もう1人の王(3)
7歳のヘファイスティオンは父アミュントルに連れられてフィリッポス王に会うために謁見の間へと向かった。故郷の家とはあまりに違う王宮の広さ、豪華さにただただ驚くばかりであった。広い謁見の間に入り、2人は案内の小姓に言われたとおり椅子に腰掛けた。フィリッポス王は2人の兵士に肩を支えられ、足を引きずりながら部屋に入って椅子に座った。右目には包帯が巻かれている。王は兵士や小姓を部屋の外に出させた。
「アミュントル、すまないな。せっかくヘファイスティオンを連れて来てくれたと言うのにこのような有様で・・・」
「陛下がこれほどの怪我をなさったとは知らなかったものですから・・・・家にいるとこちらの話はまったく伝わらないのです」
「だが都合のよいこともある。オリュンピアスがディオニュソス神への儀式があると言って2日前から侍女を連れ山にこもっている。ヘファイスティオンを連れてくるにはちょうどよいと思って何も伝えなかったのだ。あれはあのことなどすっかり忘れているようだが、急に思い出されても困るからな」
「あのことって、オリュンピアス様は何を忘れたの!」
「これこれ、何を言い出すのだ」
ヘファイスティオンの突然の声にアミュントルはうろたえた。フィリッポス王はヘファイスティオンに向かって話しかけた。
「アミュントルの子、ヘファイスティオンよ。お前は好奇心が強いようだな。実を言うとオリュンピアスは魔女なのだよ。怖ろしい魔法の言葉をたくさん知っているが時々忘れることもある。それで余も命拾いをした」
「陛下、何を・・・・」
「魔女に呪いをかけられ戦場で余は危うく死ぬところだった。敵の矢がちょうど右目にささってな、そのまま後ろに倒れた。目から血が流れ空が真っ赤に見えた。足に鋭い痛みを感じた。だが夢中で矢を抜き、近くに倒れていた敵の槍を握って構えた。その後何人敵を殺したか覚えていない。パルメニオンの姿を左目がとらえたと同時に意識を失った。気がついた時には医者に介抱されていたというわけだ。オリュンピアスは今頃余の怪我を喜びディオニュソスに感謝の儀式でもしているのだろう」
「あの、オリュンピアス様ってアレキサンダーの・・・・」
「ああ、もちろんアレキサンダーとお前の・・・・いや、確かに母ではあるが・・・・あの女は余にもマケドニアにも禍ばかりもたらす。考えるだけでもいまいましい」
「その目、痛くはないの?」
「今はそれほど痛くはない。だがあの時の痛みは例えようもない。だが戦場で意識を失うことは死を意味する」
「だからアレキサンダーも必死でがまんしていたんだね」
「アミュントル!アレクサンドロスに前に会わせたのか!」
フィリッポス王の顔が急にけわしくなった。
「うん、僕前にもアレキサンダーに会ったことあるような気がする」
「どういうことだ!お前は余に内緒でここにヘファイスティオンを連れてきたのか!」
「とんでもございません。ヘファイスティオンを連れてくるのは今日が初めてです。これ、何を突然言い出すのだ」
「アレキサンダーもそう言っていた、僕には会ったことないし、会ったとしても忘れているって。でも僕は確かに・・・」
「ヘファイスティオン、落ち着いて正直に言いなさい。どこでアレクサンドロス王子に会ったのだ」
「さっき中庭で、鞭で打たれていたから」
「レオニダスめ!あれほど人前で鞭打つなと言っておるのに。アレクサンドロスは王子だ。プライドを傷つけてどうする」
「それでヘファイスティオン、ただ見ただけで王子を傷つけるようなことは何も言ってないだろうな」
「わからない。アレキサンダーは怒って行ってしまった・・・・」
「まったく誰に似たんだ!好奇心が強いのはいいがお前は余計なことをしゃべりすぎる。もう少し大きくなってものの道理をわきまえてから・・・・あ、もうしわけございません、陛下に失礼なことを・・・・」
アミュントルは慌ててフィリッポス王を見たが、その顔は笑っていた。
「気にするな。お前が息子をどれだけ大切に育てたかよくわかってほっとした。これからもたびたび連れてくるがいい。いずれアレクサンドロスやフィロタス達と一緒に学ばせよう。ギリシャ中から選りすぐりの学者を集めよう」
「陛下、それほどまでにアレクサンドロス王子のことを・・・・」
「マケドニアはやがてギリシャ中のポリスを支配下に置くのだ。王子が高い教養を身につけていなければ恥をかく。お前もこれから忙しくなるぞ。まずはヘファイスティオンの教育を・・・・」
「あの、僕も今日からアレキサンダー達と一緒にここで勉強していいですか?」
「ちょっと待て、ヘファイスティオン、何を言う?お前はまだ母親が恋しいと・・・・」
「でもここで勉強がしたいんだ。いいでしょ?父さんは王宮にいることが多いし、どっちみち僕は書記官となって王宮で働くことになるんだから早くから慣れておいた方が・・・・」
「それもそうだな・・・・ヘファイスティオン、お前が望むなら・・・・」
「陛下、待ってください」
「いや、それがよいに違いない。ヘファイスティオンがアレクサンドロスに魅かれるのなら共に学ぶのが一番であろう」
「しかしこの子は勉強はともかく訓練は・・・・」
「わかっておる。レオニダスにはよく言っておこう。お前の妻は寂しがるだろうが、将来を考えればそれが一番よいのだ。わかるな。もちろんあのことを公表つもりは余にはない。アミュントルの子として力をつけていくのだ」
「かしこまりました」
こうしてヘファイスティオンは王宮に着いたその日からそこで暮らすことになった。
ヘファイスティオンが王宮で生活をするようになって数日が過ぎた。書記官の父アミュントルは王宮内に専用の部屋を与えられていたので彼もそこで寝泊りして勉強の時間だけ皆が集まる部屋に行った。ラゴスの子プトレマイオスが一番年上で15歳、その他はパルメニオンの子フィロタスが9歳、ハルパロス8歳、ネオプトレモス6歳、アンティパトロスの子カッサンドロス6歳、そしてアレクサンドロスとヘファイスティオンが7歳と同じ年くらいの子供が集まっていた。ヘファイスティオンは最初勉強の時だけ集まりレオニダスの行う訓練には参加しなかったが、ある日とうとう我慢できなくなって皆が集まっているところへ向かった。
「ヘファイスティオン、お前はここに来なくていいと言われているだろう」
すぐに声をかけたのは年上のプトレマイオスであった。彼は皆の監督役も務めている。
「そうだけど、でももう足の怪我は治ったから大丈夫だよ」
「本当にいいのか?レオニダスは厳しいぞ。下手に参加して鞭打たれるより休んでいた方がいい。どっちみちお前は兵士になる気はないんだろう?」
次に話しかけたのはフィロタスだった。アレキサンダーは勉強の時もまだヘファイスティオンには何も話しかけていない。今も知らん顔をして自分の体を動かしている。
「うん、でも書記官だって戦場に行って記録をとることがあるから訓練を受けた方がいいって父さんに言われたんだ」
「足は大丈夫なのか?」
「もうすっかり治ったよ」
「今日は遠くまで走ることになる。あ、もうレオニダスが先に走り出した。お前のこと気付いてないみたいだ。いいか、疲れたら途中でさっさと抜けて休んでいろ。おそらく城壁の中だけだ。迷うことはないだろう。
だが予想に反してレオニダスは城門から外へ出て山へと向かって走った。一番後から走ったフィロタスはしばらくしてから振り返った。思ったとおりヘファイスティオンは山道の途中で座り込んでいた。フィロタスは戻った。
「どうした?」
「足も痛いしおなかも痛い。もう無理だ」
「やっぱりな」
フィロタスは城門の方を見た。門の前に見張りの兵士が立っているから、足を引きずってでも歩いていって危険はないだろう。だが彼はヘファイスティオンをおぶって城門までもどり、兵士に伝えた後で皆が走った山道を登った。当然のことながら大幅に遅れたフィロタスは罰としてレオニダスに鞭で打たれた。そのことを後で聞いたヘファイスティオンは1人でフィロタスが手当てを受けている部屋へと向かった。フィロタスはベッドにうつ伏せになっていた。医者のつける薬がしみるのか泣き叫び手足を押さえられている。ようやく治療が終わり、医者とその助手が部屋を出たのを確かめてヘファイスティオンはゆっくり中に入った。
「ごめんなさい」
「なんのことだ。俺は痛い思いをしているんだ。ほっといてくれ」
「僕のせいで遅くなって罰を受けたんでしょう?」
「お前のせいじゃない。俺は今日朝から調子悪かった」
「でも僕があそこで座っていなければ君はもっと速く走れた」
「そう思うならもう訓練には出るな!俺だけではない、みんなお前のこと気にしていた」
「アレキサンダーは?」
「何も言ってない。お前何かアレキサンダーを怒らせること言ったのか?もう何日もたつのにお前にだけ何もしゃべってない」
「うん、僕は彼のプライドを傷つけたかもしれない・・・・それに君に対しても・・・」
ヘファイスティオンは今にも泣き出しそうな顔になった。フィロタスはベッドの上に腰かけ、そばに置いたキトンを身につけた。
「そんな顔するな。ここすわれ」
いわれるままに隣にすわった。
「アレキサンダーは怒りっぽいけどいつまでも根にもつやつではない。そのうち話しかけてくれるさ。俺だってこれくらいの痛み大したことはない。戦場で将軍が倒れたらその戦いは終わりだ。痛みに耐える訓練も必要だ」
「君やアレキサンダーはとても強いから僕なんか相手にしてくれないだろう」
「そうでもないさ。お前ホメロスとかよく覚えているじゃないか。アレキサンダーも驚いていたよ。口には出さないけど・・・・」
「本当?でも僕はアキレウスやヘラクレスのような英雄には決してなれない。ここにいて一緒に勉強したいと王様に無理を言ってお願いしたけど、結局足をひっぱるばかりだ・・・・」
「お前は書記官の子だろう。戦場に行くわけではないから訓練は必要ない」
しばらくの沈黙の後、ヘファイスティオンはやっと聞こえるほどの小さな声でつぶやいた。
「僕も戦場に行きたい。記録をとるためにではなく、一緒に戦うために・・・・」
また沈黙が続いたが急にフィロタスの顔が輝いた。
「お前、馬は乗れるか?」
「1人では乗れない。父さんと一緒なら・・・・」
「馬、そうだよ。少しくらい足が不自由でも騎兵なら・・・・お前、明日から馬に乗る訓練をしろ」
「僕が?・・・だって」
「俺が教えてやる。弟2人にも馬の乗り方教えてやったんだ。お前はあの2人より苦労しそうだけど、馬を乗りこなせるようになればみんなにもついていける」
「本当?ありがとう」
ヘファイスティオンはフィロタスに抱きついた。
「やめろ、ばか!こっちは鞭で打たれたばかりで背中が痛いんだぞ」
「ごめんなさい」
「ヘファイスティオン、お前・・・・」
フィロタスはヘファイスティオンの顔をじっと見た。
「意外とアレキサンダーに似ているんだな。性格が全然違うから今まで気がつかなかったけど・・・・」
「あ、わかった・・・・そうか、そういうことだったんだ。僕はばかだな。顔が似ているからどこかで会ったと勘違いしていたんだ」
「お前アレキサンダーにそんなこと言ったのか?」
「だってあんまりにも汚いキトンを着ているから。僕は最初彼が王子とは気がつかないで奴隷の子だと思った」
「それは怒るよ。粗末な服を着させるのもレオニダスの方針さ。すべてスパルタ流。俺達は訓練と勉強の時だけだけど、アレキサンダーの場合は1日中一緒で着るものから食べ物まで全部制限されているんだからな。大変だよ」
「そうか・・・・それじゃ僕もう行くね。ありがとう」
「ヘファイスティオン、がんばれよ」
出口のところまで歩いた彼は振り返って微笑んだ。
−つづくー
後書き
なんかやたらとフィロタスがいい人になってしまいました。後半の悲劇が頭にあるからついついよく書いてしまいます。
2010、4、20
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