言葉の錬金術師(1)

ウクライナからの移民である私の仕事はなかなか決まらなかった。職種を選ばずに日雇いの労働をするつもりなら、いくらでも仕事はあるのだろうが、それだったら自分の家でやっているレストランの手伝いなどをした方がマシである。家業のレストラン、お世辞にも味がいいとは言えないが、それでもかなりもうかっている。客の大半が若い女性で、しかもその99パーセントは弟のヴィタリー目当てである。弟はまだ高校生、自分の口からいうのもなんだがかなりのハンサムだ。夕食は店で食べると決めていて、そのあとも手伝いと称して店の中をウロウロしているので、その時間に合わせて客はどっとやってくる。子供の時からずっとヴィタリーはそうやって長い時間店の中でウロウロしていた。今思えば、寂しがりやの彼は誰もいない家に一人でいるのが耐えられなかったのだろう。だが、弟は弟、私は私である。私は弟とは逆に、店に長くいる方が落ち着かない。何故だかはわからない。

「ちょっとユーリ、なにぼんやりつったっているの。いるんだったら手伝ってちょうだい。忙しい時間だと言うのにまた教会の集まりに行ってしまったのよ」
「ヴィタリーは?」
「まだ学校。残って試験勉強しているのよ。あの子、誰かがそばにいないと勉強も落ち着いてできないって・・・」
「困ったやつだな。しかたない、俺が手伝うよ」

今、話をしているのが私の母である。父はユダヤ教にはまり、会合に出かけることが多いので、店はほとんどこの母が切り盛りしていた。断っておくが、私の家族はユダヤ人ではないし、先祖をたどってもユダヤ人の血は流れていない。ただユダヤ人のふりをした方が入国しやすかったので、そういう名前をつけただけである。ふりのつもりだったのが、いつのまにか父はユダヤ教にはまってしまい、その生活は教会の教えどおりになってしまった。そんな父を母は苦々しく思っている。

「腹が減った、昼間何も食ってなかったんだ。なんか食わしてくれ」

母に対してはかなり乱暴な口調になってしまう。

「何も食べてなかったの。じゃあ、お昼の残りを食べてちょうだい。仕事は見つかった?」
「ぜんぜんだめ。全滅さ。まともな会社は俺みたいなウクライナ移民を簡単に雇ってはくれないさ」
「あなたは大きな会社ばかり狙うからよ、ユーリ、地道に探せばもっとあなたにあったいい仕事が見つかるのじゃない?」
「地道に探せばか・・・・うわー、いつもと同じひどい味!これを金出して食べに来る客の気がしねえ」
「文句言ってないでさっさと食べて手伝って・・・あなただけよ、いつも文句ばかり言ってるのは・・・ヴィタリーもお客さんも何も言ってないわよ」
「そいつらの口がおかしいんだよ。ああーまずかった。何手伝えばいい?」
「とりあえず、テーブルでも拭いていてちょうだい」

私がマズイマズイといっているのは何も料理の味だけではなかった。確かにマズイことはマズイが自分をいらだたせているものは他にあった。いくつもの会社に面接にいっては軒並み落とされているからだろうか。そうではない、私の苛立ちはもっと深いところにあった。自分が何をしたいのか、どう生きたらいいのかわからない根源的な苛立ち・・・父や母に話してもわかってはもらえないだろう。父はユダヤ教の神の教えどおりに生きればいいと言い、母はつまらないこと考えてないでとにかく体を動かして働きなさいと言うに決まっているのだから・・・・

「わー、今日はユーリの方が先に来ていた。よかった、試験範囲、どうしてもわからないところがあったんだ。別に夜、忙しくはないよね」

まだ高校生、無邪気な弟のヴィタリーが私の顔を見て喜んで近くに寄ってきた。

「仕事はどうなの?もう決まった」
「決まってないからこんな店の手伝いしているんだよ」
「ユーリ!もうお客さんが入る時間なんだから余計なこと言わないで!ヴィタリー早く食事を食べて!あなたは試験があるから手伝いはいいから早く帰って勉強しなさい」
「いいよ、一人ではどうせできないから・・・・」

私が食べた同じものをヴィタリーはすごくおいしそうな顔で食べている。やってきた客はまずチラリとヴィタリーの方を見、必ず同じものを注文する。弟がおいしそうに食べているので、これはおいしいものだという情報が脳に先にインプットされてしまうのだろうか、客も同じようにおいしそうな顔で食べ始める。味覚オンチのヴィタリーのおかげでこの店はもっているようなものだ。ここでは私はなんの役にも立たない。弟がいなくて私一人がまずそうな顔で食べていたら、間違いなく客は注文する前に出て行ってしまうだろう。





「数学がさっぱりわからなかったんだ、俺、兄貴がいて本当によかった」

夜遅く、弟は山のようにドリルや参考書を抱えて、私の部屋にやってきた。

「なんだ、お前数学がわからないのか。数学なんて簡単じゃないか」
「どこが?」
「数学の答えはたった一つだ。どんなに複雑そうに見えてもただ一つの答えに向かって、順序良く道筋をたどればいい。その道筋となる方法さえたくさん知っていれば、必ず無事に答えにたどり着く。だが文学や哲学は答えが一つと決まってはいない。言葉は使い方によって幾通りもの解釈が生まれ、全く別の解答へとたどりついてしまうかもしれない」
「へー、そんなもんなのか」
「絶対不可能だと思われること、できないと思っていることも、言葉をうまく操り、巧みに組み合わせてしまえば、可能になってしまう」
「それは変だよ、いくら言葉を組み合わせてみても正しいことは正しいし、間違っていることは間違っている」
「本当に、そう思うか、それならば絶対に不可能と思われることを可能にしてみせようか」

私はとんでもないことを思いついた。どう考えてもマズイうちの店の料理をうまそうに食べて喜んでいる弟の価値観をいつかはひっくり返してやりたいと、常々思っていた。冷静に考えれば下手に弟の価値観などひっくり返してしまえば、店はもうからなくなり、私の家族は路頭に迷ってしまうことになるのだが、何かにいつもイライラしている私は何かをひっくり返して変えたかった。

「不可能と思われることって何?」
「たとえばの話だ。俺達兄弟が深く愛し合って、今ここで抱き合うとしたら・・・・」
「そんなこと無理に決まっている。俺も兄貴もホモじゃないし、兄貴と愛し合うなんて、そんなの無理に決まっている不可能だ」
「今、そういったな、ヴィタリー。それならばちょっとしたかけをしてみよう。俺はお前を愛して抱くと仮定して話を進めるからお前はその逆で反論してみろ。お前が勝ったら何か一つなんでもお前の言うことを聞いてやる。その代わり俺が勝ったらお前を抱く、それでどうだ」
「そんなの俺が勝つに決まっているよ。男同士の兄弟でなんて、そんな絶対不可能だから・・・無理だよ、そんなこと、お互いホモじゃないんだし・・・・兄貴から何もらおうかな・・・」

無邪気な弟は私の提案を軽く笑い飛ばした。断っておくが私は決してホモではないし、そんな経験は一度もない。まして弟にそんな感情を持ったためしもない。それなのにこんなゲームを始めたのは・・・・何かをひっくり返したかったからとしか言い訳ができない。力や暴力ではなく、ただの言葉の力だけで何かを変えることが本当にできるのだろうか・・・・



                                              −つづくー



後書き
 1周年記念のリクエスト、しばたゆう様より「言葉巧みな兄と誘われたら断れない弟の兄弟げんか、兄はぶらぶらしていて高校生の弟は将来について考えている」というテーマで考えてみました。どうしようもない苛立ちの中、言葉を弄んでいるうちに思いがけない方向に話が進んでしまいます(試験勉強はまったくできません)そしてその気のない人間をどう言いくるめたらなっとくさせられるのか、その辺りの言葉も実はまだ考えていません。それでも第1話、とりあえずUPです。
2006、2、8





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