闇の水底に咲く華(14)
登場人物 ファラミア25歳 ボロミア30歳 デネソール70歳 マルディル30歳
ガシム36歳 フィロス14歳 マドリル45歳
時代 フロドが指輪を捨てる旅に出る10年ほど前、ファラミアがイシリアンに来て5年後
石段を登り、すっかり暗闇の世界を抜けたところでヨハンという男の足が止まった。彼の目は私の剥き出しになった足を見ている。
「私の足が気になるのですか。今、この状態で履物をはくのは・・・・」
「わかっております。申し訳ございません。・・・・・ファラミア殿、私は執政家の方の前で嘘をつきます。浅はかな嘘とあなたはお思いになるでしょう。でもどうか・・・・国を守るためです・・・・その嘘に合わせていただきたいのです」
「わかりました。私のために戦になるのは耐えられませんから言葉を合わせましょう」
マルディルならこの私の姿を見ただけで怒り狂い、周りにいる領主やこの男に剣を向けるに違いない。自分の命はとうに諦めているのだからできるだけ穏便に話を進めたい。この男がどんな嘘をつくのかはわからないが話を合わせることにしよう。地下牢の入り口には大勢の兵士が並んでいた。建物の外に出て石畳の庭を歩いた。珍しい白い花が一箇所にだけかたまって咲いている。手帳に挟まれた願いをかなえるという花とよく似ているが少し違う。
「この花は?」
「わかりません。エランドではまず見かけない花なのですが、なぜかこの場所にだけ毎年咲くのです。兵士が気がつかないで踏んでしまわぬよう私が柵を作らせました」
「この花の由来をあなたは・・・・いえ、なんでもありません。たとえ数日でも地下牢に閉じ込められていると日の光にあたり花を見るだけで涙がこぼれそうになります」
「申し訳ございません」
「執政家の者が待っているのですね。急ぎましょう」
私達は庭を抜け大きな城の中へと入った。たくさんの衛兵が廊下に並んでいる。同じ国の兵士でも地下牢にいる者とは服装や目付きがまるで違う。穏やかな微笑みに見送られながら、私は肩を支えられ長い廊下を一歩ずつ進んだ。
「父上!父上がなぜこちらに・・・・・」
案内された部屋の扉が開けられ、椅子に腰掛けた者の顔を見るなり私は叫んだ。
「ファラミア殿、どうかこちらにお座りください」
すぐ前に向かい合って置かれた椅子に座るよう促された。私は椅子に腰掛けたが痛みで顔を少し歪めた。父の目は長い衣装の下から見える剥き出しになった足に注がれている。
「私はエランドで主に外交を担当してます大臣、ヨハンと申します」
「前に何度か会ったお前の名前など言わなくてよい。わしが知りたいのはなぜ息子がそのような姿で来たかということだ。執政の息子だとわかっていながら拷問にかけたのか」
低く威厳のある父の声に同じ部屋にいた兵士達が震えた。
「拷問にかけるなど・・・・とんでもございません。・・・・・失礼ながらご子息は錯乱状態にあったのです。ちょうど祭りの日、ご子息は私達の前に現われたのですが、ソロンギルと名乗られ・・・・自分は大きな罪を犯して逃げていたのだが、今この場所で裁きを受けると突然祭壇の大きな炎へと飛び込まれたのです。私達は慌てて火を消して助け出したのですが酷い火傷を負い意識を失っていました。懸命に手当てをしてどうにか意識も回復されたのですが、ご自分が何をなさったのかまったく覚えていらっしゃらないようなのです」
「ファラミア、本当にそのようなことをしたのか?」
「父上、私の体を流れるヌメノールの血は呪われています。そのために気が狂い自ら炎に飛び込んだのかもしれません」
「それが本当ならエランドに礼をしないといけないな。例え呪われた血を持とうとわしにとっては大切な息子、その命を救ってくれたのだからな・・・・」
「礼だなんてとんでもない。もっと早く周りの者が気付いていればこれほど酷い怪我を負わずすぐにゴンドールにお返しすることができたのです。それを思うと申し訳なく・・・・・」
「すまないが少しだけ息子と2人だけで話がしたい。みなここから出てはくれぬか」
「しかし、この怪我では長く話すことは・・・・」
「少しだけだ、よいであろう」
「かしこまりました」
ヨハンという男は周りに控えていた兵士達に声をかけ、部屋を出ていった。残されたのは私と父の2人だけである。
「あの男、お前が錯乱状態になったなどと下手な嘘をつきおって。そんなことでわしが騙せるとでも思っているのか!」
「父上、どうか騙されてください。このことが原因でゴンドールとエランドが戦になれば・・・・」
「わかっておる。わしもむやみに戦など・・・・・それに元々この国へ偵察に行けと命じたのはわしだ。捕えられればどのような拷問を受け殺されるかわかっていながらな。・・・・・・ファラミア、すまない、辛かったであろう・・・・」
「父上・・・・・・」
なぜ父が今ここへ来たのだろう?私を助けるためならば他にいくらでも使者を送ればいいのだし、そもそも父には私を救おうなんていう心はなかったはずだ。呪われたヌメノールの血を持つ私を中心に反乱が起きて自ら処刑の命令を出すよりも、どこか知らない場所で死んでくれればいいと思われていたのだ。その父がなぜ自分の命を危険に晒してまでやって来たのか・・・・私は服の胸元に隠してあったあの花を挟んだ手帳を取り出し、椅子から立ち上がってフラフラと前に進み、父の足元で跪いた。
「申し訳ございません、父上をこのような危険な場所に呼び出したのは私の願いです」
「お前の願い、それはどういうことだ・・・・」
「私はこの国で30年前に無実の罪で処刑された者より願いがかなうという花を渡されました。昔多くのエルフが人間の裏切りで闇に捕らわれ拷問の末オークへと姿を変えられました。その苦しさでエルフはとりわけ同じ血を持つ人間を恨み呪ったのです。でもエルフの中にはどれほど酷く裏切られようと人間を呪うことができず、ただ悲しみの涙を流すだけの者もいて、その涙は泉となり、その水底に白い花が咲きました。裏切られたエルフが最後に人間を救い願いをかなえようと咲かせた花なのです」
私は花の挟まれているページを開いて父に手帳を渡した。
「見たことのない珍しい花だ。だが周りについた血の染みはまだ新しい。お前の血か・・・・」
「今は見えなくなっていますが、血のついた指でなぞると文字が現われました。30年前、同じ牢獄に閉じ込められた彼は一緒に殺される者の苦しみをなくして欲しい、自分1人が全員の苦痛を背負って死ぬ、そんなことを願いました」
「他の者の苦痛を引き受けると願ったのか」
「私も死を覚悟して、この花に願いを託しました。ゴンドールの平和と民の幸せを願いました。でも牢獄で1人苦痛にのたうち回りながら私の心は別の願いを求めました。死ぬ前にただ一度でいい、父上にやさしい言葉をかけられ愛する息子と言ってもらえるなら・・・・私が母上の命を奪って父上を悲しませ、ゴンドールに破滅をもたらす忌み嫌われる存在であることはよくわかっています。それでもただ1度でいい、愛する息子と言ってもらえるなら・・・・子供じみた愚かな願い・・・・でも私の心はゴンドールの平和や民の幸せ以上にそんな願いを求めてしまい・・・・そしてかなえられました・・・・どれほど裏切られようとエルフは人間を愛し、愚かな私の願いをかなえてくれたのです・・・・」
私は言葉を続けることができなくなっていた。涙が溢れ、喉からは嗚咽が漏れ、床に両手をついて子供のように大声で泣き出していた。父が椅子から立ち上がって私のすぐ横に座り、そっと背中をなでてくれるのがわかる。私は泣き続けた。
どれくらい泣き続けていたのだろうか。私は自分のものではない啜り泣きの声を聞いて感情をおさえた。父もまた泣いていた。
「少しは落ち着いたか。わしの前で涙など見せたことのないお前がこうも取り乱すとはよほど酷い扱いを受けたのだろう。すまなかった」
「いえ、違います・・・・・私はただうれしくて・・・・」
「ファラミアよ、椅子に腰掛けるがいい。この姿勢では傷ついたお前の体に無理がかかるだろう。わしがなぜここへ来たのか話して聞かせよう。立つことはできるか」
「は、はい」
だが父は言葉とは逆に小さな子供を相手にするかのように私の体を両腕で支えて立たせ椅子へと座らせた。70をこえた父の体は私よりはるかに小さい。これほど近くで父の姿を見るのは初めてである。
「背中に血の染みができている。楽な格好で座るがいい。そして手首のこの痣、さぞ苦しんだに違いない。わしが王の血筋の者であるならばこの手で傷を癒し痛みを和らげることもできようがそうではない。我慢してくれ・・・・」
「父上、私は大丈夫です」
私を座らせた後、父もまた椅子に深く腰をおろした。
「わしがここまで来たのはお前の願いを聞き入れたからではない。フィンドラス、お前の母を夢で見たからだ」
「母上を、ですか・・・・」
「フィンドラスが夢に出てきて告げた。ファラミアが異国で捕えられひどく苦しんでいると・・・・フィンドラスはわしを責めるような言葉を口にはしなかった。ただ悲しげな顔でお前が苦しんでいるとただそれだけ・・・・わしはいてもたってもいられなくなり、誰にも告げずにたった1人馬を飛ばしてここまで来た」
父は私の顔をじっと見た。だがその目にうつっているのは私ではなく母であろう。
「フィンドラスがゴンドール執政となったわしのところに来たのは今のお前よりずっと若い時だった。政略結婚で10代の娘が20以上も年の違う執政という権力だけ持つ無口で気難しい男のところへ嫁いできたのだ。楽しいわけないであろう。彼女はいつも高い塔の窓から遠くを見ていた・・・・・やがてわしは思いついて中庭に、ゴンドールのシンボルとなる白い木だけが植えられていた場所に、有名な庭師を招いて花を植えさせた。フィンドラスがどのような花を好むかわからぬからできるだけたくさんの色、たくさんの種類の花を植えてくれと命じた。わしの思いつきはあたった。城から出ることはできなくても中庭を自由に歩き侍女達と話す彼女を見ることができた。ある時、あんまり楽しそうな笑い声が聞こえたからわしもつい近寄ってしまった。フィンドラスの笑い声は止まり、侍女達は石のように固まってしまった。執政に対して失礼があってはならぬと結婚してからもずっと気を使って暮らしていたのであろう。ささやかな憩いの時にわしが近づけばそれを壊してしまう。だからわしは高い塔にある部屋から中庭に出た彼女を見るだけにとどめようと決意した。色とりどりの花に囲まれ、侍女達と笑い合っている彼女を見るだけで充分幸せである・・・・そう自分に言い聞かせていた」
父の目から涙が流れていたが、それを拭おうともせずに話し続けた。
「だが、ボロミアが生まれて状況は変わった。お前もわかるであろう、ボロミアは小さな頃から足は速く力も強い、すぐに母や乳母の手には負えなくなった。育児室を抜け出して衛兵の詰め所に行き剣や鎧を持っているところを見つけた。2歳にもならない歩き始めたばかりの頃だ。充分歩けるようになれば城も抜け出して街へ遊びに行き、周りに何人もの子供を従えて遊んでいた。そのたびにフィンドラスはおろおろし、わしは護衛兵に捜索をを頼んだのだぞ。まったく誰に似たのか。おかげでフィンドラスもすっかりわしを怖がらなくなり、うちとけて何でも話すようになった。ボロミアのおかげでわしらはようやく本当の夫婦になることができた。豪快な腕白小僧のおかげでな・・・・」
笑い声が漏れ、父の口元が緩んだ。私は目をそらした。私が生まれる前、ボロミアが幼い時が父の生涯で一番幸せだった時期に違いない。だが私が生まれ・・・・母は幾日もしないうちに亡くなったらしい。私の記憶に母の姿はない。
「・・・・・・お前が生まれて何日もしないうちにフィンドラスは死んだ。お前になんの罪もないことはわかっている。だがわしの悲しみはいつまでたっても消えなかった。中庭に植えられた花はすべて抜き取らせ白い木だけ残した。お前の養育は乳母に任せ、わしはなるべく顔を見ぬようにした。ボロミアはたくましく成長している。執政家の跡継ぎとなる子はボロミアだけで充分だったのに、なぜ母の命を奪ってまで二番目の子が生まれたのか・・・・・これはきっとヌメノールの血の呪いに違いない。人間に裏切られて拷問に苦しんだエルフがかけた呪い、誰もそこから抜け出せないのだろう。ヌメノールの血はわしを狂わそうとさえしている・・・・・わしが狂えばゴンドールもまた執政を失って滅びる・・・・・どうすればよいのか・・・・・わしはお前を憎むことで自分が狂気に引きずられないよう用心することにした。幼いお前がささいな間違いをしただけでこの手でひどく鞭打った。お前を憎み折檻を加える時だけフィンドラスのことを忘れることができた。お前が魔法使いに会った時、わしは怒りで理性を失い、地下牢で罪人と同じ刑罰を与えよと命じた。焼き鏝を押し付けられ泣き叫ぶお前の声をわしは笑いながら聞いていた。あれは我が子ではない。ゴンドールに禍をもたらす張本人、それを少しでも正しい道へと矯正しているのだと・・・・・ファラミアよ、お前にはなんの罪もないのに、わしの心のゆがみでつらい思いをさせてしまったな」
「父上・・・・・」
「そんなわしもフィンドラスに夢で会いようやく昔の心を取り戻すことができた。なにか予感があったのだろう。フィンドラスは大きくなったおなかをさすり、自分に何かあった時はこの子もボロミアと同じように慈しんで大切に育てて欲しいと、ただその言葉を何度も繰り返した。わしも必ずそうすると誓ったはずなのに・・・・・悲しみで心はゆがみ幼いお前にひどい仕打ちをした。ファラミアよ、人間は弱い生きものだ。自分を守るために他の者を傷つけ、時に自分の心すらねじ曲げて生きていく。だが、死んだ者の心は変わらない。フィンドラスがお前を思う心はずっと変わらなかったのだよ」
「・・・・・・・・」
「お前はもう充分すぎるほど傷つき苦しんで今まで生きてきた。ヌメノールの血がどれほど呪われていようと、お前はもうそれだけの仕打ちを受けてきた。残された血の呪いはわしが引き受けよう。わしが代わりに人質となるからお前はゴンドールに戻るがよい」
「父上、そのようなことはあってはなりません!」
私は叫んだ。だが父は静かに立ち上がり、私の手に願いをかなえる花を挟んだ手帳をのせた。
「これはお前に返しておこう。今までの仕打ちのつぐないにわしがお前の身代わりとなって死ぬ。それがわしの願いだ。お前の願い事はまだかなえられていない。お前に流れる血は呪われたヌメノールのもの、この先生きていく中でわしと同じように狂気にとらわれそうになったら、その時こそ使えばよい」
「父上、なりません、今ゴンドールが執政を失ったらどうなるのです?」
「お前とボロミアがいる。何も心配することはない」
「私は呪われた者です。今生きながらえてもゴンドールに禍をもたらすだけです。私はここで死ぬことになっても充分幸せです。多くの者に愛され、そして最後父上にこうして会うこともできました。短くとも私の生涯は幸せだったと母上に言うことができます。どうかゴンドールの民のことだけを考えて父上は決断してください!」
私は大声で叫んでいた。
「ファラミア、あの領主達がもどってきた。話は終わりだ」
父が椅子に戻ったと同時に部屋の大きな扉が開かれ、仮面をつけた領主のハンスと大臣のヨハン、2人の男が入ってきた。だが2人が入ってきたのに人の気配は1人の人間だけ、地下牢や祭壇の前にいた時は気付かなかったのだが、これはどういうことなのだろうか。
−つづくー
後書き
この章だけはかなり前から考えていました。最後の願いがかなったと泣くファラミアと別の理由で来た父との会話、自分も泣きながら書きました。ちょうど外は雪も降っていて、静かな気持ちで書くことができました。
2010、2、12
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