(39)心構え
俺と兄貴のシャノンは、ダブリンの空港からひとまずコリンの家へと向かった。あいつの実家の住所を手帳に書いておいてよかった。さもなければ、アイルランドという異国で、たちまち俺達は迷子になってしまっただろう。まあ、しばらくは道に迷ってフラフラと歩いてもいいかもしれない。初めて訪れる国なのに、前に見たことのあるような街並みが続いている。
「なあ、兄貴。俺このあたり前に来たことがあるような気がするな。これが既視感ていうやつかな」
「テレビか映画で見た景色だろう」
「兄貴は何も感じないのか」
「あの人の家はこっちの方角だ」
「なぜわかる?やっぱり慨視感か?」
「地図の番地からいってこっちしかありえないだろう。つまらないこと言ってないで早く家を捜せ。お父さんが昔サッカー選手だったというし、かなりでかい家のハズだぞ」
「あそこじゃないか」
「そ、そうだ・・・・お、おい、なんていう。まさか男の恋人が訪ねて来たといったら、マズイよな」
「別にいいだろう。コリンの兄、イーモンはゲイだってこと、両親だけでなく、街中のみんなが知っているんだから」
「大きな声で、ゲイと言うなよ。恥ずかしいだろう」
「兄貴が恥ずかしいなら、俺がコリンの居場所を聞いてみようか。すぐに捜せと監督から連絡があったとでも・・・」
「コリンもこっちに来ているのか?」
「俺の勘ではね。まあ、間違いなく来ているよ。今あいつはアメリカにいないことは確かだ」
「へー、共演者というだけでそこまでわかるのか」
「そりゃそうさ、俺達は前世からの・・・あ、いや、今度の映画での役は前世での繋がりがあるというくらい深い結びつきが・・・」
慌てて誤魔化した。コリンとの関係はバンドの仲間や付き合いの多い友達にはしゃべっているが、兄貴にはまだ打ち明けていない。早く言えばすっきりするのだが、なかなかそのタイミングがつかめない。
「おい、このうちじゃないか。間違いない、ほら、住所もあっているしさ。すごい広い家だな。お手伝いさんとかいるのか」
「いや、彼のお母さんがほとんど切り盛りしていて、たまに庭の手入れとかで専門家を呼ぶだけだって」
「なんか緊張してきた。お前、インターホン押せよ」
「兄貴の用事で来たんだろう」
「そうだけどさ、一生のお願いだ、ジャレッド。お前の言うことなんでも聞いてやるからさ」
「ああ、それならいいよ」
「あ、ちょっと待ってくれ」
インターホンを押そうとした俺の手を、シャノンの手が押さえた。
「何だよ、俺に押せって言ったくせに」
「まだ、心構えができていないんだよ。何話したらいいか。やっぱり最初に出てくるのはお母さんだろうな」
「まあ、そうだけどさ」
「何言えばいいのかな。俺のことあの人はお母さんになんて・・・」
「仕事関係の知り合いと話しているだろう」
「仕事関係、それだけか?」
「それだけって、他になに紹介してほしいのか。まさか恋人と・・・」
「そうは言われたくないけどさ、仕事関係なんてちょっと寂しいじゃないか。やっぱり特別に・・・あ、でもあんまり家族にそう思われても困るし、確かな言葉は何も言われてないから・・・」
「じれったいな、直接本人に会って、言ってもらえばいいだろう。押すぞ」
「ま、待って、後5分、考える時間をくれ」
結局30分以上、コリンの家の前でインターホンを押す押さないの言い争いをしていた。お母さんと話し、コリンもイーモンも家にはいなく、コークという地方に行っていることを聞いた。家に上がってゆっくりしていくようにという誘いを、急いでコリンを捜し出さなければいけないからと断り、俺達はコーク地方行きの電車に飛び乗った。ダブリンを離れると、なだらかな丘や麦畑が広がり、その間に家は数えられるほどしかない。俺はウトウトしてきた。
「なあ、ジャレッド、やっぱりその・・・最初の時ってかなり痛いだろうな」
「それはもう、あんな痛い思いをしたのは生まれて初めてだった。思い出すだけでも・・・あ、確か俺のゲイの友達がそんなこと言っていたな」
「そんなに痛いのか、それでその、そのゲイの友達、他にはなんか言ってなかったか」
「いや、別に・・・・人のそんな体験なんて、そんな根掘り葉掘り聞けることじゃないだろう」
「根掘り葉掘り、やっぱりスコップで少しずつ掘り進むような感じなのか?」
「少しずつ掘り進むなんてものじゃない。槍で一突きに殺されるような感じ、串刺しの刑っていうのが昔あっただろう。尻から口まで杭を貫きとおす、あんな感じだよ。ものすごい悲鳴をあげて意識を失う。もうプライドなんてどこかいってしまう。まあ、とにかくすさまじい体験だった・・・とその友達は言っていた」
「そんなにすごいのか?」
「たぶんそうじゃないか。俺は経験したことないから知らないけど・・・・」
「ゲイの男って、みんなそういう体験をしているのか?」
「そうだろう」
「みんなすごいマゾなんだろうな。どうしよう、俺、お前と違ってマゾじゃないぞ」
「俺のどこがマゾなんだよ」
「お前の生き方、行動パターン、すべてがマゾそのものだ。わざわざ苦労する道を選んだり、苦しいトレーニングに快感を覚えたりする」
「ああ、確かに俺はマゾだよ。悪かったな。マゾの弟がいて、兄貴は苦労の連続だったと言いたいんだろう」
「そうだよ、いや、そんなことは言わない、ジャレッド、お願いだ。俺本当に悩んでいるんだよ」
「悩むことないだろう。本当に好きならマゾとかそういうことは関係なくなるさ、体の苦痛よりも、一体となれた魂の喜びの方が遥かに大きい」
「ジャレッド、お前いいこというなあー、やっぱりお前は詩人だよ。アーティストだよ。革命家だ!」
「兄貴、静かに!ここはアイルランドだぞ。革命なんて言葉は安易に使わない方がいい」
「そうだった、悪かった。お前はマゾで変なやつで、でも最高の弟だよ」
「私に彼の壮絶な孤独はどこまで理解できるのだろうか?どれほど長い時を共に過ごし、共に戦い、夢を語り合い、抱き合って眠りについたとしても、彼の魂の奥底からの叫びは聞こえないのかもしれない。彼の父王は、かって愛し、目をかけていた男に暗殺された。王として、その地位を守るために身内の者を次々と殺し、誰も信じることができずに一夜限りの快楽を求め、すぐにまた戦いへと身を投じていく。王となるものはなんと孤独な人生を歩まねばならぬのか。負け知らずの戦を続けた王が、ふと心を許した男に殺されるとは、なんという皮肉なことか。そして父王の死は、彼の母である王妃が関与したとも噂されている。母が父を殺し、その子がまた母を殺すという果てしない復讐の悲劇、彼もまたそんな人生を歩まなければならないのか。そんなことはない。彼は多くの戦いを勝ち進み、多くの栄光を手に入れた。彼の生涯は父王とは違ったものになるはず・・・」
壮絶な孤独・・・僕には理解できない言葉が書かれていた。僕は本当に一人だった時が、今まであっただろうか。たとえ、他の男の慰み者にされ、鞭打たれて泣いている夜が続いても、僕のそばにはいつもコリンがいた。今もすぐそばに彼がいることを感じる。だから一人ではない。
「今宵もまた、彼はあの宦官の奴隷と共に眠る。あの奴隷は敵国の王に仕えていた。いくら見た目が美しく、その境遇の割りに聡明だとしても、言葉もよく伝わらず、敵の奴隷となり、男として生きられぬ宦官をなぜそれほど愛するのか?」
僕もまた、男としては生きられない、そしてただ王の言いなりになってしか生きられない奴隷であることに変わりはない。
「男として生きることができぬからこそ、宦官もまた彼の壮絶な孤独が理解できるのだろうか。いや、そんなことはない。彼はただ異国の王と同じ快楽を、同じ奴隷によって楽しんでいるだけだ。決してその孤独を理解し、真に愛されているわけではない。それなのに、なぜ私はこうも苦しい・・・・今宵、彼の体が温まり、その孤独を癒す者が隣で眠るならば、それが例え私でないとしても充分ではないか。それなのに私は奴隷の少年に嫉妬を覚え、その死すら願っている。例え、理解などできずとも、私はただ彼の傍らに眠り、その体を温めていたい」
かなわない夢だとは知っている。でも僕ももう一度、彼の傍らで眠りたい。何も役には立てなくても、もう一度彼の体を温めることができるならば・・・僕達はずっと昔からいつも一緒にいたのだから・・・・
本を閉じて目をつぶった。もう随分前のことになる。王宮に連れてこられた僕は、王に仕えるための心構えを教えられた。衣服の整え方、ベッドをきれいにする方法、立ち振る舞い、そしてベッドの中でどう振舞うか、全てを厳しく教えられた。どうせ僕はそのことを知っていて、もうすでにたくさんの男に汚されているのだから、そんなことはどうでもいいと思っていた。ただ王様の目に留まった方が、他の仕事をさせられ、鞭で打たれるよりもましだと必死に覚えたにすぎない。王の寵愛を受けるための、形だけの愛の作法。そんなものがいつか役立つ時がくるのだろうか。
「いいか、ジャレッド、王の顔を直接見てはいけない。いつも伏目がちに、上目遣いに見るようにするのだ。いいぞ、これはまたなんと艶やかな・・・これなら王もきっと気に入ると・・・」
「まて、急がすのではない。その秘密を全て教え、完成させてから、王の前に連れていくのだ。よいか、王のそばに行く前にあらかじめ自分の体に香油を仕込んでおくのだ。たくさん使ってよい、やり方は知っているか」
「はい」
僕にそれを教えてくれる者達も、やはり宦官であったから、実際に試すことなどできない。道具を使ってそのことを教えられた。僕はその時コリンに初めて抱かれた時のことを思い出した。あの時、僕の体はまだ完全なままであった。生まれて初めてその真の喜びを体で感じることができた。でも今の僕には、快楽の源は残っていない。無残に切り取られたそこは、体に刺激を与えられると、激しい痛みと疼きを感じ、液体を垂れ流していた。惨めだった。体が完全な時は、例え意識を失ったとしても、そのような粗相をしたことなど一度もなかった。こんな思いまでして、なぜ生きなければならないのか・・・・
「おい、ジャレッド。コークに着いたぞ」
揺り動かされた時、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「コークの街といっても広いからな。携帯は使えないし、とりあえず宿でも探そうか」
「その前にライブハウスにでも行ってみよう。せっかくアイルランドに来たんだ。この国の歌でも聞いてみようか」
「そうだな、うまくいけば特別出演で歌わせてくれるってこともあるかもしれないし・・・」
「二人だけで?」
「そうだ、お前は一人でも歌えるだろう」
兄貴はライブハウスと簡単に言ったが、慣れない街ではライブハウスを見つけるのも大変だった。先にホテルの予約はしたが、いい加減疲れてもきた。
「もういいか、歌はあきらめて飯でも食うか」
「そうだな、なんかレストランは・・・このあたりはバーが多いな。あそことかどうだ」
「ウサギの穴、なんか変な名前だな」
「ジャレッド、お前にぴったりの名前だよ。なんだ入り口が随分狭いなあ。これ、太ったヤツなんか絶対通れないぜ」
「ウサギの穴だろう。あんまり期待はできねえけどな」
狭い入り口を無理やり通ったウサギの穴は、店内も入り口ほどではないがそれほど広くはなかった。だが中には大勢の客がいて、熱気に溢れていた。前の方に小さなステージがあり、見たこともないバンドが、驚くほどの迫力で歌っていた。
「おい、こんな小さな店でけっこうすごいじゃないか。俺の勘は当たったな」
「店の名前がよくないけど」
「まあ、そう言うな」
「いらっしゃいませ、あれーあなたはもしかしてジャレッドさんでは・・・・」
店員はサングラスをしているにもかかわらず、すぐ俺の正体を見破った。
「そうだけど、どうしてわかった」
「音楽をやっている人間、特に一流のアーティストの方は歩き方からして違います。そちらはお兄様の・・・」
「シャノンだ、よろしく。随分くわしいんだな」
「この店は小さいけど、外国からのアーティストもこっそりと呼んでライブを行っているから、街でも有名なんです。ジャレッドさんがお客に来るなんてすごい。すぐに店長を呼んできます」
「いや、俺達はそれほどでは・・・」
「おい、見ろよ、アメリカからのアーティストだって!」
「そいつはすごい。俺達はついているぞ」
「歌を聞かせてもらえるのかな」
俺達の周りにはあっという間にたくさんの男が集まってしまった。店長が現れ、特別に二人だけでも歌って欲しいと頼まれた。話はすぐにまとまり、周りにいた客達は知り合いでも呼びにいったのか、あっという間にいなくなってしまった。その間に、俺達二人には夕食もたっぷり提供された。変な名前の店だが、味も悪くはない。地下にある店は、音の反響も抜群にいい。シャノンはさっそく店にあったドラムを叩いてみた。
「おい、ジャレッド、このドラム見てみろ。まるで俺のために作られたかのように、ぴったり手にフィットするんだ」
「この街が、俺達を呼んでくれたのかな」
「きっとそうだ。さあ、張り切って今夜は叩くぞ」
「噂を聞いてコリン達がくるかもな」
「だといいけど・・・がんばろうぜ」
「でも兄貴、もしコリン達が来たら兄貴にはその後のこともあるんだから・・・」
「わかっている。眠れない夜になるというんだろう。大丈夫、覚悟はできている」
「あのインターホンの前のように迷うなよ」
「誰が迷った。あの時はただ心構えができてなかっただけさ」
「今はどう」
「ばっちり。いつでもOKさ。どんなものでも来い」
シャノンは興奮していた。俺の体も熱くなっている。食事の時飲んだビールが思ったより強かったのだろうか。客が次々と入って来た。俺も慌てて、マイクの調整を始めた。
ーつづくー
後書き
再会を待ち望んでいた方、ごめんなさい。また会えずに終わってしまいました。何をそんなに前後に遡ってじらしているのでしょうね〔笑)
2007、1、12
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