風のジェラシー(1)

アレクサンドロスと僕は長い時間を共に過ごした。彼と出会う以前、僕が1日をどうやって過ごしたかなどほとんど記憶にない。それが5,6歳ぐらいの時からなのか、それとも10歳ぐらいの時なのかもよく覚えていない。だが僕はマケドニアの王子アレクサンドロスと幼い頃から一緒に育てられた。

フィリッポス王にはもう1人、アレクサンドロスとは母の違う王子がいたが、彼は頭が弱く、考えることは3歳の子供と同じだという噂で王宮から離れた屋敷で育てられた。僕は一度も見たことがない。アレクサンドロスだけがフィリッポス王の跡継ぎとして王宮で大切に育てられた。そんな王子と僕がなぜ王宮で一緒に生活するようになったのか、そのころの僕はそれについて深い考えは持っていなかった。今ならばその理由がよくわかる。僕の父アミュントルはマケドニアの遥か南の都市アテナイの出身だった。マケドニアに来てフィリッポス王に兵士として仕えていたが、いろいろな国の言葉を話し、また文字を書くことができたので、通訳としても重宝されていた。父がフィリッポス王に気に入られていたということはもちろんだが、僕の家系がフィロタスやカッサンドロスと違って大臣や将軍を多く出した家柄ではないことも大きく影響したと思う。マケドニアにただ1人の親族もなく父と母と家族3人で暮らしていた僕は、王子の遊び相手として選ばれるのにちょうどよい条件を満たしていたのだろう。

「ヘファイスティオン、これを着てみろ」
「なに、これは?アレクサンドロス・・・」
「アラブの酋長の衣装だよ。お前は背が高いからきっと似合うと思う」
「その前に君が着てみてよ」

アレクサンドロスがいつものキトンを脱ぎ捨てて、白い肌を出し、たちまちその白く長い衣装に身を包んだ。僕よりも背が低い彼はそんな長い衣装ではかなり裾を引きずってしまう。それでも僕はうっとりとして彼を見詰めていた。12歳、まだその感情がどういう種類のものなのか、はっきりわかる年齢ではなかった。わからないままに毎日彼と過ごし、話をし、勉強に励み、武術の稽古をする、そんな毎日がうれしくてたまらなかった。僕はアレクサンドロスをいつも目で追っていた。彼は魅力的だ。ししのたてがみのような髪も青い目も、高い鼻も何もかも・・・彼が王子だからこうやって僕はいつも見詰めているわけではない。彼が彼だから・・・・そのあたりの気持ちは説明するのが難しい。

「なんだよ、そんな真剣な顔して見て」
「どんな衣装を着ても君には王子としての威厳と輝きがある」
「お前もそうだよ、お前だって俺と同じような格好をすれば、マケドニアの王子と間違えられる、いや、俺よりも背も高いし、顔だって整っているからむしろ・・・」

今度はアレキサンダーの方が僕の顔をじっと見た。いつも一緒にいるのに、長い間話をしているのに、恥ずかしくなって目をそらせてしまう。そんな僕の唇に彼の唇が微かに触れた。僕の顔は真っ赤になり、心臓の鼓動は激しくなった。

「アレク・・・・」
「ごめん、ヘファイスティオン、俺はお前を困らせるつもりはない。ただ・・・・ただお前のことが好きで・・・・」
「僕も・・・・君のこと・・・・」

大好きだよ、と言おうとしたのにその先の言葉が出ずになぜか涙が溢れ出た。僕はだぶだぶの衣装を着たアレクサンドロスの体に手をまわした。知らず知らずのうちにその手には力が入っていた。





「ヘファイスティオン、早く支度をしろ。市が始まってしまうぞ。今日は遠くの国から馬もたくさんきているんだ。気に入った馬があったら、俺専用に買ってもらえる」
「そうか、うらやましいな」
「もちろんお前の馬もだよ。一緒に遠乗りに出かけよう」
「でも、僕の馬の乗り方はまだ・・・・」
「自分専用のがいればすぐに上達するさ」

僕は馬乗りが下手だった。王宮に暮らすようになってから、乗馬も日課としてほとんど毎日やるようになっていたが、アレクサンドロスのようにうまく乗りこなすことはできなかった。一度練習中に馬から落ちたこともある。大きな怪我はしなかったが、それ以来どうしても怖さの方が先にたって、思い切り走らせることができない。

「馬は人間の心がわかるんだよ。お前のように怖がってばかりいたら馬だってお前のことばかにする」
「わかっているよ、そんなこと」
「だからさ、人間をばかにしたりしない性格のいい馬を探して、それで訓練すればいいんだよ。お前はやさしいから、それがちゃんとわかる馬を見つければいいんだ」
「アレクサンドロス・・・・」
「お前はやさしいよ、誰よりも・・・・フィロタスとかプトレマイオスなんか俺が王子だからって調子いいことばかり言って、陰では俺の悪口を言っている。お前はそんなところが全くない」
「僕は子供の時から君と一緒にいて、そのころは君を王子だと意識してなかったから、随分失礼なことを言ったりしたりしたかもしれない」
「それでいいんだよ、俺のこと本当にわかってくれるのはお前だけだ。・・・・さあ、急ごう、いい馬を見つけなければ・・・・お前のために・・・・」




市場では多くの人が集まっていた。だが、ただにぎやかなだけではない。馬のいる一角が異常な興奮に包まれていた。フィリッポス王が大きな声で叫んでいるのが聞こえる。馬のけたたましいいななきと人々の悲鳴が聞こえる。

「こんな暴れ馬をどうして市に連れてきた!これでは死人が出るぞ!持ち主はさっさと始末しろ!さもなければつれて来たやつは全員死罪だ!」
「お待ちください。この馬はけっして普段からこんなに暴れるわけでは・・・人も馬も多いものですから興奮して・・・」

馬の持ち主らしい男が、フィリッポス王の前で必死に懇願している声が聞こえた。

「人や馬を見て興奮する馬など、戦場ではまったく使い物にならない!さっさと殺して肉にしてしまえ、けが人が出たらただではおかないからな!」
「父上、待ってください。その馬を僕にください」
「アレクサンドロス、お前、この馬に乗れると言うのか?」
「はい、この馬の力はすごいものがあります。神が選んでここにつかわした特別の馬・・・」
「なに、ばかげたことを言っている。お前もオリュンピアスの影響で・・・」
「乗せてください。僕ならきっとこの馬を乗りこなすことができます」
「いいだろう、ただし乗る前に母に頼んでおくんだな。馬から落ちて首の骨を折って死んだら、まじないをかけて生き返らせてください、とでもな・・・・」
「お止めください、アレクサンドロス王子、こんな馬に乗ろうなどという考えは気が狂っています。あなたはフィリッポス王の大事なお世継ぎです」
「クレイトス、止めなくていい。自分でものごとを知るよい機会だ」
「フィリッポス王、お止めください。もしものことがあれば、ただ一人のお世継ぎです」
「もしものことがあれば、これの母がまじないをかけて生き返らせるわ、それがだめでも世継ぎなどこの先いくらでも・・・そうだクレイトス、お前の一族で妃にふさわしい女はいないか。戦場でも王宮でもお前の働きは格別のものがある。お前のおかげで女や近習を相手にするのとは比べ物にならない喜びがあることを知った。その苦労に報いるためにもお前の一族をとりたて・・・・」
「ご冗談はお止めください。私は今のままの立場でもう充分なほど幸せです。これ以上の出世を考えるなどもってのほかです」

フィリッポス王と側近のクレイトスが話している間に、アレクサンドロスは一人暴れている馬の方に近づいていった。やめて、アレクサンドロス・・・・馬に蹴り殺される!僕は目をあけていることができず、両手で耳も固くふさいだ。大きな悲鳴が聞こえ、僕は固く目を閉じ、耳に当てる手に力をいれた。



                                                      −つづくー





後書き
 15000hitでみぃさ様よりいただいたリクエスト「アレクサンドロスと愛馬ブーケファラスの深い絆とそれにちょっぴり嫉妬するヘファイスティオン」というお題で書き始めました。リクエストがあると、いままでとは全く違う雰囲気で話が書けるのでうれしいです。(でも結局ヘファの性格などは似てしまいますが・・・・)
2006、7、19


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