ハルパロスの逃亡(7)

アレキサンダーは毎晩ペルシャの王女スタテイラのいる部屋へと通った。合同結婚式が終わってすぐのことだからそれも当然なのかもしれないが、鋭い目で私を睨むロクサネのことが気になった。あれほど反対されながらもアレキサンダーが強引に結婚したロクサネにはまだ子供がいない。捕虜から側室となったバルシネはヘラクレスという子を生んだのだから子ができない体というわけではないだろう。ヘラクレスは側室の子であるから跡継ぎとなることはできない。だが今もしスタテイラに子が宿れば間違いなくその子が跡継ぎとなる。ロクサネの心が穏やかでないのも無理ないことであろう。私は義務としてドリュペデスの部屋に夜は通うようにしているが、それ以上のことはできずにいた。我々がスサを後にしてバビロンの王宮に移った頃、思いがけない客人がペラからやってきた。

「ヘファイスティオン様、ペラよりいらしたカッサンドロス様がお会いしたいということで、謁見の間でお待ちいただいています」
「カッサンドロス、ああそうか、急用でこちらに向かっているという知らせがあった。もう着いたのか。私よりも先にアレキサンダーに会えばいいものを・・・・」
「いえ、今や陛下は広大なペルシャ帝国を引き継いだ大王と呼ばれるお方、そのあたりの事情を考慮してまずはあなたにお会いしようと考えたのでしょう」

宰相アンティパトロスの長男カッサンドロス、ミエザで一緒に学んだこともあるのでよく知っていた。だが彼はアレキサンダーとあまり仲はよくないし、宰相である父を助けるという理由で遠征には加わらず、代わりに弟のイオラオス、彼はまだ遠征が始まった当時10歳にも満たない少年だったので兵士ではなく献酒係として一緒に来ていた。私は簡単に身なりを整え謁見の間へと向かった。

「カッサンドロス、久しぶりだな」
「ヘファイスティオン、待っていたぞ」

10年以上会ってはいないが、一目見てすぐにわかった。カッサンドロスは私やアレキサンダーより1つ年下、ミエザにいた時は仲がいいというわけではなくむしろ互いに嫌っていたのだが、それでも久しぶりに会った友人同士、抱き合って肩をたたき互いの無事を喜びあった。

「先ほどプトレマイオスにも会った。あいつは相変わらず落ち着いているな。ペラもここも大変な騒ぎが起きているというのに・・・・」
「ぺらの騒ぎとは・・・・」
「ハルパロスのことだ。手紙でいろいろ書くよりも俺が直接アレキサンダーと話した方がいいと思って馬を飛ばしてきた。まったくあの女がでしゃばるから話がややこしくなる。アレキサンダーが命じるままに父はハルパロスを逃がしたのに・・・・」
「それでハルパロスは今どこにいる?」
「さあな、マケドニア国内にいないことは確かだ。あの女が目を光らせているから」
「オリュンピアス王妃様のことか。お前、アレキサンダーの母上に対してそのような言い方はないだろう」
「アレキサンダーの前ではそれなりの言い方をする。だけど本当に腹が立つ。アレキサンダーは父にハルパロスを逃がしてやれと手紙で頼んでいるはずなんだ。だけどあの女はそんなこと命じられるわけがない、すぐにでもハルパロスを捕えてバビロンに送り届けなければ国中の秩序が乱れ、あげくの果てに逃がした父を反逆者として裁判にかけろと言い出すしまつ。そんなことになって父が宰相の地位を下ろされ、あの女がマケドニアの実権を握ったらどうなるか、父だけではない、俺達アンティパトロス一族全員が反逆罪ということで処刑されてしまう。もともとあの女にとってハルパロスのことなんかどうでもいいのさ。理由をつけ政敵である父を引きずり下ろしたいだけなんだ」
「まさか、そんなことになっているなんて・・・・・」
「そうだろうな。プトレマイオスに話は聞いた。こっちでは合同結婚式が行われアレキサンダーとお前がペルシャの王女を妻にしたそうだな。お姫様に夢中になってハルパロスのことは忘れていたんじゃないか」
「そんなことはない。ハルパロスのことは気にかけていた。だけどまさかオリュンピアス王妃様が君の父上に・・・・」
「いずれそういうことは起きるだろうと予想はしていた。まあアレキサンダーに会って、確かな証言を得られ署名入りの手紙を俺が持ち帰ればすむことだ。いくらあの女でも確かな証拠を見せればそれで大人しくなるだろう」
「騒ぎが大きくならないことを祈るよ」
「フィロタス、パルメニオンのこともあるからな。あれ以来父も必要以上に周りに気を使うようになった。次は我が身かもしれないと小さなことでもいつまでもクヨクヨ気にかける。だから俺が一っ走りしてここまで来た」
「大変だな」
「まあいいさ。おかげで久しぶりにお前達に会うことができた。ペルシャのお姫様はどうだ?やっぱりギリシャの女とは違うのか?」

カッサンドロスは急に口調を変えて聞いてきた。私は頬が赤くなった。

「なんだ、まだ両方とも試したことないのか。ヘファイスティオン、悪いことは言わない。早く子を作って自分の地位を固めろ」
「それは友情から言っているのか」
「友情と俺達一族の利益、両方からだ。お前の地位が安定している限りアレキサンダーが崩れることもなくマケドニアは安泰だ。うるさい女はいるけどな。だけどもしアレキサンダーの身に何か起きてみろ、ここもマケドニアも大混乱に陥るぞ。俺は戦いを好まない。だからお前の幸運を祈っている」

カッサンドロスは笑いながら謁見の間を出て行った。昔と変わらないカッサンドロスの率直な態度ともの言い、それが大変な事態を引き起こすとは私は夢にも思わなかった。






アレキサンダーとカッサンドロスは翌日同じ謁見の間で会うようにと手はずが整えられた。そしてアレキサンダーは玉座に座り、私はその隣の椅子に腰掛け、彼が入ってくるのを待った。

「イスカンダル王、太守様がぜひお目にかかりたいと言っております」

ペルシャ人の使者が跪いて話しかけてきた。

「太守か。先にそちらの用件を済ませておこう。カッサンドロスは別の部屋に待たせて先にそっちを通してくれ」
「かしこまりました」

大勢の従者を引き連れたペルシャ人太守が謁見の間へと入ってきた。従者達は跪いて控え、太守は1人厳かな足取りでアレキサンダーの玉座に近づいた。そこへ別の部屋で待っているはずのカッサンドロスが入って来た。彼は数十人の従者が同じ格好で跪く姿に驚いたようだが、何も言わずに隅にある椅子に腰を下ろした。

「すべての王にして最大の王、イスカンダル陛下にあらせられましてはまことにお健やかで喜ばしいこと・・・・」

太守は慣れないギリシャ語で必死に言葉を並べ、アレキサンダーの前に跪き、その足に手を触れ口付けをした。

「ハハハハ・・・・これはおかしい。言葉はギリシャ語でありながら跪く姿はペルシャ帝国のなごり、プトレマイオスが言っていたギリシャとペルシャの融合というのは・・・・」
「今笑った者は前に出ろ!」

アレキサンダーが叫んだと同時に立ち上がり、足に口付けをしていた太守は後ろへとひっくりかえった。カッサンドロスが椅子から立ち上がりアレキサンダーの方へ向かって歩いた。

「アレキサンダー、久しぶりだな。何をそんなに怒っている。ペルシャ人の太守が驚いてひっくりかえっているぞ。ハハハハ、これも文化の交流というやつか。スパルタのレオニダス王とペルシャの・・・・」
「カッサンドロス、お前というやつは、よくも太守の前で・・・・」

アレキサンダーは腰に手をかけたが運良く短剣をつけてはいなかった。もしその手に武器を握っていたならばカッサンドロスはその場で間違いなく殺されていただろう。アレキサンダーはカッサンドロスの髪の毛を掴んで大理石の床を引きずった。事態の重要さを悟ったカッサンドロスは無抵抗、私もどうすることもできない。

「きさま、よくも私を侮辱したな!」

カッサンドロスの体は太い柱のそばまで引きずられていた。アレキサンダーはカッサンドロスの頭を掴み大理石の柱に向かって何度も打ち付けた。鋭い悲鳴が聞こえ、柱に血がついているのが見えた。私は慌ててアレキサンダーのそばに駆け寄った。

「アレキサンダー、やめてくれ、お願いだ。カッサンドロスが死んでしまう」
「ヘファイスティオンに感謝するんだな。私1人だったら完全にお前の息の根を止めていた」
「お許しを・・・・どうかお許しを・・・・」

ガタガタ震えながら跪いて許しを請うカッサンドロス、顔や頭には幾筋もの血が流れている。

「誰か、この男を別の部屋に連れていって手当てしてくれ、頼む!」

私は大声で叫んだ。数人の男に抱きかかえられるようにしてカッサンドロスは別の部屋に運ばれ、アレキサンダーは玉座へと戻った。手や服にはカッサンドロスの流した血がべっとりついている。太守は再びアレキサンダーの前に跪いて足に口付けしようとしたが血の筋が見えて手を離し、青い顔をしてガタガタ震えた。

「もう挨拶はしなくてよい。あの男は私の命を狙おうとした。捕えて牢に放りこんでおいたから心配しなくてよい。話とはなんだ?」
「は、はい、イスカンダル王におかれましては・・・・お姿を拝見しただけで幸せでございます・・・・ではまたあらためて・・・・」

せっかく遠方から従者を引き連れて出向いたであろう太守は用件を何も言わずに退出してしまった。太守だけではない、カッサンドロスもプトレマイオスに説得されすぐにバビロンを離れてペラへと戻った。彼もまた用件、ハルパロスのことが原因でペラでオリュンピアス王妃とアンティパトロスがもめていること、そしてアレキサンダーが確かに命じたという証言と手紙を得られずに帰ってしまったことになる。このことは私にとっては運がよかったことなのかもしれない。カッサンドロスはアンティパトロスの手紙を見ている。そしてオリュンピアス王妃もそれ相応の確信を持ってハルパロスを捕えろと主張したであろうから、詳しい話をアレキサンダーが聞けば誰かの作為を感じ取ってしまうであろう。アレキサンダーがカッサンドロスと直接話さないでいてくれてよかった。私は無理にでもそう思い込むことにした。もうこうなってはハルパロスは生きたまま捕えられない方がいい。何者かが殺してその話が届きさえすれば秩序は守られる、そう考えることにしよう。アレキサンダーの怒りは神の怒り、誰も鎮めることはできない、血だらけになったカッサンドロスの顔を思い出し、ふとそんな言葉が浮かんだ。





                                     −つづくー





後書き
 ハルパロスの事件がきっかけで元々仲の悪いオリュンピアスとアンティパトロスの対立が激化し、アレキサンダーの宰相に対する対応も含めて弁明に言ったカッサンドロスが逆に逆鱗に触れてしまってと、1つの事件がきっかけとなり次々いろいろなことが起きたようです。カッサンドロスが笑ったこと、遠征に行ってさまざまな体験をした者とマケドニアに残ってミエザの時の気持ちで旧友に会ったつもりの者とでは感覚が違うのは当たり前で、そのことで暴力を振るわれたカッサンドロスは気の毒です。でもアレキサンダーにしてみればそれまでの過酷な戦いの中で追い求めた理想があるから小さなほころびも許せずに結果残酷になってしまうのでしょう。これがきっかけでカッサンドロスが暗殺を考え弟に命じて実行したとしたら、ハルパロスは本当に大きなことをやってしまったんだなと思います。

2010、2、2





目次へもどる