お礼文(36) 「新負土似亜物語」(36)
ディオス神に捧げる劇が始まりました。観客席の松明はほとんど消され、真っ暗になりました。それをいいこと
にフィリボ酢王は、さっきから隣に座らせたアツ太郎の姪である若いエウリの方へ盛んに手を伸ばしています。
「あ、陛下、お止めください。どうかそれ以上は・・・・」
「恥ずかしがっているのか。アレスと同じ年で13になるのだな。若い娘というのはなんとしなやかで・・・」
「お願いです、陛下・・・」
「心配しなくていい。お前がもう少し成長するまで何もしない。まだ固いこの蕾を無理やり引き裂くことなど・・」
「ああ、陛下・・・王妃様が・・・こちらをご覧になって・・・」
「おりんのことなど気にしないでよい。あれはディオス神に夢中になり、踊り狂っておる。さあ、もっとそばへ」
「お許しください、陛下。私は王妃様が・・・」
おりん王妃の目は暗闇の観客席でもフィリボ酢王がどこにいて何をしているかはっきり見ることができました。
フィリボ酢王にはおりん王妃以外にも何人もの妻がいます。けれども彼女達はみなおりん王妃と同じようによそ
の国から来ていました。もしこの純粋な負土似亜の貴族の娘エウリから王子が生まれるようなことになれば・・・
アレス王子の立場が危うくなるかもしれません。
「そのようなことは決してさせぬ。神よ。ディオス神よ。その力を今こそ示せ、裏切り者を八つ裂きにするのだ」
激しい音楽が流れ、舞台の上でおりん王妃とマイナスの巫女になった侍女達が踊り狂います。そこに神の怒りに
触れて殺されることになる王の役の男が衣装をつけて近寄ります。この物語がどういう結末を迎えるか、カッサン
はよく知っていました。
「おい、ヘファオン、フィロ太、起きろ!劇は始まったぞ!」
「カッサン、大きな声出すなよ。寝かせとけばいいだろう」
「だめだよプトレ・・・おい、アレスは・・・」
「真剣な目で見ている。声をかけてはいけない。静かにしていろ」
「そんな・・・」
カッサンの手足はガタガタ震えました。背中はもう汗びっしょりです。普段ちょっと汗をかいただけでもいつも
気にして丁寧に布で拭っているカッサンですが、もう動くこともできません。心臓が爆発しそうなほど大きな
音をたてています。男がおりん王妃に近づき、真っ赤な血が当たり一面飛び散りました。
「うわあああああー」
「さわぐなよ、カッサン。あれは劇の演出だよ」
「く、く、・・・・首があああ・・・」
カッサンは意識を失ってしまいました。舞台ではもちろん作り物ですが、殺された男の首を刺した槍を持った
おりん王妃がまだ踊っています。その目はしっかりフィリボ酢王とエウリの方を睨んでいました。会場から
大きな拍手が湧き起こり、おりん王妃と侍女達は舞台の裏のカーテンに隠れました。そしてまた静かな歌が
流れます。
「ああー、眠い、まだ始まらないの?」
「ヘファオン、もう終わったよ。お前は寝ていてよかったかもしれない」
「あれ、カッサン、どうしたの?」
「お、おいカッサン・・・だめだ、意識を失ったらしい」
「アレスは?」
「今は声をかけるな。完全に劇の世界に入っている。今年の劇は特別だった。俺もまだ震えが止まらない」
「プトレまで恐がるなんて・・・よっぽど恐かったんだね」
「えー、劇がどうしたの?」
のんびりとした声はフィロ太です。フィロ太もまたぐっすり寝てしまい、今目を覚ましたところでした。
「まったく、お前達は気楽でいいよ。おい、カッサンが石段で頭を打たないようしっかり支えていてくれ。
もうじきこっちの松明もつくと思う。そうしたら起こしてやろう」
「カッサンも寝てしまったの?」
「いや、意識を失ったらしい」
「ええー!気絶するってよく劇や詩の中では言っているけど、本当に気絶することなんてあるの?」
「そう言うなよ。お前たちも起きていたら危なかったかもしれない」
「だって僕達は一生懸命ウサギを追いかけたから・・・わかった!カッサンはきっと僕達が走っていた時
どこかでイノシシ狩なんかしないで寝ていたんだよ。だから今起きていて気絶した」
「自業自得というやつか」
「わあー、プトレはすごい。難しい言葉を知っているね」
「なんだよ、お前達、うるさいなあー・・・うわあああー助けてくれー」
どうやらカッサンが目を覚ましたようです。でもまだうまくしゃべれず、くちばかりをパクパク動かしています。
「大丈夫だよ、カッサン、劇はもう終わったから。ちっとも恐くなかったよ」
ヘファオンが明るい声で元気よく言いました。
拍手お礼文(37) 「新負土似亜物語」(37)
さて、いろいろと事件の多い見栄座での3年間の生活が終わり、アレス王子とヘファオンは16歳、フィロ太と
カッサンは18歳、プトレは21歳になりました。みんな騎兵隊の一員としての訓練が始まります。彼らの所属
した軍の隊長は灰色トス(グレートス)でした。
「ヘファオン、フィロ太、お前達ミエザで乗馬の訓練はしたはずだよな。狩にもいったはずだし、ディオス神
の祭りに行くために、長い距離を馬で移動した。それなのになんでこんなに馬に乗るのが下手なんだ!」
灰色トスはかなりイライラしています。50名ほどの隊で毎年数人は新入りの訓練をしているのですが、見栄座
を卒業して入隊したヘファオンとフィロ太の下手さ加減はずば抜けていました。普通に乗る場合にはなんとか
進むのですが、弓や槍を持ったりするともうバランスを崩して落ちそうになり、馬にしがみついてしまいます。
「フィロ太、お前のこんな姿を見たら、パルメ将軍は嘆くだろうな」
「待って、灰色トス、父上には何も言わないで」
フィロ太は必死で訴えます。灰色トスは黙ってうなずきました。
「わかった。言わないでいてやるよ。そのかわりもう少しがんばれ。おい、ヘファオン、お前も自分が関係ない
とは思うなよ。お前の乗馬技術もひどいものだ。今まではまだ子供でただ乗っていればよかったが、これからは
そうはいかない。馬に乗って戦うのだぞ」
「ハハハハ、ヘファオンやフィロ太が実際戦いに行くなんて信じられないな。敵を見たらクルリと回って逃げて
しまいそうだ。あ、それとも恐さのあまり動けなくなってしまうかな」
「カッサン、あんまり悪口を言うな。お前だってあの祭りの時、劇を見て気絶したじゃないか」
「あの話はもうするな。大体そういう時に寝ているヘファオンとフィロ太こそ信じられない」
「気絶するカッサンこそ信じられないよ。だって、劇を見ただけだよ、そんなに恐かったの?」
「いい加減にしろ!」
それまで黙っていたアレス王子が、突然鋭い声で叫び、他の4人と灰色トスは驚きました。みんなが話をしている
中、彼だけは愛馬ブケファラにさっさと飛び乗っています。他の騎兵と同じように鎧兜を身につけ、手には長い
槍と短剣も持っていました。
「お前達、いつまでも見栄座と同じ気分でいるな!俺達はもう騎兵隊として訓練を受け、必要があれば戦に行く
準備をしなければいけない年齢になっているんだぞ。灰色トス、下手なヘファオンとフィロ太は他の者をつけて
別の場所で訓練させてくれ。こいつらと一緒じゃ、いつまでたってもまともな訓練ができない」
「おい、アレス、まだ騎兵隊に来たばかりなのだし、そこまで言わなくても・・・・」
「はっきり言わせてもらう。これは遊びではなくて訓練だ。戦はいつ始まるかわからない。プトレ、カッサン、
早く準備しろ!」
アレス王子の言葉には気迫がこもっていました。灰色トスは騎兵隊員の一人に命じてヘファオンとフィロ太を
離れた場所に行かせました。
「おい、ヘファオン、泣くなよ。君ももう16だろう」
「わかっている、わかっているよ、フィロ太・・・・でもアレスがあんなこと言うなんて、僕達二人は下手で
邪魔だから向こうへ行けって・・・・」
馬に乗って走らせるだけの訓練を終えて手を洗っている時、ヘファオンの目から涙がこぼれ落ちました。今まで
ずっと仲良しでいつも一緒だったアレス王子に、一緒に訓練を受けたくないとまで言われたのです。
「そりゃ、僕と君が特別下手なことぐらいわかっているよ。でも、あんなこと言わなくても一緒に訓練させて
くれればいいのに・・・僕だって一生懸命やっているよ。もう子供の時とは違う」
「そうだね、ヘファオン。でも僕達が下手で訓練の邪魔になるというのは本当のことだ。もし僕が灰色トスの
ように隊長だったら、やっぱり君と僕は戦いに行く時外すだろうし、訓練だって別の場所でやらせる」
「フィロ太・・・」
「僕は将軍の子だ。実際に行ったことがなくても戦いがどういうものかよく話は聞いている。それに近いうち
に大きな戦いが始まるという話も聞いた。アレスは出陣する気だ」
「ええー!だって僕達はまだ16歳で・・・」
「僕とカッサンは18だ。フィリボ酢王も僕の父もみんなそれぐらいの年で初出陣をした」
「そ、そうなの?」
「アレスはきっともっといろいろなことをフィリボ酢王から聞いているはずだ。だから目の色も違っている」
「初出陣、そんなこと言われても僕はまだ・・・・」
「僕だってそうさ。でもその日はすぐにくる。君は逃れられるかもしれないが、僕は逃げられない」
「どうして?君だって僕と同じくらい下手で足手まといになる」
「それでも行かないわけにはいかない。弟のニカ乃とヘク斗が出陣するかもしれないんだ。そうしたら僕も必ず・・」
「フィロ太・・・・」
フィロ太が遠くの方を見ました。もう空は夕焼けで赤く染まっているというのに、アレス達は騎兵隊に混ざって
訓練を続けています。カッサンが少し遅れるくらいで、アレスとプトレは前から厳しい訓練を続けてきた他の騎
兵隊の馬に少しも遅れていません。笛の合図があればみんな一斉に向きを変え、スピードは全く落とさずに走り
続けます。重い鎧兜を身につけ、手には槍を持ったままなのです。
「僕達もすぐああいうふうにならなければ・・・もうウサギを追いかけて喜んでいる場合じゃない」
「そうだね」
フィロ太の言葉にヘファオンもうなずきました。2歳しか年は違わず、背はヘファオンの方が高いくらいなのに
遠くを見つめるフィロ太の顔が急に大人っぽく引き締まって見えました。
拍手お礼文(38) 「新負土似亜物語」(38)
「おい、パウ、こんな剣もまともにかわせないのか」
「今までずっと王のお気に入りだったから、まともに訓練もしてこなかったしな」
「こんなんでよく近衛兵になろうと志願したものだ」
「他に行き先もないしな。フィリボ酢王様も無慈悲な方だ。他に気に入りの小姓ができればさっさと追い出す」
「俺達、お気に入りにならなくてよかったよ。なまじ夢を見れば後でみじめだ」
「今日の訓練はこれぐらいにしておけ。あまり厳しくして告げ口されても困る。後片付けはパウ、お前がやれ」
フィリボ酢王には全部で20人ほどの近衛兵がいました。交代でどんな時でも常に10人が側で見張りをし、他の
10人は訓練と休憩です。小姓だったパウも近衛兵に配属され、一緒に訓練を受けることになりました。パウの
場合は地方に住む両親がかなりの財産を蓄えていたので、故郷に帰って暮らすという方法も残されていました。
でも、パウはずっとフィリボ酢王のそばで働きたいと近衛兵になる道を選んだのです。エペイロス国から来た
おりん王妃の弟アレス王子は国へ帰り、即位して王となりました。灰色トス(グレートス)は今では騎兵隊の
隊長となり、若い兵士はもちろんのことフィリボ酢王の子アレス王子やヘファオン、フィロ太といった重臣の子
の監督まで務めていました。パウ1人が新入りの近衛兵で年上の者に苛められ、パッとしない毎日を送っています。
「パウ、近衛兵の衣装も似合うようになってきた。訓練に励んでいるか?」
「あ、陛下、もちろんでございます」
「こう見えても、王というものはいつどこで命を狙われるかわからない。だがお前のように気心が知れた者が
近衛兵にいてくれるのはありがたい。正直言って近衛兵ですらみな信用するわけにはいかない。もし、怪しい
動きを見せる者がいたら、すぐに教えてくれ」
「わかりました。あの、彼は・・・・」
「ああ、新しく小姓になったパウサというものだ。なかなかよく気がきく子だ。何か伝言がある場合は、彼に
言ってくれ。いいようにはからってくれる」
「もう以前のように私が陛下のおそばに上がることはできないのでしょうか?」
「お前には本当に感謝している。だが、人には立場というものがある。小姓ではなくなった者が、いつまでも
まわりでウロウロしていては、よからぬ噂も立つ。これからは自分の立場を考え・・・・」
「わかっています。自分の立場を考え、近衛兵として全力で陛下をお守りいたします」
フィリボ酢王は若いパウサという少年を従えて歩いていった。12,3歳位、パウが初めてフィリボ酢王に仕えた
のもそのくらいの年齢であった。地方の村から来て王宮の暮らしを何も知らない自分に王はどれほど親切にし
てくれたことか、それを思うと今ここで若い子に嫉妬などしてはいけないと自分に言い聞かせた。
「フィリボ酢王様、最近は新しく入った小姓に夢中になっているみたいですね」
「本当、毎晩のようにあの子ばかりを部屋に入れて・・・でもあのパウサって子、まだ12歳でしょ。それで
お相手をするなんてなんだかかわいそうな。あの年では体も小さく一人前になっていないでしょうに・・・」
「あら、それくらいの方がお相手するのにちょうどいいのよ。女と違って男の子は20歳にもなって髭が生え、
毛が生えるようになったらおしまいよ。あのパウだってとうとう小姓から近衛兵になったわ」
「でも、灰色トス様は、20歳をとうに過ぎ、髭も毛も他の方より濃くていらっしゃるのに、いまだにフィリボ
酢王様に愛されていますわ」
「あの方は特別よ。あの方くらいになれば、髭が生え、胸毛が黒々としてらしても、今度は真に男同士の愛の
対象になられるのよ。素敵だわ。大人の男として王に愛されるなんて・・・」
おりん王妃の部屋の隣では、今日も侍女達が集まっておしゃべりし、王妃が来たのにちっとも気付いていません。
「汚らわしい、そなた達、また髭の男同士の愛についてしゃべっているのですか」
「あ、王妃様、お早うございます」
「いえ、灰色トス様以外に、最近はかわいらしい小姓の子が・・・」
「ああ、新しく来た小姓ね。どうせ男なら子供ができる心配はないし、好きにさせときなさい。それよりも早く
水晶玉を出して、アレスのことうつしてちょうだい。あの子ときたら、せっかく見栄座からこちらにもどって
きたというのに、朝早くから夜遅くまで騎兵隊の訓練に行ってしまって・・・ああ、アレス、うつっているわ
まあ、一段とたくましくなって・・・そうね、もう16になるんですもの。近くで馬を走らせているのはプト
レね。あら、アレスの方が早いじゃないの。いいわよ、その調子!」
「王妃様、やっぱりアレス王子様は何をやってもずば抜けていらっしゃいますね」
「負土似亜の時期国王はアレス王子様に間違いありません」
「そなた達、なに当たり前のこと言っているの。前にあのエウリとかいう小娘が近づいた時、もしやこれはと
思ったけど、王は小娘には興味がないのね。それからちっとも呼んでないわ。オーホホホホ・・・アツ太郎は
さぞやがっかりしているでしょう。大臣か将軍にでもなりそうな勢いだったのに、残念だこと・・・」
「本当に、あの祭りの時にはどうなることかと・・・王妃様のあまりの恐ろしさに、あの日の夜は何人もの子
が気絶したとか聞いています。そんなことが続いたら・・・」
「ホホホ・・・そんなに勢いがあったのかしら?きっとあの小娘もそれで怖気づいたのね。いい気味だわ」
「きっとそうですよ、王妃様」
「ああ、私のアレス、馬を走らせるのがなんてうまいのかしら・・・」
おりん王妃はうれしそうに水晶玉を眺めています。彼女は知りませんでした。16歳になったエウリが密かに
フィリボ酢王の寵愛を受け、そのおなかには王の血を引く子がすでに宿っていることを・・・
お礼文39 「新負土似亜物語」(39)
ジャンジャカジャーン、ジャンジャンジャン、ジャンジャカジャーン、タリラーリラ〜
「まあなんでしょう!今日は朝から騒がしいこと」
「あなた、この大事な日を忘れていたの?出陣式よ、出陣式!アレス王子様の初陣のお祝いよ」
「あら、今日だったかしら。でも変ね、おりん王妃様のお姿、今朝はまだ見ていませんわ」
「昨日の夜からずっと部屋にこもって水晶玉を見ていらしたのよ。何かよくない予兆でも出たのかしら」
「あのアレス王子様に限ってそんなことありえませんわ」
「ねえ、アレス王子様が初陣ということは、カッサン様やヘファオン様も戦場に行かれるのかしら」
「いやよ!あの美しいお顔に傷がついたら大変。カッサン様にはどんな理由をつけても残っていただか
ないと困ります。ヘファオン様やフィロ太様はどうなさるのかしら?」
「あのお2人はきっと雑用係りよ、槍を運んだり、怪我人の手当てをするに違いないわ」
「それって小姓の仕事でしょ」
「小姓はフィリボ酢王様のお世話をするのよ。アレス王子様にはまだ小姓がついてないから、ヘファオン
様やフィロ太様がお世話するのではないかしら」
「なんだか頼りないわね。あのお2人がそばにいたら、かえって危なっかしくてうまく戦えないと思うわ」
「そうよねー、この間だってアレス王子様、2人は邪魔だから別のところで練習しろと怒ったとか。かわい
そうにヘファオン様、ずっと泣いていらしたわ」
「まあ!絶好のチャンスじゃないの。それでなぐさめに行ってさしあげたの?」
そこへおりん王妃が怖い顔をして入って来ました。いつも怖い顔ですけど、今日は特別です。体に巻いて
いたヘビの一匹の首を強く握り過ぎて殺してしまいましたが、動かなくなったことにも気付いていません。
「あ、あの、おりん王妃様、どうなさったのですか?」
「アレスはどこにいる?」
「今は出陣式の真っ最中です。ほら、中庭から音楽が聞こえてきます。アレス王子様、きっと正装して
フィリボ酢王様の隣に立っていらっしゃいますわ」
「すぐに止めさせるのです!アレスをこの戦いに行かせるわけにはいきません。行けばあの子は死んで
しまいます。すぐに止めるのです!」
「そう言われても王妃様、今は式典の最中ですし、終わってからゆっくりお話になれば・・・」
「ええーい、そんなこと言っている場合ではありません。そこをどきなさい!」
激しい剣幕に侍女達はさっと道をあけました。おりん王妃がドスドス足音を立てて歩いていくと死んだ
ヘビが廊下に落ちていきました。侍女達はこわごわ後からついていきます。
ジャンジャカジャ〜ン、ターリラリラリー、パッパラパラリ〜
「負土似亜の強き戦士達よ。お前達はもう羊飼いではない。このフィリボ酢の元で訓練を重ね、今は
あのスパルタ人さえ震え上がらせるほどの戦士となったのだ。宛内(アテナイ)手倍(テバイ)の連合
軍など、もはやお前達の敵ではない。そして今度の戦いには我が息子アレスも参加する。軍神と同じ
名を持つ我が息子、必ずやお前達を勝利に導くであろう!」
「あ、本当だ。アレスの名前って戦いの神様と同じだ。だから強いのか。それに比べて僕の名前は・・」
「ヘファオン、静かにしろ。怒られるぞ」
後ろの方に並んでいて、ついうっかりしゃべってしまったヘファオンにフィロ太が慌てて注意します。
「神よ、我が負土似亜軍と息子アレスに勝利を与えたまえ!」
「陛下、陛下の名で神に祈りを捧げなくてもよろしいのですか?」
「わしの名前?その必要はない。わしの名前など唱えなくとも神々には知れ渡っている。先に行ったパルメ
将軍もそうだ。我らにはもはや神の加護など必要ない。ぐわあははははは・・・」
「フィリボ酢王様、アレス王子様、そして負土似亜軍に勝利あれー!」
「ねえ、神様のカゴに乗ってアレスは出陣するの?馬に乗らないで・・・」
「違う!ヘファオン、神の加護というのはなあ・・・ああ、面倒だ、俺は高貴な人間だからややっこしい
説明などしたくない!」
「カッサン、白馬は目立ちすぎるよ。敵に狙われる」
「わかっている。式典が済んだら他の馬に乗り換える」
「お前ら、いい加減にしろ、うるさいぞ!」
1人黙って真剣に話を聞いていたプトレがついに怒り出しました。でも、ちょうどその時ただならぬ気配を
漂わせておりん王妃が走ってきたので、みんな一斉にそっちに注目してしまいました。おりん王妃の殺気
に満ちた表情の前では、プトレがちょっとぐらい怒ってもちっとも効果はないのです。
「ど、どうしたの、何をそんなにみんな引きつった顔をして・・・」
「ヘファオン、いいか、お前は今の状況がまるでわかってない。わかってない時はとにかく何もしゃべら
ないでいることだ。それがお前の命を救う」
「どうしてみんな、しゃべらないで通じているの?」
「お前が通じなさ過ぎるんだよ!ああよかった、通り過ぎてくれた」
「でも今日の王妃様、ヘビが体に巻きついてないよ。だからいつもほど怖くない」
「わからないのか、ヘファオン!ヘビが死ぬほど王妃様は殺気だっているということだよ!」
みんながゴチャゴチャうわさしていることなど、おりん王妃の耳にはまるで聞こえていません。大勢並んだ
兵士達をかきわけ、真っ直ぐアレス王子の前に出ました。
「アレス!今度の戦いにお前は出てはなりません。行けば命を落とします!」
おりん王妃の大きな声が広い中庭に響き渡り、誰もが驚いて口を閉じました。ヘファオンのように間に合わ
なくて口を開けたままポカンとしている者も少しはいましたが、誰もが声を飲み込み、広場は静まりかえっ
てしまいました。さっきまで下手な音楽を鳴らしていた負土似亜軍の楽隊も、一斉に手を止めました。
お礼文(40) 「新負土似亜物語」(40)
いきなり前に飛び出てきたおりん王妃に、周りの者はみんなびっくりしましたが、誰よりも驚いたのはアレス
王子自身です。彼はもうすっかりその気になって黒馬ブーケの背に乗っていましたから。それでも冷静に馬
から下り、母の前に歩み寄りました。
「母上、今更何を言うのですか。今度の戦いに私が参戦することはずっと前から決まっていました。私は全体
の左翼を守る指揮官に任命されたのですよ。初陣でこのような名誉はなかなかないのです。父上の期待に背く
わけには参りません。皆が見ています。お願いですからそこをどいてください」
「いいえ、私は死んでもここをどきません。占いではっきり出たのです。負土似亜王が最も信頼し寵愛して
いる者が次の戦いで王を守って死ぬであろうと。いいですか、お前はアキレスのように死の運命を言い渡され
たのです。一生隠れて暮らせとは言いません。ただこの戦いだけは行ってはなりません!」
「母上、その占いでまだ私が死ぬと決まったわけではありません。父上が寵愛している者は他に家臣や小姓・・」
「お黙りなさい!小姓など口に出すのも汚らわしい。お前は父が実の息子よりもそのような相手をする小姓など
が寵愛されていて、それでいいと思っているのですか!王が誰より愛し、信頼しているのは実の息子のお前です」
「でも母上は、私の本当の父は負土似亜王ではなく神であると・・・」
「おおー!アレス王子様は神の子であらせられた!」
大きなどよめきが起こりました。アレス王子は急いで口を押さえましたが間に合いません。おりん王妃があま
り口うるさくいろいろ言うのでついかっとなって言ってしまったのですが、自分は神の子などと父や他の多くの
兵士の前では口にすべきではなかったのです。群集はざわめきました。
「おお、そうだ!我が子アレスは半分は我が血を引きながら、半分は神の血も引いておる。神が味方するこの
戦い、負けることなどあろうか!みなの者、このアレスを中心に進めばよい!負土似亜に勝利あれ!」
大騒ぎになるところをさっと引き締めたのがフィリボ酢王、さすがにいくつもの戦火をくぐり抜けた王は兵士
の動揺を察し、さらに士気を高める術を知っていました。
「我が愛する妻、おりんよ。アレスは神の子、戦死など決してありえない。笑って見送るがよい」
フィリボ酢王はおりんに向かって微笑み、頬に軽く口付けをしました。さすがのおりんも何も言えなくなり
黙ってしまいました。アレス王子を先頭に騎兵隊から順に動き始めました。その中にはまだ馬に乗ることも
ちょっと不安なヘファオンとフィロ太も混ざっています。
一番最後を進むフィリボ酢王のすぐそばに元小姓、今は近衛兵の一人となったパウがいました。
「負土似亜王が最も信頼し、寵愛した者がこの戦いで死ぬ」
おりん王妃の言葉が耳にしっかり残っていました。王を守って戦いで死ぬ、それはもっとも名誉なことの
ように思えます。どうせ自分は兵士としてたくさんの敵を殺し手柄を立てることなどできそうもない。そ
れならば名誉ある死が一番望ましいことです。
「この盾と剣で王を守る。恐れてはいけない。その日のために私は生きてきた」
小さな声でつぶやき、盾を力強く握り締めました。
「ねえ、ヘファオン、一度馬から降りて姿勢を直した方がいいよ。そのままじゃ、盾がずり落ちてしまう」
「そんな・・・ここで止まったらみんなの姿が見えなくなってしまう」
「大丈夫だよ。この後ですぐ重装歩兵隊が来るもの。彼らはそう速くは歩けない。道に迷うことはないよ」
「でも、ここで遅れたらアレスは本当に僕達のことを見捨ててしまう」
ヘファオンは泣き出しそうになりました。馬に乗って槍と盾を持っているのですがどちらも持ちにくくバ
ランスがうまくとれません。とうとう盾はずり落ちてしまいました。隣にいたフィロ太は馬を降り、歩いて
ヘファオンの盾を拾います。ヘファオンも馬から降りました。
「だめじゃないか。戦いの時盾を落としたら自分の身が守れなくなる」
言いながらヘファオンに盾を渡します。ヘファオンの目から大粒の涙がこぼれ落ちました。
「どうせ僕達は戦いには出られないのに、こんな重い盾を持たされて、なんで一緒に戦場に行かされるんだ!」
「そうだね、僕達は戦いには出してもらえない。この盾と槍は誰かのための予備だよ」
「君はそれで平気なの?くやしくはないの?」
「僕は将軍の子でありながら、満足に戦うこともできない。弟のニカノは父のすぐ側で動く指揮官に命じられ
たよ。僕は兄弟の中で一番できが悪い役立たずだ。でもこうやって戦場までの長い距離を自分は使わなくても
槍と盾を運べば、どうやって持てば自分が一番戦いやすいかわかってきた。今は出られなくても、次の戦いで
きっと役に立つ。特に君のこの盾はアレスを守らなければいけない。大切にしないと・・・」
「僕がアレスを守るなんて、そんなこと、僕は力も才能もない」
「力や才能がなくても、君はそう生まれついている。だからしっかり盾を持って先に進まないと」
「わかったよ、フィロ太」
「ああ、足音が聞こえてきた。あれは重装歩兵だよ。父に見つかったらまた怒られる。急ごう、ヘファオン」
ヘファオンとフィロ太は急いで馬に乗りました。アレス王子やカッサンのようにさっそうと飛び乗ることは
できません。重い盾もあるので、よっこらしょという感じです。それでもさっきよりは姿勢を正して遠くを
見つめ、馬を走らせました。
−つづくー
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