もう1人の王(4)

7歳のヘファイスティオンは謁見の間で1人椅子に座ってフィリッポス王を待っていた。足が届かない高い椅子や部屋を埋め尽くす豪華な調度品、そして周りに立つ見張りの兵士に心を奪われてキョロキョロすることはなかった。彼は王に訴えなければならないと固い決意をして父アミュントルには内緒で王に謁見を申し出たのである。やがて王が来てにこやかな顔でヘファイスティオンの前に置かれた玉座に腰をおろした。まだ少し足を引きずってはいたが、前に会った時よりもずっと調子はよさそうであった。

「王様!じゃなくて陛下、足の怪我はもう治ったのですか?」
「ヘファイスティオン、お前にまで心配かけたようだな。このとおり歩くのにはまだ苦痛を伴うがそれでも寝込んでいるわけにはいかない。お前が聞きたいことはなんだ?」
「あの、周りにいる兵士達にこの部屋から出て行ってもらったもいいですか?」
「2人だけの秘密の話か。アミュントルも知らないのだろう」
「父さんには僕が王様に話したこと内緒にしてください」
「よかろう」

王が立ち上がって合図を送ると周りの兵士達は素早く部屋の外に出た。

「これでいいか。ヘファイスティオン、話したいことはなんだ?」
「王様は今足に怪我をしているけど、すぐに戦いがあった場合はどうするのですか?」
「今すぐ戦いがあったらか・・・もちろんわしは戦場まで同行する。実際に指揮をとるのはパルメニオンだが、敵味方がそれぞれどう動くかこの目で確かめなければならない。それが王の役目だ」
「それなら僕も足が悪くても一緒に戦場まで行くことはできるわけですね。馬に乗れれば・・・・」
「もちろんだ。戦況を見て記録に残すこともお前の仕事になるだろう。アミュントルも戦いの時にはわしに同行するし、何よりも和平交渉では欠かすことのできない人間だ」
「それなら僕も勉強だけでなくいろいろな練習に参加した方がいいですよね」
「そうだな。お前に無理がなければ・・・・・」
「ありがとうございます。それならば明日からさっそく本格的に練習に参加します。でもレオニダス先生のやり方は間違っています!」
「間違っています・・・・ヘファイスティオン、今なんと言った?」

思いがけない言葉に王は思わず聞き返した。だがヘファイスティオンは勘違いして椅子から下り、玉座の横まで歩いて王の耳元に口を寄せ大声で叫んだ。

「レオニダス先生は間違っています!」

あまりの大声にさすがの王も一瞬ひるんだがすぐに気を取り直した。

「ヘファイスティオン、そういう意味ではない。わしは耳が悪いわけではない。お前の声はよく聞こえるから椅子に座って話しなさい」
「は、はい」

ヘファイスティオンは慌てて自分が腰掛けていた椅子にもどった。もしかして、王様に対してものすごく失礼なことをしたかもしれない。でもこのことはどうしても言わなければいけない。

「レオニダス先生は間違っています。昔スパルタでは強い兵士を育てるために子供は7歳から親元を離れ特別な訓練を受けました。ちょうど僕やアレキサンダー王子と同じ年です。子供達は食べ物もロクに与えられずに戦って他人から奪うよう仕向けられ、失敗すれば鞭で打たれるなど酷い罰を受けました。スパルタでは強い子供だけが生き残り、スパルタの戦士はとても勇敢で強いと恐れられるようになりました。スパルタは戦いでアテネに勝ちました。でも今力を伸ばしているのはスパルタではなくアテネです。痛みや屈辱を与えられてスパルタの戦士は1人1人とても強くなりました。でも王がどのように指揮したか、状況が違う戦いでどうしたらいいのか記録がほとんど残らないので国として強くはなりませんでした。アレキサンダーは奴隷の子ではなく国の中心となる王子です。彼に必要な訓練はスパルタ人のように他の子を蹴落とし食べ物を奪うことではない、鞭で打たれて苦痛や屈辱を知ることではない、王に必要なことは兵士達の尊敬を集め、いかにうまく戦えるか指揮をとることです。だから昔のスパルタと同じやり方をするレオニダス先生は間違っています」

理路整然とした話し方に王は驚いた。アミュントルはどのような教育をこの子に与えたのか。

「ヘファイスティオン、お前の言いたいことはよくわかった。確かにスパルタ人の勇敢さはよく言われるが、それでもスパルタの繁栄は長くは続かなかった。アレキサンダーにはスパルタ人とは違う訓練が必要であろう。レオニダスにはわしからよく言っておこう。ただそれであの男のやり方がすぐに変わるかどうかはわからないが、確かにやり過ぎであるとわしも思っていたところだ」
「ありがとうございます。実は僕、みんなと一緒に訓練は受けたいけど鞭で打たれるのはいやだなあと思っていたのです。でも王様がレオニダス先生に言ってくれるなら安心です」
「わかった、特にヘファイスティオン、お前には決して鞭は使うなと言っておこう。言いたいことはこれだけか」
「はい。僕、どんなふうに話したら王様にわかってもらえるか夜寝ないでずっと考えていたんです」
「お前のその弁論の術、いつかきっと役に立つだろう。もう行きなさい」
「はい、失礼します」

ヘファイスティオンは椅子から飛び降り、元気よく歩いて謁見の間を出て行った。






その夜、王の部屋にパルメニオンが呼ばれた。謁見の間ではなく部屋に直接呼ばれるのは小姓以外は将軍のパルメニオン、大臣アンティパトロス、そしてヘファイスティオンの父で書記官のアミュントルぐらいであった。

「陛下、お呼びですか」
「ああ、パルメニオン、お前に話したいことがあってな。ヘファイスティオンのことだ」
「随分ごきげんですね。何があったのですか」
「あれはわしに似てなかなか賢い子だ・・・・ヒック・・・・それに度胸がある・・・自分の立場をわきまえずわしに説教をしおった・・・・ハハハハ・・・・書記官の子が王にだぞ・・・・」
「な、何を言われたのです。私はフィロタスに・・・本当のことは話していませんが・・・ヘファイスティオンのことはいつも気にかけ見守るようにと言ってあります。ですが陛下に対して・・・・」

パルメニオンは王の前に立ってオロオロしながら答えた。

「そんなところに突っ立ってないで早く座れ。アミュントルはかなりの知恵をヘファイスティオンに授けたようだ。わしに謁見を申し込み、しかもいきなりこう言ってきた。レオニダス先生は間違っています!」
「へ、陛下・・・今何を言われましたか」
「ハハハハ、驚いたか。なぜ間違っているか。スパルタの子供は苦痛と屈辱によって最強の戦士に育てられたが、それでも今国としてのスパルタは見る影もない。王子はそのような育てられ方をしてはいけない。まあ、そんなことを言っておった」
「ヘファイスティオンがですか?」
「7歳の子にしてはりっぱな論理だ」
「そうですね」
「だが、ああズケズケものを言う性格ではこの先多くの敵も作るであろう。わしとて自分の子だから笑って聞いたが、別の子に同じことを言われて冷静でいられるかどうかはわからない」
「それで陛下はなんと言われたのですか」
「レオニダスにはよく言っておくと約束した。わしもあの男はやり過ぎだと気になっていたところだ。フィロタスも鞭で打たれただろう」
「いえ、フィロタスはいずれ将軍となる子、厳しい訓練を受け痛みに耐えるのは当然です。ただあの子は・・・・弟2人と育ったためでしょうか。自分より年下の者をかばい身代わりとなってしまうようなところが・・・・戦場で敵に情けをかければ自分がやられる・・・その弱さが心配です」
「将軍となってお前の後を継ぐのはニカノールの方がふさわしいかもしれない」
「でもフィロタスの方が年上です」
「フィロタスには別の役目を与えたい」
「どのような・・・・いえ、陛下のご命令であるならば・・・・」
「アレキサンダーにはいずれ多くの護衛がつく。だがヘファイスティオンは戦場でも王宮でも直接護衛兵はつけられない。それとはわからぬよう見守ってくれるか。こんなことを頼めるのはお前しかいない。そしてフィロタスが一番やさしい子だ」
「わかりました。私もいずれフィロタスにだけは本当のことを話し証拠の品も渡すつもりでいました。もちろん何事もない限り秘密は生涯守らせます。ですが、万が一の時には・・・・」
「お前とわしが考えていることは同じであろう。だが言葉で聞いて安心した」

2人の話は夜遅くまで続いた。







「ヘファイスティオン、だいぶうまくなったな。今日は城門を出て外まで行ってみないか?」
「大丈夫かなあ。僕はまだ馬を走らせることはできないし」
「平気さ。ゆっくり歩かせるだけでも外は景色が全然違うし馬も喜ぶ。お前の乗っている馬は一番おとなしいから暴れることは絶対無い」
「じゃあ少しだけ」

ヘファイスティオンとフィロタスは馬に乗って城門から外へ出た。その日の教練はすべて終わっていたし、天気もよくて馬の背に揺られるのは心地よい。野原に出てフィロタスは少し馬を走らせた。その時こっそり後をつけてくる子供が1人いた。彼は投石器を手に持ち、ゆっくり歩いているヘファイスティオンの馬を背後から狙って石を撃った。

「ああー!」

ヘファイスティオンの悲鳴にフィロタスが振り返った。馬は前足を高く上げ、突然走り出した。

「落ち着け、手綱を放すんじゃないぞ!どうして馬が・・・・カッサンドロス、お前何をした!」

フィロタスはそばにカッサンドロスが投石器を持って立っているのを見た。だがヘファイスティオンの馬は遠くへ走って行く。慌てて追いかけたがなかなか距離は縮まない。

「ああー、誰か、助けてー!」

ヘファイスティオンは必死で馬にしがみついた。フィロタスの横を馬に乗って通り過ぎる者がいた。アレキサンダーだった。彼はヘファイスティオンの馬と並んで走り大声で叫んだ。

「落ち着け、ヘファイスティオン。今そっちに行くからな」

ギリギリまで走っている馬を近づけさせ、アレキサンダーはヒラリと飛び上がってヘファイスティオンの馬に乗った。手綱を強く握ると馬はもう一度前足をあげて止まった。

「アレキサンダー、ヘファイスティオン、大丈夫か?」

フィロタスが馬でおいついた。アレキサンダーはヘファイスティオンを抱きかかえるようにして馬からおりた。

「2人とも怪我はない」
「ちょうどよかった、アレキサンダーが馬で通りかかってくれて・・・・」
「カッサンドロスが投石器を持っていたから後をつけた」
「あいつ、石をぶつけたな」
「おそらく・・・だがもう1人やっかいなやつが来た。フィロタス、お前はどう決着をつける?」
「レオニダスか・・・・しかたない、俺が責任取る」

レオニダスが黒い馬に乗って近くまできた。

「カッサンドロスからの報告があった。フィロタスがヘファイスティオンに馬の乗り方を教えていたところ急に馬が走り出したと・・・本当か」
「本当です、カッサンドロスが・・・・」
「ヘファイスティオン、お前は何もしゃべるな。本当です。間違えて馬を暴走させてしまい、アレキサンダーに助けられました」
「なぜ誰もいないところで初心者のヘファイスティオンに練習させた?」
「すみません、俺の責任です」
「陛下より鞭はなるべく使わないよう指示されているが、フィロタス、このことは当然罰を受けることだと自覚しているだろうね。もしアレキサンダーが通りかからずヘファイスティオンが馬から落ちたかもしれないと思うとぞっとする」
「はい、よく考えもせずに練習させた俺の責任です。罰を受けます」
「よろしい、ついてきなさい」

レオニダスが馬を走らせ、フィロタスもその後に続いた。

「待ってください。カッサンドロスが・・・・」

叫ぶヘファイスティオンの腕をアレキサンダーがひっぱった。

「やめろ、ヘファイスティオン。馬に乗ったあの2人にお前が追いつけるわけがない。また馬を暴走させる気か?」
「だってカッサンドロスが・・・・君も見ただろう・・・・投石器を持っていた」
「ああ、確かに持っていた」
「石をぶつけるから馬が突然走り出した。悪いのはカッサンドロスだ。それなのにどうしてフィロタスが罰を受けなければいけないの」
「もしあれがカッサンドロスではなく弓か槍を持つ敵だったらお前もフィロタスも死んでいた」
「敵だなんてこんなペラのすぐ近くで・・・・」
「王宮にいたって敵はいつどんな姿で紛れ込んでくるかわからない。俺達は常に周りに気を配らなければいけない立場にいる」
「でも悪いのは絶対カッサンドロスだよ。それなのに・・・・あー、もしかしてレオニダス先生が来たのは・・・・」
「もちろんカッサンドロスさ。あいつが騒ぎをおこしてついでに先生も呼んできた。まあお前に何かあったら困るからその対策だろう。もちろんフィロタスが自分のことは言わないだろうと計算済みさ」
「どうしてそんなことがわかるの?」
「あいつは将軍、俺は王の子だ。プライドの高さが違う。カッサンドロスに隙を見せたことを恥じているのさ」
「プライド、僕にはわからないなあ」
「お前にわかってたまるか」
「どれくらい鞭で打たれるの?」
「フィロタスは隙をみせ、判断力のなさも示してしまったから少なくとも10回以上は打たれるだろう」
「ひどい・・・・どうして君はそんなこと平気で・・・・」
「しょうがないだろう、本当のことだから。あ、それから今日はもうフィロタスのところに行くなよ。手当てならプトレマイオスにでもまかせろ。お前がそばにいる限りあいつは意地を張り続け、呻き声も出せない」
「僕がそばにいると・・・・」
「俺もそうだ。お前にだけは絶対涙を見せない・・・・フィロタスは、あいつはいいヤツだよな・・・・足の不自由なお前にわざわざ馬の乗り方なんか教えて・・・・」
「足が不自由でも騎兵にならなれるって・・・・」
「そういうことか・・・・俺はそんなこと考えもしなかった・・・・それどころかお前を無視していないように考えた。どうしてだろう?お前と話していると俺は俺でなくなるように感じるんだ。今だってこんなに長く話してしまった・・・・」
「アレキサンダー・・・・?」

アレキサンダーの目が潤んでいるのをヘファイスティオンは見てしまった。

「泣いているの?」
「何を言う。俺がどうして泣く必要がある。フィロタスに同情してか」
「違う、でもなんとなく」
「お前は本当に変なヤツだな」

アレキサンダーはヘファイスティオンの顔をじっと見た。

「俺、ずっと昔お前に会ったことあるかな」
「僕も初めて君を見た時にそう思った。でもフィロタスに言われたけど僕達年も同じだし顔がよく似ているからそう勘違いしただけだよ。自分の顔と似ているんだもの、勘違いするのも当たり前だよ」
「そうか、もう1人の自分というわけか」

アレキサンダーは手を伸ばしてヘファイスティオンの体を抱きしめた。彼の方が顔の長さ半分ほど背が低いが、さらに体を縮めて胸に顔を埋めた。

「どうしたの、アレキサンダー?」

ヘファイスティオンは驚いた。アレキサンダーは自分の胸に顔を埋め涙を流しているのだった。でも彼はなるべく平静さを装ってじっとその場に立ち続けた。





                                 −つづくー






後書き
 「300」を見たばかりなのでついついヘファにスパルタの批判をさせてしまいました。2人をどうやって仲良くさせるかいろいろ考えた末このパターンに・・・・この時フィロタスは大変な目にあっているわけでちょっと気の毒です。


2010、5、11











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