風のジェラシー(3)

13歳になった僕達は王宮を離れ、フィリッポス王が新しく作られたミエザという学問所で一緒に学び、生活を共にするようになった。そこにはアレクサンドロスと僕以外に、プトレマイオス、フィロタス、カッサンドロス、ハルパロス、ネアルコスなどが集まった。みんな将軍や大臣などの子ばかりで、僕達より年上であった。王子や大臣の子といってもミエザでの生活は王宮のそれとは部屋の作りも、出される食事も比べ物にならないほど質素なものであった。

「なんだ、このディナーは・・・・豆のスープと固くなったパンと腐ったようなチーズだけかよ」
「そうだね、カッサンドロス。僕の家では奴隷の方がもっといろいろなもの食べていたような気がする」
「これっぽっちで満足できるわけないだろう。全く王様は自分ばっかり贅沢して・・・」
「おい、カッサンドロス、フィロタス、王子のアレクサンドロスが何も文句を言わずに黙っているんだぞ。少しは口を慎め」

一番年上のプトレマイオスが慌てて二人を注意した。ワイワイ騒いで食べているみんなと違って、アレクサンドロスは一人だけ何も言わずに黙々と食べ続けている。

「アレクサンドロスは特別だろう。世界一厳しいスパルタ家庭教師の下で厳しく管理されていたんだろう」
「あれは特別だよ・・・明日も教練あるよな、ああ、いやだ、ちょっと手を抜いただけで鞭で打たれたからな。俺、あんなこと初めてだよ」
「カッサンドロスの場合、ちょっと手を抜くってもんじゃないだろう。もう疲れた、これ以上動きたくないって顔に書いてあるもの」
「あたりまえだ。俺は大臣の子だぞ。軍事訓練よりももうちょっと政治に役立つことをやって欲しい」
「大臣だからこそ、戦いで手柄を立てないと蹴落とされるぞ。家柄がよくなければ力で勝つしかないからな」
「ヘファイスティオンのようにか・・・アレクサンドロスはいっつも一緒にいるんだろう」
「おい、見回りが来るぞ。早く食べないと片付けられてしまう」
「ちぇっ・・・俺達は兵士じゃないんだけどな・・・」
「辛抱辛抱、ここで修行を積めば出世は間違いないさ。王子とも親しくなれるし・・・」

アレクサンドロスが5,6歳のころから家庭教師をしていたレオニダスが食堂に見回りにくると、全員シーンとなった。彼が合図をするとまだ食べかけの食事もすべて片付けられてしまった。無事全部食べ終えていたのは僕とアレクサンドロスだけであった。僕達はこの先生のやりかたにも慣れているから特別驚いたりはしない。食事の後の感謝の言葉を神に捧げると、レオニダスはまた僕達を残して行ってしまった。

「何が神への感謝だ!俺は少ししか食べてないぞ」
「カッサンドロスは文句の言い過ぎだよ」
「僕の部屋にきのう届いたお菓子と果物があるから・・・・」
「本当か、フィロタス、いつも悪いな、お前がミエザにきてくれて本当によかった。そうでなければ飢え死にするところだ。あの二人はどうする?」
「彼らは誘っても来ないよ」
「そうだな、下手に見つかって取り上げられても困るしな。俺のところにはワインが届いている」
「おい、そんなもの飲んでいいのか」
「父親の方針さ。酒に強く、口もうまくなければ大臣は務まらないから・・・」
「王が誰になっても、お前が大臣というのは確実だよ、カッサンドロス」

彼らが騒いでいる中、僕達二人は黙って後片付けをしていた。アレクサンドロスは決して無口というわけではない。でも仲間同士で無駄にいつまでもしゃべっている性格ではなかった。





「まったくあいつらは部屋が狭いとか、食事がまずいとか、訓練が厳しいとか文句ばかり言いやがって・・・」

僕とアレクサンドロスはここミエザでは同じ部屋で寝泊りしている。他のみんなもそれぞれ2,3人ずつの部屋を割り当てられている。二人きりになると彼はほっとしたように次々と話し出す。アレクサンドロスはずっと前からの家庭教師であったレオニダスを怖れているし、王の子であるという立場を考えて、特定の誰かと仲良くするということは決してなかった。唯一の例外が僕なのだが、それは僕の父が大臣や将軍と言った高い身分ではないからだろう。

「人はなんのために生きる、ヘファイスティオン。ただおいしい物を食べ、豪華な屋敷に住み、欲望が満たされればそれでいいのか」
「そんなことはないと思うよ」
「ヘラクレスは孤独な戦いが続く困難な旅を続けた」
「それは自分の子を殺した償いのために・・・・」
「確かにそうだ。だがそれだけか・・・ヘラクレスは戦い続け、困難な旅を続けることで彼自身となった。平凡な生活を送ってはけっして英雄にはなれない。アキレウスもそうだ。トロイでの戦いがあり・・・」

アレクサンドロスはアキレウスの話を夢中になって続けた。僕達はどれくらい長く繰り返してアキレウスについて語っただろうか。遠い昔の英雄の物語・・・それは何よりも価値のある話に思えた。今頃フィロタスやカッサンドロス達はワインとお菓子でおなかを満たして、レオニダスの悪口でも話しているのだろう。僕達には甘いお菓子もうっとりと酔わせるワインも必要ない。このミエザに来て僕達は王宮にいた時よりももっとたくさんのことを話すようになった。哲学、文学、芸術、自然、、医学・・・どんなことにも深い知識のあるアリストテレス先生の教えを受け、僕達が話す言葉に終わりはなかった。人はどう生きるか・・・アキレウスはどう戦ったか・・・長い時間を話すことだけに費やし、僕達は幸福で満たされていた。





ミエザではただ学問を勉強するだけでなく、様々な訓練も行われた。レスリング、剣術、槍投げ、乗馬・・・その中で僕は昔から乗馬がもっとも苦手であった。一度馬から落ちた恐怖感をどうしても忘れることができない。皆が遠乗りに出かけている間、僕だけは馬小屋の近くでただゆっくり走らせる練習を繰り返していた。アレクサンドロス達はなかなか戻ってこない。今頃どのあたりを駆けているのだろうか。彼は自由自在に馬を操ることができる。ブーケファラス、あの馬はアレクサンドロスの言葉も理解できるのだろうか。彼の思うとおりにどんな方向にも走ってくれる。それに比べて僕の今乗っている馬、ちっとも言うことを聞いてはくれない。いや馬なんてしょせん人間の言葉などわかるわけがない。人間は言葉を獲得し、火を使うことにより他の動物とは大きく隔たった存在になることができた。なぜ生きるかを考えるのは人間だけである。人間は欲望を克服し・・・

「お、おい、お前、どこに行こうとしている?やめろ、止まれ!止まるんだ・・・・助けて・・・誰か・・・・」

突然馬が走り出した。僕は夢中になって馬のたてがみにしがみついた。誰か来て・・・馬の世話人は・・・訓練士は・・・あんな遠くにいる・・・お願いだ、止まってくれ・・・

「危ない・・・目の前に馬が・・・・止まれ、止まってくれ」

体がふわりと宙に浮いた。目の前に見えるのはブーケファラスとアレクサンドロス、そんなわけはない、僕はこのまま死んでしまうのだろか・・・

「ヘファイスティオン、もう大丈夫だ。間に合ってよかった」

アレクサンドロスはいつのまにか僕の馬に飛び乗り、僕より小さな体でしっかり支えてくれていた。

「木のトゲでも刺さったんじゃないか。こいつ、一番大人しいはずなのに急に走り出すなんて・・・」
「ありがとう、でもどうして・・・・」
「ブーケファラスが教えてくれた。こいつ突然向きを変えて走り出したと思ったら、こんな場面に出くわしてしまった。慌ててこっちに飛び移ったというわけさ」
「ブーケファラスが・・・・」
「ああそうさ、だけどな、ヘファイスティオン、馬だって突然暴れ出すこともある。それをどう対処するかということが・・・」
「わかっている、わかっているよ・・・・」

マケドニア人で馬にも乗れなければ一人前の男と認められない。そんなことはいやというほどわかっていた。自分が情けない。学問でどれほど対等に誰とでも話しができても馬を乗りこなすことができなければ・・・・

「泣くなよ、ヘファイスティオン、ほら馬が心配そうにお前を見ているぞ。さっきは悪かったって思っている」
「どうして、君は馬のことなにもかも・・・」
「お前だってすぐわかるようになるさ、こうしてたてがみをなでてごらん・・・馬の心がわかるだろう・・・」
「よくわからない・・・・」
「もっとこう、気持ちをこめて・・・ほら、俺にこうするように・・・・」

彼の手は僕の手を取り、自分の体へと向かわせた。まるで初めて彼の体に触れたかのように感じた。僕は下を向いた。愛している・・・ふと浮かんだ言葉に慌てて手を引っ込めた。

「ごめん、僕の手は泥だらけなのに君の体に触って・・・」
「気にするな・・・俺の手も同じ・・・馬の臭いが染み付いている・・・俺達はいつか馬に乗って遠くまで旅をしなければ・・・きっとお前もできる・・・俺達はだってほら・・・」

もう一度彼の手が、胸の鼓動へと僕の手を導いた。


                                            −つづくー


後書き
 ミエザの話を書くとどうしても登場させたくなる反抗的なカッサンドロスとお人よしのフィロタス。話の大筋は馬とアレクサンドロスの絆とそこに入れずジェラシーを感じるヘファイスティオンなのですけれど・・・
2006、8、9

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