27、交渉
バクトリア一帯を支配しているらしい族長がゆっくりと私に近づいてきた。
「失礼ですが、貴方はアレキサンダー大王にお仕えしている方の中でも、最も身分の高い方ではありませんか」
「確かに私は王とは子供の頃から親しくしている。だがそれほど高い身分の家柄の者ではない」
「貴方にぜひお話ししたいことがあります。どうか私の天幕の方へ来てください」
ペルシャ人ともまた違った独特の風貌のバクトリアの族長だが、その物腰は非常に丁寧で、きちんとしたペルシャ語で話しかけてきた。私は慌ててアレキサンダーを目で探したが、彼は近くにはいない。
「大王にもすぐにお伝えしますが、まずは貴方に話を聞いていただき、ご意見を伺いたいのです。これからお話しすることがもし大王を不快にさせてしまいましたら、私の命はありませんから・・・・」
「わかった、それならば、まず私が話を聞いて判断しよう。私の口から伝えるならば、もし王が怒りを感じたとしてもそれを行動に移すことはけっしてない」
「ありがとうございます。ではどうぞこちらへいらしてください」
族長に案内され、彼の天幕の中へと入った。中は質素であるが頑丈な作りで、非常に暖かいのに驚いた。
「さあどうぞお座りください。急に思い立ったので何もご用意していませんが・・・・」
「いや、私は王でないのだからそれほど気を使わなくてよい。それで話しとは・・・・」
「大変恐れ多いのですが、実は私の娘を大王に差し上げたいと思いまして・・・・」
「娘を王に・・・・それはまたどういう考えからだ」
「ご存知の通り、ここバクトリアでは昔から部族間での争いが絶えず、ペルシャの王も完全に支配することはできませんでした。けれどもここにきてアレキサンダー大王の力を知り、もはや昔のように部族間で争いをしている時代ではないことを悟りました。新しい時代、ここバクトリアも大王の支配下に入り、新しい国づくりをしていきたい、そのように考えております。そしてその絆を強めるためにもわが娘を大王に差し上げたいのです」
「王の周りにはペルシャの後宮から連れてきた側女や宦官がたくさんいる。だが正式な王妃はまだ娶っていない。王妃はマケドニアの貴族の娘から選ばれるであろう。娘を差し出してもたくさんいる側女と同じ扱いになる。それでもよいのか」
「構いません。娘を王妃になど考えたこともございません。ただ大王に喜んでいただけ、この国にお目をかけていただければ充分でございます」
「そういうことならさっそく王に伝えておく。近いうちに王から呼び出されるであろう」
「ありがとうございます。このご恩は生涯忘れません。ヘファイスティオン様、貴方様のおかげでバクトリアはきっと平和が保たれ、繁栄することでしょう」
その夜遅く、私はアレキサンダーの天幕へ行った。珍しくバゴアスが同じ天幕の中に控えてはいなかった。
「バゴアスはどうした」
「ああ、あいつは疲れているようなので先に休ませた。それに今夜はお前と話したかったし・・・・やっぱり大切な相談ができるのはお前しかいない。バゴアスではだめだ。いままでどこへ行っていた」
「バクトリアの族長に呼ばれて話をしていた」
「そうか、ヘファイスティオン、大事な話しがある」
「僕も族長からの話を君に伝えなければならない」
「どんな話だ」
「いや、君から先に話してくれ、大事な話しがあるんだろう」
「そうだった、実は俺は今結婚を考えている。昔からずっと思っていた。結婚を決めたら真っ先にお前に話そうと・・・・」
「そうか、ついにその気になったんだね。おめでとう、真っ先に僕に話してくれてうれしいよ」
一瞬私の頭の中は真っ白になったが、できるだけ笑顔を作ってそう答えた。アレキサンダーが結婚する、正式な王妃を娶る、そうしなければいけないことは誰よりもわかっているつもりであった。アレキサンダーがなかなか正式に結婚しないことは周りの人間をはらはらさせていた。彼の考えでは遠征が終わるまではとても結婚のことなど考えられないのだろうが、周りの者は万が一のことを考えてできるだけ早く世継ぎを作るよう強く勧めていた。
「ヘファイスティオン、反対はしないのか」
「僕が君の結婚に反対できるわけないだろう」
「辛い思いをさせてすまない。お前の気持ち、俺にはよくわかる。いいか、たとえ結婚しようと世継ぎが生まれようと俺のお前に対する気持ちは少しも変わらないし、お前との関係も変わらない。でもお前が寂しい思いをしないようにすぐに俺がお前にもふさわしい相手を見つけてやる」
「いいよ、僕のことは心配しないで・・・・」
「心配なんだよ。お前は側女も宦官も持たず、たった一人の相手を思い続けている」
「そうだよ、僕は君だけを愛している。他の誰かを抱こうとは思わない・・・・それに・・・・」
「遠征が終わってバビロニアに戻ったら、真っ先にお前の望みをかなえてやる。それまではあの二人は誰とも結婚させない」
「そんな・・・・いつになるかわからないことを・・・・」
「彼女は待っているさ、いつまでもお前のことを・・・・俺は他にも好きな女ができて結婚するが、彼女達のことも忘れたわけではない」
「アレキサンダー、そんなに好きになったの」
「ああ、女に対してこんな気持ちになったのは初めてだ」
「一体どこの誰なのか聞かせて欲しい」
「離れたままでは話せない。お前の胸の中で告白するよ」
その後のアレキサンダーの行為はいつもよりもずっとやさしく丁寧なものであった。時間をかけてゆっくり溶かされた私の体は少しの痛みも感じずに彼を受け入れ、喜びに満たされたそこは彼の動きにあわせて甘い音をたてた。私達はしっかりと抱き合い、長い時間をかけて愛し合った。それは私にとってなにものにも変えがたい至福の時である。
「君をそんなに夢中にさせるなんて、相手は一体誰なんだ」
「ロクサネっていう名前だった。バクトリア族長の娘であの時踊っていただろう」
「ちょっと待ってくれ!結婚てまさか・・・・」
「そうだ、ロクサネと結婚するつもりだ」
「どうして彼女と!・・・いいか、アレキサンダー、気に入ったんなら側女にすればいいだろう。さっきの族長との話もそれだったよ。彼は娘を差し出して君との絆を強めたいって言っていた。ちょうどいいじゃないか」
「本当か、族長もそうしたいと言っているんだな」
「アレキサンダー、落ち着いて考えてくれ。君はマケドニアの王なんだよ。王妃はマケドニア貴族の娘から選ばないと・・・」
「どうしてそう言える。だれがそんなこと決めた?」
「誰がって、昔からそうすることに決まっているだろう。王族は同じ王家の血を引く貴族の娘と結婚するか、それとも他国の王女と結婚するか。そんな野蛮な山岳民族の娘と結婚するなんて信じられない!」
「彼女が野蛮というのか!彼女の父親はこの争いの耐えない土地で覇者になったほどの力と実力がある男だ。それだけではない、あの流暢なペルシャ語、山ばかりの奥地にいながら他国のことも実によく知っている。あの族長や彼女を野蛮人と言うのなら、俺たちのほうがたくさんの兵士を率いなければ戦えない腰抜けの集まりでよっぽど情けない人間じゃないか。1対1の戦いだったら俺達はバクトリアの人間に到底勝ち目はない。個人の戦う力は彼らの方がよほど優れている」
「アレキサンダー、僕は別にこの土地の人間を見下しているわけではない。確かに族長は強くて立派な人間だと思ったよ。でもどうしてそれが結婚になるんだ・・・気に入ったなら何も王妃にしなくてもただ連れていけばいいだろう」
「彼女を愛した。好きになった・・・・だから他の女と同じような扱いをしたくはない。初めて俺の子を、世継ぎを生んでもらいたいと思った女があのロクサネだ」
私の頭の中は混乱していた。どうしてアレキサンダーがあの踊り子にそれほど執着するのかさっぱりわからない。
「ヘファイスティオン、俺はお前なら何もかもわかってくれると思っていたが、そうではないのだな」
「何をどうわかればいいって言うんだよ。信じられないよ」
「ロクサネに対する気持ちはお前やバゴアスに対する気持ちと同じなんだ。ただ美しいとか手に入れたいとかいうだけではなくて、もっとこう心から愛せるような気がするんだ。会ったばかりでなぜそういう気になったかわからないけど、とにかくそう感じたんだ。ヘファイスティオン、俺はお前を愛している。そしてバゴアスも愛している。同じようにロクサネも愛してしまったんだ。わかるか、わかってくれるよな」
「僕は君ではない。わからないよ。もっとわかりやすく話してくれ」
「僕は君ではないからわからない・・・・そうか!わかったよ!なぜ俺がお前に魅かれるか。今やっとわかった!俺はお前ではない。違う人間なんだよ。俺は純粋なマケドニア人だけど、お前の体には俺とは違う他の国の人間の血が流れている。バゴアスもそうだし、ロクサネも全く違う血だ。俺が求めているのはこれなんだよ!全く違う血が混ざり合い、溶け合って新しい世界を、秩序を作り出していく。素晴らしいと思わないか!だから俺はロクサネと結婚したいんだ」
「君は自分の立場というものが全くわかってないよ。そんな山岳民族の娘を王妃にして、その子供を跡継ぎになんて認められると思うか!僕が納得したとしてもカッサンドラ、プトレマイオス、クレイトス・・・・誰も認めないよ」
「わかっている、あいつらは絶対認めないだろう。それぞれ自分の血に繋がる者を俺と結婚させたがっている。だけどお前は違う、わかってくれるよな」
「わからない・・・・わかりたくない・・・・」
「わかってくれなくてもいい。側にいてくれ、ヘファイスティオン、俺は間違っていないよな。お前に聞いて確かめないと俺は安心できないんだ」
「間違ってはいないよ。アレキサンダー、わかったよ、誰が反対しても僕だけは君の理解者になるから・・・・」
私はアレキサンダーの体を強く抱きしめた。反対してすむものならば最後まで反対し続けたいが、いくら反対しても考えを変えそうにもない。それならばせめて私だけでも味方にならなければ・・・・・
−つづくー
後書き
前回が2005年10月20日の更新だったので、3ヶ月ぶりです。この3ヶ月の間に他の話を書いたり、いろいろな本を読んだりして新しい知識も得、この「神話への挑戦」は歴史的事実とは随分違っていることに気がついたのですが、とりあえずこの作品は最初に考えたイメージと構想のままで書き進めていこうと思っています。地名や前後関係、エピソードなどは映画や事実と違っていますがご了承ください。
2006、1、18
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