風のジェラシー(8)
「違うよ、ヘファイスティオン、アテネの民主制の始まりはもっと前の・・・・」
夜のバルコニー、カッサンドロスの耳元での囁き声が突然大声になった。
「証拠を見せてやる。お前の部屋にその当時の記録書があるだろう」
「え、そんな物、僕は・・・・」
「いいからお前の部屋に・・・・先生も言っていただろう、その時代は・・・・」
大声でしゃべりながらカッサンドロスは僕の手を引いた。ようやく彼がなぜ突然関係ない話を始めたかがわかった。王宮のバルコニーではいつ見張りの兵士が来るかわからない。王宮に用意されている僕の部屋へ行くつもりなのだろう。だけど本当にこのままついて行っていいのだろうか?今僕が手を振りほどくか、大声をあげれば誰か来るに決まっている。でも声を出すことができなかった。
「いい部屋を与えられているな。アレクサンドロスの部屋もこんなぐあいか?」
「彼の部屋はもっと・・・・」
「あいつの名前は出さない方がいいか。俺達のために・・・・」
「僕は君と・・・・・」
「安心しろ、何もしゃべらない。まああいつは無事もどってくるかわからないけど・・・ワインをもっと飲め」
どこで手にしたのか、彼は小さなワインのカップを部屋の中に持ってきていた。
「水で薄めずに・・・・」
「ああ、そうでもしないとお前は何もできないだろう」
「やっぱり僕は・・・・」
「早く飲め、お前はそれを望んでいる」
カッサンドロスの目が僕をじっと見ている。威圧するような鋭い目つき。でも彼は王の子ではない。神の子でもなく、僕と同じ人間なのだから・・・・差し出されたワインを一息に飲み干した。喉の奥が痺れるように熱い。眩暈がしてまっすぐ立っていられない。
「ヘファイスティオン・・・・ずっとお前が欲しかった・・・・」
彼の唇が重ねられ、ベッドの上に横にされた。体は痺れている。何一つ抵抗することはできない。彼の手が僕の瞼の上にのった。
「目を閉じろ、ヘファイスティオン。お前は今夢を見ている。何も考えずに体の力を抜け」
意識は朦朧としてきた。それでも僕の体は彼の指が触れるたびに反応した。よく反応している・・・それはアレクサンドロスに触れられた時よりも遙かによく・・・・どうして・・・僕が愛しているのはアレクサンドロスのはずなのに・・・・
「思ったとおりだ。お前の体はそんなにいつも求めていたんだな」
「やめて・・・僕は・・・・」
「どんなにいやがり、拒否しようとこれはなんだ、こんなに立ち上がって固くなっている。こっちも欲しがっているはずだ」
指が恥ずかしい部分を押し開いてつまんだ。体をよじって逃れようとするが、指は体の奥深くへと埋め込まれていく。痛みはほとんど感じない。ぬるぬるとした感触に自然と喘ぎ声が漏れる。
「よい声だ・・・お前の声は・・・体は・・・すべての男を虜にする・・・欲望をかきたて他のものを見えなくさせる・・・すべてを失っても手に入れたいと思わせる・・・それなのにあいつはその価値が少しもわかっていない」
熱い塊が埋め込まれた。大声で叫び声をあげるほど、それはとてつもない痛みを感じるはずなのに、僕の叫び声は聞こえない。熱い想いが体中を駆け巡る。僕の魂は馬に乗り、空へと駆け上っていた。激しく腰をふり、内側に確かにぶつかる熱を感じながら、より高い空へと登っていく。目の前にブーケファラスに乗って翔けて行くアレクサンドロスの姿が見える。決して追いつくことはできない。
「ああー・・・まって・・・あと少し・・・もう少し・・・・」
「すげーよ・・・お前・・・こんなに激しく・・・髪を振り乱し・・・・」
ぎりぎりまで張り詰めた体は、声も動きも自分のものでは全くなくなっていた。より高い場所へ登りつめようとただその目的で体は動いていた。これは夢だ、夢に違いない・・・こんなことあるわけない・・・
「お前は最高だ」
大きな声が聞こえる・・・この声は誰の声・・・・僕の体から体液が溢れ出る・・・びっくりするほどの量・・・体中が溶けていく・・・助けて・・・僕はどこまで高く・・・・いけない・・・落ちてしまう・・・・
「ヘファイスティオン、ヘファイスティオン!」
声が聞こえた。目を閉じていても朝の光がまぶしく感じられる。
「大丈夫か?随分うなされていた・・・・もし無理ならお前は残ればいいよ」
「カッサンドロスは・・・・」
「あいつがお前を部屋に運んだようだ。お前、無理に飲んで酔うから・・・・俺は自分のことばかり考え、お前の気持ちなど少しも気づいていなかった。俺が戦に出れば、当然お前もついてくるものだとばかり思っていた。でも違うんだよな。普通誰だって戦へ初めて行くのは恐れるさ。それでもお前は何も言い出せずに・・・・」
「アレクサンドロス・・・・」
「ひどくうなされていた。そんなに恐れがあるならお前は残ればいい」
「でも・・・・・」
「そんなに怖がるやつを連れて行けば気になって俺が戦えなくなる・・・・お前にもしものことがあったら、俺はどうすればいいんだ?」
「そんなに僕のことを・・・・」
「アキレウスはパトロクロスが死んだとき復讐を誓った。でも俺は復讐もできなくなるだろうな・・・お前が死んだら手も足も動かなくなって何もできなくなるに違いない・・・・自分の死よりよほど怖ろしい・・・・父上は俺の戦死を望んでいるさ・・・でも俺は例え死んでも・・・お前がすぐそばにいてくれて・・・お前がそばにいてくれるなら・・・死ぬことは少しも怖くない・・・お前が生きていてくれたら・・・何言っているんだろう・・・・俺は今、理論的でないことしゃべった・・・俺の今の言葉・・・先生に聞かれたら・・・・違うんだよ・・・ヘファイスティオン、俺も死が怖ろしい・・・お前が離れてしまったら、どうしたらいいかわからなくなる・・・・」
「アレクサンドロス、落ち着いて・・・僕も君がいないと生きていけない・・・・だから一緒に戦いに行こう。僕が死んでも君にもしものことがあっても、僕達がいつも一緒であることに変わりはない。いつも一緒だよ。だから勇気を出して・・・君には僕とブーケファラスがいる・・・」
「俺は一人じゃないんだな」
「そうだよ、僕がいつも君のそばにいる・・・・」
アレクサンドロスの顔に笑顔が戻った。
「まさか、うなされていたお前に励まされるとはな・・・・」
「僕はうなされるほど弱い人間だ・・・・あんまりたよりにならない・・・」
「いや、誰よりもたよりになる」
彼が僕の体を強く抱きしめた・・・カッサンドロス・・・あれは夢だったのだろうか・・・僕の体には何もその時の印は残っていない。だが夢とは思えないほど生々しい感触が残っている。
「カッサンドロス・・・・」
「カッサンドロス、ああ、あいつは参加しねえよ。どうせいつも口先だけのやつだ。気にするな」
「あ、うん」
「いそいで剣を鍛え、楯と槍の用意もしないと・・・アッタロスはがっかりするだろうな・・・俺が戦死しないで無事戻ってきたら・・・」
「アレクサンドロス・・・・」
「心配するな。俺は誰よりも死を恐れている・・・・お前がいるから・・・・」
彼の唇が僕の唇に触れた。どこかに触れられるたびに、昨夜の感触が蘇ってくる。忘れなければ・・・今はただアレクサンドロスと一緒に戦うことだけを考えなくては・・・・
出陣の儀式の時、カッサンドロスが近寄ってきた。
「お前、今日は何かふっきれたみたいないい顔をしているな。きのうあれほど酔って震えていたのに・・・」
「僕が・・・・」
「ああそうさ、俺にまで抱きついて・・・戦はこわい・・・馬から落ちる・・・槍で殺されたくないと大騒ぎだった。王様の前であれはまずいと思って慌てて外に連れ出した」
「よく覚えていない」
「俺はよく覚えているさ。お前のこと・・・だから何があっても命を落とすな・・・必ず生きて帰ってこい・・・お前、少しは覚えているだろう?」
カッサンドロスはニヤリと笑った。
「ヘファイスティオンに何を言っている。お前のように戦にこないヤツが彼を臆病者と笑うのか」
「そうじゃない、アレクサンドロス、きのうとは別人のようにすっきりした表情だと褒めているのさ」
「ヘファイスティオンはお前とは違うさ」
「ああ、全然ちがうね」
カッサンドロスはさっとその場を離れた。神に生贄を捧げる儀式のあと、僕達は馬に乗り、隊列を組んで進んだ。すぐ目の前にブーケファラスにまたがるアレクサンドロスの姿が見える。
「ヘファイスティオン!しっかり進めよ、お前のところだけ隊列が崩れているぞ。ちゃんと前と横を見てあわせろ」
プトレマイオスの怒鳴り声が聞こえた。僕はあわてて手綱を引いたが、かえって馬の機嫌を損ねてしまった。アレクサンドロスのようになるのは不可能だ。彼は神の子で自由に馬を操り、僕はただの人間だから、馬の扱いに苦労している。それでも背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を向いて彼の後をついていった。もう余計なことを考えるのはよそう。
−つづくー
後書き
なんとか軌道修正して、元の話に戻しました。カッサンドロスとの間に何があったか、わからない、ということにしておきます。
2006、10、19
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