30、選ばれし者
「ヘファイスティオン、ヘファイスティオン!どこにいるんだー」
遠くから自分の名を呼ぶ声がした。目を開けると天幕の中にいる。隣に寝ているのはフィロタス、彼の天幕で一晩過ごしてしまったのか。
「ヘファイスティオン、目が覚めたか?大丈夫か・・・・」
「アレキサンダーの声が聞こえる」
「お前を探しているようだ。俺が出て行って話をしてやるからお前はここで待っていろ」
私の頭はまだ今の状況も、昨晩のできごとも完全に理解できていない。上着をはおり、急いで天幕から出て行くフィロタスをぼんやりとした目で見つめていた。
「ヘファイスティオンなら俺の天幕で寝ている。だけど誤解しないでくれ。昨晩カッサンドラ達と飲んで、足元がふらついて戻れなくなった彼を介抱していただけだ」
「あのヘファイスティオンがお前やカッサンドラと歩けなくなるほど大量に酒を飲むなんて・・・何か言っていたか」
「何も言ってない。あいつは自分の口からは何も言わないさ・・・言わないけど・・・王と臣下ではなくミエザで一緒に学んだ友達として一言、言わせてくれ。アレキサンダー、もっとヘファイスティオンのことを考えてやれ、あいつは今ボロボロで今にも気が狂いそうになっている。ミエザにいた時からあいつはちっとも変わっていない。不器用で何をやらせてもへたくそなのに、お前だけを見て、お前に追いつこうとしていた。結婚話で浮かれている時かもしれないが、あいつの気持ちも少しはわかってやれよ」
「結局お前が言いたいことはそこか、フィロタス。お前だけでない、カッサンドラ、プトレマイオス、クレイトス・・・みなこの結婚に反対しているさ・・・なぜか、みな自分と繋がりのある娘を王である俺と結婚させ、権力を握ろうと企んでいるからだ。それがなんの関係もないこの土地の娘と結婚したら、お前達の思惑は大きく狂ってしまう。そんな者の中でもフィロタス、お前は特に知恵があるようだな。ヘファイスティオンに近づき、俺の考えを変えさせようというのだろう。無駄なことを考えて・・・ヘファイスティオンは昔も今も変わらない。俺が信頼できるただ一人の人間だ。お前らの思惑に同調したりはしない」
「そうじゃない!ヘファイスティオンの気持ちを考えてみろ。あいつはお前だけを愛し、気が狂いそうになるほど・・・・」
「ヘファイスティオンの気持ちならこの俺が誰よりもよくわかっているさ。俺達の絆はお前達が考えているよりも遥かに強く深い。これ以上ヘファイスティオンを利用して何かしようというのなら、それなりの処罰を考えなければならない。伝えといてくれ、俺が待っていると、フィロタス、お前の隊の者、最近戦がなくて少しだらけているようだな。どんな時でも規律ある行動をするようにお前から手本を見せろ。それができなければ少し数を減らす」
「はい、わかりました。失礼します」
アレキサンダーと別れてフィロタスが戻ってきた。
「アレキサンダーは何を言っていた」
「用があるから来るようにと・・・・聞こえただろう、あいつお前のことなんか少しも考えてないよ」
「あの結婚の話は彼の前ではしない方がいいよ。アレキサンダーは一度自分が決めたことを変えたりはしない」
「お前は大丈夫なのか、昨日のこと忘れたのか・・・・」
「昨日はいろいろ口走ってしまったみたいで、君に迷惑をかけてしまった。まさかカッサンドラやクレイトスがあんなこと考えていたなんて・・・でも僕で食い止められてよかった」
「お前はそれで本当にいいのか!どうして憎まないんだよ!こんなことが続いたらお前はいつか気が狂うぞ!」
「もし、アレキサンダーが神の怒りをかい、気が狂ってしまうのなら、代わりに僕が気が狂う。でも大丈夫だ。まだ狂ってはいない。昨日の事、自分がしゃべったこと、全て記憶している」
「ヘファイスティオン」
「いろいろありがとう、でも、もし君が僕のことを心配して見ているのなら、これからはその気持ちをアレキサンダーの方へ向けて欲しい。一人では支えきれなくなる日がくるだろうから・・・」
「わかったよ、お前の言いたいことはよくわかった。早く行け、ぐずぐずしているとまたアレキサンダーが怒り出すぞ。こんなことならきのう一緒にお前を犯していればよかった。長年の夢がかなうはずだったのに、何もしないでただ見ているなんて・・・」
「君とはずっとミエザの時と同じまま友達でいられるよ。あの頃はもう遠い昔になってしまったけど・・・・」
フィロタスの天幕を出て行った。彼とこうして親しく話すこともおそらくもう二度とないだろう。ミエザの頃の出来事は全て遠い昔のことになってしまったのだから・・・・
「アレキサンダー、僕を探していたのか」
「そうだよ、夜中に貢物が届けられた。すぐお前に見せようとしてバゴアスに使いを頼んだが、お前は天幕にいなかったという。誰のところに行ったのか、気になって一晩中眠れなかった」
「フフ、少しは嫉妬してくれるんだ」
「当たり前だ。まさかフィロタスとは・・・・」
「なにもしてないよ。彼はただ酔っ払った僕を介抱してくれただけだ」
「どうしてカッサンドラなんかと一緒に酒を飲んだ」
「彼が一番君の結婚に反対しているからね。反乱でも起こされたら大変だから、一緒に飲んで言い分を聞いておいた。カッサンドラもクレイトスも酒に強いから同じ量を飲んで僕だけ酷い目にあったが・・・・」
「ヘファイスティオン、お前は側近としてもたいそう役に立つ。いろいろ考えてくれているんだな、うれしいよ」
アレキサンダーの天幕の中、私はかなりうそをついて昨晩のことを報告していた。ひやひやしながら話しているのだが、彼は少しも私を疑ってはいない。
「ところで貢物って誰から?」
「ああ、ロクサネの父、バクトリアの族長から届けられた。この辺りは山ばかりだと思っていたが、交易の隊商が通る道でもあるから、かなりの財宝を蓄えているみたいだ。軍隊の一部を残してこの土地の住民と通りかかる隊商の安全を守り、代わりに富の一部を毎年もらうことにした。これは俺とお前だけの秘密だ」
「秘密って、そんなこと・・・・」
「下手に側近達に話すと財宝は全て分割され、マケドニアにまで持ち帰られてしまう。バビロンでよくわかった。実際に一緒に戦った兵士よりも、マケドニアで待ち構えていた貴族達の方が遥かに多くの財宝を手に入れて豊かになってしまった。その財産で密かに兵を雇い、反乱を企てる者が出てもおかしくない。だからこれからは貢物で得た財宝も全て話さず、ずっと少なめに言っておく。お前と俺だけで管理する」
「アレキサンダー・・・・」
「ロクサネとの結婚だってバクトリアの富も魅力だが、それ以上にお前のためでもある。マケドニアの有力貴族の娘の誰と結婚してもお前と血の繋がりがなく、お前にとって何の特にもならない。そんな結婚をして他のやつを俺と並ぶ地位には絶対つけたくない。俺と並ぶ地位につける者、それは俺が選んだお前しかいない。その地位はお前一代で終わるものではない。やがて俺の子が後を継いで王となった時、お前の子が同じ地位を継いで、共に並ぶ者となるのだ。ほかのやつには決してその椅子に座らせない。お前とお前の血を引く者だけだ」
「君はそんなことまで考えて・・・」
「ヘファイスティオンお前は俺が選んだただ一人の人間だ」
アレキサンダーの唇が私の唇に重ねられた。もはや逃れることはできない。選ばれし者として、私は最高の責め苦を受けなければならない。
−つづくー
後書き
アレキサンダーも彼なりにヘファのことをものすごく愛し、自分と同じ地位にまでつけたいと考えています。ただその愛し方が結果としてヘファを苦しめることになるのですけれど・・・・
2006、1,24
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