闇の水底に咲く華(5)
登場人物 ファラミア25歳 ボロミア30歳 デネソール70歳 マルディル30歳
ガシム36歳 フィロス14歳 マドリル45歳
時代 フロドが指輪を捨てる旅に出る10年ほど前、ファラミアがイシリアンに来て5年後
私はフラフラする足取りでマルディルと一緒にフィロスと名づけた子が手当てを受けている家へと向かった。そこはマドリルに任せてあった。外へ聞こえるほどの甲高い悲鳴と怒鳴り声が聞こえた。
「しっかり押さえていろといったはずだ。何をしている!」
「この状態でそれを使うなど・・・何か別の薬で痛みを抑えてから・・・」
「そんな余裕はない。傷口が化膿したら命を落とす。もう一度だ」
私は慌てて家の中へ入った。
「ファラミア殿、ここはわしらに任せて戻ってください」
「ひどく苦しんでいるではないか。痛み止めを飲ませてから治療してもよいだろう」
「イシリアンではその余裕はありません。ミナステリスから送られる薬の量には限りがある。今元気な者とて明日はオークに襲われ大怪我をするかもしれない。耐え切れない痛みがある時だけ少量の薬を使うようにしているのです」
「だがこの子は私達の都合で拷問を受けた。少しでも楽にしてやることはできないのか」
「できません。大怪我をした者がいる時、手元に薬がなければわしらはその者の命を絶ちます。薬で痛みを抑えられれば助けられるとわかっていながらそうするのです。この子の場合命には別状ない、我慢させるしかないが言葉でそれを伝えられないからこうして押さえているのだ」
「だが彼にとってはこれもまた拷問であろう。命に別状なければいいというならば・・・」
私はあたりを見渡した。少年を寝かせたベッドの脇の暖炉では火が赤々と燃えている。偶然なのか鉄の火かき棒の先が炎の中に突っ込まれていた。私は下半身につけていたものを素早く脱ぎ、手袋をはめて火かき棒を掴むと剥き出しになった自分の太腿にそれを押し当てた。
「うわー!」
激しい痛みにすぐに離したが、瞬時に皮膚は焼き焦げて剥がれた。
「ファラミア、何をする?気でも狂ったか?」
「自分でやればこの程度の傷しかつかないが、それでも同じ痛みはわかるであろう」
フィロスの寝ているベッドに近づいた。彼は自分も次に同じことをされると思ったのだろう、ガタガタ震えて体を縮め、それでも私の様子をじっと見つめた。
「心配しなくてもいい。お前にこれ以上拷問をかけたりはしない。ただこの傷をそのままにすれば化膿して命を落としかねない。だから薬を使うがここに痛み止めはごくわずかしかない。がまんしてくれ」
「ファラミア、彼は耳が聞こえないんだぞ。説明してどうする?」
「言葉は聞こえなくても目の前の状況を見て判断することはできるであろう。まず私の傷から手当てしてくれ」
「ファラミア殿、なんて無茶なことを・・・・執政家の血を引いている者が・・・・」
「執政家の血を引くゆえに私はミナステリスではやっかいものでしかない。どんなことがあろうとここで生きるしかない」
フィロスの怪我が回復するのを待って、私は数人の野伏を伴い彼をミナステリスへと連れていった。マルディルはイシリアンに残した。フィロスは今まで生きるのに必要な最低限の食糧しか与えられていなかったのだろう、ガシムが言っていた14歳という年齢には見えないほど体は小さく痩せていた。体には無数の傷と火傷の痕があり、昼は必死に歩いても夜寝る時には決まってうなされていた。そして私やイシリアンの野伏を怯えた表情で見て、気を許すということは決してなかった。普段より倍の日数をかけて歩き、私達はミナステリスの門をくぐった。正規軍の帰還ではないので見張りの兵士にだけ告げ、夜の闇に紛れてひっそりと門をくぐった。見張りの兵士の案内で城へと向かい、他の野伏は別の部屋で休ませて私とフィロスだけがボロミアの部屋へ入った。
「ファラミア、ついさっきお前が来るという話を聞いたのだがこんな夜中に何があったのだ?」
「すみません、明るいうちにミナステリスに着いたのですが父上に知られたくないので暗くなるのを待ちました」
「ハハハハ、それほどお前は父を恐れているのか。こんなに大きくなって背丈など俺と変わらないというのに・・・・その子はどうした?」
ボロミアの豪快な笑い声に少し安心したのだろうか。フィロスは初めて笑顔を見せ、軽く頭を下げた。
「かわいい子だ。お前の小さい時によく似ている。だが痩せているしひどく怯えている。オークに襲われた村で生き残った子なのか」
「そういう子供もたびたび見つけイシリアンで保護しています。野伏になる見込みがあればそのまま育て、そうでなければミナステリスで適当な仕事につけるよう手配します。オークが暴れるほどにそうした親のない子が増え・・・・でも彼はそうして私達が保護した子供ではありません。両親が騙されてエランドの鉱山で奴隷として働かされていたのです。しかも彼は耳が聞こえないので、哀れに思ったエランドの男が助け出して私達のところに来ました」
「エランド公国か。ここ数年で急に豊かになって領主が王のように振舞っているという噂を聞いていたが、子供を奴隷として使っていたのか。けしからん、奴隷売買はもう百年以上前からゴンドールでは禁止されているし、新しく鉱山が見つかったという届けも出ていない。前からいろいろ聞いていたが、一度正規軍が行ってきちんと調べた方がいいな」
「お待ちください。正規軍が動けばエランドの領主はますます頑なになり、ゴンドールから独立すると戦いをしかけてくるかもしれません。鉱山で得た金で周りの国の者を傭兵に雇うでしょう。こんな時こそ私のいるイシリアンの野伏に偵察を任せてください」
「それがいいかもしれん。だがまずは父上への報告だ」
「それは私には気の重いことです。ですからわざわざ・・・それに父上はもうお休みになっていられるはず、明日の朝でも・・・・」
「そうだろうと思って使者が来た時すぐに知らせておいた。兄の命令だ、早くいって来い」
「兄上はそんなに私が父上にしかられるのをお望みですか?」
「ハハハ、そんなことはない。だが明日の朝ではもっと叱られるぞ。この子は俺が預かってやる。いやなことは先に済ませそれからゆっくり兄弟で語り合おう。お前に会うのも久しぶりだ。いろいろ話したいことがある」
「わかりました。では先に父上の部屋に・・・」
「待て、汚れた服では機嫌を損ねるぞ。俺のを服を着ろ」
ボロミアは衣装箱をあけ、部屋着を2,3枚取り出した。
「正装ではないから大丈夫だ。早くしろ」
「いえ、兄上の服を着るなど、一度自分の部屋に戻ります」
「兄弟なんだ、いいではないか。お前が小さい頃はよく服を着替えさせていた」
「待ってください。彼がいるのです」
「おおそうだったな。大人しいのですっかり忘れておった」
「彼はしゃべることはできません。でもこの目で多くのことを見ています。では兄上、父上のところへ行って参ります」
「待っているぞ」
父に会うのは気が重かったが仕方なく着替えて部屋に向かった。見張りの兵士が私の姿を見つけすぐに案内してくれた。自室ではなく親しい者だけが入れる応接室、椅子に腰掛けた父の前に出て跪くと周りにいた者は目配せして出て行った。
「ファラミアよ。イシリアンの野伏の大将であるそなたがこんな夜更けにわざわざ戻ってくるとは、よほど重大な報告があるのだな」
「はい、エランド公国のことについて・・・」
「その噂は前から聞いておる。イシリアンの者が偵察に行きたいから許可が欲しいというのだろう。いいだろう、しっかり調べてこい。だがそのためになぜわざわざお前が来た?」
「ハ・・・おっしゃることがわかりません。父上は今なんと・・・・」
「なぜお前が来たと問うておるのじゃ。イシリアンにはボロミアの古くからの友人がいるのだろう。その男を使者によこせばよいのになぜわざわざお前が・・・・他に何か目的でもあるのか?」
「いえ、特に目的など・・・・ただイシリアンでは今食糧や薬が不足しています。ゴンドールを守るために働いているのですからもう少し支援していただいても・・・」
「イシリアンの村で作物など作っているだろう。野伏達は薬草にも詳しい。それでなんとかやっていけるのではないか」
「ですがいくつもの村がオークに襲われ畑は荒れるままになっています。薬草ではひどい怪我をした時に痛みを抑えることができません。薬がないばかりに救える命が救えないでいるのです」
「食糧や薬が不足しているのは正規軍とて同じだ。それに多めに物資を送って横流しされても困る。余ったものを他国に売り、密かに資金を貯めているかもしれない」
「なんのためにそのようなことをするのです。みなギリギリの生活の中ゴンドールのために必死で戦っているのです」
「ギリギリの生活から抜け出したいと思っている中、執政家の血を引く者が大将としてやってきたら何を考えるか?ミナステリスの貴族から離すためにお前をイシリアンに行かせたがそことて完全に安全ではない。もう食糧や薬の要求をしてくるとはこの先お前に知恵をつけられどのような要求をしてくることか。わしとボロミアに不満を持つ貴族を集めて反乱を起こしイシリアンとミナステリスの立場が入れ替わるかもしれぬ」
「そのようなこと・・・・私は父上の血を引く実の子であるのです。どうして信用してくださらないのですか!」
自分でもびっくりするような大きな声で怒鳴ってしまった。
「申し訳ありません・・・・でも私には反乱を起こすなどという気は少しもありません」
「お前にその気がなくても執政家の血を引いているというだけで必ずやお前を祭り上げる者が出る。わしにははっきり見えるのだ。反乱が起こりゴンドール人どうしが敵味方となって戦う光景が・・・・多くの犠牲が出て最後わしは首謀者であるお前を処刑する」
「そのようなこと・・・父上は考えすぎです!」
「ヌメノールの血を甘く見るのではない!見えたことは現実となるのだ。お前が生まれてすぐフィンドラスが死ぬ夢を見てそれは現実となった。お前が生まれてからというものフィンドラスは日に日に弱り、そしてついには息絶えた。お前さえ生まれてこなければ・・・・ゴンドールに禍をもたらす子をもったばっかりに・・・・」
「イシリアンに行くよう命じたのは父上です。そのような場所にいてさえ謀反の危険を感じるならば私はどうすればいいのです!」
「言葉に出して言わなくても賢いお前ならわかるであろう」
「父上は私の死を望んで・・・・いるのですか・・・・」
「エランドの偵察、お前が中心になって行け。ボロミアの友人、マルディルは残せ。あの男ならお前よりよほどうまく野伏をまとめ、イシリアンの動向もぬかりなくわしに伝えてくれるであろう。何を考えているかわからぬお前よりよほど信頼できる」
「わかりました、父上のおっしゃるとおりにします。ただこれだけは信じてください。私は今もこれからも謀反など起こすような人間ではございません。たとえ周りの者にどう思われようと私の心は・・・」
「お前の心などとうにわかっておる!まだ幼い頃から魔法使いに近づいて妖しげな術を学び周りの者をたぶらかそうとしていた。もういい、さっさと出て行け!」
「父上にお会いするのはこれが最後かもしれません」
「その方がよい。わしとて実の息子を処刑したなどと言われたくないし、何よりボロミアが悲しむ。あれはああ見えて心が本当にやさしい子じゃ。表面を取り繕って生きることができるわしやお前とは違う。父の命令で弟が殺されたとなれば悲しみのあまり気が狂ってしまうであろう。わしはそのようなボロミアを見たくはない」
「わかりました。私も同じ気持ちです。失礼します」
私は一礼して部屋を出て行こうとしたが、ふと思いついて振り返った。
「父上、私は偵察に行った先、遠い異国で命を落とすことになるでしょう。最後に一度だけ、嘘でかまいません、愛する息子であると言ってください。ただ一度でいい・・・・」
「わしの愛する息子はボロミアただ1人だ。お前ではない・・・・」
最後の言葉を聞く前に私は部屋を出てドアを激しく閉めた。外にいた見張りの兵士が驚いて近づいてきた。
「ただの親子喧嘩だ。気にしなくてよい」
手をふりほどくようにして早足でその場を立ち去った。
自分の部屋にこもってどれくらい泣いていたのだろうか。ようやく気持ちが落ち着き顔を洗ってボロミアの部屋へと向かった。もう寝ているかもしれないと思ったが、部屋のドアに鍵はかけてなかった。私は静かに中へ入った。大きなランプの火は消され、テーブルの上の小さなろうそくだけが部屋を照らしている。テーブルにうつぶして寝てしまったフィロスをボロミアがためらいがちにそっと抱き上げた。起こさないようにゆっくり歩き、自分のベッドに寝かせて毛布をかけ、額にかかった髪を静かにかきあげた。少年を見つめるボロミアの目は限りなくやさしい。私はささやくような小さな声でしゃべった。
「いつの日かゴンドールに平和が訪れ、兄上が執政になった時、民は心の底から笑い、穏やかな眠りを得られるのですね」
「ファラミア、そこにいたのか。あんまり遅いから俺も眠ってしまうところだった。耳の聞こえない子供なんてどう相手をしたらいいかわからず困ったぞ。お前がおいていった地図など見せていたが・・・・」
「中つ国の地図・・・」
「最初は俺が教えてやったのに、お前の方が先に字が読めるようになって逆に俺が教えられた。ここの村にはホビットという小人が住み、こっちの森には何千年も生きているエルフが住んでいる。お前は本当にいろいろなことを知っていた」
「全部学者やミスランディアに教わったことです。兄上、お願いがあります。この子は耳が聞こえないので戦いに行くのは難しい、信頼できる学者に預け、古い書物の整理などさせればと考えています」
「それがいいだろう、お前と似ているのかな。目を輝かせて熱心に地図を見ていた。今までずいぶんひどい目にあったようだな」
「はい、だから時々でいいから兄上が会って成長を見守ってくだされば・・・・」
「俺は学問や書物のことなんて全然わからないぞ。お前が会っていろいろ教えた方がいいのではないか」
「私はすぐにイシリアンにもどらなければなりません。エランドの偵察に行く正式な許可も父上からいただきました」
「そうか、すぐに行かなければいけないのか」
「どんなにつらいことがあっても私は兄上のおかげで生きてこられました。彼もきっとこの先・・・・私は死ぬまで兄上とゴンドールを守るために戦い続けます」
「偵察の仕事が終わって落ち着いたらまた戻ってこい。お前とゆっくり話がしたい」
「はい」
私はボロミアの部屋を出た。振り返れば何かをしゃべってしまいそうなのでそのまま真っ直ぐに歩き自分の部屋へと入った。窓の外には丸く大きな月が見える。
「私は兄上とゴンドールのために命を捨てる覚悟でいます。それが私が生まれてきた意味、母上の命を奪ってまで・・・・そうですよね、母上」
−つづくー
後書き
この話は3日間に分けて書いたので結果としてかなり長くなってしまいました。最初考えていたよりも父の出番がかなり多くなって、でもファラミアを書く上で父デネソールは欠かせないと思いました。
2009、10、23
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