもうご自分を責めずに・・・」
「お前もあの男と関係を持ったのだろう。わしから離れてさえいればよかったものを・・・いいだろう、気の済むまでお前が面倒を見るがいい。辛くなったら医者に任せろ。お前は執政の跡継ぎ、軍隊だって司令官を失って混乱している。やらなければならないことは多いぞ」
「わかっています」

父は部屋を出ていった。





やがてファラミアが呻き声を上げた。激しく暴れ、拘束してある鎖がガチャガチャと激しい音を立てた。悲鳴は絶叫となりわずかに動く体を痙攣させてベッドに何度も叩きつけた。俺はベッドにのし上がって体を押さえ、自分の腕をファラミアの口に近づけて噛ませた。俺は低い呻き声を上げたが、絶叫はおさまった。だが、腕を噛み千切られるかと思うほどの激しい痛みに全身を貫かれた。俺は腕をファラミアの口から離し、全身の力で暴れる手足を押さえた。人間の声ではない獣の咆哮と同じ叫び、火あぶりにされた人間が同じ声を出していた。

「ファラミア、大丈夫だ。俺がついている」

どれくらい絶叫が続いただろうか。ファラミアは再び意識を失い動かなくなった。俺は自分の腕を見た。噛まれたところから少し血が流れている。だが、ファラミアの手首足首はそんなものではなかった。激しい拷問を受けて暴れた者と同じように赤く腫れあがり血で真っ赤に染まっていた。俺は慌てて医者を呼んだ。

「ボロミア様、その腕はどうなさったのですか。すぐに手当てを・・・」
「いや、俺よりもファラミアを先に見てくれ」

医者がベッドに横たわっているファラミアの姿を見て息を呑んだ。すぐに胸に手をあて、呼吸を確かめた。

「大丈夫です。呼吸はそれほど乱れていません。それにしてもこれはまるで・・・・」
「発作が起きた。ファラミアにしてみれば拷問と同じであろう。ひどく苦しんで暴れまわった。何かよい薬はないか」
「痛み止めはありますが、これだけ苦しまれていると薬が効くかどうか」
「少しでも楽にしてやりたい。発作を起こしたら薬を与えてやってくれ。それからこの鎖、これでは捕虜か罪人だろう。もう少し体を傷つけないものにしてくれ」
「わかりました。すぐに別のを用意します・・・・ああ、ボロミア様、何を・・・外してしまっては次の発作の時・・・」
「だが、これはひど過ぎる。少しでも楽にしてやりたい。早く持ってこい」
「かしこまりました」

俺は赤く腫れあがった弟の手首をさすった。

「ファラミア、お前は今どこにいる?まだ俺のところに完全にはもどっていないのか?どれだけの悪夢をお前が見ているのか俺にも教えて欲しい。少しでもお前の・・・・」

固く閉じられた目は開かない。顔は苦痛と恐怖で歪んだままになっている。

「俺の体にヌメノールの血は流れていない。お前と同じ血を持つ者はみなお前を救おうとして死んでしまった。お前達はみな人の心を読み、未来のことを知って最善と思われることができるのだろう。だけどそうした力を持たない俺はどうしたらいい?呪われた血を浄化するために死の世界へ導くことも、そこから再び連れ戻すために火の中に飛び込むこともできない。俺はただ弟としてお前を愛し、お前を必要としているだけだ。どうすればいい?」

ファラミアの顔から少しずつ苦痛の色が消え、穏やかな表情になっていった。

「よかった、お前は今苦痛を感じていないのだな。少しずつお前の呪われた血が浄化され、俺のところに戻ってこられるのならば、俺はどんなことでもしよう」





長い夜が明けた。俺もいつの間にか眠ってしまったらしい。病室にある簡易ベッドの上に寝ていた。ファラミアのベッドに近寄ると鎖ではなく柔らかな布を幾重にも巻いて手足を拘束してあった。血のついたシーツもきれいなものに取り替えられ、医者が椅子にすわってウトウトしていた。そっと立ち上がり、窓を少しだけ開けた。部屋は塔の高い位置にあり、下の様子がよくわかる。城壁の外では見張りの兵士が交代をし、広場で朝の訓練が始められた。広場の片隅には戦死した者を祀る大きな慰霊塔がある。その下に白い花束が新しく置かれていた。




                                   −つづくー




後書き
 浄化という言葉は民族浄化という言葉もあるので、使っていいかどうか迷いながら恐る恐る使いました。民族浄化は許せないけど、世界が変わる時、そして個人の人間の中でも大きな変化がある時は浄化という犠牲や選択が必ず行われていると思います。何かを犠牲にすることで歴史は動き人間も怪我や病気を治す、でもその結果手に入れたものよりもそうした犠牲や苦痛の過程が大事なのではないかと感じています。
2008、4、28








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