風のジェラシー(7)
「今宵は我が息子アレクサンドロスの初出陣の祝いだ。初出陣でありながら、アレクサンドロスには左翼を任せることにした。生涯一度の晴れの舞台を祝って、大いに飲み、楽しんでくれ!」
フィリッポス王の乾杯の合図に、周りのみんなが一斉に歓声をあげた。僕が16歳になった夏、大切な用事があるということで、ミエザからみんなが呼び出されていた。アレクサンドロスは何日フィリッポス王と二人きりで話し合い、僕が近づくことは許されなかった。
「おめでとうございます。フィリッポス王、初出陣でいきなり左翼を任されるとは、さぞやアレクサンドロス王子にご期待を・・・」
「ああ、そうだアッタロス。アレクサンドロスを大将にして、全軍を任せる日もそう遠くはあるまい」
「まことにめでたいことでございます。ところでエウリデュケの方はいかがでございます?」
大声で大貴族の家長アッタロスと話していたフィリッポス王の声が急に小さくなった。
「心配するな、大いに気に入っておる。ただあれが生きている間にエウリディケに子を産ませるわけには・・・前にも子に毒を飲まされたことがある、慎重にせねば・・・」
「怖ろしいことでございます。まこと、アリダイオス様のことにつきましては・・・」
「エウリディケの子もあのようにされては困るからな・・・なに、アレクサンドロスが戦死すれば、恐れることなどなにもない。そのための大抜擢だ」
「フィリッポス王・・・・」
「あれはわしの血を引いている。そう簡単に命は落とすまい。だが戦いなどいくらでもそこらに転がっている。次々に出世させ、より危険な戦いに出陣させればよいこと・・・・おお!アレクサンドロス、そこにいたのか。今アッタロスにお前の自慢をしていたところじゃ・・・」
「そうでございます。我が一族では武勲を立てられるような若者は一人もおりませんので、このように立派な跡継ぎのおられる王がうらやましい限りでございます。さ、アレクサンドロス王子、ワインをもう一杯、今度の戦の隊列などについて詳しくお話ください」
「話す必用などない。アッタロス、お前は私が左翼の先頭に立って出撃し、真っ先に敵の矢に当たることを望んでおるのだろう。だが、お前の思うとおりにはならない、プトレマイオス、フィロタス・・・私の後に続く者はいくらでもいる」
「そ、そうでございます。ご説明などお聞きしなくても、必ずやアレクサンドロス王子は・・・」
「お前と話していると酒がまずくなる。私は父上とよく話したい。アッタロス、向こうへさがっていろ」
「は、はい、かしこまりました」
「アレクサンドロス、お前もそうとう酔っているようだな」
「そんなことはありません。私ももう16です。水で薄めたワインぐらいで・・・」
「頼もしい跡継ぎだ・・・まあ飲め・・・お前についてあれこれ言うやつもいるだろうが、わしはお前を信じている」
「ありがとうございます。必ず父上に満足していただけるような活躍をいたします」
僕は広間を出て、外の石段を歩いた。祝宴での大勢の人の熱気とワインの匂いで、たいして飲んでもいないのに眩暈がしてきた。それにアレクサンドロスに声をかけられるのを怖れてもいた。彼は必ず僕も出陣するように言うであろう。今までミエザで3年間、勉強の合間に随分戦いの訓練もしてきた。苦手な乗馬もアレクサンドロスほど自由に乗りこなせはしないが、一応左手で手綱を握り、右手で剣を握って振り回すぐらいのことはできるようになった。だがそれで自分が実際に敵を倒せるかどうか、まったく自信はない。
「夏の夜は気持ちいいな、ヘファイスティオン。月もきれいだ」
「カッサンドロス!」
「そういやな顔するなよ。お前も俺もあの場にいられなくて逃げてきた仲間だろう」
「僕はただ、ワインに酔って夜風に当たりたくなっただけだ・・・」
「俺は、今度の戦い、アレクサンドロスと一緒に出陣はしない、お前もそうしろ!」
「え・・・・・?」
「なんとか父親に頼んで逃げる口実を作ってもらう。お前もそうしろ・・・まあ、お前の実力はみんな知っているから、まだ実戦に参加する自信はないと断れるんじゃないかな。実際俺が大将なら、お前のような足手まといになりそうなやつ、間違っても連れていかない」
「何を言うんだ・・・誰かに聞かれたらどうする!」
悔しさに唇を噛み締めた。昔の僕ならばカッサンドロスにそのまま飛び掛っていったかもしれない。でもミエザで学んでいるうちに自分を抑えることを覚えてしまった。それぞれの立場や身分、今度の戦いに参加するかどうかだって、もう自分の考えだけでは決められない。それぞれの家柄、家族、兄弟などの関係から与えられた立場、将軍や軍人の父を持つフィロタスやプトレマイオスなどは決して戦いから逃げることはできない。
「フィロタスやプトレマイオスと違って、お前はいくらでも逃げる口実を作れるだろう」
カッサンドロスは僕の心を読み取って話を続けた。
「今度の戦いで、アレクサンドロスは命を落とすよ。真っ先に出撃するよう命じられている。あいつは神の子だ。もしかして奇蹟を起こすかもしれない。だが後に続くフィロタスやプトレマイオスはまず助からない」
「・・・・・・・」
「フィリッポス王が何を考えているか、薄々見当はついているんだろう。初出陣でいきなり左翼をそれも跡継ぎの王子に任せるなんて、普通は絶対ありえない。王はアレクサンドロスが華々しく戦って戦死することを望んでいるんだよ。アレクサンドロスさえいなくなれば、今の王妃を追放し、新しくエウリディケを正式の王妃にしてその子を跡継ぎにできる」
「アレクサンドロスは殺されたりなどしない!どんな敵と戦っても必ず・・・」
「必ず勝つかもしれない・・・だけどその後ろにいるお前は殺される。お前はまだ本当の戦いというものを見たことないだろう。大勢の人間と馬が敵と味方の区別もつかないほどもみくちゃになり、矢で射られる者、剣で手足を切られる者、馬から落ちて踏み潰される者、あたり一面が血の海となり、誰なのかわからない死体が折り重なる。死体の山の下からは、死にきれなかった者のすさまじい呻き声が聞こえる・・・・そんな場所でお前を死なせたくはない」
「・・・・・・・・」
「お前は今まで夢中になってアレクサンドロスを追いかけていた。あいつは神の子で確かに魅力的だよ。神と同じように自由自在に馬を乗りこなし、どんな敵でも倒すことができる。あの黒い馬が、あいつの中に眠っていた神の子の血を目覚めさせた。馬は人を選び、人は馬を選ぶ。お互いの血を目覚めさせるのに、あれ以上の組み合わせはない。だけど俺達は人間だ。アレクサンドロスと同じようには絶対なれない。神に愛され、夢中になった人間が最後どうなるか、知っているだろう。他の神の嫉妬を受け、たいがい悲惨な死を迎える。人間が神になど憧れてはいけない」
「カッサンドロス・・・・」
「俺をよく見ろ、ヘファイスティオン・・・俺はただの人間だ。だが人間として最高の愛をお前に与えることができる。お前に痛みを感じさせないよう、充分体を慣らしてからゆっくりお前の中に入る・・・愛している・・・欲望なんかじゃない・・・欲望ならただお前を押し倒して目的を果たせばいいけど、それではだめだ・・・お前を傷つけたくはない」
彼は僕の口に唇を近づけてきた。顔を横にずらしたが、唇は押し付けられた。僕は目を閉じ、軽く唇を開いた。彼の舌が口の中の粘膜に触れる。涙が流れてきた。
「ごめん・・・・僕が愛しているのは君ではない・・・アレクサンドロスだ」
「そんなことはわかっている・・・わかっているけど俺に抱かれてみろ・・・・お前はまだ一度も人間に抱かれたことはないんだろう?」
「アレクサンドロスに・・・」
「あいつではだめだ・・・・あいつはお前を人間として愛せない。お前はあいつに恋焦がれ、嫉妬に苦しみ、そして惨めな死を迎えるだけだ。愛がどういうものか知らないまま、醜い戦場で命を落とす気か?俺を愛してなどいないことぐらいよくわかっている。だけどお前は人間だ。お前は真っ直ぐで純粋で神に愛されるべき人間だよ。でもその体が砕け散る前に人間の世界に戻ってこい。もうじゅうぶんわかっただろう、俺はお前を失いたくない」
「カッサンドロス・・・・・」
「戦場に行かなくて、いくじなしとののしられても、人はそんなことすぐに忘れてしまう。俺は自分の父以上の地位を必ず手に入れ、お前にもできる限りの地位につかせてやる。やがてそれぞれ結婚して子も生まれる。人間としてできる限りの幸せと愛をお前に与える・・・今、お前の心の中にアレクサンドロスしかいなくても、それでいいんだよ。ただお前は俺に身を任せ、生きながらえてくれればそれでいい」
カッサンドロスの手が僕の首から胸へとゆっくり降りていった。唇を同じ唇でふさがれ胸の突起をつかまれると、口元から唾液が流れ落ちるのを感じる。彼の手はゆっくり下へと降りて僕の体の中心へとたどり着いた。体は熱く意識は朦朧としている。僕はワインで酔っている。ワインだけではない、初出陣を前に、異常なほど心は興奮し高ぶっている。カッサンドロスの言うとおり、僕の死は近づいている。体は熱く燃え、ワインは体中を駆け巡っている。胸の鼓動が彼に聞こえはしないかと心配になるほど大きく聞こえる。体内から熱い粘液が滲み出ている。僕の手はその熱い中心に彼の指を導いた。アレクサンドロスよりも冷たく細い指が体の中に入り、耐え切れずに喘ぎ声をあげた。月明かりで、石段がはっきり見える。見張りの兵士の足音が遠くからこちらへ向かってくるのが聞こえる。ここでこれ以上のことをしてはいけない。体は熱く朦朧としているのに、頭の隅の意識だけが、月明かりのように周りの景色をくっきり照らし出している。
−つづくー