新負土似亜物語(6〜10)
拍手お礼文6 「新負土似亜物語」(6)
「あれ、アレス、今僕の髪の毛引っ張った?」
「俺の手はお前の手をこうやって握ったままだぞ。お前の髪の毛を引っ張れるわけないだろう」
「そうだよね、変だなあ、誰かになんか髪を掴まれたような気がしたけど・・・」
「気のせいだよ、気のせい・・・ほら、もう競技が始まってしまうぞ。よ〜く見てないと・・」
草の上に腰を下ろし、暖かな春の日差しを体一杯に浴びて、アレス王子とヘファオンはのんびりしゃべって
います。同じ頃、馬に乗って出番を待っているフィロ太も、なんか変な感じがして前にいるプトレに言いました。
「ねえ、プトレ、今僕の髪の毛引っ張った?」
「おい、フィロ太、お前緊張のしすぎじゃないか?俺はお前の前の位置にこうして馬に乗っているんだぞ。お前
の頭の後ろまで手を伸ばして、髪の毛を引っ張れるわけないじゃないか」
「そ、そうだよね。変だなあ・・・なんか髪を引っ張られて変な呪文を聞いたような気がしたけど・・・」
「おい、おい、しっかりしてくれよ。いいか、他のヤツは問題じゃない。お前はまっすぐ灰色トス(グレートス)
のところへ行き、羊を混乱させてくれればいい。頼んだぞ!来年の優勝はお前のものだから」
「来年の賞品は今年より、10倍いいものなんだよね。楽しみだなあ〜何もらえるんだろう・・・」
「フィリポ酢王、やっぱり私には無理です。いきなり馬に乗って羊を柵に追い込むなど・・・せ、せめて来年
まで待っていただけないでしょうか?来年までにしっかり訓練を受けて必ず・・・・」
「まだ公表したわけではないが・・・来年の賞品はだな、実は・・・おりんを考えておる」
「お、お、おりん様ですか?・・・あ、だめです。来年は出られません。今年出ます。いえ、羊の柵追いは子供
の頃よくやっておりました。羊の柵追いができてこそ一人前の負土似亜男子ですよね、は、はい・・・あ〜ん
王様、髪の毛などひっぱらないでください。私のこと心配してくださるそのお気持ちだけで・・・」
「誰もお前の髪などひっぱってはおらん。早く行け。みなお前のことを待っているぞ」
フィリポス王が怖い顔で睨みつけます。小姓のパウもしぶしぶ馬に乗り、スタートラインに並びました。
「あの〜おりん王妃さま、この儀式はいつまで続くのでしょうか?」
「せめて灰色トス(グレートス)様が優勝なさって表彰台に上がるお姿をぜひ拝見したいのですけれど・・」
「ええーい、そなたたち、余計なことを途中で言うから、呪文を間違えたではないか!そなたたちにマイナス
の巫女としての自覚はあるのか!さっきから聞いておれば口に出すのも汚らわしいあの男の名前ばかり・・」
ヘファオン、フィロ太、パウの3人の髪の毛と妖しげな液体の入った壷を前にしてディオス神への呪文を唱え
ていたおりんは真っ赤になって怒り出しました。一緒に呪文を唱え、狂乱の踊りを踊るはずのマイナスの巫女
である侍女達が、またしても余計なおしゃべりで邪魔をしたのです。
「だ、大丈夫です、おりん王妃様、今の呪文は確実にディオス神に届いたはずです」
「私の呪文に大きな間違いはない。だが中に入れた髪の毛の持ち主がそろいもそろってつまらぬ者ばかり、は
たしてどれほどの効力があることか・・・」
「そ、そんなことありません。小姓のパウはフィリポ酢王様のお気に入り、ヘファオン様はアレス王子様のお気
に入りでございます。必ずや大きな影響を与えるでございましょう・・・」
「親子そろって間の抜けた男ばかり好きになり、ええーい、つまらぬことを言っている場合ではない。もう一度
精神を統一してディオス神に祈りを捧げるぞ。そなたたち、よいな!」
おりん王妃が一声叫べば、そこはやっぱりマイナスの巫女である侍女達、神殿のまわりで再び歌い踊り始め、
狂乱していきました。そして王妃もまた壷を前に呪文を唱えます。
「神聖なるディオスの神よ。どうかこの者達を使って、今年の競技を破壊してくださいませ。神聖なる・・・」
拍手お礼文7 「新負土似亜物語」(7)
羊の柵追い競技をするために、負土似亜全土から選び抜かれた男達が集まってきました。皆たくましい黒や
茶色の馬に乗っています。その男達の群れの中にたった一人というか一人と一頭、真っ白な馬に乗った、純白
の衣装に身を包んだ少年が近づいてきます。風を受けて後ろになびいている長い金髪が、太陽の光でキラキラ
と輝いています。パトロンズ家の長男かっさんでした。かっさんはメニオンの長男フィロ太と同じ年ですが、
この2人はあまり仲がよくないというか、お互いかなり嫌っていました。
「おい、フィロ太、随分緊張しているみたいだな、顔がひきつっているぜ」
「なんだ、かっさんか。君はそんな白い馬で参加するのか?」
「そんなわけないだろう。この馬は併留宇斜国の王家で使われていた馬の子孫なんだぜ。そんな羊の柵追い
なんかに参加させて怪我でもさせたら大変だ。負土似亜の国中捜しても5頭もいない白馬だぞ」
「ぺい・るう・しゃこく!・・・そ、そんな怖ろしい国の馬なんてどうやって手に入れたの?危険だよ、
今すぐ降りた方が・・・やめて・・・僕の側から離れて向こうへ行ってよ」
併留宇斜国の名前を聞いて、フィロ太の顔色は真っ青になりました。負土似亜の遥か東に位置する併留宇斜
国は怖ろしい力を持つ巨大な帝国で、過去に何度か負土似亜に大軍で攻めてきたこともあります。もっとも
そのころの負土似亜は男達のほとんどが羊飼いで、城も併留宇斜国の大王の目から見れば、大きな羊小屋に
見えてしまったため、通り過ぎてしまったのです。当時の負土似亜王は慌てて太陽を模った王家の紋章の旗
を作って大きな羊小屋、ではなくて城の城壁に立てておいたのですが、それでも気がついてもらえません
でした。でも、今のフィリポ酢王が建て直した城と国の大きさが知られてしまえば、今度こそ真剣に併留宇
斜国が攻めてくるかもしれないのです。
「負土似亜一の将軍メニオンの息子のフィロ太が併留宇斜国に怯えるとはな、お前の父親が嘆いているだろう」
「うるさい、それ以上言うな!」
「メニオンの息子がどんな顔してスタートラインに立つか来ててみれば、俺の白馬くらいで驚いて、もうメニオン
家もおしまいだな。次に権力を握るのはパトロンズ家できまりだ。じゃ、せいぜい恥をかかないようガンバレ」
かっさんは笑いながら去っていきました。フィロ太の目から涙がこぼれ落ちました。自分が優勝どころか満足に
馬を扱えないで恥をかくかもしれないということはフィロ太自身がよく知っていました。将軍メニオンの息子と
いうことでフィロ太は幼い頃から乗馬や剣術の厳しい訓練を受けてきました。でも人間の場合カエルの子がカエ
ルというように、父親が強いから息子もそのとおりになるとは限りません。どんなに努力をしても父の期待通り
にはできないこと、フィロ太自身がよく知っていました。遠くの草の上ではアレス王子とヘファオンが楽しそう
に笑い合っています。自分もヘファオンのように、ちょっと王様に目をかけてもらえる貴族の家の子だったら
どんなによかったでしょう。そうすれば日夜苦手な戦闘訓練に明け暮れなくても、王子と一緒にのんびり楽しむ
ことができたかもしれないのです。フィロ太は歯をギリギリと噛み締めました。
「お、フィロ太、なんかやる気になっているじゃないか。かっさんに何か言われたのか」
「悔しいよ、プトレ・・・僕は本当に悔しい・・・どうして僕は将軍の子になんか生まれたの?君みたいに
平凡なただの一兵士の子として生まれていたらもっと気楽に・・・」
「ただの一兵士の子で悪かったな。俺の父ラゴスは身分が低いから戦場でいくら活躍しても・・俺だって・・
だけど今に見ていろ!必ず俺は・・・・」
「全員、位置について、用意、スタート!」
大きな旗が振り下ろされ、馬に乗った男達が一斉に飛び出しました。これから制限時間内に周りの山に数多く
放たれた羊達を集め、それぞれに用意された柵の中へと追い込むのです。スタート地点で早くも他の馬とぶつ
かり、落馬した男がいました。小姓のパウです。もう片方の馬に乗っていた灰色トス(グレートス)はパウ
の馬がバランスを崩したことも気づかずに猛スピードで山へと向かっていきます。他の男達も同じです。フィ
ロ太もゆっくり丘の斜面へと馬を走らせました。倒れたパウを数人の男が急いでフィリポ酢王の所へ運びます。
「パウ、しっかりしろ!すまなかった。わしが無理をさせたばかりに・・・」
「いえ、大丈夫です、王様、私のことは気にせずにどうか競技をごらんになってください」
「そうか、ではそうするとしよう。おお〜灰色トスが戻ってきたぞ。10頭もの羊を追い立てて、大したもの
だ。やっぱり今年も優勝は灰色トスで間違いないだろう。おお〜柵に入れた後また山にもどっておる。さす
がわしの灰色トス、あの見事な体つき、馬の乗りこなしの巧みさ、あっぱれ、わしのグレートスが一番になっ
ておるわ!今日はよき日だ・・・ぐわっ・は・は・は・は・・!」
「王様、押さないでくださいーああー腰が、足が痛いー骨が折れたー!!」
フィリポ酢王は夢中になって羊の柵追い競技を見ているため、隣でパウが痛さでうなっている声がほとんど
聞こえませんでした。
「さあ、そなた達、もっともっと大きな声で歌い、踊り狂うのです。もっと激しくもっと大きく・・・」
森の中のディオス神の神殿の周りでは、おりんを中心にマイナスの巫女達の踊りがますます激しくなっています。
お礼文8 「新負土似亜物語」(8)
「おりん王妃様、お願いでございます。競技がどうなったか見に行ってもよろしいでしょうか?」
「灰色トス(グレートス)様の勇姿を一目見させてください」
山の上ではディオス神への儀式の真っ最中でしたが、マイナスの巫女達は競技のことが気になって
しょうがありません。呪文の言葉も狂乱の踊りもついいい加減になってしまいます。
「ええーい!それほど気を散らせるならよい物を見せてくれるわ。そなた達、少し下がるがよい」
おりん王妃が布に包まれた物をもってきました。それを大事そうに祭壇の上に置きます。
「おりん様、そちらはなんでございましょうか?」
「これは私が併留宇斜国の商人より買い入れた、物見の水晶という物よ。遠くの物でもこの水晶があれば・・」
「す、素晴らしい物でございます。本当に遠くの物が見えるのでございますか?」
「商人はそのように言っておった。よおく見ておるがよい」
おりんが布を開くと見事な大きさの水晶玉が出てきました。そしてボロボロのパピルスも落ちました。
「おりん王妃様、素晴らしい水晶なのですけど、何もうつってはおりません」
「もしかして、そのボロボロのパピルスが、取り扱い説明書ではないですか?」
「ええーい、そのような紙、よく読めぬ文字で書いてあって、私はマイナスの巫女の中でもとりわけ強い魔力
を持ち、魔女とすら呼ばれているおりんです。水晶玉くらい使いこなせます。そなた達、精神を統一させ、思
念波をここに向かって出すのです。見たいと思うものを頭に思い浮かべ、その情念の光をこの中へ・・・」
「あ、見えました、かっさん王子様です。白い馬に乗ってらして、なんてりりしくて、素敵なのでしょう」
「きゃー、灰色トス様もうつってます。水晶にうつる顔もやっぱり浅黒いお顔なのですね〜」
「今、口を利いたもの、すぐ前に出なさい」
おりん王妃の顔つきが変わり、マイナスの巫女からすっかり普段の侍女の顔になってはしゃいでいた女達は口
をつぐみました。何がいけなかったのか、王妃はたいそう険しい顔をしています。
「王子というのは、確か王の子供の尊称ではなかったか?かっさんはただの大臣、パトロンズ家の子、それを
王子などと呼ぶのは、なんという低落。臣下の子にはそれにふさわしい呼び方があるだろう」
「もうしわけありません。負土似亜で王子様はアレス王子様だけです」
「他に王子と呼ぶべき者は、この負土似亜国におるか?」
「いいえ、王子様はアレス王子様だけでございます。アレス様は、ただお生まれが高貴であられるだけでなく、
ご勉学でも馬術でも、剣術でもなにもかも誰よりも優れた才能があり、素晴らしい王になられるでしょう」
「それにお友達のヘファオン様、なんてかわいらしく、おやさしい方なのでしょう」
「ヘファオンのことなど褒めなくてよい。それよりも意識を集中して灰色トスをうつし出すのじゃ。あの男は
どうなったか、呪文は本当に効いたのか、ああー気になる」
「大丈夫です、おりん様、小姓パウの馬が灰色トス様の馬とぶつかって・・・」
「それは本当か!まじないの言葉が効いたのだな。それで灰色トスは馬から落ちたのか、私に見せなさい」
「いいえ、それが馬から落ちたのはパウだけで、灰色トス様は大丈夫なようです。そのまま走っています」
「水晶玉を貸しなさい。ああ、なんということ、私の呪文の言葉が全く効き目がないとは・・・」
王妃おりんは激しく長い髪をかきむしり、その場に座り込んでしまいました。
「おりん様、しっかりしてくださいませ。王妃様の呪文が効力がないわけではなく、あの小姓のパウがあまり
にも、つまらぬ力のない男ゆえ、役に立たなかったというだけございます。まだあと二人分の魔力が・・」
「そのつまらぬ、呪文さえ効かぬような小姓に、王妃の私が王の愛を奪われたというのか・・・」
「王妃様、そのことを考え始めますと話が複雑になりますので、見てください。フィロ太様が、灰色トス様の
方に向かって走っておられます。あ、こっちの方もうつっております。アレス王子様が・・・」
「ああ、我が息子アレスはまだ、ヘファオンと手などつないでおるのか」
「やっぱり王妃様がお強くあらせられますので、どうしても心なごむ方が必用なのでございますね」
「おだまりなさい、そなた達、いったい誰の侍女だと思っているのです!」
「もうしわけございません。おりん王妃様の侍女でございます」
「ええーい、じれったい、やはり直接競技場までゆく。そなた達もついてくるのです。いいですね」
こうしておりん王妃と侍女達は結局、併留宇斜国の水晶玉も、呪文をかけた髪の入った壷も祭壇に置いた
まま、いそいで山を駆け下りていきました。
お礼文9 「新負土似亜物語」(9)
いよいよ羊の柵追い競争が始まりました。灰色トス(グレートス)はものすごい勢いで草原を走り抜け
あっという間に山や丘に散らばったたくさんの羊達を集めています。たくさんの観客は誰が最初に用意
された柵の方に戻ってくるか、今か今かと待ち構えています。
「ねえ、アレス、ここだと羊を追うところがあんまり見られないね」
「そうだね、俺達も少し山の方に行ってみようか」
「でも、僕は馬に乗るの、あんまりうまくないんだよ」
「大丈夫、俺の黒馬ブーケなら、思い通りに走ってくれるから、一緒に乗ればいいだろう」
「わかったよ、がんばって乗ってみるよ」
そのころフィロ太は突然走り出した馬をうまく御することができなくて、手綱にしがみついていました。なぜ
フィロ太の馬が突然走り出したかというと、彼はオオカミの毛皮を衣服の下にこっそりつけていたからです。
これはプトレの陰謀で、フィロ太がオオカミの臭いをさせて灰色トス(グレートス)の集めた羊の群れに突っ込
めば、羊は混乱して逃げ惑うだろうと考えたわけです。ところが灰色トスの羊の群れに突っ込む前に、フィロ太
の乗っている馬の方がオオカミの臭いに反応し、勝手に走り出してしまいました。
「うわー!怖いよー・・・誰か止めてー!・・・助けてー!・・プトレ、なんとかして!・・・」
フィロ太がいくら泣き叫んでもこの案を考え出したプトレはそばにいません。彼は自分の羊を集めるのに忙しい
のです。灰色トスの羊が逃げ惑い、混乱していてもそれだけでプトレが優勝できるわけではありません。フィロ
太が時間稼ぎをしていてくれる間に、自分は少しでも多く羊を集めたいのです。走って行く先にかっさんの白馬
が見えました。
「誰か、たすけてー!ああー!・・・・かっさんでもいいからさー、たすけてー!」
けれどもかっさんは自分の身の危険も考えずに人助けをするような、勇気や自己犠牲的精神を持ち合わせている
少年ではありません。後ろを振り返り、フィロ太の馬がものすごい勢いで走ってくるのを確認すると、ひらりと
それをかわし、何事もなかったかのような涼しい顔をして、白馬に乗って去っていきました。フィロ太の馬は止
まりません。裏山で、王妃おりんとマイナスの巫女達がフィロ太の髪の毛を壷に入れ、呪文をかけたので、その
ききめが少しずつ現れてきたのかもしれません。ある程度まで山を駆け上った馬は、今度はくるりと向きを変え
山を下っていきます。競技場に向かって真っ直ぐ駆けていく馬、フィロ太はもう怖くて怖くてたまりません。
「おーい、フィロ太、何やっているんだ。馬を全然コントロールできてないじゃないか!」
アレス王子の声が聞こえます。ヘファオンと二人、黒馬のブーケに乗ってフィロ太の暴れ馬以上のスピードで
近づいています。
「フィロ太!お前、オオカミの臭いがするぞ!だから馬が驚くんだよ。早く飛び降りろ」
「えー怖いよー」
「わかった、俺が近くまでいってやるからさ、こっちに乗り移れ、ヘファオン、お前は馬から降りろ」
「え、どうして?僕がじゃまなの・・・僕のこと嫌いになったの・・・?」
「そうじゃないけどさ、この場合早くフィロ太を助けないと、さっさと下りろ」
アレス王子はヘファオンを強引にブーケから下ろし、またすばやくフィロ太を追いかけていきました。ぴったり
フィロ太の馬の横につき、腕を掴んで素早く自分の馬に飛び移らせます。誰も乗せてない馬はますます早く走って
いきます。山を草原を駆け、観客の集まっている競技場に向かっています。
「しまった!まだ馬は興奮している!早く止めないと!」
アレス王子はフィロ太とヘファオンを残して猛スーピードでブーケを走らせます。ブーケは特別足の速い黒馬で、
また彼自身負土似亜国内でも評判になるくらい高い乗馬技術をもっていました。けれども狂ったように興奮して
走る馬にはなかなか追いつきません。馬はまっすぐフィリポ酢王の座っている特別観覧席に向かっています。
「王様!危ない」
小姓のパウが、怪我の痛みも忘れ、とっさに観覧席から飛び出して、疾走する馬の前に飛び出していきました。
お礼文10 「新負土似亜物語」(10)
「王様!危ない!」
フィリボ酢王に向かって突進してきた暴れ馬の前に、小姓のパウはとっさに飛び出してしまいました。何かを
考える余裕はありませんでした。馬はもう目の前です。目を閉じると大好きなフィリボ酢王の笑顔が浮かんで
きました。まわりから悲鳴とも絶叫ともいえない叫び声が聞こえてきます。でも、パウの心は穏やかでした。
その後ろに黒い影が疾走してきました。黒馬ブーケに乗ったアレス王子です。アレス王子は素早く暴れ馬に飛
び乗り、手綱を思いっきり引きました。馬はけたたましいいななきの声をあげましたが、すぐに静まり、アレ
ス王子を乗せて少し離れた場所にいきました。パウは馬のいななきを聞いて目を閉じたまま悲鳴をあげました。
何かが自分の体を強く抱きしめています。まさか馬が抱きつくわけないし、変だなあと思いながら、恐る恐る
目を開けました。フィリボ酢王が泣きながらパウの体を抱きしめています。
「パウよ、お前はわしの命を助けようと、自らの体を馬の前に投げ出したのか?心配せんでよい。馬は我が
息子アレスが止めた。だがわしのことをこれほど思ってくれる男はいままでいなかった。お前は負土似亜
一勇敢な男だ。我が娘クレオはお前にやることにしよう」
そのころ山道では、おいてきぼりにされたヘファオンとフィロ太の二人がトボトボと歩いていました。二人は
道に迷ってしまい、より山奥の方へと向かっています。そこへ王妃おりんとその侍女でマイナスの巫女でもある
女達の一団が山道を走り下りてきます。
「そこの二人、お前達は大切な羊の柵追い競技があるというのに、なぜこのようなところでウロついているのだ」
「何故と言われても、僕達もおいていかれて、よくわからないんです」
「王妃様、この二人にかまっていましたら、柵追い競技は終わってしまいます」
「そうです、灰色トス(グレートス)様の勇姿が見られなくなってしまいます。でも灰色トス様がクレオ様と
結婚なさるなんて、いやですわ。やっぱり灰色トス様は永遠にフィリボ酢王様だけに操を守って・・・」
「そうならぬよう呪文をかけたのであろう。そなたたち、このようなつまらぬ子供にかまっている暇はない、
一刻も早く競技場に着いて、今年の競技をメチャクチャにしなければ・・・」
「そうですね、そうすれば灰色トス様は永遠にフィリポ酢王様だけのもの・・・」
おりん王妃とマイナスの巫女達は嵐のような勢いで走っていきました。そして競技場に着くと、なんともう
競技は終わっており、たくさんの宴会用の天幕が張られていました。フィリボ酢王はすっかり酔ってよい
気分になっています。
「おう、おりん、すぐに娘のクレオに知らせるがよい。そなたの未来の婿は小姓のパウに決まったと・・」
「まさか・・・パ、パウが優勝を・・・」
「いや、優勝は今年も灰色トスだったが、このパウは自分の身を投げ出して、わしの命を救おうとした。誰
よりも勇気のある、負土似亜一の男だ。5年後、一人前になったら、クレオと結婚させよう」
「そ、そんな小姓上がりの男と私の娘を・・・許しません、私は決して許しません」
「フィリポ酢王、俺が優勝したのにどうしてクレオ様がパウのものに・・・」
「灰色トス、その話はいずれまた寝室でゆっくりと・・・」
フィリポ酢王は、かなり酔っていい気分になっていましたので、何事ももうどうでもよい気分でした。別の天幕
ではアレス王子とプトレが仲良くワインを飲んでいます。
「やっぱり君の乗馬の腕前は最高だな。あの暴れ馬に飛び乗るなんて」
「いや、君もすごいよ。初出場でいきなり2位になったんだから、だけど俺、何か忘れているような気がする」
「俺もだよ。何か大事なことを忘れているような気が・・・まあいいか、今夜は大いに飲もうぜ」
同じ頃、ヘファオンとフィロ太はまだ山道で迷っています。もう日がくれて真っ暗です。二人は心細くて手を
しっかり握り合っています。
「ねえ、フィロ太、どうして誰も僕達のこと捜しにきてくれないのかな」
「そうだよね、すっかり忘れられたみたいで、おかしいな・・まさか、マイナスの巫女の呪いにかかったとか」
「うわーん、こわいよー、僕、呪いにかけられること何もしてないよ・・・・」
「僕だって、悪いことなんか何も・・・怖いよー・・誰か助けてよー・・・」
二人は泣きながら山道を歩いていますが、何度も何度も同じ所を通っています。髪の毛を抜かれてマイ
ナスの巫女の呪いにかかってしまったこと、この二人は少しも気づいていませんでした。
−つづくー
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