ハルパロスの逃亡(6)
豪華な合同結婚式の宴は7日間も続けられた。アレキサンダーと私はダレイオス王の娘であるスタテイラとドリュペデスを娶り、プトレマイオスやエウメネスなども王族の娘と結婚することとなった。私は以前2人の王女に会ったことがある。イッソスの戦いの後、王族の女性が残されて捕虜となった。王の母君は慌てるあまり私を王だと勘違いしたが、アレキサンダーは私をもう1人の自分だと言い笑って許していた。美しい王妃スタテイラは1年後に亡くなり、当時はまだ少女であった母と同じ名前のスタテイラとドリュペデスの2人の王女が残された。2人とも今ではすっかり成長していた。
長い宴が終わり、ようやくそれぞれ娶った相手と夜を共にすることとなった。私は王宮の中でも特別に用意されたドリュペデスの部屋へと向かった。たくさんの侍女が出迎え、あれほど宴で食べさせられたというのにまだテーブルの上にはワインやご馳走が並んでいる。私は簡素な服に着替えたドリュペデスが座る長椅子に軽く腰をかけた。宴の席では豪華な衣装で身を包み濃い化粧をしていたので大人びて見えたが、こうして並ぶと14,5のまだ大人になりきってない少女であった。彼女は震えながら一生懸命覚えたのであろう、ギリシャ語で話し出した。
「ダレイオスの娘、ドリュペデスです。姉スタテイラはイスカンダル王、そして私はヘファイスティオン様の妻となることができて本当に幸せでございます」
最後の方の言葉は擦れてよく聞こえなかった。彼女がこの結婚を喜んでなどいないことは一目でわかる。彼女達から見れば私やアレキサンダーは国を滅ぼし父を殺した侵略者であろう。特に彼女達は戦場にも赴き大勢の兵士が死に自分達も殺されるかもしれないという経験をしている。そんな敵の男に身を任せなければならないのはどれほどの屈辱であろう。私は周りを取り囲む侍女達に向かってペルシャ語で話しかけた。
「私はもう宴で充分すぎるほど食べて飲んだ。しばらくは王女と2人きりで話したいので下がって欲しい」
ドリュペデスが不安そうな顔で侍女達を見た。彼女達は痛ましそうな顔で目をそらし、その場を離れた。
「さて、2人きりとなったのだが、あなたはペルシャの言葉とギリシャの言葉、どちらで話すのがいい」
「私達、ギリシャの言葉も習いました」
「だがまだ不自由なようなのでペルシャ語で話そう。私はあなた方が我々をどう思っているかよく知っている。だからけっして無理強いはしない。安心するがいい」
「ヘファイスティオン様はとてもおやさしい方だと聞いています。それにイスカンダル王も・・・・前におばあ様が大変な間違いをした時許していただきました。そしてヘファイスティオン様はもう1人の王であると・・・・」
「確かに私はアレキサンダーと仲がよい。だが私は王族ではない。私とあなたの間に生まれた子が王となることは決してない。私達の子は家臣として育てられる。これだけははっきりわかってほしい」
「わかっております」
「あなたはペルシャの王女、ペルシャ軍が勝ち父上が生きていればもっと幸福な結婚ができたでしょう」
「すべては運命だと心得ています」
私は彼女の手を握った。折れてしまいそうなほどの腕、手だけではない、胸のふくらみは目立たず体は華奢で今にも壊れそうであった。何よりも目には深い不安の色が見える。
「心配しないでください。私は無理なことはしません」
「いいえ、これは私の運命です。私達は捕虜になるか殺されるかどちらかという定めでした」
「ドリュペデス、よく聞いてくれ。私はあなたと結婚したがあなたとの間に子を作るのは難しい」
「どういうことですか?私になにかいたらないことでも・・・・どんなことでもいたします。私達はあなた方から見捨てられたら生きていくことはできません」
「いやそうではない。あなたではなく私に問題があるのだ。私は男しか愛せない人間。それでもあなたのためにできる限りのことをしよう。さあ、もう休んでください。私はあなたには今後指一本触れぬと誓います。安心して眠ってください。ただすぐに部屋を出ては侍女達に怪しまれますからこの長椅子で眠ることをお許しください。時々はこの部屋を訪れてあなたと話をし、ここで休むことにしましょう」
「ヘファイスティオン様、そのようなこと・・・・」
「あなたではない、私が悪いのです」
私は目を閉じ寝たふりをした。ドリュペデスの声がしばらく聞こえたがやがてあきらめたのか寝室へ歩いていく足音が聞こえた。これでいい、私は彼女達にとっては強盗よりも怖ろしく残虐な侵略者、そんな男に抱かれて安心して眠れるわけがない。少なくとも彼女の記憶からイッソスで捕虜になった日のことが消えるまではこのままでいよう。
「オリュンピアス王妃様、まさかこのようなところまでおいでくださるとは・・・・」
「お前のたっての頼み、ハルパロスは私の私兵を使って確かにお前のところまで送り届けました」
「どうして私からだと・・・・」
「私を騙せるとでも思っているのですか。愚かなこと・・・・でもその愚かさもみなアレキサンダーを思えばこそなのでしょう。あの子は優しすぎるところがあるからお前のような側近が必要なのよね」
「私のような側近ですか?」
「そう、お前ほど冷静に判断してアレキサンダーに尽くすことのできる側近は他にはいない。他の者はみな自分の利益を考え簡単に寝返る。信用できるのはお前だけ・・・・・ほほほ、だから私もお前に協力したのです」
「わかりました、ではすぐアレキサンダーに・・・・・」
「あの子に会う必要はないわ。私のかわいいアレキサンダーはどこにいても私と一緒、離れることなどないのですもの。頼んだわよ、ヘファイスティオン」
オリュンピアス王妃の姿はいつの間にか消えていて、私は牢獄の前に立っていた。中から呻き声が聞こえる。近寄ると暗い中ハルパロスが倒れているのが見えた。
「そこにいるのはヘファイスティオンか。こうした俺の姿が見られてさぞうれしいだろう。ひどいやつらだ。俺の足では逃げることなどできっこないのに鞭で打って痛めつけた。どうせこれからたっぷり拷問にかけるんだろう、フィロタスのように」
「お前が素直に罪を認めれば拷問はしない。アレキサンダーは穏便な対応を願っている。場合によっては追放となるだけかもしれない」
「アレキサンダーはそうでもお前は違う。できるだけ長く痛めつけた方がお前にとって役立つ情報が集められる。フィロタスの時もそうだった。あいつは子供の時から付き合いがあるお前なら助けてくれるだろうと泣いてすがったんだろう?それなのに一緒にパルメニオンまで葬り去ろうと酷い拷問にかけた。お前ほど自分のために人を残酷に扱えるやつは他にはいない」
「フィロタスは裏切り者だ!お前だってなぜ金を使い込んだ。アレキサンダーは言っていた。昔マケドニアを追放された時お前は足が不自由なのにもかかわらずついて来た、強盗に襲われた時に弱いヤツが真っ先に殺されるから身代わりになれるとな。そこまで言っていたお前がどうして・・・・」
「ははは・・・・そんな頃もあった。あの頃の俺達は子供だった。アレキサンダーこそ王位をつぐのにふさわしい人間、そのためには自分達の命などいくら捧げても惜しくはないと・・・・だけど理想の王ではなかった。よせばいいのにインドまで行って多くの兵を失った。そんな無駄遣いをさせるよりも残った俺達が贅沢した方がよっぽどペルシャ人に喜ばれる。あのまま戻ってこなければいいものを・・・・」
「お前の考えはよくわかった。アレキサンダーに引き渡して処罰を決めてもらおう」
私はその場所から立ち去ろうとした。
「待て!ヘファイスティオン。お前ほど自分の出世のためにはなんでもやる人間がペルシャの王女には手を出さない」
「彼女はまだ大人になっていない。それに戦いの記憶がまだ残っていて酷く怯えている。それ以上傷つけたくはなかった」
「違うだろう。お前は男しか愛せない人間、それも自分が主導権を握ることはけっしてなくいつも受け入れてばかり、男としてのプライドを捨ててアレキサンダーに仕え、せっかく王と親戚になるチャンスまで掴んだのにお相手の王女様に手を出せないとは・・・・ははは、皮肉だな。俺は足は不自由でも肝心なところはちゃんと使える、だけどお前の場合は一番大事なところが使えないのだろう。気の毒な男だ。いくら愛され出世しても子孫は残せない宦官と一緒だ。だから俺やフィロタスにも嫉妬して残酷な目にあわせるのだろう」
「それ以上言うな。ハルパロス、お前は自分の立場がわかっているのか。俺は今ここにいる兵士に命じてお前を拷問することもできるのだぞ。アレキサンダーが来る前に・・・・」
「ははは、拷問でもなんでもするがいい、女を抱けない男ほど怖いものはないからな」
「違う!彼女を傷つけたくないからだ」
「アレキサンダーがこれを知ったらどう思うかな?大事な親友のお前が子を作れない体だとは・・・・はははは、これはおもしろい・・・・」
「この男を鞭打って口がきけなくなるようにしろ!今すぐにだ!」
私は大声で近くにいた兵士に命じた。
「ヘファイスティオン様、ヘファイスティオン様」
体を揺り動かされて長椅子の上で目が覚めた。ドリュペデスの心配そうな顔が見える。
「どうなさったのですか。大きな声で叫ばれて・・・・・」
「夢を見ていた。心配しなくていい」
「どのような夢を・・・・」
「あなたに話せば怖がらせるだけだ。私は優しいだけの人間ではない。戦場で多くの敵を殺し、裏切り者が出れば仲間でも拷問にかけた。数え切れないほどの人間を直接この手で殺した。だから悪い夢も見るのだろう」
「イスカンダル王はあなたのことをもう1人の自分であると・・・・」
「そんなことまで覚えていてくれたのか」
「あなたが男の人しか愛せないとしても、私はあなたの妻として生きていきます」
彼女の目は真剣であった。私はふっと気がゆるみ微笑んだ。
「ずっと男ばかりの世界で生きてきたから・・・・でもこれからは変わっていくかもしれない」
自分のすぐそばに立つドリュペデスの体を抱きしめた。細く華奢な体、これから先どんなことがあっても彼女を守っていこう。
−つづくー
後書き
ハルパロス、やっと登場したけど夢の中でした。アレキサンダーの望んだように親戚となる2人の子が生まれるということはなく、ドリュペデスの方は子を宿す前に夫に先立たれ、やがて姉スタテイラと一緒に殺されてしまいます。ヘファイスティオンは彼女に対してどのように接したのか気になります。私は傷つけぬようにと気遣うあまり手を触れずにいたのではないかと思っています。
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