太くてもいい邪ない?(8)
俺は役者だから体重のコントロールなど簡単にできると思っていた。前に麻薬中毒患者の役をやった時なんか会うヤツみんながギョッとするほどげっそりとやつれた顔にした。食事制限や栄養士をつけてのカロリーコントロール?そんなものはやってない。ただ薬に溺れた人間が何を食べてどんな格好で街を歩くかを想像して実際に真似しただけだ。俺は別に薬の経験はないが、そんなことは他のヤツの演技をみれば自然と真似できる。不思議なことに何日もそんな格好でうろついていれば、自然と食べたいという欲求はなくなった。だから今回もそれでやろうと思ったのだが、30キロの減量を兄貴が異常に心配して医者と栄養士の指導を受けられるように手配してくれた。最初の頃はそれで順調に体重は減ったのだが、ある時点でその減りはピタリと止まり、何をどうやっても減らなくなった。
「停滞期ですね。よくあることですよ。指示通りの食事と運動をしていれば、しばらくたてばまた痩せてくるはずです。コンサートの時には元通りの体重になっているでしょう」
「できればもう少してっとり早く体重を減らしたいのだけど。多少無理してもいいからさ。前に2週間で10キロ痩せたことあったから、それくらいのペースで1ヶ月くらい・・・」
「いけません。無理なダイエットはリバウンドだけでなく摂食障害の危険があります。現に私は何人もそういう方を見て治療しているのです。シャノンさんからあなたはほっておくと無理して体を壊すからくれぐれも注意してくれと言われているのです」
「ああ、わかったわかった。今までどおりのメニューを守るよ。今週はこれを食べればいいんだろう」
「はい、そしてどうしても空腹で耐えられない時はこの間食も入れておきますから少しずつ食べてください。これでしたらカロリーにさほど大きな影響はないはずです」
「我慢強さには自信があるから必要ないと思うけどな」
「だといいのですけど、この時期くらいからストレスを強く感じて食べてしまい、結局元に戻ってしまうという方が多いですから、なるべく気をつけてください」
「俺だったら大丈夫さ。とっておきのストレス解消方も知っているし、じゃあ1週間これでがんばります」
「何かありましたらいつでも私のところに電話してください。では失礼します」
医者は出て行った。いつもどおりのダイエットメニューの表と食品、半分くらいはただお湯を入れて食べればいい乾燥食品で、後は外食した時に何を食べたらいいかが細かく書いてある。俺はそれを守って食べてきた。でもそれ以外のものも口にしている。ホットチョコレート、フィッシュアンドチップス、アイスクリーム、チョコレートバー、兄貴の目を盗んではこっそり食べに行っていた。特別空腹だったわけではない。ただなんとなく口が寂しくなるからだ。コリンに会えばいいのだが、映画の撮影が終わった後はどうも自分の姿が気になってしょうがない。役のためだと言えばどんなスタイルでも言い訳できるが、今はそうでもない。1度は電話を使って自分を慰めた。あれから1ヶ月は経っている。もうそろそろあいつも限界だろう。俺は部屋を暗くして蝋燭を灯した。その炎を見ているだけで背筋がゾクゾクし異様な興奮に包まれる。あいつのスケジュールを調べ、アメリカにいて時差が少ないということを確かめてから携帯に登録してあるボタンを押した。
「コリン、今仕事はないだろう」
「ジャレッドか。ちょうどよかった。お前にメールしておいたけど明日から3日ほどスケジュールがあく。相手役がすぐに来られないそうだ。なんでもダイエットの途中でまだ予定の体重になってないから1週間撮影を遅らせてくれって連絡が入ったのさ。まったく直前になっていい迷惑だよ。おかげで俺はお前に会えるという楽しみができたけどさ。お前は仕事ないんだろう」
「3日の休みか・・・俺はお前には当分会えないと思っていたから」
「いいだろう?ちょっと抜いておかないと俺撮影に集中できなくてさ」
「この前電話で相手してやっただろう」
「もう無理だ。限界だ。明日会おう。どこがいい?お前のいる近くまでいこうか?」
ハアハアという荒い息遣いが聞こえてきた。まったく俺の声を聞くだけでこうも欲情するのか。こんな状態なら今の俺達はとてもじゃないが映画の共演などできそうもない。
「ジャレッド、聞こえないのか!あんまり俺をじらさないでくれよ。どこで会う?俺はもう死にそうだ」
「どこで電話している?」
「撮影所近くのホテルさ。なんだったらこの前みたいにやっても大丈夫だ。だが明日会うならそれももったいないな」
「俺は自分の部屋にいる。真っ暗にして蝋燭の炎を見ながら・・・・」
「お前、一段とマゾの度合いが上がったようだな。いいさ、蝋燭でもなんでもお前の好きなもの使ってやる。やっぱりそれ用のホテルを使った方がいいか。プライバシーは完全に守れて用具がすべてそろっている・・・・ああ、お前は今どんな顔している?」
「あいにくだが、俺は当分お前には会わない!」
しばらくの間沈黙があった。その後コリンの噛み付くような声が携帯から響いた。
「お前に会わないって、ジャレッド、お前それはどういう意味だ」
「言葉どおりだ。会わないと言ったら会わない。それだけだ」
「新しい恋人ができたのか?それならはっきり言ってくれ。お前の口から別れを告げられるなら俺は諦める」
「そうじゃない。誰が他の男とあんなことやるか。ただ、今の俺はまだ体重が元に戻ってないから、お前に会うのが恐いんだ。変わり果てた俺を見てお前がどう思うか・・・・」
「変わり果てた俺って・・・今更何を言っている。お前は撮影前に散々俺に太った姿を見せつけたり目の前でもの食ったりしていたよな。俺はもうあれで一生分の愛を試されたと思っている。あんだけ太っていた時に会ってやったんだ。それよりも少しは痩せただろう?」
「ああ、少しは痩せたがそれでもお前よりはまだかなり重い」
「構わないさ。重ければ重いでそれなりの体位を工夫すればいい。お前が直接俺の腹の上に乗らなければそれでいい」
コリンはまったくわかってない。そういう問題ではないのだ。俺はそのダイエットに失敗して撮影を遅らせてくれと言った女優の気持ちがよくわかった。
「ジャレッド、もういいだろう。あんまりじらさないでくれよ。そうでなくても俺はもう我慢に我慢を重ねて・・・・」
「悪い、コリン・・・・俺だってお前に会いたいさ。会ってこの体をメチャクチャにされたい。だけど今の俺はどうしようもない。チャップマンと同じさ。本当は自分もそうしたいと望んでいるのに隣のゲイの声に苛立ち殺してやりたいと思う。本当はゲイなのにこんな体じゃ誰にも愛されないから自分を騙して結婚し、よき市民を演じている。刑務所に入る前に女とやっておこうなんて、本当は全然その気もなく小説の真似をしただけで本当は刑務所で他の囚人に犯されるのを待っているのさ。彼を愛した。同じ情熱で愛されたいのに、偽善者の彼は少しも気付いてくれない。だから殺したのさ。彼は誰に殺されたかも知らずに死んでいった。まして殺したヤツほど深く愛した男なんて1人もいなかったなんてことは気付かずに死んでいったさ。想いが届かなければどうする?相手を殺して自分も死ぬしかないだろう・・・」
「ジャレッド、お前どうしたんだよ?映画の撮影はもう終わったんだろう?早く元のお前に・・・・」
知らず知らずのうちに咽び泣いていた。涙が頬を伝い、胸が震えている。
「友達など誰もいない。彼だけが本当の友達。麦畑で待っている・・・」
「ジャレッド、しっかりしろ!・・・・今から俺がそこへ行こうか?」
落とした携帯からコリンの声が響いた。遠くからの声、俺の耳に響くのはチャップマンの声かもしれない。
「偽善者は死ね。どうせお前だった俺の醜い姿を見て影では笑っていたんだろう?」
「そりゃ、ちょっとは驚いたけど、でも俺はそんなふうに役に没頭するお前を尊敬はしても笑ったことなど一度もない。本当だ」
「なあ、コリン。本当の俺ってなんなんだ?ハリウッドの俳優でロックバンドのボーカル。本当は男とやることが何よりも好きなゲイなのに、適当に女の子に声かけて食事をしてはわざと写真を撮らせノーマルであるふりをしている。ノーマルでないからより美しくなければならないのに、わざわざこんな役を引き受けた。それとも俺は本当はゲイですらなくて、ただお前に犯されるのを喜んでいるだけなのかもしれない。役作りの感情でお前を愛していると勘違いして・・・俺はどんな役でもできるんだよ。そのうちにお前を殺して刑務所に入り、犯されて喜んでいるかもしれない。もっともこんな体じゃ誰も寄ってこないかもしれない・・・ハハハ・・・それも惨めだな」
コリンの声が遠くから聞こえるが、何を言っているかよくわからない。蝋燭の炎に俺の顔がうつっている。医者の指導を守っているように見せかけて、夜な夜な食い物をあさりにうろついている俺、いやチャップマンがここにいる。
「コリン、俺だめなんだよ・・・太るのは役のためという目標があった。だけど痩せようとしても何を目的にしたらいいかわからず、気がついたらずっと食べ続けている」
「チャップマンの役は終わった。次にお前が演じるのはジャレッドの役だ。奇抜な役と行動で人気スター、女の子との噂も数限りなくあるが、その内面は傷つきやすくしかもゲイだから扱いにくい。そんな難しい役お前しかできないぞ。共演者は大変だ。ダイエットに失敗したと言ってはすぐ撮影を延期にさせられる」
声は携帯からではなく、目の前からだった。
「コ、コリン。いつの間にここに・・・・」
「休みは3日しかない。この俺が1秒でも無駄にすると思っているのか?近くまで来て電話しようとしたところお前から先にかけてきた」
「もし俺が会わないと言ったら・・・」
「お前の空気を感じて近くのホテルで寝るだけさ。お前は俺のこと1年中勃起している男だと思っているかもしれないが、ただ見守りながら寝ることだってできる」
「俺はつくづく意思が弱いとわかったよ」
「見張りが必要なら1週間そばにいてやろう。1週間完璧に乗り越えれば後は大丈夫だ」
「休暇は3日だけだろう」
「いや、彼女は少なくとも1週間は遅れる。そういう性格だと監督もわかっているからスケジュールに余裕をもたせていた」
「俺もそういう性格なのかな」
「だから共演者が必要だ。お前ほど役にのめりこむ役者はいない。演技なのか素なのか俺にもわからない時がある」
「演技だよ。お前とは演技力の幅が違う」
「ところで蝋燭は何のために置いてある?」
「自分を見つめるためだ。こうやって精神統一をする。お前それ使ってもいいけど電気は消したままにしてくれよ。お前に堂々と見せられる体になってない」
「見なければやってもいいのか。ならばこれも消そう」
コリンは蝋燭の炎を吹き消した。部屋の中は真っ暗になった。相手の顔も何もまったく見えない暗闇だ。手が伸び顔をさぐっているのがわかる。
「やっぱりお前太ったな。手触りが違う」
「そうやって心を傷つけ、ダメージを与えるつもりか」
「お前は俺に傷つけられるのが好きなんだろう?」
「あ、ちょっと待て、まだ携帯で話中になっていた」
「早く消せよ」
「シャノンがうるさいんだよ。お金の管理は全部兄貴がやっているから、俺の携帯代は高いって」
「早く消せ、蝋燭つけるぞ」
「ちょっと待て。今日はまだその覚悟ができてない」
「ゴチャゴチャうるさいな。それなら毎日体重はかって蝋燭は減ってない時の罰として使えばいい」
「それじゃ張り合いがない」
「なら減った時の褒美にするのか?本当に変なヤツだ。ほら、お前の携帯消しておいたぞ」
「俺、本当に元の自分に戻れるかなあ」
「戻れるさ。お前はお前、どんな役をやっても本質的に少しも変わらない。チャップマンがゲイだなんて、お前よくそういう発想をするよ」
「いや、俺は絶対そうだと思う」
「全部自分に引き寄せて考えると役の幅が広がらないぞ。ここも使ってないから随分締まっているようだ」
「おい、久しぶりなんだからゆっくりやれよ」
「わかっている」
コリンは慣れた手つきで俺の体を撫で回した。やたらに空腹を感じる。こんなことなら医者からもらったカロリーコントロールの菓子でも食べておけばよかった。気持ちはいいのだが、腹が気になってしょうがない。コリンの手が乗った瞬間大きな音が出た。苦しそうな途切れ途切れの喘ぎ声が聞こえる。こいつは今笑いを堪えているに違いない。
−つづくー
後書き
自分もダイエットの経験があります。去年15キロ痩せて、今年になってから8キロリバウンド、鏡を見るたびにもう少し痩せなければと溜息ついてます。ダイエットは何か目的があればわりと強い意志でできるけど、その目的(役作りなど)がなくなってただ戻さなければならないという時が一番辛くストレスもたまるのではないかと思います。私の場合夏は全く書けなくてそのストレスで余計太ってしまったようにも思えます。何はともあれ、ようやく秋になって更新できるようになったので、自分のストレスの原因をさぐるためにもこの話を書きました。2008、9、12
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