21、摩擦
こすられるたびにその場所はきしむ音を立て、悲鳴を上げて痛みを訴えている。目には見えないが、きっとそこはもう皮膚をはぎとられ、真っ赤にただれているのであろう。一体私はどうなってしまったのか?いつもと同じであるはずの愛の行為がこんなにも苦しいものになるなんて・・・アレキサンダーの性格はよくわかっている。彼は今、不幸な境遇の宦官の少年に夢中になり、その少年を傷つけまいとして代わりに私の体で欲望を果たす。私は彼を愛している。その目的がなんであれ、彼に抱かれることはうれしいはずである。アレキサンダーは乱暴なところもあるから随分痛みも味わってきた。だが回数を重ねるうちにその痛みを逃す術も覚え、香油の使い方もわかってきた。彼を受け入れる前には念入りに香油を満たしているのだが、いつのまにかそれは内部にしみこんでしまう。私のその場所はカラカラに乾きむき出しのまま彼を受け入れてしまう。こすれる音、きしむ音、体は痛みを訴え、必死で抵抗している。受け入れてはいけない。彼を拒絶しろ!逃げろ!抵抗しろ!心も血を流しながら叫んでいる。お前にプライドはないのか!お前は今奴隷よりももっと下の者に落とされている。奴隷の身代わりに抱かれてそれでも抵抗しないのか!−−−抵抗はしない。彼を愛しているから・・・彼が私を必用としているならば私は彼のすべてを受け入れるーーーそれならば苦しむがいい。全身が毒で焼けただれ、それでも死ぬことができなかったヘラクレスのように苦しめ!お前が愛している者はもはや人間ではない。神の名を語り、世界を変えようとしている。お前は神の意思にそむいた者を愛せるのか!−−−愛している、アレキサンダーを!
「ヘファイスティオン、すまない。辛かったか」
気がつくとアレキサンダーはやさしく私の体をさすってくれていた。
「酷く苦しそうな顔をしていた。調子が悪いのか」
「僕は何か叫び声を上げていたか?」
「いや、声は出してない」
「お前の調子が悪いのなら、明日からは他の者を相手にするよ」
「君の気持ちはよくわかっている。バゴアスのことが気に掛かる、でも傷つけたくはない、そうだろう。ただ君の相手をするだけの人間はいくらでもいる。だけど本当の君を受け止められるのが僕しかいないとしたら、僕は君を受け止めるよ。どんなことをしても・・・」
「ヘファイスティオン、お前に対する気持ちはバゴアスとは違う。バゴアスは愛して大切にしてやりたいが、お前は俺の体の一部、俺自身だ」
「バゴアスの様子はどうだ」
「よく夢を見るらしい、うなされてばかりいる」
「君も寝ている時うなされることがあるよね」
「そうだ。俺もバゴアスと同じで怖い夢ばかり見ている」
「君がいい夢を見られることを祈っているよ、アレキサンダー」
私は彼に軽く口付けをした。彼は頷き、自分の天幕へと戻って行った。
「イスカンダル王はヘファイスティオン様のことを本当に愛していらっしゃるのですね」
「私とヘファイスティオンの関係はただ愛し合っているというだけではない。彼は私自身だ。例えて言うならアキレスとパトロクロスのように・・・」
「アキレス様はどこにいらっしゃるのですか」
「アキレスは今はいない。ギリシャの神話に出てくる英雄だ。お前が知らないのも無理はないか」
「教えてください。アキレス様のことを・・・」
「お前、ギリシャ語の字は読めるか」
「いいえ、話す言葉はだいたいわかりますが、字は習ったことがないのでまったくわかりません。私はペルシャ語も字を読んだり書いたりすることはできません」
「だが、お前の話すギリシャ語はほとんど正確だ。私はそれほどうまくペルシャ語を話すことはできない。どうやって習った」
「私も正確に習ったことはありません。ただ人が話すのを耳で聞いて覚えました」
「お前はかしこい。ギリシャ語もすぐに読み書きができるようになるだろう。バビロンに戻ったら私が教えてやろう」
「いつバビロンに戻るのですか」
「明日、ここを出発するつもりだ」
「あの・・・処刑された・・・もうしわけありません、私がこのようなことを聞く立場では・・・」
「殺された者が気になるか・・・心配するな。それなりに埋葬しておいた。私はそのまま放置するつもりだったがヘファイスティオンに止められた」
「お心遣い、感謝いたします」
「そうするように言ってくれたのはヘファイスティオンだ。あいつがいてくれるから私は自分自身でいられる」
私達は強い絆で結ばれている。神ですら嫉妬し、試そうとするほどに・・・そう私は自分に言い聞かせた。それでも私の心も体も荒れ狂っていた。アレキサンダーの体と心を激しく求めては拒絶し、地を這い、のた打ち回って苦しんだ。バゴアスなどただの奴隷で何一つアレキサンダーの役に立ち、支えることなどできはしない。早く飽きられて捨てられればいい!苦し紛れにまた呪いの言葉をつぶやいていた。
バビロンに戻るまでは数十日かかった。戻る時の方が、ダレイオス王の従者達が持ち去ろうとした財宝や家財道具もあったので、荷物は倍以上に増え、日数も多くかかった。たくさんの家財道具は荷車に積み、奴隷達に運ばせた。急に荷物が増えた荷車はギシギシと擦り切れた音を絶えずたてていた。奴隷達はあえぎながら荷車を引き、時々監督に鞭で打たれている。もちろんバゴアスは同じ奴隷ではあっても王の身の回りの世話が仕事なのだから、荷物運びなどは一切しない。アレキサンダーの衣類や身の回りのものだけを運び、少しでも彼が馬から降りて休めば、すぐにそばに行って髪を整えたり、飲み物を渡したりしていた。今まで彼は王であっても身の回りの世話をする奴隷など置かず、私達と同じような格好をしていたが、バゴアスが来てからは衣服にも気を使うようになった。荷車のきしむ音と奴隷が鞭打たれて上げる叫び声はどんなに遠く離れた場所にいてもはっきりと聞こえてきた。昼間、王の側近として王に負けないほどの贅沢な衣装に身を包み、堂々と馬に乗って走っている私は、夜、暗闇の誰も見えない場所では、奴隷よりももっと惨めな姿で地面を這いつくばり、のた打ち回って叫び声を上げている。
夜、私はアレキサンダーの天幕のすぐ近くに自分の天幕を張り、香油を使って充分準備をして彼の訪れを待つ。アレキサンダーはバゴアスに身の回りのこと一切を頼み、ほとんどの時間を彼と過ごす。まだ彼らは本当に抱き合ってはいないが、夜になると二人の声は王と奴隷という身分を忘れて恋人同士のような甘いささやき声になる。そして彼は欲望が頂点に達した時、それを満たすために私の天幕を訪れる。なぜこんな屈辱的な立場を毎晩受け入れるのか。私の心も体も激しく抵抗しているのに・・・嬉々として彼を迎え入れ、自らの体を彼の前に差し出す。アレキサンダーはこの時、精一杯優しい言葉をささやき、私の体を溶かそうと努力し、そして私も感じていると信じているのだが、私の体はそうではなかった。激しく抵抗し、赤くただれた肉体の一部が目の前に浮かぶ。無理をしてこすりあわされ、失ったであろう皮膚がさらにむしりとられていく。私の悲鳴も苦痛に満ちた顔も彼には届かない。今彼は私は喜びにあえぎ声を上げ絶頂を迎えて興奮しているように見えるのかもしれない。残酷な神があざ笑う。お前の苦しみはお前だけのもの、彼には決して届かない。彼が少しでも動くたびにただれた皮膚が剥ぎ取られ、私は叫び続けた。ヘラクレスはどうやってこの苦しみに耐えたのか。いや彼のような英雄ですら苦しみに耐え切れず、自らの体が火に焼かれて死ぬことを願う。何度も何度もただれた肉体はこすられ、皮膚と血とその内側の肉までもが剥ぎ取られていく。私も助けを求めた時、意識がなくなった。
「ヘファイスティオン、そんなによかったか。まさかお前が感じすぎて意識を失うとは・・・素晴らしかったよ」
気がついたとき、アレキサンダーは目の前でうれしそうな顔をしていた。子供のような無邪気な笑顔。彼は何も気づいていない。
「それでもお前は彼を愛せるのか?苦しみは増すばかりだぞ」
どこからか声が聞こえた。私はその声を振り払うように大きな声で言った。
「アレキサンダー、よかったよ。僕は君を愛している。愛することができる。どんなことがあっても・・・」
−つづくー
後書き
この時のヘファイスティオンは受け入れてはいけない心理状態でいるのに、無理して受け入れようとして半ば狂気に陥っています。だからこんな痛そうな状況に・・・でも悲惨な目にあわせて神が試そうとしているのに、あえて神に「挑戦状」をたたきつけて「愛している」といいきるところが私が理想とするヘファイスティオン像であります。
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