(27)奇蹟(後編)
僕の意識は朦朧としていた。少しでも苦しまないようにという配慮からなのだろう。強い薬の匂いをかいで体は痺れていた。それでもこれから自分の身に起こることを考えると体はガタガタ震えた。縛られた手足の紐が引きちぎられるほど大暴れをし、叫び声をあげて逃げ出したかった。だが僕の耳にはもっと大きな叫び声が聞こえてきた。余りにも悲痛で苦しげな声・・・・そんなに心配しなくても僕は大丈夫だよ・・・体の中心に鋭い痛みが走り、僕も叫び声をあげた。僕の悲鳴よりも彼の叫び声の方が遥かに大きい・・・・どうして・・・助けて・・・苦しい・・・・
目を開けると彼の顔が見える。僕の手足は縛られてなく、ベッドに寝かされていた。体の中心に焼け付くような痛みを感じる。手を下に伸ばそうとすると、その手を彼に握り締められた。
「触ってはだめだ・・・見てもいけない・・・結局俺はお前のために何もできなかった・・・できることなら俺が代わりに・・・」
「喉が渇いた・・・水を飲ませてほしい・・・」
「だめだ!今水を飲んだら傷口が詰まって死んでしまう・・・・みっか・・・3日間も・・・お前の苦しみはまだ終わらない」
「3日間だね・・・その間君と一緒にいられる?」
「いられるよ・・・ジャレッド」
3日間という言葉に僕は眩暈を感じた。いまこの時ですら叫び続けた喉はひりひりと痛み、体はカラカラに乾いていた。でもあまりにも辛そうな彼の顔、何か言わなければ・・・・
「僕達が一緒に過ごせる最後の3日間だね。こんなふうに水も飲めなければ王宮に連れていかれることもないから・・・」
「そ、そうだけど・・・・」
「なにか話してほしいな・・・・僕達の話じゃなくて別の話・・・・僕達の話は辛すぎるから、きっと生まれ変わってもう一度出会った時には何もかも忘れてしまっているよ。君と今こうして話している確かな記憶を残したい」
「何を話して・・・・どうやって・・・・」
「あのモザイクの絵を持ってきて・・・それを見ながら君が学校で習ったいろいろなことを教えて欲しい。偉大な王様の話やわくわくするような英雄の冒険・・・何もかも僕には決して・・・・」
「わかった、ジャレッド・・・・今とってくるから待っていろ・・・・」
「その間に君は水を飲んで何か食べて・・・・」
「わかったよ・・・・・」
コリンは部屋を出て行った。その足音が充分聞こえなくなってから、僕は再び足の間に手を伸ばした。焼け付くような痛みとごつごつとした布の感触・・・・僕の喉元から嗚咽が漏れた。大きな声は出ない。ヒリヒリ痛む喉からは、かすれた低い呻き声が聞こえ、目からは後から後から涙がこぼれ出る。長い時間呻き声をあげながら僕は泣いていた。
コリンはすぐに戻ってきて、ずっと僕のそばに付き添ってくれた。彼は長い長い物語を聞かせてくれた。
「昔、日が沈む方角にある小さな国に、一人の王子が生まれた。彼の父である王は羊飼いだった国の民をりっぱな軍人にして、次々と戦いに勝ち、小さなその国はたちまちそのあたりの国で一番強くなった。父王は王子のために特別の学校を作って貴族の子供達と一緒に学ばせ、また体を鍛えさせたりもした・・・・ジャレッド・・・苦しくないか・・・こんな話でいいのか・・・」
「続けて・・・・」
「王子にはとても仲のよい親友がいた。二人は勉強する時も、体を鍛える時も、そして夜寝る時もいつも一緒だった。彼らは星を見ながら語り合った・・・・遠い昔の神話の英雄について・・・そして自分達の将来のことも・・・・」
ぼんやりとした意識の中で彼の話を聞いていた。僕達も同じだ・・・星を見て、海を見て長い間話をした。でも僕には思い出はあっても夢見るような未来は何もない・・・・ほんのわずかの間、王様のお相手をして、後は一生王宮を出られず死を待つだけである。愛する人と未来を語り合えるのはなんて幸せなことなのだろう・・・・・
「ジャレッド・・・泣かないでくれ・・・お前を泣かせるために俺は話をしているわけでは・・・・・」
「このモザイクの絵で王様が泣いているのは、その親友が死んだからだね・・・この表情は昔僕が死んだ後の君の顔と同じ・・・・王様ですら悲しみを止めることはできない・・・・続けて・・・」
ぼんやりとした意識の中、僕は彼の声だけを聞いていた。
話を聞きながら夢を見た。王子様はやがて王様になって長い長い旅をした。いろいろな国で戦い、そして砂漠の旅もした。照りつける太陽の下、飲み水はなくたくさんの人が死んだ。カラカラに渇く喉、苦しい砂漠の旅・・・・でも王様はやっと見つけたカップ1杯の水を砂漠の砂にしみこませた。
「みなが渇いている時、一人だけ喉を潤すわけにはいかない」
見ている者は皆歓声を上げた。僕も一緒に・・・・砂にしみこんだ水は見ている僕達の喉を潤していた。
2日が過ぎた。僕の体はカラカラに乾いていた。どこもかしこも焼けるように熱く、低い呻き声をもらすばかりだった。もう話を聞くこともできない・・・意識は混濁し、頭の中はごちゃごちゃになっていた。水が欲しい・・・水さえ飲めれば・・・もうどうなってもいい・・・
「みず・・・みず・・・をのませて・・・・」
「あと1日の辛抱だ、がんばれ・・・」
「もういい、楽にして・・・」
「あと1日、あと1日だけだ・・・俺も何も飲まない・・・だから一緒に・・・」
「君は水を飲んでも・・・・どうせ僕はこの先一生王宮に閉じ込められて死を待つだけだ・・・それならいっそう君の目の前で・・・もういい、楽にして・・・・・」
「だめだ!お前のためじゃない、俺のために生きてくれ・・・たとえもう会えなくてもお前が今同じ時の中で生きている、同じ国のすぐ近くに生きている・・・・それが俺の支えだ・・・俺を一人にしたくないってお前はここまでもどってきたんだろう。生きてくれ・・・頼む・・・」
「もう耐えられない・・・」
「お前が死んだら俺もすぐ後を追う・・・それでもいいのか・・・・」
「それはいけない・・・・君は・・・・たすけて・・・苦しい・・・水が・・・・」
「わかったよ、お前に水を飲ませてやる・・・・今ここで・・・楽にしてやるよ・・・次に生まれてくるとき、必ずこんな形で生まれてくるな。俺達はどんな関係でもいい・・・お互い憎みあっていてもいい・・・ただ側にいて・・・愛し合わなくてもいい・・・ただ側にいて一緒に長く生きられればそれでいい。お前と一緒に生きることさえできれば・・・・見ていろ、俺が先に水を飲む、その後でお前に飲ませてやる」
部屋を出たコリンは大きな水がめを持ってきた。それをカップに汲み、僕の目の前に見せた。
「いいか、よく見ていろ、俺が水を飲むところを・・・・」
コリンはカップの水をすぐに飲み干した。焼け付くように熱い喉は冷たい水もすぐに乾いてしまう。
「コリン、お願い・・・もう1杯水を飲んで・・・・」
「いくらでも飲んでやるよ・・・」
彼は2杯目の水もすぐに飲んでしまった。前もずっと喉の奥深くまで水がしみこんでいくのがわかる。水は喉を潤し、体の隅々にまで吸収されていく、コリンの体ではない。目の前で彼の飲んだ水が僕の体を潤していく・・・どうしてだろう・・・もう僕の体は乾いてはいない・・・喉の痛みも・・・体中のあらゆる痛みが消えていた。水の中をゆっくりと漂いながら、僕はもう呻き声ではない、歓喜の笑い声を上げていた。
「ジャレッド、おいジャレッド・・・お前どうした・・・」
「コリン・・・・わかるよね・・・今、君の飲んだ水は僕の体に流れ込み、潤している・・・ほら、体の隅々にまで・・・・」
「ああ、わかる・・・感じているよ・・・お前の体に今どんなことが起きているか・・・・でもどうして・・・」
「見えるよ・・・・はっきりと・・・昔僕達は海の中を漂う小さな一つの生き物だった。意識も感情も記憶も何もなくただ漂っているだけの・・・やがて僕達の体は二つに分れ、普通ならそのまま遠くまで流され離れてしまう。でも僕達はそうならなかった・・・互いの触手をからめあい、もう一度一つの体になろうとしていた。同じ一つの体だもの、分れてもまたきっと出会える」
「ジャレッド・・・」
「もう水は必要ない・・・・僕は生きるよ・・・・最後の日まで・・・例えもう会えなくても僕達が一つの体であることに変わりはない」
「約束してくれ・・・いつか許されて王宮を出られる日が来たら、必ず俺のところに戻って来てくれ。ずっと待っている」
「約束するよ・・・・必ずまた君の元に来る・・・・」
激しい喉の乾きで目が覚めた。長い夢を見ていた。夢とは思えないほど痛みも悲しみもはっきり覚えている。俺は慌てて自分の股の間を触ってみたが、なにもなってはいなくほっとした。目に涙の跡が残っている。水を飲もうと立ち上がったがふと思いついて隣にいるコリンを起こした。
「コリン、おいコリン!起きろ」
「なんだよ・・・お前・・・・」
「お前も見たよな・・・・あれ・・・・ただの夢じゃないよな・・・・」
「ああ、見たよ、はっきりと・・・・」
「俺、すげー喉渇いてカラカラだ」
「俺もだ、あんなリアルな夢初めてだ」
「ちょっとまて・・・・お前から先に水を飲め、俺の目の前で・・・・」
「なんだよ、いきなり・・・・」
「いいから早く飲め・・・・・」
わけのわからない顔をしてコリンがコップの水を飲んだ。だが俺の体に期待していたような変化は起きない。
「ちゃんと飲んだか・・・変だな・・・それじゃあもう1杯」
「そんなに水ばかり飲めるか!アルコールでもいいか?」
「だめだ!ちゃんと水を飲め・・・おい、飲んだか・・・・おかしいな、俺の体にちっとも水がまわってこないぞ」
「ちょっと待て・・・お前まさかあの夢のとおりに・・・・」
「ああそうだよ・・・あの夢が本当なら、お前の飲んだ水は俺の体にもちゃんとまわってくるはずだ」
「そんな奇蹟のようなことあるわけないだろう」
「あったんだよ!確かにお前の水は俺の方に来た・・・なんか変な生き物にもなっていた・・・」
「おい、ジャレッド、あれは奇蹟だよ」
「奇蹟?」
「そう、奇蹟さ・・・・どうにもならない苦しみと悲しみの中で奇蹟は起こった。あの時のお前も俺もその奇蹟で救われた。別の人間が飲んだ水が体に伝わってくるなんて、そんなこと普通あるわけがない・・・ただの幻覚だよ・・・お前はあの時死にかけて意識も朦朧としていたから幻覚を見た・・・・だけどそれは神が見せた幻覚だ・・・・俺もお前もそれで救われたんだから・・・奇蹟って結局そういうことじゃないか」
「神が見せた幻覚か・・・・それなら俺たちが見た夢も・・・・」
「ああ、きっと何か意味があって見ているんだろう」
「今の俺達は奇蹟を起こせるほど純粋じゃないしな」
「俺達に奇蹟は必要ないだろう。こうしてまた出会って愛し合うことができた。それが奇蹟だ」
「そうだな、じゃあ俺はお前の喉から水は飲めない、直接口に流し込んでくれ」
「口移しならいいだろう」
「こっちは喉が渇いているんだ!余計なことするな!」
長い夢の後にはまた当たり前の、けれども奇蹟的な日常生活が待っていた。コリンと出会って一緒に暮らすようになってまだ数ヶ月しかたっていないということも信じられない。もう何年も一緒にいるような気がする。
−つづくー
後書き
水を飲めない・・・という話は中国を舞台にした歴史小説の内容を参考にしました。ぎりぎりの極限状態でこそ感じられる一体感というのもあるのではないかと思います。
2006、6、17
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