屈辱と栄光の絆(7)
レオニダス 18歳
ディリオス 13歳
ボロトス(ディリオスの兄) 19歳
デネソロン(ディリオスの父) 59歳
ディリオスの怪我が治った頃、レオニダスは彼を連れて訓練所に戻った。指導教官達も事情を知っていたのでどこにいたかと問い詰められることはない。ディリオスは必死で訓練に励んだが、それでも不器用なため他の少年よりだいぶ遅れてしまう。それでも背中についた傷跡に同情してか、彼が鞭打たれるということはめったになかった。
「もう、傷の痛みはすっかりなくなっているはずだ」
レオニダスは小声でつぶやいた。隣に寝ているディリオスは毎晩のようにうなされている。粗末な1枚の布にくるまっただけで地面の上に直接寝る訓練所の生活も、スパルタの子である彼ならばとっくに慣れているだろう。
「よほどショックだったのか。実の父に厳しい刑罰を言い渡され、死んだ方がいいと言われたことが・・・・まだ12歳だというのに・・・・ディリオス、目を覚ませ」
体をゆするとうっすらと目を開いた。
「落ち着くまで外に出よう。みなの迷惑になる」
「すみません」
レオニダスが立ち上がるとディリオスも後に続いた。足取りはしっかりしているし、傷で訓練ができないというほどでもない。外は丸い月が出ていた。
「そこに座れ。あれからもう1ヶ月以上過ぎている。まだ傷が痛むのか?」
「いえ、もうほとんど痛みはなくなりました」
「ならばうなされて声など出すな。戦場で一人が声を出せば皆が寝不足になってしまう。敵に居場所を悟られることさえある」
「すみません」
レオニダスの顔は険しく、口調も荒々しかった。ディリオスは小さく体を丸めて詫びた。彼が鞭打たれた責任は自分にあることも、12歳の子供には厳しすぎる罰であることもレオニダスにはよくわかっている。本当ならばうなされる彼を抱きしめ、慰めてやりたいくらいである。だが、自分が成人の儀式で山に行く日は迫っている。今甘やかしてはかえって彼を意気地なしにしてしまうかもしれない。
「あの月が再び丸くなる前に、俺は成人の儀式でスパルタを離れる」
「はい」
「1年間お前のそばにいてやれない。俺だけでなくお前にとっても試練の時だ」
「わかっています」
「例え夢の中でも声は出すな。歯を食いしばって耐えろ。それがスパルタの男だ」
「はい」
「帰ってきて王位についた時、お前には最高の地位を与えよう。そのためにはお前もスパルタの男にならなければいけない」
「僕に最高の地位など・・・・」
「それが俺にとっても生きる支えとなる。必ず生きて戻る、お前のために・・・・」
「レオニダスさま・・・・」
レオニダスはディリオスを抱きしめた。激しい欲望が体中を駆け巡る。それはまだ射精も経験していないディリオスも同じであり、縋るように手を伸ばし、体を摺り寄せてきた。
「だめだ、ディリオス。今こんな場所でお前を抱くわけにはいかない。また密告されたら今度こそ死ぬまで鞭で打たれるかもしれない。1年待て・・・・必ず俺は王になってお前を抱く」
「レオニダスさま・・・・」
ディリオスの体のぬくもりが心地よい。何度も手の位置を変え、その体の感触を体に刻み込んだ。
「なんだ、夢か・・・・」
洞窟の中、レオニダスは寒さで目が覚めた。体のまわりにうっすらと雪が積もっている。寒いわけだ。こんな場所まで雪が入ってくるなんて外は猛吹雪かもしれない。
「ディリオス、お前はもううなされてなどいないよな」
ただ1枚衣服として持つことを許された布はあちらこちらが破れている。スパルタを出て数ヶ月が過ぎた。春や夏の間は食べ物もすぐ手に入り割と楽に過ごすことができた。獣のように山で1人だけで生活しているうちに、レオニダスの感覚は研ぎ澄まされ、どんなに遠くの足音でもそれが人間か獣か、ただ山に入ってきた年寄りなのか、自分を狙って後をつけている刺客なのか判断できるようになっていた。何人もの刺客や盗賊に狙われたことも何度かあり、そのたびにレオニダスはさらに深い山奥へと逃げた。冬を迎える頃にはもう到底人間は入ってこないような山奥で生活するようになっていた。ただ1人の山での生活、レオニダスはよく独り言を言った。何か言葉を口から出さなければ、本当に言葉を忘れて獣になってしまいそうである。
「俺もそうとうひどい男だよ。夢を見てうなされているお前を非難するなんて。俺のせいでお前はあんなに苦しんだのに・・・・だが、もう少しだディリオス、この冬を無事過ごせば俺はスパルタに戻れる」
「それは無理だ、レオニダス、お前はスパルタには戻れない」
洞窟の奥の方から声が響いた。レオニダスの全身が凍りついた。自分の名前を知っているならスパルタ人に間違いない。冬、こんな山奥にまで刺客が追ってくるわけがないと油断していた。おまけにここ数日ほとんど何も食べていない。ほとんどのスパルタの少年は成人の儀式で山に行く時、村に近い場所を選んで住み着き、時々は村に盗みに入って飢えをしのいでいた。特に冬などはそうして生き延びる者がほとんどなのだが、レオニダスは刺客に狙われる危険を考えて村から離れた山へと入った。
「剣を取れ、レオニダス。不意打ちでもいいんだが、俺もスパルタ人だ。卑怯なまねはしたくない」
「誰だ、お前は!誰に頼まれて俺を殺そうと・・・・」
「誰にも頼まれてはいない。俺の名前は・・・・お前が死ぬ直前に教えてやる」
兜をかぶり、スパルタの赤いマントをつけた男が目の前に飛び出してきた。かなり大柄で肉付きのよい男である。体つきからして相手もまだ若いと感じた。自分も空腹だがここまで来たからには相手も似たようなものだろう。
「他に仲間は?1人だけか」
「1人だけだ」
「俺の名前を知っている者がわざわざ1人で殺しに来るとは・・・・誰だ?まだ成人の儀式を済ませたばかりだろう。なぜ戦いにも行かず、暗殺になど来た」
「お前を許すわけにはいかない。弟のかたきだ!」
男は剣を抜いて襲い掛かってきた。レオニダスの右腕が少し切られ、真っ赤な血が噴出した。薄暗い洞窟の中、岩がゴツゴツしているような場所でサンダルも履いてない男は巧に剣を動かし、レオニダスを追い詰めていく。切られた腕が激しく痛む。戦うことなど考えてもいなかった洞窟の中、素足で岩の上を素早く動けば、足裏のあちらこちらが切れて血が流れているのを感じる。自分以上剣の腕が立つ男など滅多にいないと思っていたのだが、レオニダスの方が確実に追い詰められている。
「そこまでだ、覚悟しろ!」
男の剣がレオニダスの首元に向かってきた。とっさに身を翻して避けると、剣は鈍い音を立てて岩に突き刺さった。男は手を離し、別の剣を抜こうとしたが、レオニダスは男の足を掴んで押し倒し、馬乗りになって首元に剣を近づけた。
「誰だ。顔を見せろ!」
「さっさと殺せ!」
男がつけている兜を取り、レオニダスははっきりとその顔を見た。ディリオスの兄、ボロトスだった。
「やっぱりそうか、弟のかたきと言うから」
「さっさと殺せ。そうしなければ俺がお前を殺す」
「待て!どっちが死んでも悲しむのはディリオスだ」
「お前に弟の何がわかる!調子のいいことを言って誘惑し、散々苦しめた」
「そのことはすまないと思っている。だが俺は苦しめる以上のものを彼に与えた」
「都合のいいことばかり言うな!自分は王族だからやがてお前にも高い地位を与えよう。そういって巧に弟を騙し・・・・」
「そんなことも言ったような気がする」
「ふざけるな!ディリオスは、生まれてすぐ母を失くし、父にはずっと疎まれてきた。訓練所では弱い子と見なされ、酷い目にあってきた。そんな弟が生まれて初めて愛していると言われ、高い地位を約束されれば有頂天になってどんなことでも受け入れてしまうのは当たり前じゃないか。いい加減なことを言って・・・・それを信じた弟は・・・・」
「言いたいことはそれだけか。俺は嘘はつかない。必ずディリオスのところに帰って、あいつに高い地位を与える。地位だけでない。スパルタ人として生きる希望と誇り、全てを与える。だから安心して目をつぶれ」
「ずっとこの機会を待っていた。まさかお前に負けるとは・・・・」
「俺の死ぬべき場所はここではない。別のところにある」
レオニダスは剣を高く振り上げた。ボロトスは目を閉じた。スパルタ人であるからみっともない抵抗などはしない。静かにその時を待った。低い唸り声が洞窟の中に響いてレオニダスの耳に何度も聞こえた。
「ここはまだスパルタではないが、村人に救われれば後は自力で帰れるだろう。ディリオスの3倍くらいは重さがありそうだ」
レオニダスは吹雪の中、丸1日ボロトスの体を担いで歩いて村へと下りてきた。剣は振り上げたまま肘で彼の胸を強打して意識を失わせ、さらに眠り薬となる薬草を煎じて飲ませておいた。冬が来る前にレオニダスは用心して何種類もの薬草や飢えをしのぐための木の実などを集めておいた。
「他の男ならこんな面倒なことはせずに殺すところだったが、ディリオスの兄だ。あいつのたった1人の兄弟を奪うわけにはいかない」
雪のかからない馬小屋にまで運び、マントを上からかけてその場を静かに離れた。雪の上を歩いてきた足は刺すように痛い。
「これはまずい。このまま歩き続けたら足がだめになる」
洞窟を見つけて中に入り、足をさすった。槍や剣で突き刺されたような激しい痛みを感じ、呻き声を漏らした。
「いいか、ディリオス、成人の儀式で一番辛いのは冬だ。雪の上でむやみに歩き回るとこういう目にあう。これはもう鞭や棒で打たれるよりもっと痛いかもしれない・・・・ああ・・・・情けないな、俺はお前に散々声を出すなと言っておきながら、これぐらいのことで・・・・待っていろ、ディリオス、俺は必ず生き延びてスパルタに戻る。もうすぐ春がくる。もうすぐお前に会える・・・・ディリオス・・・・」
激しい痛みと寒さで意識を失いそうになったレオニダスは、懸命にディリオスに話かけた。
「お前に会うのが楽しみだ・・・・ディリオス・・・・」
−つづくー
後書き
成人の儀式で1年間森や山で暮らす、これは言葉に書けば簡単だけど実際にはものすごく大変な試練だと思います。1年間1人で暮らす孤独、人と全く話さなければ言葉を忘れて獣のようになってしまうかもしれないという恐怖もあるでしょう。冬の寒さと飢え、獣や時には盗賊などに襲われるかもしれないという恐怖、本当に大変そうです。でも同じ試練を乗り越えたからこそスパルタの戦士達は深い絆で結ばれ、王のためなら死ぬことも厭わないと思えるようになるのかもしれません。
2007、7、19
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