闇の水底に咲く華(19)
登場人物 ファラミア25歳 ボロミア30歳 デネソール70歳 マルディル30歳
ガシム36歳 フィロス14歳 マドリル45歳
時代 フロドが指輪を捨てる旅に出る10年ほど前、ファラミアがイシリアンに来て5年後
私は傷ついた少年を抱きしめた。大人とはまるで違う柔らかな肌、体の温もり、彼の背中は焼け爛れ、赤い鞭の筋が何本も刻まれ、血が滲んでいる。痛みと恐怖と悲しみで心は震え、口から嗚咽が漏れる。彼は幻ではない。今確かにここにいる。だがどうして・・・・
「ミハエル、よく聞いてくれ。私と君とでは生きている時が違う。私は君が死んで何年もたってからこの世に生まれた人間だ。君のことは話で聞いた。どうしてそれが・・・・」
「それはどういうこと?あなたは僕が死んだ後に生まれた人間なの?」
「ああそうだ。なぜ違う時を生きる者どうしが今この場所で出会い、話をし、体に触れることすらできるのか、私にはわからない」
「ここは僕が殺される場所だね」
ミハエルの言葉に私はギョッとした。この子は自分の死をあらかじめ知っているのだろうか?
「夢で見たことがある。体は動けないように固く縛られ足だけを火で焼かれた。夢なのに熱くて大声で泣き叫びそして目がさめた。ファラミア、あなたが僕とは別の時を生きる未来から来た人間ならば、僕がどのような死に方をしたか知っているよね」
どう答えればよいのだろうか?あまりにもむごい死を傷ついた10歳の子に知らせるのは・・・・
「ごめんなさい。答えられないことを聞いてしまって・・・・僕はもう知っているから・・・・あなたは僕に会おうとしてここへ来てくれたんだね」
「その通りだ。私はこの国へ偵察に来て捕えられ、君がなぜ死んだかを知らされた。過去を変えることはできない。まして私は捕らわれの身、闇に心を支配された者に捕えられ、祖国が滅びに向かっているのを知りながら自分もまた死を待つだけなのだ。私は君に会いたいと願った。苦しみぬいて死んだ君の魂を抱きしめ涙を流せば少しは君は救われるだろうか、いや、私自身が救われるかもしれない。そう思ってここへ来た。そして君に出会った」
「きっと僕もあなたに会いたいと強く願ったに違いない。死の苦痛の中で救いを求め、エルフの血を持つあなたのことを思った。そして遠い昔のことも・・・・初めて痛みと苦しみを知った時のこと、僕ははっきり覚えていたに違いない。そして僕達は出会うことができた」
「私は君を救うなんの力も持っていない。ただこうして抱きしめ涙を流すだけだ」
「それでも僕達は出会うことができた。エルフの血は呪われてなどいない」
「君の言う通りだ」
しばらくの間私達はただ黙って星を眺めていた。遠い日の記憶、生まれたばかりのエルフは最初に星空を見て遠い世界に思いを寄せ、星に恋焦がれた。
「ファラミア、なぜエルフが人間に血を伝えたか知っている?」
「知らないな。君は知っているのか?」
ミハエルは頷き、ゆっくり話し始めた。
「僕によく会いに来てくれるエルフが言っていた。人間の心は複雑で誘惑に負けやすく闇に手を染めやすい。少しのきっかけで同じ人間に対し酷く残酷なことをするし愛する者を裏切り傷つけてしまう。でも人間はどれほど闇に手を染めても心を持っている。自分の行為を正当化し、命令だからと言い訳し、愛してないと心に嘘をついて傷つける。そうしなければ、本当のことを知って後悔すれば心が狂い生きていけなくなる。最も弱く互いに傷つけあう種族として生まれた人間が、それでも複雑な心を持つことがうらやましくいとおしいから・・・・寄り添って見守りたいから血を伝えた・・・・そんなことを言っていた。でもその結果エルフの血が濃く強い力を持つ者ほど悲惨な運命を辿ることになってしまって、それを見るのは辛いとも言っていたけど・・・」
「エルフは人間を愛し、だからこそ血を伝えた。それは私も強く感じる」
父が忌み嫌ったヌメノールの血、だがエルフは人間を愛するからこそ血を伝えたのだ。この血は呪われてなどいない。
どれくらい長い間私はミハエルを抱きしめ星空を眺めていたのだろうか。突然の大声にわれに返った。
「ミハエル!こんなところにいたのか!突然いなくなって俺がどれだけ心配したかわかるか!」
「ごめんなさい、兄上」
目の前に1人の男が立っていた。護衛兵と同じ鎧兜を身につけ、手には長い剣を握っている。
「お前がいつまでたっても戻らないから捜索隊を出すつもりだった。その前にもしやと思ってここへ来た。ミハエル、ここへ来てはいけないとあれほど言っておいたのにまた来たのか。お前が座っている場所は昔は神への生贄が捧げられ、今は火刑柱が置かれている。そんな場所に夜1人で来るなんて・・・・まさか死ぬつもりで・・・・」
「心配かけてごめんなさい。ここに来ればエルフに会えると思って・・・・」
「エルフ・・・・その男はエルフなのか?」
男は兜を脱ぎ、柱にもたれて座っている私を高い位置から睨みつけた。まだあどけなさが残る15,6歳くらいの少年、ミハエルの兄ハンスなのだろうか?
「そうだよ。イシリアンの森に住むエルフだ」
「イシリアンか・・・・あそこも昔は独立を保っていたのにすっかりゴンドールの領土になってしまって。まあエランドもおそらくそうなるであろうが・・・・イシリアンのエルフが弟に何の用があってやってきた?」
「僕が呼んだんだよ。地下牢で鞭で打たれたのが辛くて、エルフなら痛みを取り除くことができるから・・・」
「怪我の治療なら医者に診せればいいだろう。お前、まさか・・・・背中をよく見せろ!」
「いや、やめて、お願い、兄上」
「やめるんだ。ミハエルはひどく傷ついている」
私がかばいミハエルは抵抗したが、15歳の兄ハンスは彼を無理やり立たせ薄い服を引きちぎった。酷い火傷と鞭の痕が淡い星の光でもはっきり見えた。
「ミハエル、どういうことだ!火傷を負っているということはお前、あいつらに陵辱もされたのか」
「違う、そんなことはない。僕はただ鞭で打たれただけで・・・・」
「領主の子に火傷を負わせ陵辱するとは・・・・父上が戻り次第このことを知らせなくては・・・・」
「やめて!父上には言わないで」
「やつらは地下牢で誰にも知られぬよう拷問にかけて殺す。お前の名誉を傷つけたりはしない」
「やめて!お願い、言わないで・・・・それを命じたのは父上だから・・・・僕は今まで知らなかった。地下牢でどれだけ怖ろしいことが起きているか。反乱が起きた時にはその本人だけでなく家族、僕のような子供まで拷問にかけられ酷い目にあって殺された。あの場所はここよりももっと怖ろしい・・・・助けを求める悲鳴が過去からも未来からも聞こえた。助けを求めているのは殺された子供だけではなかった。僕の体に火をつけ、鞭で打って、それからそういうことをした彼らも心の奥底で迷い、もがき苦しんでいた。でもそれが命令だからそうやって生きていくしかないって信じ、繰り返しひどいことをすることで忘れようとしていた。全部父上の、違う、父上だけでない、僕達の祖先が命じたことだから!」
「ミハエル、落ち着け!お前は子供だからまだわからないだろうけど、国を治めるということは時には残酷にならざるをえないことなんだよ。反乱を許せば国は荒廃し多くの人間が死ぬ。そうならないための手段として反乱を未然に防ぐためにも拷問や公開の処刑は絶対に必要なことだ。人間は気を許せばどこまでも強い権力欲を持ってしまうからな」
「兄上の言うことはよくわからない。でも、今のしくみを変えることができないならば、僕の受けた仕打ちについてだけは父上に言わないで、お願いだから」
「どうしてだ?お前はこんなにひどいことをされてまでその相手をかばうのか?」
「僕ではない。僕の体に流れるエルフの血がそう言っている。どんな人間にも必ず心があって苦しんでいるって」
「エルフの血か・・・・」
ハンスはもう1度私の方を睨みつけた。私は立ち上がり彼を見下ろした。
「エルフは人間とは比べ物にならないほど気高く美しいと聞いていたが、お前はそうでもないんだな」
彼の言葉に思わず笑いそうになった。実際エルフではないのだからそうでなくて当たり前だ。だがミハエルが私をエルフと言ったからには何か目的があるのかもしれない。ミハエルの言葉に合わせよう。
「エルフと言ってもいろいろな種族がいるから。人間と同じように・・・・」
「だがしょせんお前達は人間と違って死ぬこともないし苦しみも少ない。いざとなれば西の国へ逃げ出せばいいのだから気楽なものだ。そんなエルフがなぜ俺の弟の前に何度も姿を現して余計なことを言う?弟はエルフの血を持っていても人間だ。余計なことを知り、それで心を痛めて身代わりになれば結局苦しむのは弟自身だ。お前達はりっぱなことを言ってそれで人間が苦しむのを見て笑っているのか?やっぱり人間は愚かな種族だと・・・・」
「確かに我々エルフは死ぬこともなければ苦しむことも人間よりずっと少ない。我々の仲間にはこの世界を見捨てて西の国へ渡った者も多い。闇が世界を覆いつくそうとしている今、運悪く闇の者に捕えられれば酷い拷問を受け醜いオークへと姿を変えられる。永遠の命を持つエルフだからこそその苦しみは人間の比ではないだろう。だがそれでも我々エルフの仲間にはこの世界にとどまっている者がいる。互いに傷つけ憎しみあい殺しあう人間をそれでも救いたいからだ。人間の複雑な心はエルフには理解できない。悪へと向かうほどの激しすぎる心を・・・・愛しているから・・・・我々はエルフの血を人間に伝え、この世界にとどまっている」
私の口から出る言葉は私の意思や感情とは別のものになっていた。いつのまにか私の背はハンスよりもずっと高くなっていた。体の痛みはまったく感じない。私の体もまた私自身とは別のものになり、白い光を放つようになっていた。
−つづくー
後書き
前の章から時間を越えての出会いなのでかなり複雑になっていて書いている自分でもよくわかってないです。ただイメージや言葉だけが次々浮かんでくるのでそれをこのようにまとめました。
2010、4、23
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