ミエザにかかる虹(1)
7歳のカッサンドロスはある夜、不思議な夢を見た。見たこともない、立派な王宮のバルコニーに立ち、自分は王と呼ばれて王冠とマントを身につけている。傍らにいる美しい王妃の横顔はどこかで見たことがある。二人で新しくできたばかりの街を眺めていれば、幼い子供達が王妃の元に駆け寄ってきて、彼女の顔が母に重なった。
「母上、僕は昨日素晴らしい夢を見ました」
カッサンドロスはすぐに母フィラのいる部屋へ行き、昨日見た夢の報告をした。彼らの国、マケドニアはフィリッポス2世が王になってから、急速に勢力を拡大していた。フィラは年の離れたマケドニアの宰相アンティパトロスに嫁いで多くの子に恵まれたが、とりわけ長男のカッサンドロスをかわいがっていた。金色の長い髪に白い肌、目は宝石を思わせる深い青、神ゼウスが夢中になったガニュメディスもこのような顔立ちであったに違いない。
「まあ、どんな夢だったの?」
フィラはやさしく微笑みながら息子の話を聞いた。カッサンドロスは夢中になって、夢の全てを、多少後から自分で考えて付け加えた話も交えて、母に告げた。
「素晴らしい夢だわ、カッサンドロス。でもいいこと、お前は自分の見た夢を決して他の者にはしゃべってはいけませんよ」
「どうしてですか?母上」
「お前は小さな頃から、いろいろな夢を見ては、それを私に話してくれました。よいことも悪いことも・・・そしてそれは本当のことになることが多かったのです。お前は自分のしゃべったことを覚えていないでしょうけど、フィリッポス王が片方の目に大怪我をされるということも、お前はずっと前から言っていました」
「よく覚えていません」
「私の家系には巫女になった者が数多くいます。おそらくお前もその血を受け継いでいるのでしょう。でも預言の力を持つ者が必ずしも幸せになるとは限りません。トロイアの王女カッサンドラは、神アポロンに愛されて預言の力を授かりました。けれどもカッサンドラは与えられた力で、アポロンの心変わりもわかってしまい、神からの求愛を断るのです。アポロンは怒り、カッサンドラの預言を誰も信じないようにしてしまいました。カッサンドラは預言します。弟のアレクサンドロスがトロイの国を滅ぼす原因を作るということを・・・けれども誰にも信じてはもらえず、アレクサンドロスはトロイの王子として迎えられ、ヘレネと恋に落ちて連れ去り、トロイ戦争が始まります」
「その話ならよく知っています。イーリアス、僕はもうそのほとんどを暗唱することができます」
「そうでしたね。お前は本当にかしこい子です。でもその聡明さが人に妬まれ、憎まれることもあるのです。ましてお前は宰相の跡継ぎ、王家の者のように、いつ命が狙われてもおかしくはないのです。怖ろしいことにアリダイオス王子があのようになってしまわれたのは、オリュンピアス王妃に毒を飲ませられたからだと・・・いいですか、例え夢の話でも、自分が王になるなどということは、人前では決して口にしないことです」
「わかっています。それで、トロイの王女、カッサンドラは最後どうなったのですか」
「トロイは滅ぼされ、アガメムノンに連れて行かれてその王妃クリュタイムネストラに一緒に殺されました。彼女は自分の運命があらかじめわかっていても、それを避けることができなかったのです」
「僕は自分の運命がわかったら、それを避ける方法を考えます。誰にも信じられなくても、自分自身を信じて知恵を絞ります」
カッサンドロスは強い口調で言った。この子には、神にも愛される美しい顔立ちだけでなく、強い意志も備わっている、母はそう直感し、深い愛情をこめて我が子を見つめた。
「今日はアレクサンドロス王子とカッサンドロスだって、どっちが勝つかな」
「アレクサンドロスに決まっているだろう。そんなことわざわざ聞くなよ」
王宮の庭に作られた競技場では、王子アレクサンドロスと年の近い数人の少年が集められ、教師レオニダスの厳しい指導のもと、毎日のように格闘技の訓練が行われていた。
「カッサンドロスっていくつだっけ、お前より年下だろう、ヘファイスティオン」
「僕より一つ年下だから、10歳だと思うよ」
「かなり体は細くて小さいな。まあ、アレクサンドロスはそれよりもっと背が低いけど・・・」
「フィロタス!アレクサンドロスの背のことで何か言ったら許さないぞ!背は小さくても、アレクサンドロスは誰よりも勇敢で強い!」
「おい、フィロタス、ヘファイスティオンの前でアレクサンドロスの悪口は禁句だぞ」
「なんだと!プトレマイオス!」
「そこ!神聖な競技の前に何を騒いでおる!全員鞭打ちだ。今しゃべっていた者は前に出なさい」
厳格なレオニダスの声に辺りはシーンとなった。息をする音すら聞こえては大変と、注意された三人は息を止めた。その間にアレクサンドロスとカッサンドロスの二人が競技場の真ん中に立った。
「武器を使わずにどこまで戦えるかだ。他の者もよく見て動きを見習うように、では、始めろ!」
アレクサンドロスとカッサンドロスの二人は年も下で体も小さかったが、他の大きな少年の格闘技で滅多に負けることはなかった。アレクサンドロスは幼少の頃からレオニダスの厳しい訓練を受けていたし、カッサンドロスは相手の動きがよく見える特別にいい目と、素早く対応できる判断力を持っていた。アレクサンドロスは他の大きな少年達に比べて体の動きは格段に素早いが、それでもあまりにも自分に自信がありすぎるため、よく隙を見せる。そこを狙って押し倒せば、彼を押さえ込むことなど簡単だろう。だが、相手はフィリッポス王の、今では唯一の跡継ぎの王子である。その彼を打ち負かすことが、自分や宰相である父にとってどれほど危険なことか、カッサンドロスの判断力は勝利よりもそちらの方を優先した。彼は何度もわざと隙を見せた。だがアレクサンドロスはなかなかその誘いに乗らない。向こうもこちらの心を読んでいるのだろうか?王子だからとわざと負けるようなやつが相手では、逆に自分のプライドが許せないのかも知れない。互いが互いの心を読み、牽制して一歩も前に出ないので、そのまま長い時間が過ぎた。
「アー、アレクサンドロス、早くカッサンドロスなんか倒してくれよ」
怖ろしいほど張り詰めていた空気が、ヘファイスティオンの声で乱された。「今だ!」という声がカッサンドロスの耳にだけ聞こえた。彼は巧にアレクサンドロスの体を誘い込み、自分の体を下にした。上に乗ったアレクサンドロスが強い力で体を締め付けてくる。こうなってしまったら、カッサンドロスには抜け出すことはできない。充分押さえつけているのを見届けて、レオニダスが試合を止めるよう声をかけた。
「やったー!やっぱりアレクサンドロスが勝った。アレクサンドロスは誰よりも強い」
ヘファイスティオンが無邪気に喜んでいる声が、妙に気にさわった。まだ倒れたままのカッサンドロスにアレクサンドロスが助け起こそうと手を差し伸べるが、彼はそれを振り解いて険しい目で睨みつけた。アレクサンドロスはすぐに視線をそらし、ヘファイスティオンなどの方へ歩いていった。倒された時、足を擦りむいたらしく、血が流れているのを感じて痛くなってきた。自分で傷の手当てをし、勝利に喜ぶアレクサンドロス達を冷ややかな目で見つめた。
「言わないさ、誰にも・・・僕の目に映るものは、どうせ誰も信じたりはしないのだから・・・・」
−つづくー
後書き
カッサンドロス視点から見たミエザ時代というものが、どうしても書きたくなって始めてみました。こちらが主人公なので、ものすごい美少年で頭もよく、力も強くさらには預言の才能まであるという設定で(笑)かなり無理がある設定かもしれないので、果たして続けられるか自信がないのですけど・・・・
2006、10、16
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