戦士の契り(1)

スパルタ王レオニダスの直属部隊とも言える親衛隊長アルティミスに呼び出されたステリオスは、胸の高鳴りを抑えることができなかった。成人の儀式を終え、スパルタ軍に所属してすぐのこと、最初の数年はどうせつまらない部隊で、スパルタ人でなくても勝てるようなつまらない戦いに行かされると覚悟をしていたのだが、やはり親衛隊長ともなれば人を見る目が違う。レオニダス王自らが指揮をとることもある親衛隊に入ることは全スパルタ人の夢でもあった。よほどの実力とそれまでの経験、手柄がなければたった三百人の部隊には選ばれない。その隊長が直々に声をかけてくれた、自分はなんて運がいいのだろう。

「やあ、待っていたぞ、ステリオス」

王宮のすぐそばに建てられた親衛隊の控えの間に通された。ステリオスがここに入るのは初めてである。いつもは川で適当に体を洗っていたのだが、今日ばかりは特別に神聖な泉で身を清め、正装、と言っても彼らが身につけるのはゴットピースと呼ばれる皮のパンツとスパルタ戦士の象徴である赤いマントだけであるが、とにかく一度も使ってない清潔なものを体にまとった。ここにはレオニダス王が顔を出すこともある、失礼があってはならない。椅子に座った隊長はステリオスにも座るよう勧めたが、彼は直立不動の姿勢を崩さないで立ったままだった。

「アルティミス隊長、私のようなまだ成人の儀式を終えたばかりで戦場に行ったこともない者を親衛隊に選んでいただけるなんて、光栄の極みでございます。このステリオス、精一杯の力を見せ、決してあなたや陛下を失望させることはございません」
「親衛隊?いずれお前も選ばれるであろうが、今はちょうど三百人いて欠員はない。お前を呼んだのは別の要件でだ。お前のことは前から注目していた。陛下もそれはそれは楽しみにしている」
「本当ですか!陛下が私のこと、あ、いえ、親衛隊でないとすると私を呼び出されたのは・・・」

ステリオスの声は急に小さくなった。喜ばせておいて、やっぱりつまらない用事をいいつけるのだろうか。

「息子のアスティノスが今年十五になる。そろそろ個人指導を受ける時期だ。ステリオス、お前が面倒を見てくれないか。自分で言うのもなんだが、あの子は本当にできがよく、おまけに頭もいい。訓練所にいた時から特別目立っていたお前の個人指導を受ければ、素晴らしい戦士になるに違いない」
「訓練所では、確かに目立っていましたが・・・・」

ステリオスの不満は大きくなる。訓練所のことなど思い出したくもない。ずば抜けた才能と身の軽さを持つ彼は訓練所にいた時から注目されていたが、同時に反抗的で規則を守らないことも多いので、罰を受けて鞭で打たれた回数もずば抜けて多かった。スパルタの少年は7歳で親元を離れて訓練所に入らなければならない。集団訓練の間は食べ物もロクに与えられず、同じ年の仲間より抜きん出て仲間から物を奪うことを徹底的に仕込まれるので、友達などできる雰囲気ではない。個人指導を受ける15歳頃になってやっと、指導する者が好意的であれば彼の判断で充分な食べ物と休息が与えられ、立派な戦士となるべく最後の訓練が行われるのである。この個人指導をするのは成人の儀式を終えたばかりの若者が多く、彼らは兄弟のような絆で結ばれ、後に少年が成人した後も同じ部隊に配属される。子供の頃は徹底的に仲間と競うことを教えられ、ある程度の年齢になって初めて年上の者に従い、絆を結んで互いに相手を守ることを教えられる。すべて最強の戦士を生み出すためにスパルタで百年以上も続いたシステムであった。

「個人指導なんて、俺は大嫌いだった。俺の才能を妬んで嫌がらせをするヤツばかり、思い出したくもない」

言葉遣いも急に変わり、吐き捨てるように言った。

「そうか、お前のような人間は、人の指導を受けるのは苦手であろう。それが例え陛下であっても・・・」
「あ、いえ、私だって指導をする人間にそれだけの実力があればもちろん従います。でもヤツらはそうではなかった。俺を潰そうとするヤツばかり・・・」
「それは大変だったな。もっともお前の態度も相当なものだという報告を受けているが・・・」

実際、ステリオスの個人指導は手に負えないと何人もの若者が途中で投げ出した。しまいに彼は指導を受けずに自分1人で訓練を続けたが、その方がよっぽど気楽で力がついたと本人は思っている。

「俺は人に教えられるのは嫌いだし、人に教えるのもうまくありません。隊長の息子なら、他に指導をやりたがるヤツがいくらでもいます。失礼します」

ステリオスは部屋を出て行こうとした。同じ個人指導をするなら近衛隊長の子よりも普通の子の方がよっぽど自分の思い通りに育てられる。それにあの隊長の息子となれば容姿も期待できない。ゼウスに愛されたガニュメデスやトロイ戦争を引き起こしたヘレネなどの血を引くスパルタ人は美少年が多い。訓練所にいる時は坊主頭で粗末な腰布を身につけているだけなのだが、それでもハッとするほど目鼻立ちは整っている。アテネと違ってスパルタでは相手がどんなに美少年でも直接的な行為は一切禁じられていた。それでも顔立ちが美しいほど年上の者から大事にされ、固い絆を結ぶことが多い。ステリオスだって、どうせ苦労して育てるならば自分の隣に立たせて自慢できるくらいの少年がいいと思っていた。隊長の血を引いていれば、顔も期待できそうにない。アスティノスという名のその子供を昔何度か見てその頃はなかなかかわいかったが、昔は昔、うるさい隊長が父親で、あんまりかわいくない子の面倒を見るなんて真っ平だ。個人指導は3年ほど続く。生涯変わらない絆を結ぶ相手を作るたった1度か2度のチャンスだというのに・・・

「待て、ステリオス。アスティノスはあまりにも才能がありすぎて、他の男では敬遠してしまうのだ。怖いもの知らずのお前ならちょうどいいと思うが・・・・」
「俺は敵に対しては怖いもの知らずです。でも、隊長の子が隣に並ぶというのは・・・」
「私の子であるということは、一切気にせずに好きなように指導してよい。ただ立派な戦士にする、それだけが条件だ。親衛隊には年を取った者が多い。後5年もすれば何人か欠員が出るだろう。人選は私が陛下から全面的に任せられている」
「わかりました、アルティミス隊長、アスティノスの個人指導は私に任せてください」
「そうか、ステリオス、お前ならそう言ってくれると思っていた。自慢の息子だ。よろしく頼む」

アルティミス隊長は椅子から立ち上がり、ステリオスに手を差し出した。ステリオスは渋々握手に応じた。隊長の顔が間近に見える。ステリオスは下を向いた。顔は気にしなくていい、親衛隊に入れるまたとないチャンスなのだ。





「隊長、こちらにいらしたのですか。レオニダス王がお呼びです」
「ディリオスか。ちょっと待ってくれ。今ステリオスと大事な話をしていた」
「アスティノスのことですか。うらやましい、私など未だに独身ですから」

入ってきたのは親衛隊の一員であり、レオニダス王の書記官も勤めているディリオスであった。ディリオスは昔かなりの美少年でレオニダス王の指導を受けたという話をステリオスは聞いている。この2人はスパルタの掟を破って肉体関係を持ち、それは今でも続いているという話も聞いたことがあるが、王に関することなので誰も軽々しく噂話にしたりはしない。だが、短いディリオスの言葉の中、レオニダス王と言った時にだけ特別な響きがあったことをステリオスは感じた。昔は美少年のディリオスも今は貫禄たっぷりである。まして今から隊長似のアスティノス、期待はできそうもない。

「では、私はこれで失礼します」
「ステリオス、せっかくだからレオニダス王にも会っていくがよい。お前の噂はよく聞いている」
「私はまだ陛下にお会いする心の準備が・・・・失礼します!」

ステリオスは飛ぶように走って部屋を出てしまった。レオニダス王は祭りの時などに遠くからチラリと見ただけ、その憧れの王に隊長の息子を押し付けられて不満たっぷりな今の自分の顔を見せるわけにはいかない。

「いろいろな噂を聞くが、彼は純情なよい青年だ。きっとアスティノスを立派に育てる」
「私もそう思っている。だからアスティノスを任せた。あれは本当に自慢の息子だ。顔立ちは妻によく似ている。髪は真っ黒で、生まれた時から目はぱっちりと開け、私の方をじっと見ていた。赤子とはこれほどかわいいものだったかと思い、あの時ばかりは取り上げて体を調べた長老を本気で憎らしく思った。アスティノスに限ってそんなことは決してない。あの子は訓練所では、どんな課題も軽々とやってのけ・・・」

隊長はディリオスに向かって息子の自慢話を始めた。こうなると彼はもう夢中になり、王に呼ばれていることなどすっかり忘れていた。



                                      −つづくー



後書き
 久しぶりの更新、ちょっと気分を変えてステアスの話から始めてみました。といっても隊長の話が長くなってアスは登場しないままです。
2007、11、9



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