ハルパロスの逃亡(3)
私とアレキサンダー、そしてプトレマイオスの3人は小さな天幕の中に長椅子を置き話合いの場を設けた。正式な会議ならいろいろな者を呼ばなければならないが、今のところは正式な会議になどしないほうがよいであろう。
「アレキサンダー、ハルパロスのことはもう聞いただろう。あいつ、俺達がいない間にとんでもないことをした。バビロンはペルセポリスと並んでペルシャの財宝が最も集まった場所、そこの太守が裏切るとは困ったものだ」
「お前の耳にも入っているのか。ということは我々がバビロンに着く前に兵士達の間にも話は伝わってしまうな」
「当たり前だ。兵士達もいろいろ噂している。こういうことはすぐに伝わる。早くハルパロスを捕えなければ大変なことになるぞ。山岳地帯にでも逃げ込まれたら最後、どうにもならない」
「ハルパロスは山や砂漠には逃げない。それは確かだ」
アレキサンダーは自信たっぷりに言った。
「あいつは女とまだ小さな子供を連れて逃げている。危険な場所へは決して足を踏み入れない。山岳地帯なぞ行けば俺達には捕まらないかもしれないが盗賊に襲われて命を落とす」
「それならそれでいい。問題は俺達に反感を持っている部族と手を結ばれた時だ。金さえあれば武器や兵士などいくらでも集まってくる。反乱が起きるぞ」
「そうだな。できるだけ早く捕えるにこしたことはない。だが誰が追う?兵士は皆砂漠を越えたばかりで疲れきっている」
「ペルシャ人の太守なら私兵を持っているだろう。それを使えばいい」
「そんなことをしたらそれこそ彼らの思うままだ。太守の軍事力とハルパロスの財力が結びつく。それだけはどうしても避けなければならない」
「ならばどうする?」
「ヘファイスティオン、もしお前がハルパロスならどこへ逃げる?」
アレキサンダーは急に私の方へ話を向けてきた。彼は足が不自由で戦いには参加できないためバビロンを任された。金を使い込んで逃げているのだが、女や子供を連れているならよく知らぬ族長や太守と結びついて反乱など起こさないだろう。
「連れている女はどこの生まれだ?コリントス、アテネ・・・その女の生まれ故郷に逃げるかもしれない」
「ハハハハ、ヘファイスティオンは女について何も知らないな。ヘタイラがみなコリントスやアテネで生まれたとでも思っているのか。彼女達は金を持っている男と出会えるならどこにだっていくのさ。俺達が金を持っているのを知っているからヒンズークシュの山、インドのジャングル、ゲドロシアの砂漠とどこへだってついてくる。ヘタイラに故郷なんて必要ない。金のある男と暮らせる場所、それが故郷になるのさ」
プトレマイオスの言い方にむっとした。彼はタイスという名のヘタイラを遠征の間ずっとそばにおいている。
「確かに僕はヘタイラなぞそばにおいていない。旅の途中で子供など生まれては困るからな」
「だからお前は子供なんだよ。女を抱いても子が生まれない方法などいくらでもある。まあお前はそんなこと知る必要もないだろうけど」
「いい加減にしろ!ヘタイラについて話しているわけではない。ハルパロスがどこへ向かって逃げるかが重要だ。俺もヘファイスティオンの意見に賛成だ。女の故郷へ行くかどうかは別にしてギリシャに向かったのは間違いないと思う」
「ギリシャか。確かにギリシャか植民都市のどこかなら言葉も通じるし顔立ちも似ているから暮らしやすい。ならばマケドニアの留守を守るアンティパトロスに使者を出して伝えれば・・・・」
「そう、俺もそれを考えた。ハルパロスがギリシャ方面に向かったのなら慌てることはない。あいつはおそらく船を使うであろう。使者を陸路で送ればハルパロスがギリシャに着く前にアンティパトロスが手はずを整え無事捕えてくれるであろう」
「そうするか、アレキサンダー。俺もこの話を聞いていろいろ考えたんだ。ペルシャ人の太守に反乱でも起こされたら困るからなるべく大事にしない方がいい。だがハルパロスを捕えて皆の前で処刑しなければしめしがつかない。どうしたものかと思案していたがどうやら俺とお前の意見は一致したようだな」
「ああそうだ、プトレマイオス。ミエザの時から年長者であるお前の意見は確かだった。話が済んだのなら俺はちょっと兵士達を見回ってくる。砂漠で多くの者が命を落とし、暑さにやられて体調のすぐれぬ者も多い。砂漠との戦いがこれほど過酷とは思わなかった」
アレキサンダーに続いて私も天幕を出ていこうとしたがプトレマイオスに目で呼び止められた。アレキサンダーと話していた時とはまるで違う鋭い目付き、彼は私に何を言うつもりなのだろう。
長い沈黙が続いた。天幕の中はしだいに暑くなりプトレマイオスは何度か皮袋の水を飲んだ。私も同じ回数水を飲み彼の言葉を待った。
「俺がなぜお前を呼び止めたかわかるか?」
「わからない。用がないなら私もアレキサンダーと一緒に兵士の様子を見てくる」
「ここにいるのはお前と俺だけだ。率直に話していい」
「ハルパロスのことについてはさっきアレキサンダーと君の話合いで結論が出たはずだ。私もそれで賛成だ。特に意見はない」
「お前、フィロタスの時とは随分態度が違うな」
プトレマイオスの冷たい声が響いた。
「あの時と今では状況が違う」
「フィロタスは泣きながらお前に助けを求めた。俺達はみなミエザの頃からずっと一緒に長い時を過ごしていた。話せばわかると信じていたんだよ。あいつはただ暗殺の計画があるのをアレキサンダーに知らせなかっただけだ。どうせ小姓達の戯れから出た言葉で実行する気などなかっただろう。フィロタスもそう考えたから何も言わなかったに違いない。それをお前は拷問による自白で陰謀の首謀者にしてしまった。それだけではない。お前はさらにパルメニオンまで陰謀に加担していると疑ってフィロタスへの拷問を続けた。かわいそうに、あいつは父親を尊敬してたからそれだけは絶対言わなかっただろう。俺は何度お前を止めようと思ったかわからぬ。だがもし止めて共犯者にされたら困るからな。フィロタスを助けてやることはできなかった」
「何が言いたい!アレキサンダーの父フィリッポス王は元小姓で寵愛されていた男の手で殺されたんだ。小姓など子供だからと甘く見ては取り返しのつかないことになる。子供とて何者かに操られ杯に毒を盛ったり剣で刺すことなどいくらでもできる。フィロタスの犯した罪は許せない。徹底的に追求してよかったのだ」
「ならばなぜハルパロスの罪も徹底的に追求しない?アンティパトロスになど任せなくても軍隊をうまく使えば向こうは女子供と一緒だ。すぐに追いつくだろう。同行した者全員を捕えてアレキサンダーの前に引きずり出し、それぞれ拷問にかければまだまだいろいろな罪を犯していることが明らかになるだろう。フィロタスはやってもいない罪を自白させられ殺された!」
「やめてくれ!フィロタスの話はもういい!」
私は自分がビックリするような大きな声をあげた。プトレマイオスの表情がこわばり、素早く天幕の入り口を開けて周りを見た。
「よかった、誰も聞いてはいない。忘れていた、今はミエザとは違うということを・・・・今ではお前の方がはるかに立場は上だからな。お前は正しいことをした。あの時フィロタスに情けをかけたら次は本当に暗殺を実行されたかもしれない。それに比べればハルパロスなど女に溺れて金を使い込み見つかりそうになって慌てて逃げただけ、間違っても王の暗殺や陰謀など企てないであろう。慌てて追いかけなくてもどうせギリシャに着けばアンティパトロスが網を広げて待っている。俺達がどうこうする必要はまったくないな。余計なこと言って気分を害してわるかった。後から俺が言ったことは全部忘れてくれ」
私とプトレマイオスは天幕を出てそれぞれ自分の場所に戻った。
日が沈む頃アレキサンダーの天幕へ行ったがまだ戻ってきてないようでバゴアスが出てきた。
「ヘファイスティオン様、イスカンダル王はまだ戻られていません。でもあなたに手紙があります」
天幕に入ってパピルスを巻いたものをとり私に手渡した。私は素早くそれを広げて目だけで文字を追った。
「・・・・・・事件についてはまた後ほどくわしくお伝えします。ただ私はどうしてもあなたに頼みたいことがあります。それはハルパロスを捕えるふりをしながら彼を逃がしてやってほしいということです。ヘファイスティオン、プトレマイオスなどここにいる私の側近はみなハルパロスを一刻も早く捕え処刑しろと騒いでいます。でも私は彼の死を望んでいません。ハルパロスの犯した罪は大きくそのままではしめしがつかないでしょう。それでも私が彼を処刑できないのは・・・・・フィロタスが・・・・拷問によってむりやり罪を自白させられ・・・・」
最後の方は文字が震え、そしてパピルスはそこで破られていた。アンティパトロスに向けて手紙を書こうとし、途中で破り捨てた・・・・
「バゴアス、お前は間違っているぞ。これは私に宛てた手紙ではない。他の誰かに書こうとした手紙をお前が間違って持ってきてしまったのだ」
「も、もうしわけございません。どうかお許しを・・・・・」
バゴアスの顔は見る間に真っ青になり、あわてて私の足元に跪いた。
「もうよい、私は見なかったことにしよう。アレキサンダーには何も言わずにいるからお前はすぐこの手紙を元あった場所に置いておけ。どっちみち捨てられる手紙であろうが、お前が黙って私に見せたとなればただではすまぬからな。すぐにもどしておけ」
「わかりました、ありがとうございます」
彼は私から手紙を受け取ると慌てて天幕の中に入った。私はその場を離れ自分の天幕へとゆっくり歩いた。
「・・・・・フィロタスが、拷問によってむりやり罪を自白させられ・・・・」
手紙の文が頭に浮かんだ。私は頭をふった。
「フィリッポス王は小姓だった男の手で殺された。フィロタスを見逃せば・・・・彼は傲慢で愚かな男でありミエザの頃からみんなに嫌われていた。それにフィロタスが死ねば彼の地位が他の者に分配される。プトレマイオスもその1人だ。拷問に手は出さなくとも止めようとする者など1人もいなかった。彼を殺すならパルメニオンも生かすわけにはいかない。すべては秩序を守るため・・・・アレキサンダー、僕は誰にどう思われてもかまわない、でも君にだけは・・・・・フィロタスに罪がないことぐらい最初からわかっていた。でもあの場合ああする以外・・・・秩序は守らなければならない。どんなことをしてでも・・・・」
どこをどう歩いてきたのか記憶にないが自分の天幕の前にたどりついていた。中に入って上着を脱ぎ、私は低い声でつぶやいた。
「秩序は守らなければならない。どんなことをしてでも・・・・・」
−つづくー
後書き
話は今回自分で考えてなかった方向に進んでしまいました。フィロタスの話が出たところで、直接拷問に加わったヘファイスティオンはそれが正しいと信じ、他の者も厳しく罰すべきだという道を突き進むしかないし、アレキサンダーはフィロタス、クレイトスの事件で自分に対する絶対的な自信が揺らぎ、さらにインドでの敗北と砂漠の試練で神にも見放されたと思ったかもしれない、そして愛し合いながらも2人の考えが徐々にずれていく様子を書ければと思っています。
2009、12、1
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