(40)隙間からこぼれる光

狭い店内に大勢の客がやってきた。だが、そこにジャレッドとシャノンの姿はない。カメラマンや雑誌の記者といった報道陣も見当たらない。ごく普通の客というか、そういうバーなので普通ではないそういう人間が集まるのだが、とにかくいつもの客層が店内にどっと溢れた。兄、イーモンはおそらくイライラしているのであろう。さっきからじっと座ってはいられず、ウロウロ歩いている。

「ねえ、あそこの彼、コリンによく似ているわよ」
「そうねえ、話しかけてみようかしら?」
「悪いけど俺には今日約束があるんだ。君達と付き合うわけにはいかない」

あちらこちらで声かけられては、慌てて俺のところに戻ってくる。イーモンはそういう男からは、かなり好かれるタイプのようである。

「ああ、いつまで待たせるんだ。あんな狭いうさぎの穴にいつまで入っているんだよ」
「待ちきれないんだったら、無理して狭いうさぎの穴に入って待っていればよかったのよ」
「そんなことできるか。いかにも飢えたオオカミのような・・・」
「飢えたオオカミがたくさん待っているから、かわいいウサギさん達はなかなか穴から出られないんじゃないかしら?」
「うるさいな、俺のどこがオオカミなんだ!」

オカマのママにからかわれては、いちいちつっかかっている。相当イライラしている証拠だ。

「ねえ、彼の約束の相手ってあそこに座っている彼女かしら」
「ええー!ああいうタイプが好みなの?だって彼女、いかにも男が女装しているって感じで派手じゃない。いまどきあんなケバケバしい子ははやらないのよ。もっと清楚な感じの・・・・」
「さっきのうさぎの穴の、あの歌っていた子、かわいかったわよね〜」
「でも彼は完全に男でしょ。女らしいところなんて一つもなかったわ」
「そういう子がもてるのよ。アメリカの雑誌で、恋人にしたい男ナンバーワンに選ばれたこともあるのよ。パワフルな歌声とあのかわいい顔のギャップがたまらないのよね〜」
「そうそう、ああいうケバい子は、もう終わりよね。それなのにあんな素敵な彼氏がいるなんて・・・」

うるさい、うるさい、俺は好きで女装しているわけじゃない。報道陣が来ないなら、こんな格好さっさとやめてやる。

「ねえ、見て、あの兄弟が入ってきたわ」
「すてき!あのお兄さんも」






俺とジャレッドが、ようやくホテルのベッドに横になったのは、もう明け方近くになってからだった。兄貴の方が先にこっそりシャノンとバーを抜け出ていたが、人気者のジャレッドはなかなか周りの男が離しはしなかった。だが、同じ国の男が、こんなにもジャレッドに夢中になっていろいろ話しているのを見るのはいやな気分ではなかった。俺は今、アイルランド人として生まれてきたのだから、同胞が彼を好ましく思うのは悪いことではない。もっとも横取りされたら困るが、その心配も全くと言っていいほどない。俺はその柔らかい体を撫で回した。すぐにでも飛びかかりたいほどだが、ウサギを前にしたオオカミにはなりたくない。それに万が一でもイーモンがやってくる可能性があるかもしれないので、それも確かめなければならない。

「久しぶりだな、ジャレッド。もう結論は出たのか?」
「いや、まだだ、完全にヘファイスティオンという人間が掴めてはいない」
「それなのにアイルランドまで俺を追っかけてきた。我慢できなくなったか」
「いや、お前のためではない。兄貴のためだ」
「シャノンのためか」
「そうだ。兄貴が真剣な顔して、自分はゲイではない。でもお前の兄貴のこと真剣に愛してしまった。だから気持ちを確かめるためにアイルランドに会いに行く、なんて言うからさ・・・」
「兄弟につきあって外国までか。もうすぐ撮影前の合宿が始まるぜ。大丈夫なのか」
「ほっておけないんだよ、兄貴のこと」
「30過ぎているんだろう?」
「そうだけどさ、なんせ自分はストレートだと信じているし、俺達のことも知らないから、自分一人が未知なる国へ旅立つみたいで、完全に舞い上がっていた。お前の故国についてそう言ったら悪いが、アイルランドではけっこう事件もあっただろう。だから心配でついてきた」
「俺と同じだな。俺も兄貴があんまり落ち込んでいるから、心配になってついてきてしまった」
「お互い手のかかる兄貴を持って苦労するな」
「本当にそうだ」
「それで二人は今頃・・・・」
「俺達と同じようにしているだろう」
「同じではない。もう少し待ってほしい」
「なんだ、せっかく会えたのにまたおあずけか」
「ようやく見つけたんだ。彼の書いたものを・・・」
「おい、それはすごい大発見じゃないか。そんな資料がまだあったのか?俺もぜひ目を通さなくては・・・ヘファイスティオンの手記だろう」
「間違いない、あれはヘファイスティオンが書いたものだ。でも現世の俺の手元にはない」
「どういうことだ、それは?」
「前世の俺が発見した。王宮の片隅に詰め込まれていた古い書物の中から・・・全部は読めていない。わかる言葉で書いてある部分しか・・・それは長いし、字がかすんで見えないところもたくさんある。それに彼はまだ全部を読み終わっていない」
「なんかよくわからない話だ」
「彼がそれを読んで、その記憶を俺に伝えるためには、俺が完全に満たされてはだめなんだよ。俺もまた孤独に苦しんでこそ、彼もまた夢に出て、その話を教えてくれる」
「孤独に苦しむって、こうやって一緒に寝ていてもか」
「ああ、そうだ。お前にはわからないだろうな。一度その快楽の蜜を味わった者が、目の前に恋人がいながら、耐えなければならないことがどれほど苦しいか。最初の時も苦しかったけど、それはもう言葉では言い表せないほどだ。砂漠ではなく、目の前に水がありながら、飲めずにいるのだから・・・」
「やっぱりお前はマゾだ。言葉に言い表せないほどの・・・覚悟しておけよ。待たせれば待たせただけそれなりの・・・」
「楽しみにしている。俺は言葉には言い表せないほどのマゾだから・・・・」

そういいながらもジャレッドは俺の方に体を摺り寄せ、手で体をまさぐってくる。俺も静かにそれを返した。こうして会うこともできなかった俺達の前世、こんな姿を見るだけでもうらやましがるに違いない。





何かに取り付かれたように旅ばかり続けていた。遠い異国に旅立ち、砂漠を越えて商品を手に入れれば莫大な財産を築くこともできる。何よりも自分の父親も商人だったのだから・・・・そんなことはいいわけでしかない。ジャレッドと離れ離れになった俺は、大人に近づくほど激しい欲望を覚え、手当たりしだい女でも男でも奴隷を買い集め、欲望を満たすようになっていた。だが、どんな相手もすぐに飽き、やがてはそうした商売を営む店にしばしば出入りするようになった。街にいる限り俺は欲望を抑えることができない。ただ旅に出て、砂漠や荒野を何日もラクダに乗って進んでいる時だけ、そうした欲望を抑えることができた。飢えと乾きに苦しめられ、盗賊にたびたび襲われながらも、俺は自由を感じていた。もしかしたら砂漠でそうして死に到ることを望んでいたのかもしれない。ある時、砂漠で盗賊に襲われ、ただ一人大怪我を負って、砂の上をさ迷うことになってしまった。

「水、水・・・・みずが飲みたい・・・・体が熱い・・・ジャレッド、俺は死を望みながら、それがどれだけ苦しいものか、今気づいてしまった」

這うようにして熱い砂の上を動いた。太陽は容赦なく体を照らした。どこにも逃げる場所はない。それなのに手は砂を掻き分けている手が熱い、爪の先が痛い・・・喉の奥がヒリヒリとする・・・体の中と表面の皮膚とどちらがより強く痛みを訴えているのだろうか・・・意志はもう残っていない・・・それなのに手は砂を掘っていく。何か固いものへとぶつかった。石のかけらを掘り出した。字が書いてあるようだが読めそうもない。最後に見るものであろうそのかけらを頭の上に高く差し出した。石のかけらは日の光を受けて輝き、日差しを少しさえぎってくれた。頬に冷たい水がかかった。ジャレッドが俺の死を感じ、涙を流しているのだろうか・・・





「よかった、助かりそうだ」
「彼は運がいい。砂漠に雨が降るなど10年に一度あるかないかだ」
「水を飲ませてやれ、ただしゆっくりとな。あんまり急いで飲むとかえって危ない」

数人の男達に取り囲まれ、体を起こされていた。

「ここはどこだ?」
「旅の途中、偶然砂漠でお前を見つけてここまで運んだ。神に感謝するといい。雨がお前の体を濡らしていた」
「雨が降ったのか・・・空は雲ひとつなくあんなに晴れていたのに・・・・」
「何を持っている?」
「砂の中から見つけた。字が書いてある」
「見せてみろ・・・・古い言葉だ・・・・砂漠の行軍は弱い者から倒れ、半分以上が命を落とした。我々は岩の隙間にわずかな水溜りを見つけ、カップ1杯ばかりのわずかな水を汲み、それを王の前に差し出した。王は皆にいきわたらぬ水ならば自分も飲むわけにはいかぬと、そのカップを傾け、水を砂地に注ぎ入れた。すると見る間に空は暗くなり、大粒の雨が降り出した。王の起こした奇跡が、その場にいたすべての者の喉をうるおした・・・これはすごい。よくこんな物を見つけたな。高く売れるぞ」
「これは売らない。もし再び彼に会うことができたなら、見せてやる。彼が見つけてくれたに違いない」
「おかしなことを言う男だ」
「砂漠をさ迷って、少しおかしくなっているかもしれない。何か別の物で礼をもらっておこう」






目が覚めた時、高くなった太陽の光が、窓の隙間から差し込んでいた。まだ丸くなって寝ているジャレッドの体の柔らかい部分をそっとさわり、それから声をかけた。

「ジャレッド、起きろ。もう太陽が高い位置にあるぞ。お前のせいで、砂漠で迷い、死にかけた」
「何か見つけたか」
「よく覚えていない。とにかく熱くて苦しくて喉が渇いて・・・・」
「お前も何か見つけてくれよ。アレキサンダーの方がよっぽどたくさん残っているはずだ。石のかけらにだって王の偉業をたたえる言葉が刻まれているかもしれない」
「何か石を見つけた」
「ほらな、やっぱり」
「どうして俺の夢がわかる?」
「俺達の見る夢は同じ前世の記憶へと繋がっている・・・・でも今は同じ夢は見ていなかった。お前が呻き声を上げるから目をさましてしまった。そうしたらこう、何かを掴んで日の光に向かって手を上げているような格好をするから・・・」
「そうベラベラしゃべるな。何かすごい奇跡について書いてあったようなんだけど思い出せない」
「のんびりしていると、奇跡的な確率で結びついた兄貴達がこっちにやってくるぜ」
「いや、俺はまだ来ないと思う、イーモンの性格としては・・・・」
「シャノンだったらすぐに来る。間違いない、あの兄貴はどんな時でも時間には正確だから・・・」
「俺の兄貴は時間にはいい加減だから・・・ということはこちらの都合などお構いなしに来るかもしれないぞ、早く何か着ろ」
「大丈夫か」
「何が?」
「相当苦しそうだった。口をこう、パクパク開けて・・・・」
「うるさい、何か着ろ。お前が俺に無理強いをさせるから、あんな夢見たんだ」
「悪かった、それにしても昨日のお前の女装姿、最高だった。お前は絶対そういう役は引き受けない方がいい」
「よけいなこと思い出すな。何が孤独を感じたいだ」

俺達はベッドの上でしばらくじゃれあっていた。孤独など感じられる環境ではなさそうだ。




                                    −つづくー



後書き
 お兄様達がどうなったかについては、事後報告ということで・・・砂漠の場面とかイメージはあっても表現力のなさを感じています。
2007、1、19




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