(8) 遥かなる夢
ジャレッドを連れてトレーニングルームへと向かった。バーベルや腹筋のトレーニング器具など、初めてではないにしろ、彼にはほとんど経験がないものばかりのようで、かなり苦労しているようである。もともとジャレッドはほっそりとした体型だし、その雰囲気にあわせてナイーブな性格の役が多かった(それゆえ最後は堕ちたり薬に溺れたりして悲惨な末路をたどっている役ばかりだが)だが今回のヘファイスティオンは古代ギリシャの英雄なのだから、それなりに筋肉をつけなければならない。いつになったらアキレスのような体型になるのか、それは遥か遠い日のようにも思えた。
「おーい、コリン、お前こんなの持ち上げられるか?絶対無理だよな。不可能だ!」
バーベルの下でジャレッドがわめいている。俺はすぐに場所を代わって同じ重さのものを軽々と持ち上げてしまった。
「ちょっと待て、なんでお前、そんなに簡単に」
「俺は前にも軍人の役とかやったし、こういうトレーニングはかかさず続けてきた」
「俺、こういうの苦手なんだよ・・・・あー、もう手がしびれてきた。お前、代わりに俺の分やってくれないか」
「バカ!俺だけがやってお前に筋肉つくわけないだろう」
「だよなー、あーあー、大変な役を選んでしまった」
「終わったらうまいもの食わせてやってマッサージもしてやるからがんばれよ」
「絶対だぞ!」
これではどっちが年上だかまったくわからない。まあ俺にとっては筋肉痛でヒーヒー言っているジャレッドを触ってもっと泣かせてやるという新しい楽しみができたわけだが・・・・
さんざん文句を言いながらも、とにかくジャレッドはその日のメニューを一番軽い方法で終わらせた。それから二人でプールへと向かった。これもトレーニングの一環であるからただ水に浮いていればいいというものではない。ちゃんと毎日最低限泳がなければならない距離と泳法のメニューを渡されている。ここでもジャレッドはさんざん文句を言った。騒いだり、文句を言ったりするのはあいつの趣味でもあるから気にせずに俺はさっさと自分のメニューをこなした。その後で、必死に泳いでいるジャレッドの姿をベンチに座って見ているのは実に楽しい。俺は役者よりも監督に向いている性格かもしれない。将来はそっち方面の道も考えてみよう、などと思ってしまった。泳ぎ終わってロビーにいくと、イーモンとクラウディーネが待っていた。
「二人ともお疲れ様、今日は初日だから筋トレと水泳のメニューだけだったけど、明日からはダンスと剣術のレッスンにも出てちょうだい」
「ま、まだ他にもやるんですか」
ジャレッドが青い顔をしてクラウディーネに聞き返した。今日のメニューだけで疲れきっているのがよくわかる。
「そうよ、ブラッド・ビットもダンスと剣術のレッスンを受けて戦闘でのあの華麗な動きをマスターしたと聞いたわ。大丈夫よ、あなたまだ若いんだし、音楽をやっているんだからリズム感とかいいでしょう」
「は、はい」
「明日からは朝9時にはここに来てね」
「は、はい、・・・あの費用とかは・・・」
「心配しなくていいわ。コリンが会員になって高いお金払っているんですもの。あなたは1ヶ月100ドルだけ払えばいくらでもレッスンを受けられるのよ」
「わかりました。ありがとうございます。あの、俺今日はちょっとバンドのメンバーと打ち合わせがあるから」
「そうかジャレッド、それなら近くまで送ってやるよ」
俺はジャレッドを連れてスポーツクラブを後にした。
「なんだ、お前、姉貴の前ではやけに大人しく言いなりになっているじゃないか」
「だって俺はお前が面倒見ている年下の新人役者という設定だろう。マネージャーに対して逆らえるか。俺の兄貴やメンバーの前でもうそをついて演技しなければならないし・・・あー頭が混乱している。おまけに明日からはあのトレーニングに加えてダンスと剣術の稽古まであるんだろう。俺はもう死にそうだ」
二人きりでタクシーに乗ればさっそくいつもと同じジャレッドに戻って文句を言い出した。
「俺、ダンスや剣術なんてほとんどまともにやったことねえぞ。大丈夫なのか」
「できないからやるんだろう。5ヵ月後にお前がどう変わるか楽しみだ。結果も楽しみだけど、その過程も・・・」
「お前、俺が苦労して泳いでいる時、ベンチで笑いながら見ていたな」
「俺はとっくに予定のメニューを終わらせていた。今日よりも明日は筋肉痛でもっと大変になるかもしれない。起きられるか?」
「人の苦労を喜んでいるな。9時に集合って言ったよな。俺、そんなに早く起きられないから明日の朝はナシだ。明日からみっちり特訓を受けるんだろう。なんか考えてくれよ。俺、このままじゃ体が持たない」
「わかった、考えておくよ。着いたぞ、ジャレッド。また明日。愛している」
タクシーの中で慌しくキスだけして俺達は別れた。
スポーツクラブのロビーに戻ってみると、兄のイーモンと姉のクラウディーネが雑誌に載ったジャレッドのバンドメンバーの写真を見ながら口論の真っ最中であった。
「コリン!ちょっとここに座りなさい。イーモンが全て白状したわよ。あのジャレッドという子、新人なんていうのは大嘘であんたより5歳も年上の恋人だっていうじゃない」
俺がイーモンを睨みつけると、あわてて目をそらした。
「コリン、すまない。俺がここで見ていた雑誌を姉貴に取り上げられて、厳しく追及されたんだ。それでしかたなくお前のこと、白状してしまった」
「いつからなの?本気なの」
兄貴が白状してしまった以上、俺も正直に答えるしかない。
「隠していて悪かった。オーディションの時出合って意気投合したんだ。今まで随分いろいろなやつと付き合ってきたけど、あんなに気が合うやつは初めてだった」
「ずっと一緒に暮らすつもりなの?」
「お互いの気持ちが変わらない限り、一緒にいたいと思っている」
「うらやましいな、そんなふうに生涯のパートナーを見つけられるなんて。俺はまだまだだから・・・」
「イーモン、あなたは黙っていて!生涯のパートナーなんて・・・パパやママにはなんて話すの?特にママはショックでしょうね。イーモンだけでなくコリンまでがゲイになって結婚を考えているなんて・・・・」
「結婚なんて、俺はまだそこまでは・・・」
「だって、生涯のパートナーって考えているんでしょう」
「ああ、それぐらい大切に思っている。いずれ折を見てパパとママにも紹介するよ。でも今すぐには・・・」
「そうね、しばらくは黙っていた方がいいかもね」
「こうなったらやっぱり姉貴が早く結婚して子供を生むのが一番だよ。俺達兄弟はゲイだということがはっきりしたし、姉貴に子供でも生まれてみろ、ママはそっちに夢中になるから、コリンもジャレッドと無事結婚できる。そして俺は彼と義理の兄弟になれる。すべてがハッピーエンドさ。あ、男同士の場合は義理の兄弟で付き合っても大丈夫だよな」
「あんたは黙っていなさい。私、本当に頭が痛くなってきたわ。イーモン、あんたマネージャー見習いをやりたいと言うなら、あの子の面倒でも見て頂戴。私がコリンのマネージャーをやるから」
「ああ、喜んでやるさ。できればバンド全体のマネージャーやろうか。特にいないんだろう」
「待ちなさい!いつもいい加減なあなたが喜んでマネージャーを引き受けるなんて・・・まさかコリンの彼を取るつもりじゃ・・・さっきから怪しいのよね。この写真をずーと長い間見ていたの」
「いや、別に俺は取る気はないよ。ただこの中のシャノンていうのが、いいなあと・・・」
「シャノンはジャレッドの兄だよ」
「そうか、やっぱり俺達兄弟は好きになるタイプも同じなんだな。決めたよ。俺の生涯のパートナーは・・・」
「おい、勝手に決めるなよ。まだ会ったこともないくせに。それにシャノンは俺のジャレッドの大事な兄貴だ」
「お前のジャレッドには一切、手を出さないから心配するな。俺は一目見てピンと来た。このシャノンこそ俺の運命の相手だ」
「兄貴、シャノンはストレートだぜ。今まで一度も男と付き合ったことのない、正真正銘100パーセントストレートの人間だ。兄貴と付き合うわけないだろう。変なこと考えているんだったら、ダブリンに帰ってくれ」
「素晴らしいよ。まだ一度も男と付き合ったことがないなんて!顔を赤らめ、恥じらいながら腰をずらし・・・あーたまらない。そういう男こそ生涯をかけて追い求め、守ってやる価値があるじゃないか。しかも普段はバンドのドラマーで力強く皆をリードして・・・俺の理想だ」
俺と姉貴は顔を見合わせてため息をついた。このとんでもなくぶっとんだ思考回路の持ち主である兄貴のおかげで、俺とジャレッドのことなど取るに足りないことのように思ってしまうのだろう。思えば子供の時からそうだった。兄貴が想像を遥かに超えることばかりやってくれるから、俺がちょっとぐらいハメをはずしても、家族は驚いたりしなかった。それは世間一般では全く通用しないのだが・・・
−つづくー
後書き
とんでる兄イーモンがまたとんでもない相手に目をつけてしまって・・・主演2人の印象がかすんでしまうほど存在感のある兄2人です。
2006、1、20
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