何日が過ぎたのだろうか。私は体が熱っぽく自分の部屋に閉じこもって寝たきりになっていた。奴隷が規則正しく食事を運んでくるのだがほとんど食べられずにいた。
「ヘファイスティオン様、ダレイオス王にも仕えたという医者がぜひあなたを診たいと言っております」
「医者は必要ない。ただの熱病だ。マケドニアから届いた薬があるだろう」
「ですが・・・・」
「ペルシャ人は信用できない。薬だと言って毒でも飲まされたら大変だ。薬もマケドニアから届けられたものだけにしてくれ。それから王にはすぐによくなると言ってくれ。あまり心配かけたくない」
「かしこまりました」
医者になど診せれば私の体についた傷のことで何を言われるかわからない。敵の捕虜となって戻ってきたならばこのような傷もつくだろうが、私はまだ捕虜になったことはない。痣や切り傷ならば戦いの時のものだと言い訳できるが火傷の痕は説明のしようがない。昔ミエザにいた頃に師アリストテレスより怪我や病気の時の対処法を一通り教わっているので奴隷に命じてそのように手当てをさせているのだが、傷はいっこうによくならず痛みは増すばかりであった。
「ヘファイスティオン様、薬が届いた時に何名かの医者も一緒に来ています。マケドニア人なら信用できるかと思います。正直なところ傷は少しもよくならず・・・・」
まだ10を少し越えたばかりの奴隷の少年は泣き出しそうであった。私の病状が悪化すれば彼も罰を受ける、それが心配なのだろう。
「わかった。マケドニア人の医者が近くにいるというのなら診てもらうことにしよう。すぐペラに戻る予定の者を呼んできてくれ」
「かしこまりました・・・・・あの、ありがとうございます・・・・・」
「早く行け」
同じ王宮内に何人かの医者が滞在していたのだろう。すぐに1人の年取った医者が私の部屋に来た。
「お前はいつペラにもどる?」
「私のような年老いた者に異国での暮らしはこたえます。できるだけ早く国へ戻りたいのですが、オリュンピアス様のご命令ですのでこちらで冬を越します」
「オリュンピアス様に仕えていた者か?」
「はい、王妃様はアレキサンダー陛下のことをたいそう気にかけておられました。無事バビロンに戻られたのはうれしいが、陛下の態度や周りの者の様子に不穏なものを感じるということで私が医者として薬を届けるのを理由に偵察して来いと命じられました。ハルパロス様のことでペラは今大変な騒ぎにもなっています」
「大変な騒ぎとはどういうことだ?」
「国中の者がオリュンピアス様とアンティパトロス様、どちらにつくかということをこっそり相談しあい、相手の腹をさぐろうとしているのです」
「そこまでなっているのか」
「はい・・・・・詳しくはわからないのですが、カッサンドロス様がどうやら重大な過ちを犯したようです」
「カッサンドロスのことも噂になっているのか」
「はい、いろいろと・・・・・申し訳ございません、ヘファイスティオン様のお体を診るために呼ばれたのに話し込んでしまって・・・・」
「いや、私の方がペラの様子を知りたくて話したのだ。気にしなくてよい」
私は羽織っていた上着を脱ぎ、腰の周りに巻いた布だけを残してベッドに横になった。背中を見て医者が驚きの声をあげたが、すぐに冷静な顔つきにもどり薬の用意を始めた。
「失礼ですがヘファイスティオン様は捕虜となられたことは・・・・・」
「捕虜などという大袈裟なものではない。インドで先発隊として別行動した時言葉の通じない部族に捕まってひどい目にあった。持っていた宝石を渡してようやく解放された」
「そうした傷を長い間そのままにしておくのはよくありません。あなたはアレキサンダー陛下の片腕となるお方、失礼します」
医者は私の腰に巻いた布に手をかけ、ゆっくりとゆるめていった。私は小さな呻き声をあげた。腰周りの火傷の方が背中よりもひどく、奴隷の少年は泣きそうな顔で布を替えていたのだが、医者は慣れた手つきで血と膿で汚れた布を取り私の下半身を晒した。
「この怪我でよく何日も我慢された」
「砂漠や密林では手当てなど何もできない。ここまでもどってこれてほっとした」
「ヘファイスティオン様、私は秘密は守ります。これは何日も前についた傷ではない、数日前に炎に晒され鞭打たれた傷痕でしょう」
「酔ってたわむれにしたことだ。つい気が大きくなって焚き火の上を走ったり、互いの体を鞭で叩いてどちらが先に声をあげるか、などということをした。酔いがまわっていた時は痛みも感じなかったが、翌日起きて自分のやったことに後悔した」
「わかりました。薬はしみますが効果があります。私を呼んでくださらなければ命を落とすかもしれないところでした。そうでなくてもさぞ辛かったのでは・・・・まるで拷問を受けられたような・・・・」
「自分でしたことだ。はやくやってくれ」
「失礼いたします・・・・」
私は目を閉じ唇を噛み締めた。自分の目では決して見ることのできないその場所がどうなっているか、痛みで想像できる。医者の指につけられた薬は焼け爛れた皮膚を刺激し耐えがたい痛みを与える。ベッドのシーツを掴み、汗と涙を流しながら声を出さずに耐えた。指は敏感な部分を何度も刺激し、奥深くまで挿入された。
「うわああー・・・・・やめてくれ・・・・あああああー・・・・・」
叫び声をあげた後意識を失った。
目を開けると私はうつ伏せで寝かされていた。下半身がひどく痛むが、そっと手をのばすと腰には新しい布が巻かれているのがわかる。
「よく辛抱なされました。手当ては終わりました。2,3日の間にあなたは歩きまわれるようになり、しばらくすれば馬にも乗れるでしょう。ただ同じようなことが2度、3度と続くと・・・・・」
「それほどひどい怪我だったのか」
「拷問を受けた者の手当てをしたことがあります。口を割らせるために生かすよう命じられているので痛みに気をとめる余裕はありません。数人で押さえ絶叫を聞きながら薬を塗り傷を縛って血を止めるのです。あなたはとても辛抱強い方、だがそれにも限界があります。どうかこれ以上は・・・・」
「わかっている。悪ふざけは2度としない。ところでハルパロスはどうなったか知っているか」
「アテネへと逃げたようです。彼はそうとうの金を持っていますし、何よりも死んだ女に立派な墓を作り永遠の愛を誓ったということで、アテネでは彼を主人公にした悲劇まで上演されたそうです」
「確実にアテネにいるのか?」
「わかりません。目立ち過ぎると今はまた別のところへ行っているかもしれません。どちらにしても彼のことはマケドニア国内だけでなくギリシャ全体で大きな話題となっているのです。逃亡に手を貸す者もいくらでもいるでしょう。だからこそオリュンピアス様も心配され、私のような者にまで偵察を命じられたのです。そしてオリュンピアス様はアレキサンダー陛下のお心もたいそう心配しておられます」
「心のことで心配?」
「はい、陛下は神との間に生まれた子。神が賞賛しもてはやしている間はいいが、一度見捨てられればヘラクレスのように狂わされ、あるいはアキレウスのように短い命にされてしまうのではないかと、そのことを心配されているのです」
「アレキサンダーは狂ってはいない!カッサンドロスが侮辱したからあれほどの怒りを受けたのだ。狂うなどということは決してない!」
私の大声に医者は驚いた。
「では、私はしばらくの間毎日こちらに通って傷の具合を診るようにしましょう」
「そうしてくれ。身を任せられる者がいてほっとした。自分1人では逆にひどくしていたかもしれない」
「痛みが強いようでしたら少しずつこの薬を飲んでください。では失礼いたします」
医者が出て行くとすぐに私は別の奴隷を呼んだ。
「ヘファイスティオン様、御用はなんでしょう?」
「お前、食事を作る時に間違って指を傷つけたと言っていたな。痛みを和らげるよい薬が届いている。効果を試してみろ」
「いえ、大した傷ではありません」
「毒が入ってないか試す目的もある。マケドニアから届けられたものだからとすべて信用するわけにはいかない。毒見を頼む」
「かしこまりました」
奴隷は私が渡した薬を恐る恐る指にとって少しだけ舐めたが、毒ではないとわかって壷からカップに少量わけた薬を全部飲んだ。
「毒ではありません。怪我の痛みもすっかりとれました」
「そうか。ご苦労だった。もう行っていいぞ」
部屋に誰もいないのを確かめた後、私は壷に入った薬を少量飲んだ。
「これでゆっくり寝れば明日の朝には歩けるだろう。ハルパロスを早く捕えなければますます秩序は乱れる。カッサンドロスもペラに戻った。対立はますます激しくなる・・・・・ハルパロスが余計なことをしたばかりに・・・・・あああ・・・・この薬は・・・・」
「ハハハ、ヘファイスティオン、俺のせいにするな。アレキサンダーはすでに狂っている。お前達2人が死ぬ日は近い。そうしたら俺はゆっくりバビロンにもどろう」
「誰だ、お前は?」
「口にするものにはせいぜい用心するんだな。フィロタス、クレイトスはお前とアレキサンダーを恨んで死んで、俺やカッサンドロスはお前達2人の死を願う。俺たちだけではない。お前の命を狙って殺そうとする者は俺を捕えようとする者よりずっと多いかもしれない。今更俺が捕まっても得するヤツは誰もいないが、ヘファイスティオン、お前の地位を狙うヤツは数限りなくいる。だからお前は痛みをこらえていたんだろう?だが奴隷に毒見をさせたくらいで安心するのは早い」
「ハルパロス!どこにいる!」
私は手にとったカップを声のする方へ向かって投げつけた。陶器のカップは壁にぶつかり大きな音をたてて粉々に壊れた。
「ヘファイスティオン様、今大きな音が・・・・」
少年の奴隷が慌てて入ってきた。
「なんでもない。手が滑ってカップを1つ壊しただけだ。片付けてくれ」
「かしこまりました」
「せいぜい用心するんだな。お前の命は狙われている。秩序よりもお前の地位の方がよっぽど魅力的だからな」
「・・・・・・」
少年は何事もなかったかのように割れた陶器のカケラを集めている。私にしか聞こえない声かもしれない。声がした壁をしばらく睨んだがその後ハルパロスの声が聞こえることはなかった。
−つづくー
後書き
今回はアレキサンダーは登場していません、ヘファだけで終わってしまいました。2人とも戦いや自然の驚異に晒される遠征の時よりも戦いが終わって王宮にいる時の方がむしろ周りの者に命を狙われ精神のバランスを崩していくのではないかと考えました。
2010、2、16
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