もう1人の王(1)

紀元前356年の8月、マケドニアの将軍パルメニオンはイリュリアでの戦いを終えてペラに戻った。ペラの街は1ヶ月前の祭りの興奮がまだ冷めず、人々は酔いしれていた。1ヶ月前、ちょうど獅子の月にマケドニア王家初めての世継ぎが生まれ、イリュリアの戦いでパルメニオンが大勝利をおさめ、そしてフィリッポス王の馬がオリンピア競技会で優勝したのである。今までにない喜びに王は自ら祭りに出向いて酒を振舞い、銀貨をばらまいた。パルメニオン率いる軍隊が戻ってきた時には、兵士1人1人に1年分以上の給金が特別に支払われた。一通りの祝宴に出向いた後、パルメニオンは王に正式な報告をするために王宮へと向かった。王の部屋の前には何人もの小姓が見張りのために立ち、将軍の顔を見てすぐにそれを伝えるため中へ入った。すぐに王が扉を開けて出てきた。

「おお!パルメニオン。そんなところで待たなくていいぞ。余とそなたの間になんの遠慮がある。素晴らしい勝利であった。そなたはマケドニア1の名将軍だ」
「陛下、ありがたきお言葉」
「さあ、中へ入れ。今夜は2人だけでゆっくり飲もう」

フィリッポスの顔はすでに赤くなっていた。マケドニアの王になって4年、彼は祖父アミュンタスの代より仕えている自分より20歳以上も年上のこの将軍を心から信頼していた。王は手を取って将軍を部屋の中へ入れ、長椅子へと座らせた。前のテーブルにはご馳走が山のように並べられている。

「陛下、私はもう別の場所でも食べてきました。ですからこれほどたくさんは・・・・」
「食べ切れなければ残すがいい。酒なら飲めるだろう」
「は、はい」

しばらくの間パルメニオンは黙って小姓が注ぐブドウ酒を飲み、目の前に並べられた獣の肉や生野菜、チーズなどをうまそうに食べた。

「天幕の中では食事はどうしても簡素なものになってしまうからこれはありがたい。陛下はどうです?」
「余はこのような物は食べ飽きた。早くそなたと一緒に野山を駆け巡りたい」
「いえ、これも神が与えてくれた恵みの一時です。お世継ぎができたのですから、陛下はしばらくはこちらにとどまられた方が・・・・」
「そうだ、そなたにはまだ見せていなかったな」
「アレクサンドロス様でございますか」

フィリッポスが手で合図をすると小姓の1人がすぐに部屋を出て行き、赤ん坊を抱きかかえた侍女と一緒に戻ってきた。王は侍女から赤ん坊を受け取って抱き、パルメニオンに顔を見せた。

「おお!なんと美しく賢そうなお顔でいらっしゃることか。やはり陛下のお世継ぎは違いますな。私のところでもちょうど同じ頃ニカノールが生まれたのですが、まだ小さくとてもとても・・・・」
「そなたのところには昨年も子が生まれたと聞いたが」
「はい、それまではずっと女の子しか我が家には生まれず諦めていたのですが、昨年ようやく長男フィロタスを授かりました。続いて次男ニカノール、いえ、これも陛下のお力でマケドニアが栄えているからこそです」
「そなたのことだ。ようやく生まれた息子2人、さぞかし大事にしているに違いない」
「いえ、いえ、2人ともアレクサンドロス王子に仕えさせるつもりです。将軍家の子である以上厳しくしつけなければなりません」
「頼もしい側近が2人も約束されているのだ。アレクサンドロスは幸せな子だ。・・・・それに比べ・・・・」
「どうなさいましたか?」

フィリッポスの顔が一瞬曇ったのをパルメニオンは見逃さなかった。

「パルメニオン、そなたはここで見たこと、聞いたことを誰にもしゃべらぬと約束できるか?」
「陛下のご命令であれば私は従います。決して他の者にしゃべったりはいたしません」

アレクサンドロスと名づけられた赤ん坊は侍女の手に戻された。

「アレクサンドロスはもういい、ヘファイスティオンを連れて来い」
「しかし、ヘファイスティオン様は・・・・・」
「いいから早く連れて来い。命令だ」

侍女は驚いた顔をしたがすぐに礼をして赤ん坊を抱きかかえ部屋から出て行った。

「陛下、ヘファイスティオン様とは?」
「余のもう1人の世継ぎだ。すぐに見せる」

パルメニオンは返す言葉が思い浮かばず、もう1人の赤ん坊が連れてこられるのをじっと待った。









「陛下、ヘファイスティオン様を連れて来ました」
「お前はもう下がっていいぞ。それからお前達も余が合図するまで部屋から出て行ってくれ」

フィリッポスは手早く赤ん坊を受け取ると侍女や周りにいた小姓達をみな外へ出した。

「パルメニオン、もう1人のわしの息子、ヘファイスティオンだ」

パルメニオンは恐る恐るフィリッポスの腕に抱きかかえられた赤ん坊の顔を覗き込んだ。先に見たアレクサンドロス王子によく似ているが、少し顔色は黒く男の子らしい顔をしている。

「この子はいったい・・・・・?」
「アレクサンドロスは双子として生まれた。だが双子がどこの国でも忌み嫌われるのはそなたもよく知っているだろう。まして王の世継ぎ、同じ時に2人の子が生まれては必ず禍が起きる。それを知っているためか、子を生んですぐオリュンピアスは錯乱状態に陥り、この子を抱きかかえてすぐ大理石の床に投げ落としたという。余はその時ペラにいなかったのだが周りにいた侍女と医者が慌てて子と母を引き離したそうだ。ところがアレクサンドロスの方は抱きかかえてすぐ乳を与えたという。本人は生んだ子は1人だけと信じ込んでいるようだ。しかたがないからもう1人の子はオリュンピアスとは引き離して乳母に育てさせた」
「そういうことだったのですか」
「この子は哀れな子だ。生まれてすぐ母親に見捨てられ・・・・」

フィリッポスは抱いている子の布をめくって足をはっきり見せた。

「これはひどい!」
「生まれてすぐは足は真っ直ぐだったと出産に立ち会った医者は言っていた。大理石の床にたたきつけられ曲がってしまったのだろう。これでは歩けなくなるかもしれない。アレクサンドロスだけが我が子と信じたオリュンピアスがとっさに競争相手となるもう1人の子を傷つけたのであろう」
「なんということを・・・・オリュンピアス様の行為は・・・・あまりにも・・・・」
「余もそう思う、母に見捨てられ足が不自由になった・・・・」
「女神ヘラの子として生まれながら投げ捨てられたヘパイストスと同じですな」
「そう、だからヘファイスティオンと名づけた。乳母に育てさせたがいつまでも王宮に置いてはオリュンピアスが気付いて何をするかわからない。そこでそなたに相談しようと思って連れて来させた」
「私の家でよければ喜んで陛下のもう1人のお世継ぎ、ヘファイスティオン様のお世話をいたします」
「そなたならそう言うと思っていた。だが、そなたの妻は子を生んだばかり、それに将軍家の子として育つには・・・・医者はこの子は一生歩けないかもしれないと言っていた」
「そうでございますね・・・・・将軍家の子として育っては・・・・・」

パルメニオンはしばらくの間考え込んだ。安心してもう1人の王子ヘファイスティオンの養育を任せられる者はいないだろうか?

「陛下、私によい考えが浮かびました。書記官のアミュントルにヘファイスティオン様の養育を任せてはいかがでしょうか?あの男は仕事はよくでき、しかも温厚な性格で誰からも信頼されております。だが長い間妻との間に子ができぬと悩んでおりました。きっと慈しんで育ててくれるでしょう。さらに書記官であれば・・・・」
「万が一足が不自由で歩くことができなくても仕事ができる、そう言いたいのであろう。さすがはパルメニオン、余の不安をすべて解決してくれた。さっそくアミュントルを呼び出そう」
「けれども、いくらアミュントルが養育してもヘファイスティオン様が陛下の血を引く正統なお世継ぎであることに違いはありません」
「わかっておる。アレクサンドロスにもしものことがあった場合、ヘファイスティオンが余の後継者となる。それを書いた正式な文書をアミュントルに作らせ、そなたに渡しておこう。余やアレクサンドロスの身に何かあった時はそなたがヘファイスティオンを支え、正統な血筋を持つ後継者であると証明してくれ」
「かしこまりました。神々に誓ってこのパルメニオン、ヘファイスティオン様をお守りいたします」

フィリッポスもパルメニオンもかなりの酒を飲んでいたが表情は真剣であった。やがて侍女が呼び出されてヘファイスティオンと名づけられた赤ん坊は別の部屋に連れていかれ、2人はまた酒を飲み始めた。







「お呼びでございますか。陛下」
「おお、待っていたぞ、アミュントル」

翌日の早朝、フィリッポスは王宮で働いているアミュントルを自分の部屋へと呼んだ。

「こんなに朝早く、しかも陛下のお部屋に私をお呼びになるとは、何か人に知られては困る特別な文書の作成があるのですか」
「特別な文書などないが、お前は秘密を守れる男であるな」
「もちろんです。私は陛下のご命令であればたとえ拷問にかけられようと秘密を守ります」
「それを聞いて安心した。実は最近は女や若い男にも飽きてきてな。自分より年上でたくましい体つきの男を試したくなった。パルメニオンでは年上過ぎてさすがに失礼だと思いお前を呼んだわけだ」
「かしこまりました。陛下のご命令であればどのようなこともいたします」

アミュントルはフィリッポスの足元に跪いて、大きな傷のある太腿をそっと手に触れ、つま先に口付けをした後サンダルの紐をほどき出した。

「アミュントル、もうよい。お前の忠誠心を試してみただけだ。余は今のところ小姓達で充分満足しているからそのようなことはしなくてよい。お前に別な頼みがある」
「頼みと言いますと・・・・・」

フィリッポスが手で合図をするとすぐに部屋の外で控えていた小姓が走り出し、赤ん坊を抱いた侍女が部屋に来た。

「余の世継ぎだ」
「アレクサンドロス王子でございますね。お生まれになってそろそろひとつき、体の大きさなどを調べて記録に残すのですね」
「いや、この子はアレクサンドロスではない。ヘファイスティオンだ」
「陛下、どういうことでございましょうか!」
「ひとつき前、オリュンピアスから生まれた子はアレクサンドロス1人だけではなかった。もう1人、このヘファイスティオンも生まれた、つまり双子だったのだ。双子は昔から忌み嫌われ、王家に生まれればその国を滅ぼすとまで言われている。そのためかオリュンピアスは子を生んですぐ錯乱状態となり、このヘファイスティオンを抱いた床に叩きつけた。すぐに医者が赤ん坊を抱き上げてその場を離れたが、もう1人の子は我が子と認め乳をあげたそうだ。オリュンピアスはそれ以来自分が生んだのはアレクサンドロス1人と信じているし、危害を加えられることを恐れてその場にいた者も誰もそのことは口にしない。ヘファイスティオンは乳母に育てさせたが、いつまでも王宮におくわけにはいかない。そこでお前に頼みたいのだ。この子をお前の子として育ててはくれないか」
「へ、陛下、お待ちください。我が家系は高位の貴族ではございませんし、長年妻と2人暮らし、しかも私はほとんどこの王宮で寝泊りしているものですから家もごく普通のもの、とても陛下のお世継ぎをお迎えすることなどできません」
「王の子として育てなくてよい。オリュンピアスが王子と認めたのはアレクサンドロスただ1人、ヘファイスティオンが王位継承者だと公表されることはおそらく生涯ないであろう。さらに生まれてすぐ床にたたきつけられて足が曲がっている。王として戦場で指揮を執るのは不可能に近い。ならば最初から書記官の子として育った方がよいであろう。お前は誰に聞いても評判がすこぶるよい男だ。必ずや慈しんで育ててくれる。そう信じてヘファイスティオンを託すのだ。受けてくれるな」
「かしこまりました。私の命に代えてもこのヘファイスティオン様をお守りいたします」
「あくまでもお前の子として育てろ。けっして名前に様をつけては呼ぶな。よいな」
「わかりました、ただ1つ気がかりなのは・・・・」
「パルメニオンも同じ心配をしておった。王子が双子だという事実を知るのは医者とその場にいた侍女の何人か、そして余とパルメニオン、それからお前だ。ヘファイスティオンが余の世継ぎだという正式な文書を2通お前に作ってもらい、王家の印章を押す。お前とパルメニオンがそれぞれ1通ずつ持ち、余とアレクサンドロス両方に何かあった時にはそれを公表してヘファイスティオンをマケドニアの王にしろ、よいな」
「あまりにも大きな役目、不安でございます」
「お前はそれができると余が信じたのだ。任せたぞ」
「かしこまりました。陛下」

アミュントルはもう1度フィリッポスの前で跪き、侍女の手から赤ん坊を受け取った。

「ヘファイスティオン・・・・」
「書記官アミュントルの子、ヘファイスティオン。そう記録されることを願う。余とアレクサンドロス両方の身に何かあっては困るからな」
「私の子として精一杯お育てします」
「外に馬車を待たせてある。今なら誰もいない。早くお前の家に連れていけ」
「かしこまりました」

アミュントルは赤ん坊を抱きかかえたまま軽く頭を下げ、足音を立てずに部屋から外へ出た。

「これでよい。ヘファイスティオンはアミュントルの子となった。だが血を分けた兄弟であることに変わりはない。きっとよい側近になるであろう。秘密が守られる限り・・・・」




                                        ーつづくー





後書き
 この話はヒストリエでの設定にショックを受け、私だったらもう1人の王であると言われたヘファイスティオンをこういう設定で書くのになあと考えたところから始まった話です。今回はいろいろな人の目線で生まれた時から書きたいと思ったので三人称で書きました。

2010、3、10




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