屈辱と栄光の絆(2)
                 レオニダス 17歳
                 ディリオス 12歳
                 ボロトス 18歳
                 デネソロン 58歳

レオニダスは昨日からディリオスを見かけていないことが気になった。強引に関係を持ってから数日が過ぎた。ここの訓練所は演習さえきちんと出れば寝泊りは別の場所でしてもかまわなかったし、食事などは与えられた物だけでなくむしろ積極的に盗みに行く方が奨励されていた。唯一名前を呼んで人数を確かめる演習にすら出ていない。どこへ行ったのだろうか?

「ディリオスを見かけないけど・・・・」

訓練が終わった後、レオニダスはさりげなく教官に尋ねた。

「気になるのか?」
「いや、別に・・・・ただあの年では他に行く場所もないだろう。どこかで倒れているのではないかと・・・」
「ディリオスは家に戻っている」
「家に・・・・家族に死者でも・・・」
「レオニダス、お前達の家族、家柄についてはなるべく話さないのがここの規則だ。お前のことですら王族だということは教官以外誰も知らない。互いの身分を知り、それで上下関係ができて遠慮すれば訓練が成り立たなくなる。その家の跡継ぎと認められるのはすべて成人の儀式を終えた後だ。それまでは家柄も身分も全く関係ない。たとえ王族であっても・・・」
「わかっている」
「ディリオスは議長デネソロンの息子だ。ちょうど兄のボロトスが1年間の試練を終え、戻ってきた。だから特別に数日家に戻ることを許した」
「議長デネソロンの子か。どうりで他の子とは少し違うと思った」
「誰の子であろうとここでは特別扱いはしない。同じように訓練を行い、できなければ罰を受ける。例え王族であっても例外ではない」

レオニダスは黙って頷いた。同時に生まれた彼の双子の兄は、長老の検査により生きるに値しない子とみなされ山に捨てられた。母親の違う兄の一人は訓練所で病気になって死んだという。王族だからと言って例外は認められず、むしろ王族だからこそ国民の手本を示さなければならない、それがスパルタの掟である。





質素な生活をよしとするスパルタ人は貴族階級であっても豪華な宮殿などは作らないが、それでも一般の市民よりはかなり大きなデネソロン議長の家で華やかな宴が行われていた。議長の長男ボロトスが成人の儀式として1年間1人で山で暮らすという試練を乗り越え、無事戻って来たのである。いつも気難しく不機嫌そうな顔をしているデネソロン議長も今日だけは満面の笑みをたたえて招待客に挨拶している。

「議長、おめでとうございます」
「この1年、さぞかしご心配だったことでしょう」
「いや、わしは心配など少しもしていなかった。わが息子ボロトスは訓練所でも常に優秀な成績だったと聞いておる。無事帰ってくると信じて疑わなかった」
「りっぱな跡継ぎができて、これでもう安心ですな」
「さあ、中に入って飲んでくれ。特別な日だ、少しぐらい贅沢も許されるだろう」

12歳のディリオスは少し離れた場所でじっと父と招待客との会話を聞いていた。子供は皆訓練所に行っているので、自分と同じ年頃、背丈の子供など1人も来ない。どうやって父に気付かれずに家の中に入れるか考えた。7歳で訓練所に入ってから12歳になるまでの5年間、家に帰ることを許されたのはほんの数回だったが、父が喜んで迎えてくれることなど1度もなかった。母は自分が生まれて2日後に死んだと聞かされている。別の訓練所にいる兄と連絡を取り、兄が帰る日だけに一緒に帰っていた。兄ボロトスとは6歳年が違うので訓練所は別だった。もっともスパルタでは年の違う兄弟や近くに住む幼馴染がいる場合はわざと違う訓練所に入れるようにする。今までの絆をすべて壊され、徹底的に孤独を味わった後で訓練は始まるのである。

「ディリオス、そんなところで何をしている?」

ディリオスは驚いて振り返った。後ろには坊主頭ではなく髪が伸び、髭を生やしたたくましい若い男が立っていた。

「兄上、兄上ですね」
「ディリオス、大きくなったな」

兄は駆け寄り、小柄なディリオスを抱き上げた。たくましい腕が背中にある鞭の傷跡に触れて、ほんの少し顔を歪めた。ボロトスは弟の表情を見逃さなかった。

「別の訓練所に行くようになったのか。苦労しているみたいだな」
「僕は兄上のように力も強くないし、訓練もうまくできず何度も鞭で打たれ・・・・」

ディリオスは兄の胸でしゃくりあげ、泣き出した。辛い記憶が次々と蘇ってきた。鞭で気を失うほど打たれたこと、意識が朦朧としている中で年上の男にされた禁忌とされている恐ろしい行為、言葉にすることができず、ただ泣き続けた。

「ディリオス、もういいだろう。お前が辛い思いをしていること、俺にはよくわかっている。だがどうしてやることもできない。お前もスパルタ人として生まれた以上、この試練を乗り越えなければ一人前の人間と認められない」
「僕は一人前の男になることなど、決してない。長老が間違えて僕の時だけきちんと検査しなかった、そんなことまで言われました」
「ディリオス、本当のことを教えてやろう。お前が生まれた時、俺はまだ5歳だった。随分時間がかかって、母上の命も危ないと言われていた。子供は入っていけないと言われたけど、俺はこっそりその部屋に入ってカーテンの後ろに隠れていた。そこに父上と長老が入って来た。怒鳴り声が聞こえた。検査をするから赤ん坊を渡せと言うんだ。でも母上はお前をしっかり抱いて、決して長老にも父上にも渡さなかった」
「僕が弱い子だから、渡せば殺されると思って・・・・」
「そうかもしれない。母上はかなり衰弱していた。それでも涙を流して必死に抵抗し、お前を渡そうとはしなかった。長老と父上は何か小声で話し、部屋を出て行った。そして二日後に母上は死んだ」
「・・・・・」
「いいか、ディリオス、お前はスパルタでは生きる価値のない弱い子として生まれたかもしれない。でも母上は命がけでお前を守った。お前はどんなことをしても強くなり、生き延びて一人前の男にならなければいけない。でなければ母上の思いはどうなる。突然母を失った俺の思いは・・・・お前はどんなことをしてでも生きなければいけない」
「兄上・・・・」
「もう中に入ろう。父上に何を言われても気にするな」
「はい」





ディリオスは兄ボロトスに手を引かれ、トボトボと家に入った。父デネソロンがすぐに2人を見つけた。

「ボロトス、どこへ行っておった。みなお前のことを待っていたのだぞ。なんだ、ディリオスも一緒だったのか」
「父上、ディリオスも俺のために駆けつけてくれたのです。基礎訓練を無事終え、新しい訓練所で・・・・」

突然激しい音が響いた。デネソロンの手がディリオスの頬を打ち、彼は床に倒れた。

「何が基礎訓練を無事終えただ。これぐらい避けられずに倒れるとは、これでもスパルタ人か。よく見れば背中には鞭の傷跡ばかり。お前はわしに恥をかかせようとわざわざこうした日に戻ってきたのか!」
「父上、訓練所で鞭打たれるなど当たり前のこと。俺だってどれくらい打たれたかわかりません。ディリオスはよく耐えています。どうか今日はゆっくり家で休ませてごちそうを・・・・」
「それが目当てで戻ってきたのか。できそこないめ、わしに恥をかかせてばかりいる。あの時山に捨てていればよかった。長老は掟を守るように強く言った。だがわしは・・・・あいつが泣きながら赤ん坊を抱きしめていたので、それ以上何も言えなかった。掟は掟だ。今になってこれほど恥をかかされるなら、あの時に長老の言うとおりにすればよかった」
「父上、やめてください。これ以上ディリオスのこと・・・・」

倒れていたディリオスがゆっくり起き上がった。目は潤んでいたが涙をこぼさずに真っ直ぐ父の方を見た。

「わかりました。僕は訓練所に戻ります。一人前の男になるまで、決してこの家には戻りません」
「一人前の男?お前にその厳しさがわかっているのか。半数近くが山から戻ってこない」
「僕は戻ってくる半分の人間になります。父上に恥をかかせたりはしません」

ディリオスはくるりと後ろを向き、走り出した。

「待て、ディリオス、ちょっと待て!」

後ろから兄の声が聞こえたが、振り返ることはなかった。家の外に出て、ただ真っ直ぐ訓練所に向かって走った。サンダルを履いてない足の裏には小石がぶつかるが、5年間裸足で走る訓練をしていたので、足もサンダルのように固くなっている。他の子に比べて遅いが、それでも長い距離を走り続けることができる。ただ走って戻ればいい、少しでも兄に会って話をしたのだからそれで満足しなければいけない。風で涙は吹き飛ばされたのか、頬に涙の跡はなかった。少し立ち止まって流れる汗を手で拭い、ディリオスはまた駆け出した。



                                   −つづくー




後書き
 すみません、ディリオスの家族を考えたらどうしてもこういうパターンになってしまいました(笑)兄と比較され父に疎まれてと悲劇的なのですけど、その中で少しずつディリオスが成長していくという話になればと思います。もちろんレオニダスの行為も彼に力と勇気を与えています。
2007、6、19




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