コリントスの誘惑(5)
レオニダス 48歳
ディリオス 43歳
アルテミス(隊長) 51歳
コリントスからスパルタへと向かう海沿いの道を、レオニダス、ディリオス、アルテミス、そして護衛のため数人のスパルタ兵士が馬に乗り、一列になって進んだ。狭い道なので、先頭のレオニダスの馬が止まれば、全員が止まることになる。
「陛下、どうなさいましたか」
「向こうに見える島は確かサラミスとかいう名前だったな」
「はい、サラミス島です」
「あのあたりは随分海岸線が入り組んでいるな」
「そうですね。地形が複雑ですから、慣れた船乗りでなければ島に近づくのは難しいでしょう」
ディリオスは書物に書かれた文字だけでなく、地形図や地名などもすべて記憶していたので、それを正確に思い出しながら答えた。
「あの島は海戦で使えるかもしれない。少し調べてみるか」
「陛下、何をおっしゃるのです。我々の帰りとコリントスでの会議の結果を全スパルタ市民が今か今かと待っているのです。海軍について我々に責任はございません。それはアテネに任せると決まったばかりです」
息子アスティノスのことが気がかりでしょうがないアルテミス隊長は、王がわざわざ島まで行こうとしていることに不満をあらわにした。
「確かにそうだ。だが、アテネ海軍がサラミス沖で戦うつもりなら、総司令官であるスパルタ王も地形について知っておいた方がよいだろう」
「陛下、サラミス島付近については私が詳しい地形図を持っております。スパルタに戻ってからゆっくりご説明します。隊長の言うとおり、今は少しでも早くスパルタに戻り、会議について報告しなければなりません」
「何を言う、ディリオス。他人の描いた地図などあてにはならない。自分の目で確かめないとな。あそこに港らしきものがあり、船が繋いである。すぐに交渉してこい。アルテミスはこちらに2人ほど部下を残してスパルタに戻り、会議の報告をしてくれ」
「そんな、陛下がお帰りにならなければ、我が軍はどうなるのです?」
「俺がいなくてもお前が訓練を続けていればいい。頼んだぞ。なあに、そんなに日数はかからない、数日遅れるだけだ。心配はいらない」
「しかし、陛下・・・・」
「くどいぞ!早くスパルタに戻れ!ディリオス、何をグズグズしている。さっさと船の交渉に行け!スパルタ王が島に偵察に行ったことは敵に知られてはまずい。内密で行うのだぞ」
「かしこまりました」
「アルテミス!何をしておる。アスティノスは戦士として申し分なく成長しているが、何分まだ若く自分の感情を抑えられない。訓練中にステリオスの方ばかりじっと見ていることがあるぞ。父親であるお前がずっと留守であれば・・・・」
「本当ですか、陛下。それが事実ならアスティノスのやつ、帰ったら鞭で打ち据えてやる。ろくに訓練もせず男にうつつを抜かしておるとは・・・・」
「まあ、待て。ステリオスは訓練中でも一際目立つ。才能あるやつを見習い手本にすることは悪くはないだろう」
「申し訳ございません。護衛隊長としていつも陛下に付き添っていなければいけない立場でありながら・・・・」
「俺達のことは心配しなくていい。早くコリントスの結果をスパルタ市民に伝えてくれ」
「かしこまりました。・・・・ああ、アスティノス・・・・まさか、父の留守に・・・・」
アルテミス隊長はブツブツ言いながらもレオニダス王と共に残る兵士2人を選び出し、それ以外の部下を引き連れてスパルタへ続く道を急いだ。
「陛下、交渉してきました。あそこの船はみな漁船ですが、サラミス島には何度も行っているようです」
「俺の名前は出したか?」
「いえ、旅をして歴史書を作っていると言っておきました。なるべく知られない方がいいと思いまして、でも、どうしてスパルタ王であるあなたが突然海軍のことなど・・・・」
「余計なことを話さなくてよい。アスティノスにはちと気の毒なことを言ってしまったが、なあに強靭な神経を持つスパルタ兵になるためには、時には理不尽な暴力も必要であろう。あれは家柄にも才能にも恵まれているが、それだけに必死で戦うという精神がない。悪く思うなよ、アスティノス」
「何のことですか?」
「お前は何も心配しなくていい。お前達2人はこの辺で馬を見張っていてくれ。2,3日で島から戻る」
「かしこまりました」
兵士達に命ずると、レオニダスはディリオスだけを連れて漁船に乗り込んだ。
天気はよいはずなのに、入り組んだ海岸線で波は自然に高くなり、船は激しく揺れた。大きな艦隊であるほどこの海域ではコントロールを失うだろうとディリオスは思った。アテネの海軍がペルシャ軍をうまくここに誘い込むことができれば敵に大きな損害を与えられるだろう。島はすぐ目の前にあるのだが、波が高くなかなか海岸に近づけない。かなり長い間待って、ようやく漁船は島の小さな砂浜に上がった。レオニダスは船の持ち主に金貨を渡し、2日後に迎えに来るようにと命じた。島はかなり広く、向こうには森が広がっている。人はどれくらい住んでいるのか、海岸の広さはどうか、他に船の着ける海岸はあるのか、ディリオスの書物には島について詳しいことは何も書かれていない。さっそく彼は持ってきたパピルスを広げ、海岸の広さを足で測り始めた。
「ディリオス、さっそく仕事を始めるのか」
「はい、この島はかなり広いようです。向こう岸の対岸も調べなければいけません」
「そんなことはアテネの海軍に任せればよい」
「しかし、陛下。総指揮官としてこの海域での決戦を考えて調べてみると・・・・」
不平そうに言うディリオスの右手をレオニダスはつかみ、自分の唇に近づけた。
「陛下、もうすぐ暗くなります。その前にできるだけ詳しい記録を作り、そして私達が今晩泊まれそうな村があるかどうか調べなければなりません」
「確かにそれも重要だ。だが、今は他にもっと早くやらなければならないことがある。ディリオス、お前は俺に隠していることがあるだろう」
レオニダスはディリオスの顔をじっと見詰めた。ディリオスは視線をそらした。
「申し訳ございません、陛下。このことは私1人の胸にしまっておくつもりでした」
「コリントスで酷い目にあった。だが、そのことを俺に言えば会議はメチャクチャになってしまう。だからお前は誰にも言わないようにした。違うか?」
「お許しください。私の口からは何も言えません」
「お前が黙っていようと思うなら、俺も無理に聞き出そうとはしない。だが、ディリオス、なぜお前は辛い思いに1人で耐えようとする?」
「スパルタ人の男ならみなそうです。自分の痛みをすぐ話すようではスパルタ戦士として失格です」
「お前は立派なスパルタ戦士になった。ずっと前からのお前を知っている俺には驚くばかりだ」
レオニダスもまたディリオスから視線をそらした。赤い夕日が今にも海に沈もうとしている。海岸の岩に波がぶつかる度に飛沫が上がる。
「お前は子供の頃、よく失敗して鞭で打たれていた」
「私は不器用な子でした。他の子が当たり前にできることができずによく罰を受けました」
「夜になると、お前はよく訓練所を抜け出して、1人林の中で泣いていた」
「泣き声が知られれば、また罰を受けます。でも、レオニダス様、どうしてそのことを・・・・」
「こっそり後をつけていた。その頃からお前に目をつけていたんだろうな。もちろん襲うなんてことは考えもしなかった。ただ、お前に気付かれないように後をつけ、気がついたら自分の目からも涙が出ていた」
「陛下・・・・」
「よくわからなかったけど、お前が辛い思いをしたんだな、と考えたら涙が止まらなくなった。俺は王族の生まれだ。人前で決して涙を見せるなと教えられてきた。それなのにお前が辛かったと考えただけで・・・・」
ディリオスはレオニダスの目に涙が光るのを見た。
「スパルタの王が涙を見せることなどあってはならぬことだ。だが、俺はお前のこととなると自分でもどうしようもないほどうろたえる。お前が優秀で必要な人間だという理由だけではない。ディリオス、何があったか話してくれないか?俺の愚かさがお前を苦しめたのだろう?」
「はい、陛下。確かに私はコリントスで男達に暴行されました。油断してぶどう酒に薬を混ぜられ、手足の自由を奪われて犯されました。本来ならこのような屈辱を受けた者は自ら命を絶つのが当然、でも私はそうする勇気もなく、ただ黙っていようと思いました」
「ディリオス!」
レオニダスはディリオスの体を強く抱きしめた。声が上ずり、言葉がはっきりしないまま怒鳴りつけた。
「自ら命を絶つ・・・・そんなこと、決して許さん!スパルタ人は戦場以外に死に場所はない。死を選びたいなら、戦場で名誉ある死をつかめ!・・・・それ以外の死に方は決して許さん!コリントスで男達に犯されたからといって、それがなんだ!スパルタ人は子供の頃からもっと厳しい訓練を受け、ありとあらゆる苦痛と屈辱に耐えられるようになっている。お前の立派な戦いぶりを、卑怯なやり方でお前をものにした男達に見せてやれ。彼らはスパルタ人の本当の強さを思い知るだろう」
「陛下、このような屈辱を受けた私が生きていても・・・・」
「当たり前だ。スパルタの男は敵には強くてもこういう誘惑にはたいそう弱い。他のポリスの女と関わりを持ったり、男との関係を断りきれずにズルズルと続けているヤツ、こうした男が自ら死を選んだら、スパルタの市民は半分以下になる」
「レオニダス様・・・・」
「もう暗くなってきた。それにここはスパルタではない。俺の腕の中で好きなだけ泣き、後は忘れろ」
「スパルタの男が涙を見せるわけにはいきません」
「俺はお前のせいで大泣きし、取り乱した。お前も同じようにしてくれないと気になる」
「レオニダス様・・・・」
「2人きりの時、様はいらないといつも言っているだろう。お前は頭がよいのに、肝心なことはすぐに忘れる」
「レオニダス・・・・・さま・・・・ああ・・・・・」
さまと小声で言ったディリオスの唇をレオニダスが素早く指で押さえた。すぐに自分の唇を重ね、舌を絡め始めた。
「他のポリスの男など問題外だ。比べてみてわかっただろう、俺が特別だってことが・・・・そんなやつらのことはすぐに忘れさせてやる」
「ああ、レオニダス様・・・・待って・・・・・うわああー・・・・やめてくれ・・・・ぎゃあああー!・・・・・」
ディリオスの言葉を待たずにレオニダスの指が白い上着と腰布の間をすり抜けて秘部へと差し込まれていた。突然の痛みが、ディリオスに前に受けた恐ろしい痛みを呼び起こしていた。体の自由を奪われ、無理やり秘部をこじ開けられて熱い油を注ぎこまれ、棒を突っ込まれた恐怖と苦痛、強靭な精神を持つスパルタ人のディリオスでさえ、すさまじい悲鳴と呻き声を上げ、体をのけぞらせて意識を失うほどであった。
「ディリオス、おい、どうしたんだ?」
「うわあああー・・・・・あああー・・・・・・」
ディリオスの体は何度も激しくのけぞり、悲鳴を上げたがやがて少しも動かなくなった。レオニダスの腕に急に重さがかかり、両手で支えてやっと倒れて岩に頭を打ち付けるのを防いだのだった。
「ディリオス、おい、しっかりしろ!」
レオニダスが呼んでも返事はない。ただ、息をする音が聞こえたので、レオニダスは少しほっとした。ディリオスの体を抱きかかえて歩き、草のある場所まで来てそっと下ろし、自分の白い上着でディリオスの体を包んだ。
「ディリオス、お前に何があったんだ?どうしてすべて話してくれない。俺は傷ついたお前をさらに苦しめてしまったのか。ディリオス、頼むから目を開けてくれ。俺にはお前が必要だ。いや違う!愛している。お前が辛いと、俺も辛いんだよ。どうしたらいいかわからない。ディリオス!」
レオニダスはそっとディリオスと唇を重ねた。目から涙が溢れ、ディリオスの頬を濡らした。
「ディリオス、辛いなら俺に話してくれ。お前が泣いている時、俺はいつも抱きしめてなぐさめてやりたいと思っていた。ずっとそんな気持ちを隠しながら、お前を愛し、体を繋いで長い年月を共に生きてきた。俺の腕の中で泣いてくれ、俺が慰めてやる」
レオニダスの目から涙が溢れて止まらなかった。ディリオスは長い間意識を失っていた。だがその表情は穏やかで、月明りの下では眠っているようにも見える。
「ディリオス、愛している」
もう一度ディリオスの上に唇を重ね、金色の髪を優しくなでた。ディリオスがふっと微笑んだようにレオニダスには見えた。
−つづくー
後書き
2人がサラミス島に上陸したというのはもちろん嘘です(笑)どこかの島に2人きりで上陸させたくて、コリントスの近くにそれらしき島がないかとさがしたら、ちょうど理由をつけられそうなよい島があったので・・・・レオニダスの計画としてはそこで2人切りの甘い夜を過ごして、コリントスでの悪夢を忘れさせようと思ったのですが、想像以上に酷いことされているので、悪い結果を招いてしまいました。でも目が覚めた時、王の心は充分ディリオスに伝わるでしょう。
2007、9、10
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