風のジェラシー(12)

エペイロスでの生活は、穏やかに過ぎた。若いアレクサンドロス王に守られ、まるでミエザにいた時のように僕達は仲間と乗馬を楽しみ、ホメロスなどの書物をじっくり読む時間が与えられた。だが、僕の知らないところで、アレクサンドロスやオリュンピアス王妃、そしてエペイロス王の間で様々な密約が行われていたに違いない。半年ほど過ぎ、プトレマイオス達はまだ追放されたままでいたが、アレクサンドロスと僕、そしてオリュンピアス王妃は特別にマケドニアへの帰国を許された。アレクサンドロスの妹クレオパトラとエペイロス王の結婚の話が知らない間にまとまっていた。アレクサンドロスは僕にさえも直前まで詳しい話は一切してくれなかった。もしこの婚姻話が失敗に終われば、二度とマケドニアに戻ることはできなくなるかもしれないと怖れたためであろう。

結婚式の当日、僕はフィロタスやカッサンドロスと共に会場の席に座った。アレクサンドロスは式典に参加するため、同じ場所にはいられない。

「ヘファイスティオン、戻って来たのはお前とアレクサンドロスだけか?プトレマイオス達は?」
「エペイロスにいる。帰国を許されたのは僕達だけだ。そしてこの婚姻の儀式が終わればまた・・・」
「フィリッポス王は、いまやもうアッタロスの言いなりだ。この儀式が終わったらすぐ、アッタロスを隊長にして、ペルシャへの先発隊が出発することに決まった」
「え、パルメニオン将軍は?」
「僕の父は格下げされた。補給部隊の方に回された」
「そんなことってあるのか!だってパルメニオン将軍は前からずっと・・・」
「フィロタスの家だけじゃない。俺の家も危ない。アッタロスが戻ってきたら、おそらく摂政の座も奪われてしまう」
「もしかして、エウリディケに跡継ぎが・・・」
「いや、この前生まれたのは幸い女の子だった。だが、もし跡継ぎが生まれれば、今度こそアレクサンドロスの立場が危なくなる。次にマケドニアに戻って来たときは、ペルシャ遠征の本隊を指揮するよう命じられるのではないか」
「アッタロスの役目は?」
「それはただ形だけのものだろう。おい、もうパレードが始まるぞ。誰かが俺達の会話を盗み聞きしているかもしれないし、用心した方がいい。また後で俺の部屋に来い。今までこっちで起きたことを説明してやる」
「わかった。じゃあ、また後で・・・」
「ヘファイスティオン、お前ももう二十歳を越えているんだろう?相変わらずきれいだ。髭もきれいに剃って・・・」

カッサンドロスの手が僕の頬に触れた。僕はその手の上に自分の手を重ねた。

「それはだめだ、カッサンドロス。僕の心は・・・・」
「わかっている、何もしないさ・・・おい、クレオパトラが出てきたぞ。アレクサンドロス王と一緒に・・・なんてきれいなんだ・・・」
「プトレマイオスはとうとう結婚式にも戻ってこれなかったね」

フィロタスが悲しそうな声で言った。

「ずっと彼女のこと好きだったんだ。今まではアレクサンドロスの妹だから、気軽に話すこともできたけど、今度はエペイロスの王妃、すぐ近くに住んでいながら決して気持ちを伝えることはできない」
「おいおい、あんまり感傷的になるなよ。プトレマイオスには他にも女がいるだろう。おい、見ろよ、フィリッポス王が登場したぞ」
「隣にいるのは誰?オリンピュアス王妃?」
「違う、エウリディケの方だ。オリンピュアス王妃の姿は見えない。すぐ後ろに歩いているのはアッタロスだ」
「そんなことって!アレクサンドロスはどこにいるの?彼の妹の結婚式だ!」
「俺に怒るなよ!しょうがないだろう、見たままを話しているんだから。アレクサンドロスの姿は見えない」

観客の目の前にフィリッポス王が現れ、より大きな歓声が上がった。今日の結婚式にはマケドニア国内の招待客だけでなく、様々な国の大使なども招待されている。アッタロスがフィリッポス王の隣で演説を始めた。

「今日はマケドニアの偉大なる王、フィリッポス王のクレオパトラ王女とエペイロスのアレクサンドロス王の婚姻の儀式が行われることになった。まことにめでたい日だ。そして両国の発展と繁栄を願い、さらなるマケドニアの繁栄のためにも、フィリッポス王をオリュンポス12神に続く、13番めの神として・・・・」

大きな歓声が上がって、アッタロスの言葉ははっきりと聞き取れない。

「おい、アッタロスは今なんと言った?神がどうした!」
「あれを見て!」

オリュンポスの12神をかたどった大きな彫像が次々と運ばれてきた。一番後ろの彫像はフィリッポス王にそっくりである。

「フィリッポス王は第13番目の神として・・・」

アッタロスの怒鳴り声が聞こえたが歓声に消された。そして着替えのためだろうか、フィリッポス王は一度建物の中に入って姿が見えなくなった。

「なんだよ、これじゃあまるで結婚式というよりも、フィリッポス王のために儀式みたいじゃないか」
「フィリッポス王の力を、いや、マケドニアの力を他の国へ知らしめるためだよ。これだけの式典を見てしまえば、ペルシャの使いさえ驚くかもしれない」
「ペルシャの使者も来ているのか?危険じゃないか」
「大丈夫だろう。建物の周りには近衛兵がびっしり並んで護衛をしている」
「あ、そうだ、つい最近その近衛兵の隊長がパウサニアスになったんだ。知っているか、パウサニアスはフィリッポス王の小姓をしていて、けっこうお気に入りだった。だけど新入りが来て、パウサニアスは一番のお気に入りじゃなくなった。それでパウサニアスがその新入りに悪口を言ったところ、彼は戦いの時わざわざ王の目の前に飛び出して矢が当たり、死んでしまった。ところがその新入りと、アッタロスは実は親戚同士だった」
「え、それじゃあアッタロスはエウリディケだけでなく、いろいろと・・・」
「そういうことだ、いろいろ王宮に送り込んでは・・・ところがせっかく王のお気に入りになれたのに死んでしまったからアッタロスはパウサニアスに復讐を企てた」
「もういいよ、アッタロスの話は・・・もうすぐフィリッポス王やアレクサンドロス達が出てくるよ」
「まて、ここからが面白い話なんだ。アッタロスはパウサニアスを呼び出して騙し、たっぷり酒を飲ませた。そしてパウサニアスがフラフラになったところで、隠していた大勢の男を呼んできた。ラバ使いをしている、身分は低いが力自慢の男ばかりをね。そしてパウサニアスを指差してこういうのさ。あそこにいるフラフラの男は、フィリッポス王のお気に入りだった。王になった気分で、たっぷり楽しむがいいとね・・・・」

カッサンドロスが急に話を止めた。何かがおかしい、みんなあたりを見渡している。一人の近衛兵が広場に走って来た。

「フィリッポス王が刺された!だれかあの男を捕まえろ!パウサニアスだ・・・」
「パウサニアスが王を・・・・すぐに捕えろ!」

何本かの矢が走っているパウサニアスの背に当たり、彼はバタリと倒れた。

「おい、殺すんじゃないぞ!必ず指図をした者が・・・生きたまま捕えて・・・・」
「だめです、もう死んでいます」
「フィリッポス王はどうした・・・・王の命は・・・・」

あたりは大混乱になった。






それはとてつもなく長い時間にも、ほんのわずかな時間にも感じられた。気がつくと僕はアレクサンドロスの隣にいた。彼の目の前には血だらけになって倒れているフィリッポス王がいて、彼の服も血だらけになっていた。

「フィリッポス王は・・・・」
「だめです、もう息をしていらっしゃいません」

その言葉を聞いたとき、僕はとっさに王の頭にあった金の月桂樹の冠を手に取った。そしてアレクサンドロスの手を引き、建物の外に出た。混乱はまだ続いている。僕は大きく息を吸った。

「フィリッポス王は亡くなられた。新しい王はアレクサンドロスだ。神よ、アレクサンドロス王を見守りたまえ」
「ヘファイスティオン・・・俺は・・・父上が死んで・・・俺はどうしたら・・・」
「君はもうマケドニアの王になった。王としてふさわしい態度をたった今から取り、この混乱を鎮めなければならない」

フィロタスとカッサンドロスも近くに駆け寄ってきた。僕はアレクサンドロスの頭に冠を乗せ、手を高く掲げた。

「マケドニアの新しい王、アレクサンドロスだ。アレクサンドロス王に神々の祝福があれ!」

大きな歓声がわき上がった。その時の僕はいつもとは違っていた。何者かが体に入り、声を出し、そしてふさわしい行動をとらせてくれていた。詳しいことは何も覚えていない。ただアレクサンドロスから後で聞いた話によると、僕はその場で実に冷静に王の側近としてやるべきことをすべて行い、その後で倒れて意識を失ったそうである。



                                          ーつづくー



後書き
 王暗殺の場面、パウサニアスの真の動機はなんだったのかいろいろ考えていますが、今回は一番オーソドックスなパターンで書いてみました。暗殺事件のすぐ後は、アレクサンドロスよりもむしろ周りの友人達の方が冷静でいられたと思います。
2007、1、17



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