(32)孤独

「なあ、コリン、俺しばらくお前と離れて暮らしてもいいか?」

ジャレッドがとんでもない言葉を口にした。あいつが数日前から役作りに悩んでいるというのは知っていた。撮影前の合宿トレーニングが始まるまで、あと1ヶ月もない。合宿、撮影が始まってしまえば2人だけの時間などなかなか取れない。その前の最後のチャンスだというのに、何を突然言い出すのか・・・

「決してお前を嫌いになったとか、他の誰かを好きになったとかそういうわけじゃない。それどころか、今の俺はお前と離れたらまともに生きていけないかもしれない。愛しているなんてそんな生やさしい関係じゃないからな、俺達。前世の記憶や体にしみ込んだ体液や、目覚めてしまった欲望や、いろんなもの全てで結びついているからな。お前と離れて寝たらその夜のうちから身悶えして苦しむのはわかっている」
「それならなぜ、離れて暮らそうと言い出す。まさかお前、離れて暮らして夜な夜な身悶えして苦しむところに新しい快楽を見いだせそうなどと言わないだろうな、変態マゾウサギめ」

ジャレッドはニヤリと笑った。俺の欲望を掻き立て、爆発させるこいつの表情。すぐにでも飛び掛りたい気持ちにさせながら、離れて暮らそうなどと、よくもまあそれだけふざけたことが言えるもんだ。

「今飛び掛るのはよせ。空腹の限界まで我慢した後食べた方が数倍うまいだろう」
「そりゃ、まあそうだけど」
「今の俺、本当にうまそうな顔しているんだろう。そして襲われた後の気の抜けた満足げな顔、ヘファイスティオンはそうじゃないんだよな」
「そうか、子供の頃からの親友だし、アレキサンダーは彼だけには心を許し、無防備な表情を見せた。だからヘファイスティオンが死んだとき、ものすごく取り乱すことになる」
「ああ、そうだ。アレキサンダーの立場では確かにそうだよ。だけどヘファイスティオンから見ればどうだ?いくら子供の時からの親友だといっても相手は王であり、神の子であり、そこにいるすべての人間を支配することができるカリスマだ。戦いに勝ち、王の権力が増すほどに、ヘファイスティオンは孤独を深めていったんじゃないのか?」
「まあ、そうも解釈できるな」
「アレキサンダーは神の子だけど、ヘファイスティオンは普通の人間だ。しかも他の側近に比べ、特別武芸に優れているわけでも、人を動かせるわけでもない。いつもアレキサンダーの側にいて、手柄をたてるチャンスなどいくらでもあったはずなのに、そうではない。やがては自分の実力を思い知り、後方の救援部隊にまわったり、都市の建設に力を発揮したり、偵察にでかけたりする」
「素晴らしいじゃないか。ヘファイスティオンの働きがなければ、アレキサンダーの遠征はもっと早くに挫折していたかもしれない」
「そうやって、影で支えるためには、離れた場所に自分を置くしかない。悔しいさ・・・どれほど努力をしても、武芸を発揮することはできない。隊の中で、与えられた地位ほど自分の実力を見せられない。王の周りにはきれいな宦官が取り囲み、昔のように気軽に手を触れることもできなくなる。周りの人間の嘲りの言葉と、愛する者に触れられない孤独と、自分を信じられない弱さと、そんな中でヘファイスティオンは遠征の旅を続けた。彼が王を見る目は俺がお前を見る目とはまったく違うんだよ。俺達のように満たされて、安心しきって全てを曝し出しているような関係じゃないんだ」
「すげーな、お前、俺、正直言って、そこまでアレキサンダーの人物像作ってないぜ」
「作らなくてもお前はできるさ。お前には持って生まれた天性のスター性とカリスマ性がある。お前がそこにいるだけで、何も考えてなくても、共演者も観客も王を、カリスマを感じ、自然にそう振舞ってしまう。生まれつきスターと役者の資質を持っている。そういうやつなんだ。俺は違う。ただそこにいても誰も注目なんかしてくれない。誰かに振り向いてもらうためには言葉が必要だ。お前は何気なく言った言葉で大勢の人間を動かせる。俺は言葉を選びに選んで意識の底に潜り込み、そこから掴んだ言葉だけを歌って、やっと声が出せる。俺の言葉が人に伝わるようになる。歌よりも役者はもっと大変だ。生まれつき才能があるやつは台本を渡されてすぐそれらしい人物を演じ、それらしいセリフで違和感なくしゃべることができる。俺にはそうした才能がないから、人殺しの役をやるときはやたら人の悪口を言ったり、家の中の物を壊して、自分の凶暴性を呼び覚まし、薬物中毒の役をやるときは、実際路上でそういうやつと一緒に生活したよ。そうやって感情の塊を一つ一つ自分の心の中に溜め込み、それでやっとリアリティのあるセリフがしゃべれるんだ」
「俺、そこまで考えて役をやったことないな。渡された台本読んで、ちょっとはその性格や時代背景を考えてそれらしく見えるように歩き方やしゃべり方を工夫し、それで監督がNGを出さなければ撮影はうまく終わっていた」
「普通はそうなんだよな、俺はこだわりすぎている」

寂しげなジャレッドの表情に、俺は涙がこぼれそうになり、慌てて肩を抱きしめた。

「お前はすごいよ。俺なんかよりもっと才能がある本物の役者だよ。普通である必用がどこにある!普通の役者なんて、映画スターなんて、ロック歌手なんて、そこらへんにはいて捨てるほどいるさ。ジャレッド、お前はお前だ、普通じゃない。俺はお前がどれだけすごいやつか、よくわかっている。わからないやつには、表面しか見ようとしないやつには、勝手に騒がせておけばいい。俺はお前のパートナーだ。ただ一緒に暮らし、体を絡めあうだけの相手ではない。互いの持っている力を引き出し、それを高めあう、そういうパートナーじゃないのか?」
「お前にしてはやけにいいこと言うな。セックスが大好きなお前なのに・・・・」
「ああ、大好きさ・・・俺は長くは待てない・・・一人になってさっさと孤独の感情を理解して、すぐ戻って来い。兄貴、シャノンのアパートに戻るのか?」
「いや、兄貴と一緒じゃ孤独にはなれない。バンドの仲間や、お前の兄貴までくっついて入り浸ってくるから、全く意味がない」
「お前の兄貴、少しは俺の兄貴の気持ち気づいているのか」
「全く気がついてない!兄貴はそもそも男同士の間にそういう感情があるということすらわかってないからな」
「おい、それじゃ俺の兄貴はスゲー孤独な立場じゃないのか。目の前に愛する人がいて、いつでも会って話ができるのに手を出すことができない。いっそう忘れて他の相手と付き合えばいいのに、それもできないほど深く愛しすぎている。大変だな」
「他人事のように言うなよ。自分の兄貴だろう」
「だったらお前がシャノンを説得すればすべては丸く収まるだろう。男同士の愛がいかに素晴らしいか、お前は誰よりも知っているはずなのに・・・」
「ああ、俺は誰よりもその素晴らしさがわかっているさ・・・だけど・・・明日の朝、こっそり出て行く」
「そうか、しばらく食べられないのか・・・最後のごちそう・・・」

俺はジャレッドに襲い掛かった。体中をなでまわし、嘗め回し、勢いよく欲望をたたきつけた。最初笑い声を上げていたジャレッドも次第に苦しげな喘ぎ声になり、やがて意識を失ってた。俺はその体をしっかり抱きしめて眠りについた。






「やめてくれ!ジャレッドを連れて行かないでくれ・・・頼むから・・・お願いだから・・・・あんなに苦しい思いをしてやっと水が飲めるようになったのに・・・だめだ・・・お願いだ・・・・」

自分の大声で目が覚めた。まだ夢の続きを見ているのか。これはいつもの俺の部屋のベッドではない。服も、自分の顔立ちも違っている。たくさんの装飾品がごちゃごちゃと並べられた部屋の中で古ぼけた鏡を見つけた。すっきりとした顔立ちの少年がそこに映っている。15,6歳位だろうか?生まれる前の前世の生活が少しずつ色鮮やかに見えてくる。

「コリン様、今日は祭りの日です。早くお支度をしてください」

奴隷が豪華な服を持って部屋に入ってきた。何人もの奴隷を使う大商人の家の子として俺は生活していた。同じ年のジャレッドは奴隷だった。俺はジャレッドの怯えた顔ばかり覚えていた。小さな時はささいなことでいつも鞭打たれ、少し大きくなるとうちに来る客達の欲望の対象にされていた。綺麗な顔立ちの彼は有名になり、その噂は王様のところにまで届いて、そして連れて行かれてしまった。王宮に行く前にどんなことされるか、それを知ってしまった俺はジャレッドを連れて逃げたが、彼の方が先に戻ろうと言い出した。そのときの彼はもう怯えてはいなかった。同じ年でありながら、彼の方がずっと早く大人になり、そして先を見通す目を持ってしまった。彼は王宮に連れていかれ、そして1年が過ぎた。

「祭りでは、王様のお姿もごらんになれます。さあ、早くお支度を・・・」

王様の姿が見られるということはジャレッドに会えるかもしれない。俺は急いで服を着替えた。





にぎやかな祭りの広場で、大勢の人間に混ざって、ほんの少しだけジャレッドの姿を見た。王様の見物席で、何人もの奴隷と一緒に一際美しい衣装を着た奴隷、それがジャレッドだった。着飾った王様の家族や大臣達の姿はまったく目に入らなかった。ただジャレッドの余りにも美しく艶やかな姿だけが目に焼きついて離れない。これ以上見ていたら何をしてしまうかわからない、あわててその場所を離れた。ジャレッドは今王様に愛されている。去勢され、子を作ることはかなわない体にされてしまったけど、誰よりも高い地位につくに違いない。俺の家にいて客達の餌食になるよりも遙かにいい生活をしている。俺のことなどはいやな昔の思い出の一つにしかなっていないかもしれない。その証拠に確かにジャレッドもまた俺と目が合った。それなのにすぐにそらせて知らん顔した。過去は全て忘れてしまいたいのだろうか。もう一度会いたい、一目だけ・・・俺達は昔あんなに愛し合っていたのに・・・・

「コリン・・・・」

幻なのか、人込みの中、確かにジャレッドが目の前に立っていた。

「来てはいけないのはわかっていた。王様の怒りに触れたら君まで殺される・・・でももっとよく顔が見たくて・・・」
「俺もお前の顔がよく見たい・・・お前は綺麗になって・・・」
「これはもう僕の顔ではない。綺麗な飾り物と同じように、ただ磨かれて綺麗に整えられ、王様の側に置かれている・・・昔の僕の顔覚えている?」
「ああ、覚えているよ」
「その顔だけを覚えていて欲しい」

ジャレッドの体を抱きしめた。ふわりと軽いその体は今にも消えてしまいそうだった。

「もう一度一緒に逃げよう。今度こそお前を離さない」
「だめだよ・・・君を不幸にしてしまう・・・もう行かなくては・・・もう一度顔をよく見せて・・・涙で何も見えない。僕は君の顔を思い浮かべ幻の中だけで・・・・」

ジャレッドは目を閉じて僕の顔を手でさぐった。指の先で僕の記憶を刻みこもうとしている。

「そこで、何をしている。この男は何者だ!」

数人の宦官に取り囲まれた。ジャレッドは俺の手に素早く金の首飾りを握らせた。

「この男が素晴らしい細工の首飾りを持っているのが目に付いた。王様がきっと気に入るだろうと思い、金貨3枚でどうだ」
「充分です。どうかこれを王様に差し上げてください」

ジャレッドが何をしようとしたのかすぐにわかった。俺は金貨を手渡され、今渡されたばかりの首飾りをジャレッドに渡した。手のぬくもりがかすかに残る金貨をじっと見つめて、いつまでもそこに立ち尽くしていた。






俺はジャレッドの体を離さないよう、しっかりと抱きしめて眠りについたはずだ。足も絡ませておいた。それなのに朝、ジャレッドの姿はそこには見えない。何か紙切れがベッドの上に落ちていた。

「孤独の海に沈みこみ、それを心に溜め込んだらすぐにもどる」

何が孤独の海だ!強がりを言って。お前のような変なマゾは一晩でもやらないと、中毒患者のように苦しむことになるぞ。もう充分役についてわかっているじゃないか。お前がいないとこの俺まで孤独の海に引きずりこまれるじゃないか。もどってきたらただじゃおかねえからな!それがお前のねらいだろう。変態マゾウサギ!・・・・まあ、お前がしばらくいなければ俺もじっくり役作りができるさ。ヘファイスティオンを失ったアレキサンダーの気持ちがよくわかる・・・まったくお前は最高のパートナーだよ。監督が望む以上の役作りを俺にさせるんだから。でも早く戻って来い。俺はイーモンほど気は長くねえ。あんまり待たせたら、他のやつに手を出すからな。覚えていろ!


                                                   −つづくー



後書き
 この二人、あんまり仲良くべったりくっついていると映画での指輪を渡す潤んだ瞳のようなシーンはできなくなるだろうなあ、と思ってあえて少し距離をあけてみました。まあ、すぐに我慢できなくなって戻ってくるでしょうけど・・・
2006、10、6


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