風のジェラシー(14)

テーバイで、アレクサンドロスは徹底的な破壊と虐殺を繰り返した。今までの彼なら降伏した敵をそれ以上追い詰めたり、捕虜を殺すということはまずなかった。だが今回、テーバイの裏切りが二度目のためか、それとも他のポリスへの見せしめのためか、破壊は徹底的だった。街中に火がつけられ、石畳の道は死体があふれた。アレクサンドロス自らが先頭に立ち、許しをこい、助けを求める敵兵を次々と殺した。神の前で誓いをたて、決して負けることがないと言われていたテーバイの神聖隊も、追われて逃げ惑う時には誇りもプライドも失っていた。

「陛下、テーバイ人が降伏を求めています」
「市民を捕えました。どうしましょう」
「動けなくなった者が大勢建物の中にいます」
「殺せ!テーバイ人の男は一人残らず殺せ。捕えた者は磔にしてさらせ。街に火をかけろ。中に誰がいようとかまわぬ。全てを焼き尽くし、殺しつくし、マケドニアに逆らうことがどういうことか、ギリシャ全土に知らしめるのだ。全て殺せ!」

彼の目には狂気が宿っていた。エウリディケを死なせた時のオリンピュアス王妃と同じ狂気があった。殺すことを楽しんでいるようにすら見えた。

「アレクサンドロス、アレクサンドロス、もういいだろう。テーバイは壊滅し、二度と立ち上がることはない。これ以上殺さなくても・・・」
「何を言うヘファイスティオン・・・殺さなければ殺される・・・裏切りには死を・・・・そうしなければ殺される。俺もお前も神となり、裏切り者を徹底的に殺すのだ・・・ここにいては何もつかめない・・・遠くまで走り・・・遠い世界へ走り去り・・・再び神となってこの地に戻ってくる。神の怒りが、今このテーバイに注ぎ込まれる・・・」

街に火がつき、石造りの建物は破壊され、捕えられた市民はみな奴隷にされた。戦って傷つき捕虜になった者はみな城壁の外のよく見える場所に磔にしてさらされた。おびただしい数の磔柱だけを残してマケドニア軍はテーバイの街を後にした。自分自身どれだけ多くの敵を殺し、どれだけ多くの捕虜の処刑を見てきたかわからない。多くの者を殺せば殺すほど、その驚きは薄らいでいくのかもしれない。





マケドニア軍はペルシャへと渡り、イッソス、ガウガメラと二つの戦いで、ペルシャ軍と直接対決をした。その頃には僕もまた一人前の将軍になっていた。敵と戦い、人を殺し、そしてまた先へ進む。いつしかそれが当たり前の生活になっていた。戦いを繰り返しながら軍隊は進んでいく。私はただ遅れないようについていくしかない。何ものかに突き動かされたかのように大軍は移動を続けた。戦いは敵との間だけではない。裏切り者が出れば仲間さえ処刑し、また何事もなかったかのように進んでいく。もはや誰も止めることはできない。アレクサンドロス自身、止めることはもう不可能だったに違いない。そして私達は今まで誰も訪れたことのないインドへと足を踏み入れた。





「アレクサンドロス、ここでの戦いは像が使われている。馬での戦いは不利だ」
「そんなことはない。マケドニアの馬は、ブーケファラスは像を見てひるんだりはしない」
「像と馬では大きさが違いすぎる。今までの戦いとはわけが違う。勝ち目はない」
「勝ち目はない。そうだよ、ヘファイスティオン。俺には今まで勝ち目のある戦いなど一度もなかった。わずかな人数で数倍の人数で押し寄せてくる異民族と戦い、カイロネイアの戦いでは戦死することを期待された。父にはむかって国を追い出され、母が父を殺した真犯人ではないかと疑い、俺までもが復讐の女神に追われた。テーバイでの戦い、イッソス、ガウガメラ・・・始めから勝利を約束された戦いがどこにあった?勝利などどこにも見えなかった。ただ俺は走り続けた。あるかどうかもわからない勝利に向かってブーケファラスと一緒に走り続けてきただけだ。これからもそれは変わらない。行こう、ブーケファラス。お前と俺の最後の戦いが始まる。あの日、お前は俺に向けて激しい怒りを見せてくれた。自分の力を理解しようともしない人間に対する激しい怒り。もう一度見せておくれ。俺とお前、二人で一つだよ、ブーケファラス・・・・」

アレクサンドロスの言葉は私に向かってはいなかった。





像の軍隊との戦いは今までにない血みどろの争いになってしまった。馬は狂ったように暴れて人を振り落とし、踏み殺してしまった。像から落ちて踏み殺される者、その像を倒そうと足に群がる者、人と人ではなく人と獣の争いになってしまった。アレクサンドロスの馬だけが最後まで正気を保っていた。だがそのブーケファラスの体にも矢がたくさん突き刺さっている。

「アレクサンドロス、もう無理だ!馬に矢が刺さっている。引き返せ!」
「そんなことはない、俺にはわかる。ブーケファラスは怖れていない。ただ一頭、像も怖れずに進んでいく勇敢な馬があった。怖れるなブーケファラス、お前の力を見せてやれ」
「だめだ、こんな体で走れるわけがない。アレクサンドロス!」

私のどなり声を彼は振り切って走っていった。馬の体にはさらに多くの矢が突き刺さった。

「アレクサンドロス!」

叫ぶと同時にブーケファラスは前足を高く上げ、大きくいなないてバタリと倒れた。

「アレクサンドロス、アレクサンドロス!大変だ!王が倒れた。誰か盾をもってこい。早く!早く王をこの場から運んでくれ!」
「ヘファイスティオン、何をそんなに騒いでいる。彼も俺も少しも狂ってなどいない。ただ理不尽な扱いに怒りを感じ、それで走り続けようとしただけだ。少し手を貸してくれ・・・お前がほんの少し助けてくれれば、俺はまたブーケファラスに乗ってどこまでも走っていける」

彼は手を伸ばした。私がその手を握り締めると、彼は目を閉じた。

「早くしろ!王がここに倒れている!盾をもってこい!」

私は叫び続けた。





アレクサンドロスの体は大急ぎで安全な場所まで運ばれた。戦いは双方に多大な犠牲を出し、どちらが勝ったかはっきりわからないままに終わってしまった。和平交渉も何もない。ただ怪我人を遠くに運ぶので精一杯だった。

「ヘファイスティオン、そこにいたのか。俺は今どこにいる?戦いはどうなった」
「勝ったとも負けたとも言えないよ。その場から逃げ出した。敵も犠牲が大きすぎて追う気力はなかったらしい」
「ブーケファラスはどこにいる?」
「彼は死んだ。体中に矢が突き刺さっていた。あの状態でよくあそこまで走れたとみんな驚いていた」
「矢が、矢が刺さっていたのか。それを知らずに俺は無理やり走らせた」
「彼は知られたくなかったんだよ。最後まで走れることを君に示したかった。でも途中で力尽き・・・」
「どうして力尽きるまで・・・・なぜ、俺はそんなことも気がつかずに・・・・」
「君も彼も力尽きるまで走り続けるしかなかったんだよ。途中で止まることができない。でも彼はもう死んだ。君も大きな傷を負った」
「ブーケファラスは死んだのか・・・俺はもうこの先へは進めない・・・・」
「バビロンへ戻ろう。あそこは大きな都だった。そこで君の傷を癒し、軍隊を立て直してからもう一度この先に進もう」
「そうだな、お前のいう通りだ」

彼は力なく頷いた。

「バビロンに戻って軍隊を立て直し、またここで戦う。必ずブーケファラスの敵を討つ」
「そうだ。君ならばきっとそれができる」

バビロンにもどるというアレクサンドロスの言葉を伝えると、兵士達の間から歓声がわきあがった。皆が一斉に寝ているアレクサンドロスに近寄ると彼は体を起こして一人一人に微笑みかけた。なんて穏やかでやさしい顔をして彼は今微笑んでいるのだろう。周りの兵士達の喜びの声もいっそう高くなった。だが、私は気付いていた。彼はもう二度とこの地には来ないだろうということを・・・彼と共に生き、彼を走らせることができるのはブーケファラスしかいない。どれほど近くにいても、何もすることができない私の心の奥底に、また小さな嫉妬の気持ちが芽生えた。


                                      −おわりー



後書き
 みぃさ様からのリクエスト、「アレクサンドロスとブーケファラスの深い絆とそれにちょっぴり嫉妬するヘファイスティオン」せっかく素敵なリクエストをいただきながら、どうも話がいろいろな方向に脱線して中途半端になってしまってすみませんでした。でも脱線する中で、また新しいテーマが見えてきたりしたので、リクエストをいただいて本当にうれしかったです。ブーケファラスは単に馬という乗り物としてだけでなく、走るということでアレクサンドロスと共感し、馬を失った時には彼自身走ろうとする意欲さえ失ってしまったと思います。



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