風のジェラシー(10)
戦いが終わって僕達はペラへと戻った。フィリッポス王は、今度はアテネを中心とした南方のポリスとの戦いの準備を始めた。アレクサンドロスは摂政に任命され、毎日のように会議に参加していた。同じ王宮で暮らしながら僕と話をする時間はほとんどないようだった。いや、そうではない。彼は僕を避けている、僕と目をあわせても軽く挨拶をするだけになっている。ミエザにいた時のように長い時間を討論に費やしたり、一日中本を読んでいる、などということもなくなった。僕はただプトレマイオスやフィロタスなどミエザにいた時の仲間と一緒に、与えられた軍事訓練を少し行うだけで、むなしい日々を過ごしていた。
「フィロタス、お前は次の戦いももちろん参加するんだろう」
「ああ、俺はパルメニオンの長男だからね。行かないわけにはいかない。プトレマイオス、君は?」
「もちろん行くさ、俺なんかお前と違って一兵士の子だ。戦いで手柄を立てない限り、出世は望めない」
「でも、君のことはフィリッポス王、ずいぶん大切にしているみたいだよ。やっぱりあの噂は本当なのかな、君がフィリッポス王の・・・」
「変なこと言うのはやめてくれ。それに俺はもしその噂が本当だとしても、それを今更どうこう言い出して王位継承争いに参加しようとは思わない。知っているだろう、アレクサンドロスの兄の・・・」
「恐ろしいよな。子供の時、毒を飲まされたって言うんだろう。ライバルは全て消す、俺達だってアレクサンドロスとあんまり親しくしない方がいいかもな・・・」
「でもそのアレクサンドロスだって、けっこう狙われているらしいじゃんか。この前の戦い、真っ先に敵に突っ込んで行ったよな。もしエウリディケに王子が生まれれば、危ないだろうな」
「そんなにフィリッポス王はエウリディケにぞっこんなのか?でもさあ、アレクサンドロスは摂政に任命されただろう。やっぱり跡継ぎは・・・」
「いや、そう見せかけて油断させて・・・・おい、ヘファイスティオンだ」
僕が近づくと、プトレマイオスとフィロタスの二人は慌てて話をやめた。
「ヘファイスティオン、今の話聞いていたのか?」
「少しだけ・・・」
「絶対アレクサンドロスには話すなよ」
「わかっているよ」
「お前がカッサンドロスとつきあっているという噂は本当か?」
「そんなことはない」
ペラに戻ってから、カッサンドロスと二人きりで話したことは一度もなかった。彼もまた僕を避けているようだった。
「でも最近はアレクサンドロスと全然一緒にいないじゃないか。前はいつもくっついていたのに・・・」
「アレクサンドロスは摂政に任命されて忙しい。僕達とは違うんだ」
「そうか、でもよく馬の遠乗りには行っているようだぜ」
「寂しいんだろうな・・・馬小屋でよく馬に話しかけている・・・」
「ブーケファラスに・・・それは本当か?」
「もちろんブーケファラスにだろう。他の馬には乗らないと思うから・・・・」
「そうか、ありがとう」
「おい、ヘファイスティオン、どこへ行く気だ?まだ教練は残っているぞ」
「僕は気分が悪くなったとでも言っておいて、じゃあ・・・」
すぐに馬小屋へ向かった。思ったとおりブーケファラスもいなかった。今日もまた会議があるはずなのにアレクサンドロスはどこへ行ったのだろうか?慌てて馬に乗り、あちらこちらを捜した。
海岸でアレクサンドロスの姿を見つけた。馬に海の水をかけていた。
「ほら、ブーケファラス、怒らないのか?お前に水をかけているんだぞ。お前は他の人間は寄せ付けないのに、僕だけは何をしても怒らないんだな。誰も信用できない・・・お前だけだ・・・」
「アレクサンドロス・・・・どうしてここに?」
「ヘファイスティオン・・・お前こそどうして?」
「君を捜しに来た。今日は会議が・・・・」
「ご丁寧に、誰かに頼まれて俺を捜しにきたってわけか。悪いけど今日は会議になど出ない。俺は見つからなかったとでも報告しろ」
「僕は別に誰かに頼まれて君を捜しにきたわけじゃない。ただ君と少し話が・・・」
「俺は話などない。人と話すのはもううんざりだ。結局みんな口ではうまいこと言っても、自分の身の安全と出世ばかりを考えている。俺は摂政と言っても形ばかりだ。いつどこにいても自分がどうやって殺されるのか身構えてしまう。戦場では敵の姿がはっきり見えるが、王宮では、食べ物に毒が入ってないか、歩いている時に矢が飛んでこないか、つい考えてしまう」
「そんな、君を暗殺するなんて、そんなこと・・・・」
「あるんだよ。王の命令となれば、権力を手に入れるためならば、人はどんなことだってやる。母上が何をやったか、お前も知っているだろう。そんな恐ろしい異国から来た王妃の血を引く俺よりも、純粋なマケドニア人のエウリディケから生まれる子の方が王にふさわしいと誰もが思っている」
「僕はそんなことは思わない。君を愛しているから・・・」
「お前はカッサンドロスに抱かれたのだろう!あいつはよかったか?俺なんかよりずっとやさしくお前を扱ったんだろう。俺はだめだよ。自分の夢ばかり見て、自分のことばかり考えてお前の苦痛など少しも構わなかった。今になって、一人になったらはっきりわかった。あの時お前がどれだけの苦痛に耐えていたか。どうしてもっと違うようにお前を愛せなかったのか」
「アレクサンドロス・・・・」
「頼む・・・もう行ってくれ・・・俺はいつ死ぬか、いつ殺されるかわからない。その時が来た時、王の子らしく、英雄らしく潔く死にたい。それなのにお前がいたら・・・」
「そんな死に方をしてはいけない!」
僕はアレクサンドロスの体を強く抱きしめた。
「死んではいけない!僕は君のために何もできない。でも僕は君が英雄らしく潔く死ぬ姿なんか見たくない!」
「ヘファイスティオン・・・・」
「君の死を望む者はこの国に大勢いるかもしれない。でもそれ以上に君が生きることを望んでいる者の方が多いんだよ。君の母上が何をしても、そんなこと君とは少しも関係ない。僕もまた過ちを犯し、カッサンドロスに抱かれた。でも僕はそのことで僕自身が変わってしまったとは思わない。君も同じだよ。君を取り巻く人間が何を思い、何をしようと、君自身は少しも変わらない。僕は君と一緒に走ることはできない。でも君に抱かれた時に、確かに見えたものがあった。どんなことがあってもそれは変わらない」
「俺はアキレウスとヘラクレスの血を受け継いで生まれた。怖いんだよ・・・自分に与えられた使命と狂気が・・・いつか俺もヘラクレスのように気が狂い、愛する者を殺してしまうのではないかと・・・・」
「君にヘラクレスと同じ運命が与えられ、愛する者を殺さなければならないのなら、真っ先に僕を殺せばいい。僕はそのために喜んで生贄になるよ」
「ヘファイスティオン・・・・わからないのか?お前は俺と一緒にいれば不幸になるだけだ。俺は呪われている」
「その呪いを解くためにも、僕は君のそばにいる。君が狂気に陥り、僕を殺した時呪いが解けるなら、君はもう自由になれる。独りぼっちで苦しまなくていいんだよ。だから僕がそばにいなくても・・・・」
「ヘファイスティオン・・・・」
「君が一人でいる限り、僕は君のそばにいる・・・どんなことがあっても・・・」
「ヘファイスティオン・・・・お前わかっているのか?王位を継ぐ者のそばにいることがどれほど危険で大変かということが・・・お前のようなやつは戦いに出れば真っ先に敵に殺されるぞ。暗殺の危険もあるし・・・お前が側にいたら俺は心配で気が休まる時がない。自分一人の心配だけしていた方がよっぽど気楽だ。お前が側にいたら気になってまともに戦えないかもしれない。どんなに美しい敵の捕虜がいてもお前に遠慮して何もしないかもしれない・・・お前が側にいたら・・・」
「わかっているよ、アレクサンドロス。僕は自分がいかに弱くて役に立たない人間であるか、よくわかっている」
「わかっているなら、少しは役に立つようもっと努力をしろ!お前を失ったら俺は生きていけないんだから・・・」
彼は僕の体を大きな岩の上に力強く押さえつけた。
「ちょっと待って、ここじゃ岩が背中に当たって・・・・」
「お前はたった今、俺の狂気の生贄になると言ったはずだ。その言葉に嘘はないだろう」
「僕の言葉に嘘はない・・・でも・・・・ああーやめて・・・背中が岩に・・・痛い・・・ああー・・・・ひいいいー!・・・」
海に突き出た岩の上で、僕は生贄にされた生き物のように泣き叫んでいた。狂気を抱えた彼の衝動は激しく、僕がじっとしたまま受け止めるにはあまりにも大きなものであった。乱暴に衣服は脱がされ、むき出しの肌のあちらこちらから血が滲むのを感じた。獰猛な獣と化した彼は荒々しく僕の体を突き破りながら侵入してきた。泣き叫びながらも僕は微笑み、彼の体をやさしく抱きしめた。背中は激しく擦られ、熱い血が波のように押し寄せてきた。中心を貫かれた体は、岩の上を動けないままのた打ち回った。激しい苦痛に身を曝しながらも、僕は幸せだった。あれほどの苦痛と快楽を同時に感じたのは、生涯でただ一度だけかもしれない。
「まったくお前はおかしなやつだよ。これだけ血だらけになりながら、それでもうれしそうに笑っていた」
いつの間にか意識を失っていたらしい。柔らかな草の上に僕は横たえられ、彼に介抱されていた。
「やったのは君だろう。僕は大変だった」
「お前は本当に俺の生贄になる気か?」
「そのつもりだったけど、もうあんな痛い思いをするのは・・・」
「悪かった。お前にはいつもひどいことばかりしている。それでもお前は俺のそばに・・・」
「必ずいるよ」
「愛している、ヘファイスティオン。もう離れないでくれ・・・」
「ああー・・・痛い・・・そんなに強く抱きしめないで・・・」
「我慢しろ、戦場ではもっとひどい傷の人間をたくさん見てきた」
「君はひどい人間だ」
「きらいになったか?」
「そんなことはない。愛している・・・・」
僕達は固く抱き合った。彼の手は僕の岩で傷ついた体のことなど構わずに強く抱き、肩を叩いたりする。僕は声を上げないようにじっと我慢した。わかっている、これが彼本来の姿なのだということを・・・もとの彼に戻ってくれたことがただ無性にうれしかった。
−つづくー
後書き
愛する者のために生贄になる、というタイプの話が好きなのですが、ヘファの場合はかなり大変そうです。アレクサンドロス、外側にも自分の心の中にも敵はたくさんいそうです。
2006、11、29
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