(36)麦の穂

ジャレッドを失い、心は空洞のままでも年は取っていき、いつの間にか俺は20歳を越えて大人になった。その年齢になれば、もしや彼は王宮を出て、戻ってこられるのではないかという期待も少しはしていた。男でなくなった者が大人になり、年を取った時に見た目はどのようになるか、その痛ましい姿を俺は少しは見て知っていた。王の寵愛など失う年齢になれば、王宮を離れ、自由になれるかもしれない。どのような姿になっていてもいい、ただ戻ってきてくれればと思っていた。だがその望みは叶わず、俺はよく旅に出るようになった。商人だった父親の後を継ぎ、ラクダのキャラバンを組み、あるいは多くの馬を集めて遠くへと旅をしては珍しい商品を買い入れた。いつしか俺はただ商売のために異国を訪れるだけでなく、目に映る光景を克明に記し、その場所を地図で正確に再現しようとしていた。果てしなく続く砂漠も、険しい山々も、昔の栄光をわずかに残す巨大な城跡や神殿跡もみなどこかで見たような気がした。

「ジャレッド、王宮に閉じ込められてお前は今何を思っている。俺達は昔、長い間一緒に旅をしていたような気がする。その場所を正確に書き写し、いつかまたお前に会える日がきたら、すべてを伝えられるようにしておく。俺達の共通の記憶をそのままにしてはいけない。俺は旅を続けてその光景を書き写し、お前は狭い王宮でその心を探っていく。俺達は決して別々の存在ではない。同じ記憶を蘇らせるために、俺は旅を続け、お前はその記憶をさぐりあてる・・・」





「おい、ジャレッド、目覚ましが鳴っているぞ。お前がセットしたんだろう。早く止めろよ」

言いながら手を伸ばすが、触れるべき相手がそこにはいない。

「ちくしょう!お前何やっているんだよ。うるさいな!早く帰って来い!俺はだめなんだよ。ずっと相手を思って待っているなんて・・・あの時でもうたくさんだ!聞いているのか、ジャレッド?早く戻って来い!」

思いっきり大きな目覚まし時計にヤツあたりをして手が痺れた。しかたなくダラダラ起きてシャワーを浴び、歯磨きをするが、隣にいるやつがいなく、やることをやっていないと体全体が苛立ってしょうがない。俺のものははちきれんばかりにふくらみ、こうなったら相手構わずどこかに突っ込めと命令してくる。意のままにならない自分の体を強引にズボンの中に押し込み、朝食を食べた。こう固くなったままでは外にも出られそうもないので、女のヌードがたくさん出ている雑誌をめくったが、どうもその気にならない。クローゼットの奥にしまっておいたウサギの毛皮のパンツを取り出した。前世の記憶を思い出した後、ジャレッドが冗談で作ってくれたものだ。普段はそんなもの、とても恥ずかしくてはけないが、その毛皮の手触りを楽しみ、身につけてあいつの柔らかな尻の感触や、キャーキャー騒ぐ声を思い出したら、あっという間に気持ちよくなってイッてしまった。カジュアルセックスを公言し、数え切れない女優や男を口説いて寝てきた天下のコリン・ファレルがこんな物を使って自慰をするとは・・・

「やい、ジャレッド、戻ってきたらお前をただじゃおかないからな。どんなに泣き喚いても、当分歩けなくなるまで突っ込んでやるから覚悟しておけ。お前のせいで、俺はこんなことしてるんだぞ。その俺をほったらかしにしてどこへ行っているんだ?もうすぐ撮影前の合宿だって始まるぜ。監督に謝ってはやらないからな!」

いくら怒鳴ってもジャレッドは戻ってはこなく、ベッドの周りには兄貴が勝手に置いていったジェルや手錠などのソレ用のグッズが散乱していた。

「いまいましいイーモンめ!俺が今どういう状態かわかっているのか!帰ってきたら兄貴にも文句を・・・まさか・・・兄貴はもうずっとアメリカにはもどってこないでアイルランドで暮らす気か・・・・まあ、それならそれでいいが・・・いや、よくない。撮影が始まって会えなくなる前に一言文句を言っておかないと・・・アイルランドで・・・しょうがない・・・俺も里帰りするか・・・」





「まあ、コリン、お前が戻ってくるなんて思ってもみなかったわ。クリスマス休暇までは会えないと思っていたのに・・・」

俺が突然帰っても、ママは喜んで出迎え、抱きしめてくれた。

「いや、ちょっと暇ができたからね。クリスマスの時にはもっとスケジュールを調整してゆっくりするから、ところでイーモンは?兄貴の方が先に戻っているはずだけど・・・」
「ええ、イーモンも戻ってきているわよ。音楽バンドのマネージャーをやっているから自分のルーツになるアイルランドの音楽についてもっとよく知りたいと言って・・・・」
「相変わらず口だけは立派なことを言う兄貴だよ。それで今どこにいる?」
「コークの方へ旅行するって言っていたわ。アイルランド人としてのアイディンティティについて考えたいって」
「アイディンティティね。兄貴はもう自分なりの自己をしっかり確立していると思うけどな・・・じゃあ、俺もちょっとそこまで行ってくるよ」
「まあ、コリン、お前まで戻って来たと思ったらすぐどこかに行ってしまうの?うちにいなさいよ。イーモンはすぐ戻ってくるでしょうよ」
「兄貴は当てにならない。すぐ言わなければならないことがあるし・・・」
「電話ではだめなの?今回のイーモンは珍しく携帯を持ってでかけ、旅先から毎日きちんと電話を入れてくれるのよ。こんなこと今まではなかったことだわ」
「だから心配なんだよ」
「イーモンに何かあったの?」
「いや、たいしたことではないけどさ。普通の人間にはまったくたいしたことではなく、気づかないで通り過ぎることで、話を大きくしてしまうのがイーモンだろう。あの兄貴、まったくいつまでたっても人を心配させて・・・」
「お前も同じ・・・そんなに心配なら行ってらっしゃい。でもなるべく早く戻ってくるのよ。せっかくアイルランドに帰ってきているのに、全然話もできないで行ってしまうなんて・・・」
「わかっているよ・・・」
「それから、気をつけてね。中にはお前のこと妬んだり、騒ぎを起こそうとする人がいるかもしれないから・・・」
「充分気をつけるよ。俺がコリン・ファレルだと知られないように・・・」





ダブリンから汽車で数時間揺られてコークへ着いた。独立戦争の時は激戦地になったと言われているが、今はアイルランドの中でも、南部の景勝地観光の拠点になる都市としてにぎわっている。だが、兄貴は街中にも、有名な観光地にもいなかった。携帯で聞くと近くの村の名前だけ告げたが、聞いたこともない名前の村だった。しかたなくタクシーを使ってその村に行った。村の入り口についても兄貴が手を振って待っているわけではない。近くにいる農夫はみな忙しそうで誰も俺のことなど気にしてはいない。どこかの家の街で働いている息子が数年ぶりに帰省した、ぐらいに思われているのだろう。まわりは小高い丘に囲まれている。草は背丈が高く、なかなか兄貴の姿を見つけることはできない。もう一度携帯を使った。

「やい、兄貴、今どこにいるんだよ!こんなところに来て何をしている」
「お前のすぐそばにいる」
「そばってどこだ?」
「こっちからはよく見える。お前の立っている場所は周りからまる見えだ」

草の間から何者かが突進してきた。俺は足を掴まれ、草の上に倒された。

「兄貴、何するんだよ・・・いきなり・・・」
「戦闘中だったら、お前は間違いなく敵に殺されていた。そうでなかったら仲間に犯されるか・・・随分無用心だな。戦場に送り込まれる役もやったことがあるんだろう?それにしては隙がありすぎる」
「今は撮影中じゃない。兄貴を捜そうとしてよく見える場所に・・・・」
「アレキサンダーなら、たとえ恋人と夢中になって話している時でも、隙は見せなかったはずだ。敵は周りにいくらでもいた。立ち方、歩き方からして、今のお前とは違うな」
「兄貴にダメ出しはされたくないね。自分こそこんなところで何をしている」
「アイデンティティを見つけ出そうとしている」
「どうも兄貴にその言葉はふさわしくない気がするけどな・・・・」


   緑の谷間に、私は腰をおろした
   愛しい人と一緒だった
   私の心はふたつの愛のあいだで引き裂かれていた
   かっての愛は恋人に向けられ
   そして新たな愛は
   アイルランドを心から慕っていた
   静かな風が渓谷をわたり
   黄金色の麦の穂をゆらしていた

        「麦の穂をゆらす風」より


「恋人って、兄貴の場合はただ勝手に思っていただけで何もなかったんだろう?それに今は戦時中ではない」
「ああ、そうだ。俺の勝手な思い込みで、相手はさぞ迷惑だろうな。だけど俺の思いに変わりはない。今は戦時中ではないけれど、俺達がアイルランド人ということも決して変わらない・・・・」
「そりゃ、確かに俺はアイルランド人だけど・・・」
「この辺りは、独立戦争後の内戦でも激戦地になった。同じ国の仲間が、親子、兄弟が敵味方に分れて戦い、殺しあった場所でもある。わずか数十年昔、俺とお前のような兄弟が互いに相手を殺さなければならなくなった。俺達は普段いい加減に生きているけれど、それを忘れてはいけないんじゃないかな」
「・・・・・」
「俺達はアイルランド人だ。まあ、だからといってどうなるというわけではないが、そのことをしっかり考えなければ先に進めない」
「そうだな」
「まあ、そんな真剣な顔するなよ。俺もだいぶ落ち込んだけど、この景色見て、いろんなことがあってもここの光景は変わってないだろうと思ったら、またこの国でなんとかやっていこうという希望が持てた」
「だといいけど・・・あんまり落ち込まないでくれよ」
「お前の方もまだ別々か?」
「ああ、まだ帰ってこない。だから俺も暇つぶしにここまで来た」
「たとえ、二人でいたとしても、お前は俺を心配して一人でここへ来ていただろう。お前は本当にいいやつだ。最高の弟だ」
「ちょっとあんまりベタベタ抱きつかないでくれ、俺達は兄弟だ」
「いいじゃないか。ゲイの場合はどうせタブーを犯しているんだ。例え兄弟でも・・・」
「俺は絶対にいやだからな・・・・」
「冗談だよ。俺だってお前となんか考えられない」
「本当にどうしようもない兄貴だよ」

草の上に座ってしばらく周りの丘をぼんやりと眺めた。

「なあ、コリン、お前今度のような大役は、そうめったに回ってこない役だぞ。一生のうちに一度か二度の・・・」
「わかっているよ・・・」
「それに相手役も・・・」
「ああ、一生以上の長い付き合いのあるパートナーだ」
「うらやましいな。そういう相手が見つかって」
「兄貴もそのうち見つかるさ。本物のパートナーが・・・・」
「そう簡単に言うな・・・・」
「簡単には言ってない・・・でも俺はそれを信じている。俺達の国のこと、そう単純にすべてが解決するとは思っていない。それでも何かを続けているうちに何かが変わってくる。それを信じて、今俺は役をやっている」
「そうだな、俺はお前の役者としての力を信じている」
「兄貴、あんまり落ち込まないでくれよ・・・兄貴が落ち込んでいると、なんだか俺まで落ち着かない」
「わかった、わかった・・・そうだ!コークにもスゲエいいバーがあるっていう噂だぜ。役者やダンサーの卵とか、売れないミュージシャンとかが集まって、もちろん男が好きなやつばかりでさ・・・ちょうどいい、二人で行ってみよう」

イーモンの目がキラリと輝いた。俺もつきそいぐらいならばと承知した。

                                              −つづくー



後書き
 映画「麦の穂をゆらす風」の影響がかなり強いです。この二人もそうした歴史のあったアイルランド人の血を引き、その国の中で育った、でも過去を知りながらも未来を変えていける強さを持っている、アイルランド人の俳優にそんな強さも感じました。とは言え、この兄弟、相変わらずの部分もあるのですけれど・・・・
2006、12、1


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