コリントスの誘惑(2)
レオニダス 48歳
ディリオス 43歳
アルテミス(隊長) 51歳
「陛下、なんだか楽しそうですね」
後ろからの声にレオニダスはドキリとした。スパルタ軍の最高司令官として、彼はいつでも外ではそれなりの表情と歩き方をしているつもりであった。それなのに部下から楽しそうと指摘されるほど顔がゆるんでいたとは・・・
「楽しいというわけではない。どうも馬は乗りなれていないから、うまく扱えぬ」
「陛下にも乗りなれていなくて扱いにくいものがあるのでございますね」
「何を言う、アルテミス。俺にだって苦手なことはある。それよりもお前の息子が確か成人の儀式を終えたとか・・・」
アルテミスと呼ばれた男が馬をさらにレオニダスの馬の方へと近づけた。名前こそ女神と同じだがどこから見ても精悍で男らしい顔つきのこの男は王家親衛隊の隊長を務めている。事実上スパルタ軍の副官といってもよく、レオニダスと共に何度も出陣して勝利をおさめてきた。
「アスティノスのことでございますか。あの子は親の私が言うのもなんですが、兄弟の中でもとりわけ勇敢で才能のある子です。成人の儀式など、大した苦労もせずに戻ってまいりました」
「それは頼もしい、ステリオスのようだな。すぐ親衛隊に入れるのか」
「いえ、親元にいてはどうしても甘えや驕りが出てしまいます。しばらくは別の隊で鍛えさせようと・・・本人もステリオスと同じ隊がいいと言っておりますし、アスティノスは彼に特別なライバル心を持っているようです。いえ、ライバルがいるからこそ、さらなる鍛錬をしようという気持ちになるのでしょう」
「ライバル心か・・・・」
レオニダスは小さな声でつぶやいた。実を言うと彼は隊長の息子アスティノスとステリオスが特別な関係にあることを知っていた。訓練では優れた才能を見せても、言葉を操るのが下手な若い二人は、よくディリオスのところに相談に来ていて、レオニダスもその会話を聞いてしまった。だが父に彼らの秘密を漏らさない方がよいだろう。
「陛下、少しお急ぎになった方がよろしいかと思います」
今度はディリオスが近づいてきた。二人の関係をよく知るアルティミス隊長はさっとその場を離れた。
「そう言うけどな、ディリオス。スパルタ軍はほとんどの戦を徒歩で進軍している。乗りなれていないから、どうも大事な場所が変に擦れて困る」
「今宵の宿に着きましたら、私が充分な手当てをして差し上げます。どうかもうしばらくのご辛抱を・・・・」
「それは楽しみだ。ならば、わざと馬を乱暴に走らせ、赤く膨れ上がらせておこうか?お前が上手に手当てしてくれるのだろう。うまくできなければ、翌日お前が馬に乗れなくなるほど攻め抜いてやるからな」
「どれほどきつく攻められましても、陛下に与えられる痛みは私にとって喜びでしかありません」
遠慮して少し離れた場所で馬を走らせていたアルテミス隊長であったが、二人の会話はしっかりと聞こえていた。彼は若い時に結婚して何人もの子供を持ち、男同士の行為などどちらも一度も経験していない。レオニダス王を心の底から敬愛しているが、それは純粋に臣下としての気持ちであった。自分に経験がなく、また息子が友人に狂おしいほどの情熱を注いでいるとは夢にも思っていないからこそ、彼らの会話はその情景を想像させてしまい、あらぬ妄想をかきたたせる。それにしてもディリオスはスパルタ兵として力はかなり劣っているが、体つきや顔立ちはまるで二十代の青年のように若々しく艶やかである。あの男らしくたくましいレオニダス王とどのように・・・・
「いかん、いかん。私は陛下の安全をお守りするのが役目だ。私生活について、あれこれ想像してはいけない。ディリオスは力は弱くても、会議や使節との交渉になくてはならない男、いろいろ考えるのはよそう。それよりも我が息子、アスティノス、あれの力を伸ばすためには、やはり本人が言うように目標とするステリオスと同じ隊に入れるのがよいだろう、うん、そうしよう。あれは親に似ず、顔もなかなかのものだし、このままいけば結婚したいと騒ぐ女が多すぎて困るかもしれない。ぜいたくな悩みだ」
息子のことを考えると隊長の顔はひとりでにほころんでくる。もうレオニダス王とディリオスの会話は聞こえなくなっていた。
「ペルシャはダレイオスが死に、クセルクセスが後を継いだ。この若い王は必ずやギリシャ全土に攻め入ってくるであろう。その大軍は百万とも二百万とも言われている」
「そんなに大勢いるのか。ペルシャ軍は・・・・」
「数は多い。だが、他の国を征服し、そこの民を奴隷化して寄せ集めた軍隊だ。我々の方が戦士の数としては遥かに多い。特に我がスパルタでは子供の頃から厳しい訓練を課し、それに耐えて生き延びた者だけが戦士になる。一人で十人、いや、百人分の働きができるであろう」
「レオニダス王、スパルタ軍はそれほど強いのか」
「ああ、果てしなく強い。だからギリシャ連合軍の指揮はスパルタに取らせて欲しい」
レオニダスがコリントスの野外劇場での演説を終えると、観客席からどよめきが起こった。今、ギリシャ各都市から使者が集まり、コリントスの会議に参加している。スパルタ人はレオニダスとディリオス、そして護衛で中に入っていいのは1人だけという条件でアルテミス隊長が席についた。みな戦闘の時とは違って白くゆったりとした衣装を身につけ、短剣を持っているだけである。特に隊長などはこんな長老のような裾を引きずる服は年寄りっぽくてイヤだと感じたが、他の国の使者もみな同じような格好をしているのでしかたがない。手に槍や盾を持っていないとどうも手持ち無沙汰に感じる。隣に座ったディリオスを見れば、もともと青く大きな目をさらに大きく見開いてレオニダスの方をじっと見、演説に耳を傾けていた。よく見れば小さな声で同じようなことをつぶやいてさえいる。会議の席でレオニダスが何を言うべきか、考えて教えたのはすべてディリオスだった。
「陛下は緊張していらっしゃる。練習の時はもっと堂々としてらしたのに・・・・」
ディリオスが渋い顔をした。アルテミス隊長から見れば充分レオニダス王は堂々として会場の拍手を独り占めしているように見えたが、彼には気にいらないらしい。だが、演説についてはまったく知識がないので口を挟まず黙っていることにした。
「隊長!一年以内にペルシャとの大きな戦になります。軍の編成について、もう一度考えた方がいいですね」
「うん、アウティノスをステリオスと一緒の隊に入れていいものかどうか、ディリオス、お前はどう思うかね」
隊長は正直に言ってペルシャの情勢やギリシャ連合軍についての話はさっぱりわからなかったので、ぼんやりと別のことを考え、隣に座っているディリオスに聞いた。
「それがいいでしょう、隊長。あの二人、互いが刺激し合って一緒にいることで大いに成長するでしょう」
「何!あいつらは、互いの体を刺激し合って、何かよからぬことでもやっているのか?」
「あ、いえ、そういうわけではありません。あ、陛下、しばらくの間黙って、アテネからの使者の意見を聞いてください。アテネ人というのは必ず反対意見を言うのが決まりになっているような国です。決して陛下やスパルタに対し、悪意があるわけでは・・・・」
「だがしかし、まさかとは思うが、ステリオスがわが息子を女のように辱めたと告げ口した者がいた」
「そんなこと言わせておけばいいのです。彼らほど優れた若者なら、妬む人間も当然出てきます。辱めたなどという告げ口、一番言いやすいですから」
「それもそうだな、ディリオス。アスティノスは困ったことに顔がいいから女どもが噂して困るんだ。まだ成人の儀式を終えたばかりで、一度も実際の戦いには参加してないというのに・・・・」
「うらやましいことです。アルテミス隊長」
答えながらもディリオスはアテネの使者の演説を必死になって聞いていた。どう受け答えをすればいいか、ディリオスはあらかじめいくつかの質問と答えを用意してそれをレオニダス王に伝え、練習させておいた。だが、アテネ人の言葉はディリオスの予想よりはるかに複雑で何が言いたいのか結論が見えてこない。レオニダス王が不安そうな顔をしてディリオスを見た。ディリオスは大きく頷いたが、自分自身よく聞いてなければ、質問の趣旨を見逃しそうである。言葉は長く複雑な方がいいと、アテネの法律で決まっているのだろうか。
「で、あるからして、そのような場合、我々ギリシャ連合軍はどのように対処すべきかとスパルタのレオニダス王はお考えですか?」
意地の悪い質問に、レオニダスの言葉が詰まった。彼は観客席にいるディリオスを見た。
「まったくアスティノスは、子供の頃からステリオスの後ばかりついて行くような子で・・・・いや、子供の頃ばかりでなく、そうだ、思い出したぞ。あいつの部屋にパピルスに書かれた手紙のようなものがあったことを・・・・」
「あのくらいの年には、よくあることですよ。私もレオニダス王と・・・・隊長、ちょっといいですか。陛下が困っていらっしゃるようなので・・・」
ディリオスは観客席から立ち上がり、まっすぐ演説をしている中央へと向かった。
「ここにお集まりの各国の使者の皆様、確かに私達は互いに違った国を持ち、それぞれ独自の政治を行っております。けれども今、それらの国すべてが滅亡の危機にさらされているのです。百万とも二百万とも言われているペルシャ軍、もしその大軍が攻めてくれば、今までとは全く違った戦いが始まるでしょう。手をこまねいて見ていれば、国は焼き払われ、私達の妻や子は残らず奴隷にされるでしょう。それを防ぐための戦いです。今までの恨みを忘れ、どこが支配権を握るなどとは考えずに一丸となってペルシャに対抗しましょう。そのための指揮官として、我がスパルタの王、レオニダスより他にふさわしい者はいません」
「スパルタ王、レオニダース!」
隊長の大きな声が会場に響くと、観客席から大きなどよめきと拍手が起こった。会議の議題は可決され、レオニダスがギリシャ連合軍の総指揮をとることも決まった。
「レオニダス王、そしてディリオス様、素晴らしい演説でございました」
白い衣装を着た数人の男が三人の前で跪いた。
「スパルタが総指揮をとってくれる限り、もうペルシャなど恐くはありません」
「そう浮かれないでくれ。まだ戦いは始まっていない」
「いや、あなたを見るだけで敵は驚いて逃げていくでしょう。ところで今夜、我が国の女より心ばかりのおもてなしをしたいのですが、受けてくださるでしょうか?」
「お前達はどこの国の者だ?」
「ここ、コリントスの者でございます。素晴らしい女をご用意していますので、どうか一緒に・・・・」
「そうか、たまにはそういうのも悪くはないな。ディリオス、アルテミス、一緒にどうだ?」
「私は遠慮いたします」
「陛下、私もちょっとここで女のもてなしなど・・・・部下達が待っていますし、日頃息子に人の道を外すなと口うるさく言っておりますので・・・・」
「俺は人の道を外そうとしているのか?」
「あ、いえ、そんなわけでは・・・・どうか陛下はお楽しみください。だけど私は・・・・どうも妻が恐くて・・・」
「そうか、ならば仕方がない。ディリオス、お前には恐れる妻がいないから、一緒に来てくれるだろう?」
「陛下、申し訳ございません。私は部屋に戻って明日の会議の準備を・・・・」
「会議などもう終わったも同然だ。楽しめばよい」
「でも、レオニダス様、私はその、つまり・・・・・いままでいちども女とのけいけんがありません。 ですから・・・・」
「何を言っている、ディリオス。それならなおさら経験しておいた方がいい。俺がついている、心配するな」
「しかし・・・・」
「スパルタ人は決して降伏も退却もしない。それに王の命令が聞けないとなると・・・・」
「わかりました。それではあくまでも王の護衛ということでお伴いたします」
「今夜だけだ、明日からはまたお前と楽しむ」
「では陛下、私はこれで失礼いたします」
「ああ、このことはゴルゴには内緒だぞ」
「わかっております」
アルテミス隊長とわかれ、レオニダスとディリオスの二人は男達の後についてコリントスの街中に向かった。夜、白い建物のあちらこちらから笛の音や歌声、そして嬌声が聞こえた。
「コリントスにはこんなにたくさんの商売女がいるのか?」
「はい、それはもうあちらこちらから集めました。レオニダス王はどのようなタイプがお好みですか?」
「強い女が好みだ」
「は、強い女といいますと・・・・」
「できるだけ強い女のいる店に案内してくれ。スパルタの女は強いからな。弱い女ではその気にならない。あ、こっちのディリオスはまだ経験がないから、とびっきりやさしくて美しい女を選んでくれ」
「かしこまりました。ではこちらへ・・・・」
やがて男達は一軒の白い家を選んで中に入った。階段は下へ下へと続いている。レオニダスは意気揚々と、ディリオスは不安になりながらも階段を下へと進んだ。香の匂いがたちこめ、嬌声が聞こえてディリオスは軽い眩暈を感じた。
−つづくー
後書き
旅をするにはやっぱり護衛が必要かなと思い、アルテミス隊長を登場させました。隊長、成人したばかりの自慢の息子が気になって、会議のことなど何も考えていません。それでもこの人の大声で決まってしまいました。そして夜、妖しげな誘いにのったレオニダスとディリオス、この二人が騙されそうで心配です。
2007、8、9
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