戦士の契り(2)

ステリオスは不機嫌そうな顔をして歩いていた。もっとも周りの者に言わせれば、彼の不機嫌な顔こそ普通の状態でにこやかになどしていれば逆に何かあったのかと心配になるらしい。やがて18歳になるまで暮らしていた訓練所の前に来た。懐かしい思い出などなに1つない。隊長の命令で仕方なく来ただけである。何人かの訓練生が槍を突く稽古をしていた。彼らは特別できがいいに違いない。槍を持つ動作に無駄がなく、しかもみな目鼻立ちがすっきり整っていてかわいらしい。

「ステリオス、久しぶりだな。話は聞いた。アルテミス隊長からアスティノスの指導を任されるなんて、大した出世じゃないか」

訓練所にいた時は散々文句を言っていた教官がにこやかに話しかけてきた。

「アスティノスというのはどこにいます?」

にこりともせずに答えた。目の前にいるグループに隊長に似た子はいない。ステリオスは相手が教官であれなんであれ、目上の者と話をするのは苦手だった。早いとこその訓練生を連れてこんなところから逃げ出したいと思った。個人指導は訓練の場所もやり方もすべて指導する側に任される。時々訓練所に戻って報告し、成人の儀式をむかえる18歳までに一人前の戦士に育て上げればよいのである。

「あの右端の彼、なかなかみどころがありますね。いくつですか?」
「あれがアスティノス、16歳だ。成人の儀式まで後2年、そろそろ個人指導が必要だと思っていたところだ」
「え、あれが・・・」

ステリオスは自分の目をこすり、何度も瞬きをした。訓練所にいる少年はみな同じ坊主頭で粗末な腰布を身にまとっているだけだ。それでも右端の少年は美貌が際立っていた。すっきりとした目鼻立ち、周りの者は空腹で痩せ、目ばかりがギョロギョロしているのだが、彼だけふっくらした頬で健康的に赤く染まっていた。突いた槍が的の中心を貫き、はにかんだような笑顔を見せた。あんな少年なら自分もさぞやる気になって教えられるだろうとチラチラ気にしていたのだった。

「彼がアスティノスですか?だって隊長とは全然・・・」
「ステリオス!お前は口数が少ないくせに余計なことをしゃべりすぎる。せっかくのチャンスだ。お前の実力はレオニダス王さえ高く評価しているというのに、その性格が禍して今までよい隊に配属されなかった、そうだろう」
「わかっています。それぐらい」
「アスティノスはお前の指導を受けられると聞いてたいそう喜んでいたぞ。あれは本当にいい子だ。しっかりやるんだな。ちょうどいい、こっちに向かってきた。アスティノス、ステリオスが迎えにきたぞ」

目の前に立つアスティノスは遠くで見た印象よりも背が高くがっしりとした体つきをしていた。だがその顔つきは16歳という年齢よりも幼くあどけない雰囲気だ。

「初めまして、アスティノスです。あなたの噂は父からよく聞いていました。よろしくお願いします」

差し出された手は白く、武器など手にしたことのない女のように細かった。ステリオスはその手を乱暴に握った。

「女のような手だ。お前は今まで随分優遇されていたようだな。だが、俺の訓練を受けたらそうはいかない。すぐ俺の手のようになる、覚悟しておけ」
「わかりました」

アスティノスはペコリと頭を下げた。髪を刈り込まれた頭の形、首筋から肩にかけてのラインまでほどよく筋肉がつき、彫像のように美しい。スパルタの少年はみな例外なく何度も鞭で打たれて体はあざだらけになっているのだが、彼の体にはそんな形跡も見当たらない。どこかに傷跡はないものかと体中を舐めるようにじっくり見た。

「あの、僕の体に何か」
「罰を受けたことはないのか」
「いえ、少しはあります。他のみんなより少ないですが・・・・」
「今から山へ行く、しっかりついてこい」
「はい」





ステリオスは全速力で走った。足の速さには自信がある。訓練所を出て、途中で山道に入った。人のほとんど通らない細い道には尖った石が多くあり、木の枝やつるが足に絡まってくる。ステリオスは皮の靴を履き、マントを身につけていたのでそうした障害物からうまく身を守ることができるが、アスティノスは裸足で裸同然の格好である。ついてこれるわけがないと思いながらさらに速く走った。トゲのある植物や木のつるにひっかかって傷ついているのがわかるが、そんなことを気にしたりはしない。スパルタ人は痛みや血に慣れているのだ。かなり走って山の頂にたどりついた。山頂は高い木もなくて眺めがよい。ステリオスは呼吸を整え、大きく伸びをした。あいつはかなり遅れてここにやって来るだろう。呼吸は乱れ、足は傷だらけになっているに違いない。そこですぐ剣術の稽古を始める。木の枝を剣にみたてればよい。あいつは足がもつれ、すぐに倒れる。俺は手に細くて長い枝を持つ。続けて背中を打たれれば、立ち上がることなどできなくなる。俺は訓練ということで何度そんな目にあったか。気絶するほど打たれて、すぐに立ち上がれるわけがない。

「立て、アスティノス!今までの訓練がどれほど甘いかわかっただろう。実戦で敵は倒れたやつを見逃してはくれない。とどめを刺されるか、立ち上がって相手を倒すかどちらかだ。さあ、勝利者となりたければ立ってみろ、アスティノス!」
「僕は最初から立っています」

すぐ後ろから声がして、ステリオスはぎょっとして振り向いた。坊主頭の少年、アスティノスがニコニコ笑いながらそこに立っている。

「倒れてそのままでいるような弱い人間はスパルタ兵になれない、そういうことですね」
「お前、どうやってここまで来た?」
「ついて来いと言われたので、ついてきました」

よく見るとアスティノスはいつの間にか自分と同じように皮の靴を履き、マントで体を覆っている。

「その格好どうした。訓練生はマントや靴は持ってないはずだぞ」
「個人指導で訓練所を離れる時は身につけていいのです。急いで取ってきました。遅くなってすみません。すぐに稽古を始めてください」
「そんなこと、俺達の時は許されていなかった・・・」

言いながらステリオスはアッと小さな声を上げた。身につけるものを最小限にしろというのは自分だけに命じられたことかもしれない。才能があるゆえに妬みや嫉妬も激しく数々の嫌がらせを受けた訓練生の頃、だが、自分も彼に対して同じ仕打ちをしようとしていたのか。

「あ、でも稽古は・・・すみません、少し休ませてもらってもいいですか?ここに来るまでに随分走ったので・・・」

アスティノスは、ステリオスが自分以上に息をゼイゼイ切らしているのを見てとっさにそう言った。ステリオスはすぐにでも稽古を始めたいのだが、体がいうことをきかない。彼は走るのは速いが、長い距離を走るのは苦手でもあった。

「少しだけだぞ、日が傾く前にしっかり稽古するからな。後2年でお前は成人の儀式を迎える。その時までにしっかりした技術を叩き込んでおかなければ、命を落とす。無事戻ってきてスパルタ兵と認められるのは2人に1人だ。森は隊長の息子だからといってお前に甘くはない。少しでも隙を見せれば情け容赦なく命を奪う、そういうところだ」
「わかっています。でもあなたは怪我をしているようですし、ここに座ってください」

アスティノスは自分のマントを肩から外して草の上に広げた。年上のステリオスが腰を下ろすのをじっと待ち、それから自分も座った。腰につけていた小さな袋を開き、短剣と草の葉を一枚取り出した。アスティノスはステリオスの膝の上、太腿に手を触れた。ステリオスの胸がビクンと大きな音を立てた。

「おい、いきなり何をする」
「血も出ているけど、それ以上にここだけ紫色に腫れている。中に木の枝か太いトゲが刺さっているかもしれない。痛くはなかったですか」
「そう言われてみればかなり痛い。いや、スパルタ人は痛みに耐え・・・・」
「そのままにしておくと、足が腫れて明日には歩けなくなります。ちょっと我慢してください」
「何をする気だ」
「傷口をこの短剣で広げ、中のトゲを出します」
「貸せ!自分でやる」
「無理です」
「俺はスパルタ人だ。おまけに仲間には嫌われ、ずっと1人で訓練してきた。これぐらいのこと自分でできる」
「そうですか、では・・・・」

アスティノスは年上の指導員に自分の短剣を渡した。彼はそれを握り締め、自分の太腿にある傷口に勢いよく刺した。

「うわあああー」

鋭い痛みにステリオスはそばにいる少年がびっくりするような悲鳴を上げた。

「やっぱり・・・ただ刺しただけでなく、枝を取り除かなければ・・・」
「やめてくれー・・・・ひいいー・・・・痛い・・・おい、何をする!」

ステリオスは騒いだが、アスティノスは冷静に短剣を動かして傷口を広げ、本当に小さな刺さった枝を取り出した。指は血で真っ赤に染まっている。そして取り出した葉を傷口に当て、自分の腰布を破いてステリオスの太腿に巻きつけた。

「これで大丈夫です。でも無理はしないでください」
「お前、このことを誰かに言うか?」
「言うって誰に何を・・・」
「ステリオスは枝を足に刺して手当てをする時大騒ぎしたとでも・・・」
「そんなこと、誰にも言いません。僕はずっとあなたを尊敬してましたから」
「尊敬か・・・俺は嫌われ者だぞ」
「訓練所は別でしたが、僕はあなたのこと何度も見て覚えています。父にあなたの名前を聞いて、ぜひ個人指導をしてもらいたいと頼みました」
「そんなに俺が気に入ったのか?」
「はい、僕は父の血を引いて、訓練所ではどんなことでもわりとうまくできました。でも、僕がずっと思い描いていた本当のスパルタ戦士はこんな感じではないのです。あなたを見て、あなたのようになりたい、心の底からそう思いました」
「見ただけでは人はわからない。俺は今お前に弱みを見せてしまった」
「これが僕ならば、もっと耐えられずに大騒ぎしていた」
「そうか、お前は俺のようになりたいのか」
「はい、子供の時からずっとそう思っていました。あなたの隣で戦える戦士になりたいと・・・」
「ならばそうしてやろう。だが、俺の訓練は厳しいぞ」
「すぐに始めますか?もう日も傾いてきていますし・・・・」
「いや、今日は止めておこう。明日からだ。暗くなる前に訓練所へ戻ろう。この足でオオカミなどと戦うのは危険だ」
「わかりました」

アスティノスは笑顔で頷いた。うれしくてたまらないという顔だった。

「お前、いつもそんなにうれしそうな顔しているのか?」
「そんなことありません。今日は特別です。あなたとこうして一緒にいられるのですから」
「そうか、そんなにうれしいか」

ステリオスも歯を見せて少し笑った。だが、足の方からの強烈な痛みに笑顔はひきつってしまう。

「無理はしないでください」

アスティノスは今度は本当に心配で泣き出しそうな顔になった。なんて自分の感情を素直に出せるのだろうとステリオスは少し驚いた。




                                          −つづくー




後書き
 いろいろあってひねくれて育ったステリオスと、純粋無垢なアスティノスです。こういう後輩がいたらかわいいだろうなあという思いを込めて書きました。
2007、11、16




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